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タイトル:雲は遠くて 191章 信也の作った『 平和の世界をつくっていこう 』大ヒットする   2022/12/11


191章 信也の作った『 平和の世界をつくっていこう 』大ヒットする 

 2022年12月10日、土曜日の 昼の 12時ころ。

下北沢駅西口から 歩いて2分の《 カフェ・ゆず  》には、
週刊 芸能 ファン の『クラッシュ ビート 特集』の
取材のために、記者の 杉田 美有(みゆ)と
川口信也(しんや)たちの クラッシュ ビートの
メンバー 4人が 集まっている。

クラッシュ ビート のメンバーは みんな、
ここ 下北沢 にある 外食産業の 大手『 モリカワ 』の
本社で 課長 職 をしている。

バンドの リーダーで ドラム担当の 森川 純(じゅん)は 33歳。
純 の 父親は 『 モリカワ 』の 創業者の 森川 誠 ( まこと )。
現在は 社長職を 引退して 会長 職をしている。68歳。

純 は バンドの 活動ができなくなる 大学の 卒業に あたって、
「 下北沢の モリカワ の 本社で 仕事をしながら、
バンド 活動も 楽しく やろうぜ! 」
と メンバー 全員を 説得したのだった。

ボーカル と ギター の 川口 信也(しんや)、32歳。
リード ギター の 岡林 明(あきら)、33歳。
ベース ギター  の 高田 翔太(しょうた)、33歳。
4人は、早瀬田(わせだ)大学の 商学部だった。

 週刊芸能ファンの 記者の 美有(みゆ)は、26歳。

5人は、4人用の 四角い テーブルを
二つ 合わせた 席で ワインを 飲んだりしながら
チーズ たっぷりの 熱い ピッツァ とかの ランチを 楽しんでいる。

この『 カフェ・ゆず  』の オーナーは 高田 充希(みつき)、29歳。
充希は、名前も 顔も ただよう 雰囲気(ふんいき)も、
あの 女優で 歌手の 高畑 充希(たかはた みつき)に そっくりで、
ここ 下北沢では 評判だった。
店は、2017年の夏に、オープン した。親の所有する 土地だった。

「 クラッシュ ビート の みなさん!
『平和の世界をつくっていこう』の 大ヒット、おめでとうございます ! 」

と 美有(みゆ)は みんなとの 陽気な 雑談に 笑いころげていたが、
気持ちを 切りかえて、雑誌の 取材を開始した。

「 ありがとうございます。ワインを飲みながら
おいしい ピツァを 食べながらの 取材なんて 最高 過(す)ぎです ! 」

と 純は 微笑んで、グラスに 入った 白ワインを 飲む。

「 オレたちの 歌が 世界中の人に 歓迎されているなんて、
こんな状況は、まるで 夢を 見ているようですよ! 」

と言って 岡林 明(あきら)は豪快に笑(わら)った。

「 雑誌の 特集の 取材をしているのに、山梨の甲州(こうしゅう)
白ワインを飲んでるし、つまみは モッツァレラ チーズ
たっぷり の おいしい ピツァ だし、最高ですよ! 」

と 高田 翔太(しょうた)は 目を 細(ほそ)めて 微笑(ほほえ)む。

「 オレたちは 学生のころから、有名人になっても、
絶対に 顔は 明(あ)かさないし、テレビには出ないって、
決めていたんです。
『 自由な 人生のためには、 無名な ごく 普通の 人であることが 大切だよな !』
ってことで、メンバー 全員は 意見が 一致しているんです ! 」

 そう言って 笑いながら、純は みんなを 見わたした。

「 クラッシュ ビートの みなさんは、普通に 会社 勤めの お仕事も
していますからね。有名より 無名が 良いという お気持ちは よく わかります!
男性4人の ボーカル グループの、GReeeeN(グリーン)も、
顔を いっさい 公表していないですよね。
彼らの場合は、歯科 医師 と アーティスト を 両立していて、
歯科 医師の 本業に 支障(ししょう)を 出さないようにするため、
というのが、その理由だそうです。やはり 無名なほうが 自由ですよね  」

「 こんな 時代ですからね。顔が 知れてたら、こうして 優雅(ゆうが)に
ワインや ピツァ を 楽むことも 不可能ですよ ! 」

そう言って、純は みんなを 見ながら 明るく 笑った。

「 ですよね ! さてさて、
『 平和の世界をつくっていこう 』の大ヒットは、
平和を願う 世界中の みなさんの 心を、
しっかりと 魅了(みりょう)しています。
メロディ も 歌詞も 最高だと 思います ! 」

と 美有(みゆ)は まるで 自分の 自慢のように
満足気(まんぞくげ)に 微笑(ほほえ)む。

「 ありがとうございます。美有さんに
ほめられると、とてもうれしいです ! あっははは。
 できるだけ 簡単にして 『 平和の世界をつくっていこう 』
の歌詞に ついてお話ししますね  」

熱いピツァを つまみに 白ワインを 楽しむ 川口 信也 が  
そう言うと、メモしておいた ノートを 見ながら 話しを 始めた。

「 えーと、1番の 詞の『 おとな になると 欲望のままに
こども の 純真を 捨(す)て 去って いく 』ですけど。
この『 欲望 』は、たとえば、哲学者であり
早稲田(わせだ)大学 名誉 教授 の 竹田 青嗣(たけだ せいじ)さんの、
今年 2022年9月に 発行の『 新・哲学 入門 』の 表紙にある 言葉
『 すべての 基礎は 欲望である 』と 同じような 意味の『 欲望 』のことです。

つまり、ひとことで 言えば、人間の世界を 動かしているものは、
さま ざまな『 欲望 』なのだろう ということです。

まったく、おとなたちの、欲望の 暴走で 起こる 環境 破壊 や
戦争や 汚職とかで腹の立つことばかりの 昨今 ですよね。

えーと、この本の 冒頭(ぼうとう)の『 第1章 哲学の本質 』では、
『21世紀の 現在、哲学は その本質を 見失い、
自壊(じかい)し、死に 瀕(ひん)してる。』と書いてあります。

今回の ロシアの ウクライナ 侵攻の悲劇 とかを 考えれば、
哲学によって 平和を 実現していく道が 遠のくばかりで、
そんな 挫折感とかも あらわれた 言葉だと 僕は 感じます。

この『 第1章 哲学の本質 』の 末尾(まつび)は こんな 文章です。

『 現代哲学が 哲学の 本質を 喪失(そうしつ)しているのは、
それが 普遍 認識 の可能性に 挫折し、それを 断念しているからである。
そして 哲学的 普遍 認識 の 可能性の カギ を 握(にぎ)るのは、
価値の 哲学の 方法的な 基礎づけである。

《 道徳 の 系譜 》で フリードリッヒ・ニーチェ は このことを 指摘し、
(《 哲学者は 価値の 問題を 解決せねば ならない 》)、
自(みずか)ら《 価値の 哲学 》の 新しい 創始者 たろうとしたが、
彼に その 時間は 残されて いなかった。

われわれ の《 新しい 哲学 》の 第1の 中心 主題 は、こうして、
ニーチェの《 価値の 哲学 》の 現代的 継承(けいしょう)、すなわち、
哲学における < 普遍 認識の 方法の 再生の 試み > に ほかならない。』

僕もですが、いろんな 人が、ニーチェ の 哲学には 共感していますよね。
僕は、ニーチェ の言う 超人のように 生きたいと心から思いますから。
あっははは。

竹田 青嗣 さんと いえば、1990年には『 陽水 の 快楽 』という本を
書いています。『 おもしろい 内容の本を 書く 人だなぁ 』と
僕なんか思って、それ以来のファンなんです。
竹田さんは、一貫(いっかん)して、人生 や 芸術 や エロス、すなわち、
恋心 とか 性 とか 愛 とか 情熱 とかを 考え 続けていますよね。
今日では 日本を 代表するような 哲学者であり、早稲田の 名誉 教授 です  」

「 あの 本は、ミュージシャンの 井上 陽水(いのうえ ようすい)論ですよね。
私も その 文庫本を 持ってます。裏 表紙にある 竹田 さんの お写真は
サン グラスをしていて、バイクの ライダーのようで、
哲学者には 見えないでした ! 」

そう 言って、美有(みゆ)は 笑った。みんなも 陽気に 笑った。

「 えーと、竹田 青嗣(せいじ)さんは、『 新・哲学 入門 』の
311ページ で こんなこと 言っています。
『 ニーチェ と バタイユ、この 二人の 哲学者は、人間 存在の 本質を
《 生の エロス 》への 欲望として 洞察した はじめての 哲学者と
みなしてよい。ニーチェの 本質 洞察は 以下である。

芸術は、美や 恋愛が 人間にとってもつ 意味と 本質を 共有している。
さまざまな 生の 不遇(ふぐう)、酷薄(こくはく)、
軋礫(あつれき=不仲)、困苦(こんく)、
艱難(かんなん=苦労をすること)、悲惨、絶望、災厄(さいやく)
などにも かかわらず、生を 是認(ぜにん=よいとして認めること)、
肯定(こうてい=積極的に 意義を 認めること)し、
生の 享受(きょうじゅ)と 憧(あこが)れを
支(ささ)えるもの としての 芸術。』

この『 ニーチェの 本質 洞察 』は、竹田さんの『 陽水 の 快楽 』で
探究した 哲学 と 方向性 が みごとに 一致 している と 僕は 感じます。

さて、ちょっと お話しは 変わりますけど。
『 欲望 』とは、『 快感 』とは、同じような 意味でもあり、
密接な 関係が ありますよね。それで なんですけど。

経済 人類 学者 の 栗本 慎一郎(くりもと しんいちろう)さんは
『 パンツを 捨(す)てる サル 』という 本の16ページで、
『《 快感 》が 人を 支配する 』と 題して 次のように 言ってます。

『《 快感 》が 鍵(かぎ)である。快感 こそが、ヒトの 生きる 意欲や
形態上の 変化の もととなる エネルギー を 絞(しぼ)り 出せる 根拠だ。

はっきり 言おう。快感が セット されれば、ヒトは なんでも やって
のけるでは ないか。私は カンボジアの ポル・ポト政権 が 400万 とも
500万人 ともいわれる 大量 虐殺 を 行なったのは、政府 中枢 から
末端の 兵士までが、人を 殺すことの ある種の 快感に 導(みちび)かれた
結果ではないかと、と ある 根拠(こんきょ)に したがって 考えている。

思想や 理想や 正義などと いったものは、快感に 導かれて
行(おこな)った ヒトの 行動に 対して、学者が あとから
言葉による 説明を 与(あた)えたものに すぎない。

快感によって セット された 行動は、ヒト だけのものではない。
じつは、すべての 動 植物 が、おのおの の 快感の 方向に 向かって
生命 反応 をしながら 生きている。

快感は、すべての 生命の 生きる 意欲を 決定している。
快感ではなく、苦しみながら 生き抜くのが 好きだという人は、
苦しみを 快感に 変える マゾヒズム 的 な 人 なのだ。
でなければ、いつかは 快感に 到達 できると 空(むな)しく
もがく 哀(あわ)れな 人である。もし あなたが 後者なら、
すぐに 快感を 求める 方向を とりなさい。
与(あた)えられた 生命は 長くはない。』

次は この本の 210ページの 栗本さんの 言葉です。

『 生きる 意欲は どこから くるのか。
生きる 意欲は、生きること それ自体、または 生きることによって
可能になるが、生きている 個体に《 快感 》をもたらす ことによって
生み だされる。私たちは、腹が 減ったから 食物を 口にすると
考えがちだが、それは 単純にして まちがっている。
飢(う)えを 感じても、それが 何かを 食べることの 快感の 予感と
結合しなければ、ヒトは 食べ物に 向かわないのだ。
したがって、拒食症とは、かなり 深刻な 病(やまい)である。

異性が 好きであっても、セックスの 快感が 予感されなければ、
話をするだけに とどめておこうと するだろう。 あるいは、
逆に それに溺(おぼ)れることを恐れて、遠ざかることもある。
学問にせよ、スポーツにせよ、普通の生活にせよ、ヒトは、
快感の 導(みちび)くようにしか 活動しない。
となると、快感、充足感(じゅうそくかん)、
それらの 真 の 姿は、いったい 何なのだろう。
< 中略  >
私は《 パンツを はいた サル 》のなかで、もともと なくても
生きていけるものだが、それがないとヒトではなくなるものを、
まとめて《 パンツ 》と表現した。なくても いいものとは、
つまりムダであり、過剰(かじょう = 多すぎて あまること)である。
私たち ヒト の 行為は、95 % が むだである。95 % ?
せめて 60 % ぐらい だろう、という 人は 甘(あま)い。
< 中 略 >
どうしても 捨てなければならない パンツとは。

しかし、無駄(むだ)なことにも かかわらず、ヒトが そこに 猛然
(もうぜん)と 邁進(まいしん)するのは、その 方向に 突進すると
快感が 増大するように、ヒトの 脳が セット されているからだ。
何のかんのと言っても、ヒトは 自分が 嫌(きら)いなことは
たった ひとつでも やらないのである。
< 中 略 >
集団的 暴力 が 快感 として セット されている。これは 大きな パンツ
の なかでも、もっとも 怖(こわ)い ものの ひとつ である。
私たちは、何を 排(はい)してでも、この パンツ を
捨てねば ならぬのでは ないか。
< 中 略 >
要するに、人殺し でなくても、ほかの 快感なら いい のではないか、
というのが 新しい方向である。新しい 快感 を、快(こころよ)い 快感
にするか、それとも 集団 殺戮 にするかは、
まさしく ヒト 自身の 選択に かかっている。
< 中 略 >
21世紀は、人類が、すべてを 自分で 決めるか どうかという
岐路(きろ)に 立つ 世紀 になるだろう。
人類 である あなたは、ひょっとすると、はじめて 自分で
進化の 選択に 参加 できるように なるかも しれない。
 < 中 略 >
いずれにしても、結局はあなたの問題なのである。
これで、私はまた、温泉に行くぞ。では。 』

と、これで、『 パンツを 捨(す)てる サル 』は、終わっています。

ぼくは、生きていることは、いろんな 悪い 誘惑 や 欲望 との
戦いの ような ものだと、子どものころの 体験からも 実感しています。
そん なダークな 快感に 染まることから 心身を 守るためにも、
『 こども の 純真 が 大切な 人生と 心 の 原点  』だと 思うんですよ!
そんな 思いで、この 歌詞は 作りました。

そうそう、『 変化を!』という 歌詞についてですけど。

あれは、テレビの『NHK 映像の世紀 バタフライ エフェクト』で
『 ソ連 崩壊 ゴルバチョフ と ロック シンガー 』を

超大国 ソ連を 崩壊に 導いた 指導者 ゴルバチョフ と 、
ゴルバチョフの ペレストロイカ の中で、若者たちの 絶大な
支持を 集める ロック バンド『 キノー』が 誕生するという番組 でした。
キノー は、《 変化を!》という タイトルの 歌を 歌っていたのです。
ソビエト連邦を代表するロックバンドで、
音楽的には ポストパンクと ニュー・ウェイヴに インスパイア(= 触発・感化)
されているそうです。
ボーカルの ヴィクトル・ツォイ は、現在の ロシア連邦でも
ロックの神様と呼ばれているそうです。
そんなわけで、ぼくは この 歌詞に《 変化を!》と 入れました ! 」

そう言って 信也は、みんなを 見ながら 明るく 笑った。

・・・

『 平和の世界を つくっていこう 』 歌詞

(1)

こども の ころは みんな 誰(だれ)でも
天使 のように 純真(じゅんしん)だった

おとな になると 欲望(よくぼう) のままに
こども の 純真を 捨(す)て 去って いく

でも こども の 純真 は 大切な
人生と 心 の 原点(げんてん) さ

だから 愛を 大切 にして
幸せの 世界 を つくって いこう !

(2)

みんな が 生きて ゆける 豊(ゆた)かな 自然
地球 は 奇跡(きせき)の 美しい 星 ( ほし )

なのに おとなたちは 欲望 のままに
自然も 人も 何もかも 壊 (こわ) していく

この世界は 愛の力で 作られているのに
その 感謝(かんしゃ) や 愛 の 心も 無 (な)くしていく

「 変化を !」 発想(はっそう) の
転換(てんかん) をして
平和の 世界を つくって いこう !

・・・
◇ 参考 文献
1.『 新・哲学 入門 』
竹田 青嗣 著
講談社 発行
2.『 パンツを 捨てる サル 』
栗本 慎一郎 著
光文社 発行
3.NHK 映像の世紀 バタフライ エフェクト
「ソ連 崩壊 ゴルバチョフ と ロックシンガー」
初回放送日: 2022年10月31日
4.フリー百科事典 Wikipedia ウィキペディア

≪ つづく ≫ --- 191章 おわり ---

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