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タイトル:憂国通信  2014/08/07


慰安婦捏造!朝日新聞と組んで売国工作をした国賊吉田清治とはこんな奴

    
吉田 清治
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E6%B8%85%E6%B2%BB_%28%E6%96%87%E7%AD%86%E5%AE%B6%29

(よしだ せいじ、1913年(大正2年)10月15日 - 2000年(平成12年)7月[1][2])は福岡県(山口県とも)出身の作家。強制連行犠牲者遺骨祭祀送還協会の元会長。清治は筆名で、本名は吉田雄兎。別名は東司、栄司。

(-_-) 

吉田が工作員であることは確かですが、所属先はCIAです。米国様の意向で様々な工作活動をしたものと思われます。
狙いは勿論、日本国を米国様の属国状態から脱却させないように弱体化させること。

米国様を裏支配するユダ金は大量の朝鮮人を日本人になりすまさせて、日本人を下部階層に陥れ、朝鮮人なりすましを中間搾取層にすることでヒエラルキー化させ、ユダ金の支配層は少数で済むように画策しています。

当初なりすましは暴力団や芸能・スポーツ界が中心でしたが、現在では、マスゴミの大半や政財界もなりすましに置き換えられています。

≪新聞では1983年段階で70歳と報道されている。調べによれば、吉田の生年月日は1913年10月15日である。また、本人の著作では本籍地山口県としていたが、実際には福岡県芦屋町西浜であるという。門司市立商業学校の卒業生名簿に「吉田雄兎」の名があり、それによれば、1931年同校を卒業したことになるが、卒業生名簿には「死亡」と記されている。≫

( ゜o゜) 

「吉田雄兎」という日本人は存在したようですが、いつのまにか「なりすまし」に戸籍を乗っ取られたようです。

≪吉田の自著では、東京の大学を出て、1937年に満州国地籍整理局に就職したことが記されている。
地籍整理局への就職については裏付けがとれているが、学歴については朝日新聞が法政大学卒業と報じ、1990年の『著作権台帳』にも同大卒とあるが、吉田自身、秦郁彦に対しては同大中退と述べ、1996年3月27日、勤労しつつ法政大学専門部法科に在籍したことを秦に対して説明している。
しかし実際には、法政大学の在籍記録には吉田の名は掲載されていない。≫

(-_-) 

戦時中から、この男は工作活動をしていたようです。勿論、米国様の指令で動いていました。
太平洋戦争の経緯を見ていると、日本がとった行動で不自然な点が多く知見されます。
政府や陸軍の主要部に米国様が送り込んだ工作員がいたと考えるべきでしょう。
岸信介がスパイだったのは間違いないと思います。
「日本を絶望的な開戦に追いやった連中には、相当数の工作員が紛れ込んでいた」と解すれば謎も氷解します。

≪吉田によれば、1939年から翌年にかけて中華航空上海支店に勤務したことになっているが、上杉千年の調べでは1992年5月の中華航空社員会で吉田を記憶する者がいなかったという。
吉田の自著によれば、1940年6月、吉田は朝鮮独立運動の首領で日本民間人を殺害した金九を輸送したかどで憲兵に逮捕され、軍法会議で懲役2年の刑を受けたという。
これによれば、1942年6月に諫早刑務所(別書には南京の刑務所)を出所している。
ただし、吉田本人は1996年秦郁彦に対し、金九ではなく中華民国重慶軍の大佐だったと訂正、罪名についても阿片密輸にからむ「軍事物資横領罪」であることを告白している。≫

(-_-) 

吉田の実年齢は不明ですが、1913年生を真に受ければ、1942年で29歳。おそらく二重スパイをしていたのでしょう。表向きは日本の諜報員ということで…。諜報活動の元締めもユダ金の手先だったのでしょう。

≪吉田によれば、1942年9月、同郷の先輩の世話で労務報国会下関支部動員部長になった]ということだが、これについては、中川八洋が2年間刑務所にあった「前科者」が、出所後すぐに内務省系団体の動員部長に任用されることはありえないと指摘している。
もし彼が中華航空の社員であったのならば、民間人である吉田が軍人・兵士を対象とする軍法会議にかけられるはずがないとして、その説明が虚偽であることを検証している。≫

(-_-) 

これは中川八洋氏の推理不足で、吉田が軍の指令で動く諜報員なら可能です。

≪ただし、吉田が労務報国会下関支部に在籍していたことは事実で、これについては、複数名、吉田の勤務を記憶している人がいた。

吉田が済州島で慰安婦狩りをしたというのはこの時期のことであるが、当時の朝鮮総督府管内には、朝鮮労務協会や内地の労報に相当する労務報告会があったため、労務調達のため内地の労報支部員が直接出向いて徴集しなければならない理由はなかった。

また、吉田の陳述では、西部軍 → 山口県知事 → 下関警察署長 → 吉田のラインで労務調達の命令が下されたとしているが、当時、このような命令系統は存在しなかった。
なお、吉田は「元日本軍人」という肩書で公の場に出ていたが、労務報国会は日本軍とは関係なく詐称である。≫

(-_-)

「労務報国会」は裏組織で、政府が関与していたと思われますが、さらにその背後にユダ金がいたと解すればいいでしょう。

≪吉田は、三一書房刊『私の戦争犯罪』(1983年)において、1943年5月15日付の西部軍動員命令によって1943年5月17日に下関港を出発し、翌日済州島に着いて、兵士10人の応援で205人の婦女子を慰安婦要員として強制連行したと書き、その要点は妻の日記に記載されているとした。

しかし、吉田が大野フサエという女性と結婚したのはその一年後の1944年5月18日のことであり、妻の日記に動員命令の要旨が記載されているとは考えにくい。≫

(-_-) 

大野フサエも諜報員で二重スパイでしょう。結婚も偽装結婚か?

≪終戦後の1947年(昭和22年)に、下関市議会議員選挙に日本共産党から立候補。129票を獲得したが落選したという経歴を持つ。≫

(-_-) 

共産党に潜り込むよう指示されたのでしょう。

現在の日本共産党の主要幹部はCIAの工作員で固められています。
宮本顕治は諜報員としても大物で、池田大作や文鮮明クラス。本物の共産党員は吉田みたいな奴の活躍もあり、このころ大半が粛正されたはずです。

(参照)宮本顕治
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E9%A1%95%E6%B2%BB

≪この時の名残もあり、戦後朝鮮民主主義人民共和国が建国された後も日本に残った在日朝鮮人の中には、日本共産党員となる者が多数いた。
彼らは1955年の在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯)結成と同時に事実上移籍する形で共産党を離れるが、その後も共産党と朝鮮労働党の間には朝鮮総聯を通じた交流関係があった。≫

(-_-) 

宮本顕治は今回の話から逸れるので詳しくは述べませんが、GHQの指示で朝鮮総連設立に暗躍しています。
つまり、大量の朝鮮人なりすましの「人材」を確保したことになります。

この当時からユダ金は朝鮮人を中間支配者にして日本を支配する属国構想を描いていたのでしょう。

「岸信介がA級戦犯として死刑を免除する代わりに工作員になった」と解する説は主流ですが、同じく宮本賢治も「無期懲役免除の引き替えに工作員になった」と解することができます。
ただし、本ブログの見解では「両名は戦時中からすでにユダ金の工作員だった
」としています。

つまり、裁判沙汰のごたごたは、工作員であることを偽装するための茶番だった、ということになります。
息子の宮本太郎は麻生のブレーンとして有名。
決して偶然の結果ではないでしょう。

≪1977年以降、吉田は戦時中に済州島などでアフリカの奴隷狩りのように若い朝鮮人女性を軍令で捕獲・拉致し、強制連行したと著書や新聞や講演などで語った。
その後、済州島の新聞「済州新聞」が追跡調査で当時そうした「慰安婦狩り」を島民が聞いた事がないという証言を得て吉田証言は事実ではないと報道。
その後、秦郁彦らも追跡調査を行い、同様の結論にいたった。
また吉見義明も吉田本人から創作を交えたことを聞いたため、吉田証言は資料としては用いることができないと確認した。≫

(-_-) 

1977年に米国大統領になった奴はジミー・カーターで、ユダ金の工作員です。

CIA長官はジョージ・H・W・ブッシュだったのですが、政権交代により、スタンズフィールド・ターナーという奴に代わります。
伝説的な無能長官として知られていますが、このときCIAは内乱状態だったと思われます。

ユダ金の日本仕置きの方針も大きく変わりました。
日本の首相は福田赳夫。岸の子分です。CIAの言いなりなので扱いやすい男でした。
次の大平は米国様の属国支配に抵抗したので殺されました。
大平の意志を継ごうとした伊東正義はCIAに脅されて、とうとう首相になれませんでした。

南鮮は朴正熙体制の最晩年で、米国支配からの脱却を目指し、逆鱗に触れて惨殺されたのはその2年後。
パク・クネも親父が何で殺されたのかは熟知しているはず。

≪しかし、吉田証言は、1992年の韓国政府による日帝下軍隊慰安婦実態調査報告書や1996年の国連人権委員会のクマラスワミ報告や1998年のマクドゥーガル報告書でも慰安婦強制連行の証拠として採用された。
また、これら報告はその後も修正していない。

2006年の米国下院が慰安婦問題で対日非難決議案を審議する際の資料とされた同議会調査局の報告書でも「日本軍による女性の強制徴用」の有力根拠として「吉田証言」が明記された。その後、日本側の批判を受けて、2007年の改訂版では「吉田証言」が削除された。≫

(-_-) 

ユダ金の関与が露骨すぎますね。
しかし、情弱馬鹿どもは、ユダ金の傀儡報道機関にすぎない朝日を非難するばかり。南鮮の報道を「捏造」と非難するのは自由ですが、それをやらせている大本にはスルー。

(・_・) 

本当に、バカウヨって馬鹿ですね。尤も、ネット上で書き散らしたりコピペしまくっているバカウヨ工作員の大半は朝鮮人ですが…。

≪しかし、2007年2月25日の決議案審議のための公聴会の時点ではこの吉田証言に基づいた資料を判断材料としたうえで、2007年6月26日にアメリカ合衆国下院121号決議が可決した。

さらに2011年8月30日、韓国の憲法裁判所が「韓国政府が日本軍慰安婦被害者の賠償請求権に関し具体的解決のために努力していないことは憲法違憲」と判決した際にも事実認定としてクマラスワミ報告、マクドゥーガル報告書、アメリカ合衆国下院121号決議が根拠とされ、吉田証言も事実認定の有力な証拠のひとつとして用いられた。

2000年代以降は消息が掴めない状況が続いたが、週刊新潮2014年3月13日号によると、吉田の長男の話として、既に2000年7月に死去していたことが判明した。

西岡力は、吉田が「慰安婦=性奴隷」説を最初に主張した人物であると述べている。≫

(-_-) 吉田の死は長男と称する男の話だけ。
ユダ金は日本人をなめきっていますね。

バカウヨのために言っておくと、朝日新聞は売国新聞ですが、経営者はユダ金です。読売はCIAの広報誌。正力松太郎で判りますね。
産経は「世界日報」で判るように統一教会と義兄弟。
聖教新聞は在日新聞。
赤旗も在日なりすまし広報誌です。
毎日「変態」ではなく聖教新聞の子会社でした。聖教新聞を主に刷っているのは毎日です。

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