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タイトル:憂国通信  2012/01/25


皇室が「王家」で何が悪い!NHK完全に開き直る

   
"皇室を「王家」?" NHK「平清盛」に疑問の声→担当識者「国を思う方の批判は理解するが、皇室貶める意図なし」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1327382440/-100

≪NHK大河ドラマ「平清盛」で、当時の皇室(天皇家)を登場人物らが「王家」と呼んでいることが議論を呼んでいる。中国の冊封体制下で「王」は「皇帝」に仕える立場であることなどから、王家の呼称は「天皇家の権威をおとしめる表現」との批判があるためだ。≫

「韓流路線の関係です」と正直には言えないNHKは例によって御用学者を登場させた。

≪同番組の時代考証を担当し、本紙で「日本史ナナメ読み」を連載している本郷和人・東大史料編纂所准教授に、「王家」を使った理由を解説してもらった。
−−−
なぜ天皇家、皇室という言葉を用いなかったか。ひとことで言えば、「平清盛」の時代には使われていなかったから、です。≫

当たり前だ。「皇室」は現代語である。平安時代末期に現代語を喋るわけがない。

≪この時期には、天皇の血族をファミリーとして捉えるという概念がいまだ出現していない。
播磨の海、周防の灘、と命名しても「瀬戸内海」とまとめる言葉がなかったのと同じです。≫

瀬戸内海と皇室とどう関係があるのだろうか?
平安時代にもセクハラはあっただろうが、全体的概念はなかったのと同じで、皇室の説明になっていない。

≪近衛天皇の寺院、鳥羽上皇の御所、美福門院の荘園など、個別の名が用いられ、天皇家も皇室も、また「王家」も、言葉としては定着していません。≫

何だ!、自分で「『王家』が捏造だ」と言っているぞ。

≪それから150年、鎌倉時代末から南北朝時代、天皇家と皇室は依然として用いられていませんが、「王家」が各階層で使われるようになります。たとえば、
◎皇族…花園上皇「(後醍醐天皇は)乱髪、小袖一、帷一を著せしめ給うと云々、王家の恥、何事これにしかんや」(『花園天皇日記』元弘元年別記10月1日)
◎貴族…北畠親房「王家の権さらになきがごとくになりぬ」(『神皇正統記』二条天皇)
◎武士…結城直光「昔より誰の家か、王家の相門を出ざるや」(『源威集』前九年の役のこと)。≫

「王家」など古語辞典に載っていない。「たとえば」などと言っているが、誤用とまでは言わないが特殊例を必死に見つけてきたのだろう。
平安時代に用例を見つければ鬼の首を獲ったように騒いだだろうが、「それから150年」では残念な結果である。

≪どうして「王家」が登場したかというと、「平清盛」の時代、天皇イコール「王」だったことが素地になったのです。≫

よくこんなデタラメを断定的に言えるものである。

≪この頃、天皇という呼称はあまり使われず、みかど・主上、それに「王」が用いられた。≫

天皇という呼称が用いられなかったのは事実だが、「王」も用いられていなかった。

≪藤原信西の主導のもと制定された保元元年の新制(新しい憲法)は冒頭で「九州の地(日本全国)は一人(天皇)のもつところなり。王命(天皇の命令)のほか、なんぞ私威を施さん」と力強く宣言しますし、「王法(天皇の法)と仏法は車の両輪」は頻出の決まり文句です。九条兼実(関白)は日記『玉葉』に、天皇をしばしば「王者」と記す。≫

「王命」も古語辞典に存在しない。
「王法」は出てくる。

(俗世における)国王が定めた法。帝王の政治。▽「仏法(ブツポフ)」に対していう。
《平家物語・一・殿下乗合》 「これも世末になって、わうぼふの尽きぬる故なり」
《訳》
これも世が末になって帝王の政治が尽きたからである。

仏教語である。腐っても東大准教授である。初歩的な知識を知らないはずがない。意図的に仏教用語を曲解しているのである。
≪王命(天皇の命令)≫などと勝手に解釈しているのもあざとい。

教養人が「王」を用いる場合は「仏」に対する用語に限定されている。
後世無教養な連中が誤用した例もあるだろうが…。

「王者」に至っては、高校生でも知っている「儒教」の概念である。

≪貴族は彼我の上下関係にきわめて敏感でした。座席の上下を争い(座次争論)、下位の者が先に昇進(超越(ちょうおつ)といいます)すると強硬に抗議します。時には激怒して出家し、自ら家を絶やすことも。その貴族たちが、天皇を「王」と呼ぶことに、全く違和感を示していない。≫

だから、儒教的・仏教的概念の「王」と呼ぶ場合には違和感がないんだよ。

≪とすれば、皇帝が上位で王は下位、天皇は皇帝と同格だから王とは絶対に呼ばない…という現代的な私たちの理解は、当時の貴族社会には適用できないのではないか。≫

当たり前のことを何を偉そうに…。
少なくとも奈良時代以降、天皇に対して直接「王」と呼称した事例は一つもない。

≪こういうことはしばしばあって、たとえば「自由」はわれわれにとっては良い言葉ですが、かつては「自由の振る舞い」の如く、わがまま勝手を意味する悪い言葉だった。≫

「こういうことは」がどう「たとえば」に繋がるのか?
ここに至っては「支離滅裂」としか言いようのない文脈である。

≪では、天皇のファミリーは何と表現するか。中世史学界は、貴族を「公家」、武士を「武家」とするのにあわせて、これを「王家」と呼んでいます。≫

確かに中世史学界では「王家」を使用している。しかし、その概念は「天皇の子や孫で、親王宣下(センゲ)のない、また、臣下としての姓を賜らない男子」まで拡大した皇族を指す場合が多い。要するに日本における本来の「王」の地位までを範囲にしたグループに用いられているのである。

何れにせよこの場合の「王家」は学術用語で、大河ドラマで使用するにふさわしい言葉かは推して知るべしだ。

≪天皇家・皇室の語が一般的になるのは明治以降だし、「朝廷」ならびに「朝家」は天皇の政府を指す(武家の「幕府」に対応)のでニュアンスが異なる。
「皇家」は適当ですが、「王家」に比べると使用例が乏しい。≫
「皇家」も「王家」も「皇室」も当時は使われていなかったのだから、どうせ現代語で喋るドラマである。もっと判りやすい用でよかっただろう。

≪NHKの制作サイドに尋ねられたとき、以上を勘案し、「王家」の使用を提案しました。純粋に 学問的な見地からの応答です。国を思う方々の批判は真摯に受け止めねばなりませんが、 皇室をおとしめる意志が露塵ほどもなかったことは、まちがいありません。≫

はいはい、もう結構ですよ。「韓国から苦情が来ない名称にしてくれ」と依頼されたんでしょう?

(参照)日帝と北朝鮮、あまりにそっくりな統治形態〜北朝鮮では日王が金一族に変わっただけ
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1324989343/-100

天皇を日王と称している韓国だが、不思議なことに「日帝」とも言っている。
「日帝」を主張するなら「天皇」でないと筋が通らないのだが…。

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風力発電大赤字廃止に見る自然エネルギー発電の実態

   
北海道の風力発電所、10年で廃止…コスト重荷
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1327367885/-100

北海道オホーツク地方にある風力発電施設の北海道興部(おこっぺ)町風力発電所が修繕費調達難のため、完成から約10年で廃止となった。

風力発電というと、自然の力で発電するので維持費がかからないような錯覚をしている御仁も多いが、とんでもない間違いである。

東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故後、風力発電が注目されているが、騒いでいるのは主に天下り連中である。
原発も基本的には天下り利権だが、飯のタネは多い方が天下りにとっても都合がいい。
自然エネルギーも当然利権の対象で、怪しげな「独立行政法人」が乱立している。

≪同町の風力発電所は2001年3月に完成。
風車1基で、建設費約1億9000万円のうち独立行政法人「新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)」がほぼ半額を、町が約5000万円をそれぞれ負担した。
町の農業研究施設に電力を供給、余剰分は北海道電力に売電し、売電収入は約9年半で計6170万円。6430万円の維持管理費とほぼ均衡していた。≫

まともに動いていた時にも赤字だったのである。建設費を含めると2億円以上の赤字だが、大半は人件費である。天下りや縁故職員への給与というわけだ。
もしかしたら、人件費に関しては別途計上かもしれないが…。

≪しかし10年10月に欧州製の部品が破損。
交換には高所作業も必要で、修理に約4000万円かかることが判明した。
修理費は全額町負担で、町は「コスト面で運転再開は困難」として、昨年11月に発電所廃止を決めた。風車を固定し、モニュメントにする予定だ。≫

というわけで、典型的な「ハコモノ」である。独立行政法人としては作ってしまえば後は知ったことではなく、別のところにブッ建ててればいいだけの話である。

粗大ゴミを押しつけられた町の方も当時の関係者は姿をくらましているだろうから、結局税金で解体費用を捻出するしかあるまい。
只でも引き取ってくれる奇特な御仁がいれば引き渡したいだろうが、修理と移設費用考えると非現実的な話である。

(巷間の声)

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そして沖縄海洋博のアクアポリス、大阪万博のエキスポタワーのように
絶賛放置プレイサビサビのぼろぼろになって解体撤去になるまでさらし者に
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1基だけだったのが問題だよ!
10基で全基故障なら分かるが運用に問題があったんじゃないの?
まず風力や太陽光で儲けるなんてのが間違えだよ元が取れればいい方じゃない。
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風車の重低音も十分公害だからなあ・・・
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海上風車なんて、メンテナンスもっと大変だよ。
世界的なエコの流行がなければ太陽光発電や風力発電なんてガラクタ。

原発なら 夜間電力や廃熱で温水を作り、
それで屋根や道路の雪を溶かすシステムをつくれば、
雪国の巨大な熱源になる。
太陽光発電も風力発電も到底そんな力はない。
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コスト無視でいいなら、太陽発電だって、潮力発電だって、地熱発電だって、水力発電だって、
宇宙太陽光発電だって可能だし、開発研究資金に糸目をつけなければ、核融合発電だって
四半世紀以内に実用化するだろうよ?
なんで経済性という、一番大事なことを無視して机上の空論を、さも「俺凄い事言った」みたいな
ドヤ顔で言えるのか、不思議でしょうがない。
小学生じゃないんだから、いい加減、世の中が金で回っている事くらい理解しろと。
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風力発電はだめだよ。
規模の割に騒音や場所の確保発電量に問題が多すぎる。

あんなものメインを担う発電にしたらだめ。
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太陽光発電 スペインの教訓 ― 固定価格買い取り制度の光と陰
・・・・・・・
買い取り価格はこの間、市場価格の約9〜10倍と異常に高かった。
カルサーダ博士の試算では
100kWの太陽光発電施設の 投資収益率 は 17% にのぼる。
10万ユーロを元手として25年間投資すると500万ユーロとなる程の利回りが保証された
投資だったわけである。
スペインの30年物国債の利回り5%弱に比べるといかに有利な投資であるかは一目瞭然であった。

08年には累計設置容量が一時的にだがドイツを抜いて世界一になった。
スペインでの太陽光発電設備の増加は制御不能の状態だった。

スペインの教訓は明白である。
あまりに経済合理性から離れた高値の買い取り制度は、一見、太陽光発電の促進に役立つように
見えるが、
最終的には電力料金の大幅引き上げによる国民負担と、それに伴う経済への影響や 企業の国際競争
力喪失という犠牲を強いることになった。たびたびの政策変更によって政府の信頼性も損なわれた。

スペインほどではないが、太陽光のFIT政策の見直しが進むドイツに関しても、国際エネルギー
機関(IEA)では、CO2削減の限界費用が1tあたり1000ユーロにもなるとして、
「高値のFITは費用効果的ではなく、これ以外の政策の採用」を勧告している。
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