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タイトル:憂国通信  2009/02/22


怒!? 星島被告に無期懲役判決 

殺人を犯したからといって必ず死刑になるわけではない。むしろならない場合の方が圧倒的に多い。
刑務所から出てきて再び犯罪を犯す連中も大勢いる。殺人と過失致死の境界もあやふやである。少年の場合、殺人を犯しても比較的短時間で出所してしまう。精神異常者の場合も同様だ。この場合は元から無罪なので、短時間で退院するというべきか?

殺人を犯すこと自体精神異常なのかもしれないが、国内には顕在・潜在を含めて巷間に異常者が犇めいている。以前なら収容されていたような連中が、政府の解放政策によって、病院から出されているのだ。
今回の事件でも、被告はそうとう危ない人物だった。それで、この判決をどう見るべきか?

星島被告に無期懲役判決 
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090218/trl0902181002005-n1.htm

この判決に対して、死刑を求める意見が巷間で聞かれるし、マスコミも露骨に煽っている。

「残虐極まりないとまではいえない」無期懲役判決の理由 
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090218/trl0902181056006-n1.htm

死刑制度を廃止する国が世界の大勢にもかかわらず、しつこく死刑を要望するこの国の国民性は一体どうなっているのだろうか?

過去の事例でも、加害者の死刑を一番望んでいるのは被害者の遺族である。マスコミも「犯人が憎い!」と絶叫する遺族の姿を露出過多気味にタレ流している。

更にワイドショーなどでは、取材したタレントがそれに尾鰭を付けてまくし立てる。

これらの「絵」が成り立つ背景には国民の根強い「死刑願望」が存在するからだろう。

以上の論調だけでも判るだろう。私は死刑制度に反対である。死刑制度反対論者に対して、「それならお前の家族が残虐な殺され方をしてもお前は平気なのか?」などと難癖をつける馬鹿も多い。
「死刑に反対ならば『平気』と、簡単に論理の飛躍をしてしまうのである」

この手の馬鹿でなくても、「死刑制度」を廃止したら凶悪犯罪が増加するのでは?と危惧する人も多いだろう。

先にも述べたように、死刑制度廃止は世界の趨勢である。他の国は解決しているのに、どうして日本だけ「死刑」にしがみつかなければ法体系が維持できないのだろうか?
それとも、死刑制度廃止に問題があって、死刑制度復活の動きが活性化しているとでもいうのだろうか?

死刑存廃問題
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%AD%98%E5%BB%83%E5%95%8F%E9%A1%8C

勿論、そんな動きは少ない。

逆に言うと、「日本人の知性はそれほど低能であることを自覚している」という意味か?

「凶悪犯罪への抑止力としての死刑」を肯定する発想も情けないが、「殺されたら仇討ちする」という発想も極めて不自然である。
一貫性が感じられないからである。
日本は第二次大戦で2発原爆を喰らい、大量虐殺された。さらには焼夷弾の空襲でもそれ以上の虐殺を受けている。

これだけ殺されたのだから、「さぞや犯人のアメリカを恨んでいるか?」というと、属国に成り下がって猿真似をし、キャンキャン鳴いて媚びを売っている始末である。

日本に虐殺された側の国は未だに恨みに思って復讐を忘れない。

どうして日本人は国家レベルで起こったことはコロリと忘れて、個人のことは執念深く覚えているのかなあ?

それほど日本は個人主義の国だったのだろうか?

戦後、アメリカに追随する自民党政権が長期にわたって君臨し、その間発生した膨大な不正に目を瞑ってせっせと自民党に投票を続けてきた国民である。

今回の判決は明らかに裁判員制度を前提としたパフォーマンスである。
内容的に見ても、死刑と無期との境界線上事件であったことは確かだ。判決的にはどっちでもよかったのだ。ただ、国民にインパクトを与えるため「わざと無期にした」ということだろう。
「国民に対して、主観を押さえて客観的に判断する大切さを説くためにあえて一石を投じた」とでも言えば格好いいのだが、そもそもこれ自体宗主国様の命令でゴリ押しされた制度である。
国民の意思によって決まった制度ではない。
私は裁判員制度があってもいいとは思うが、刑法ではなく「憲法判断」等の方にこの制度を活用したがふさわしいのではないか?
勿論政府はそんなことを国民に絶対やらせないだろう。
日本という国は三権分立の体をなしておらず、行政、立法、司法の順位という露骨な格付けがされている。司法は行政の御用機関なのである。裏を返せば、役人天国ということだ。
それに対する国民の民度も著しく低い。
最高裁判事国民審査の茶番ぶりを見てもそのお粗末な実態が知れる。
「不信任に×」ではなく、「信任に○」と変更するだけでも大分改善されるんだけどなあ。

書いている内に、こんな民度の低い国だから「死刑制度」みたいな野蛮な制度も「やっぱ、やむを得ないかなあ」などと思ったりもするが、死刑制度は「人道」もさることながら「生産性」の観点でも望ましくない。「殺したら経費の無駄」と思うからだ。
「死刑囚になるような奴に税金を使って生かしておく方が無駄」という意見もあるだろう。
だったら、彼らを刑務所で一生働かせればいい。受刑者が刑務所内で消費する経費以上の収益を上げれば、刑務所は黒字になる。刑務所内で発生した収益は被害者や遺族に対する賠償として使われるべきだろう。
加害者を殺しても被害者は気分以外に得るものはないが、生かしておけば賠償金を得られる。

「何を馬鹿なことを言っている。今でも刑務所では労働させているが、収益など微々たるもので大赤字だぞ」
などという意見もあるだろう。

刑務所内での労働はきつい。そして受刑者に支払われる報酬は二束三文である。一般の労働基準に照らし合わせたらビックリするような数字である。

つまり、本当は儲かって笑いが止まらないのではないだろうか?

どうせ役所の作文である。低賃金で重労働をさせれば収益が出ないはずはない。もし、それでも赤字になると言うなら、まさに「かんぽの宿」の世界である。

無期懲役の連中にどうやってやる気を出させるかは工夫のしどころだが、刑務所内の生活の拘束度に格差を付けるとか、購買できる品目を緩和するとかで対応できるはずだ。

刑務所を集約させて都市機能を持たせるのも経費節減に役立つかもしれない。外国人労働者よりも格安で働く人材があれば、刑務所が工場を誘致してもその話に乗ってくる企業はあるはずだ。組合対策も必要ない。
逃亡を防止するために、離島にそのような機能の都市を造るのが望ましいだろう。現代版島流しである。 

このシステムで基本的に問題はないと思うが、無期懲役の服役者が高齢化したりもともと高齢だった場合はどうするか?
「生産性」だけの観点で生かしておくのならば、御用済みということで、今度こそ処刑していい理屈になってしまう。

無期懲役者には可能な限り労働させるのが原則だが、いよいよ体が動かなくなったら、さすがに介護するしかないだろう。そのくらいは税金を使おう。あらかじめ無期懲役者に保険として負担させておく方が合理的かな。「新薬の実験台になってもらう」という手もある。しかし、これも程度の問題で、「いっそ死刑の方が人道的」ではまずいな。

それと、精神異常者の犯罪については全くお手上げです。刑務所に入ってくれないし、「健常者扱い」で押し込まれてもそれなりに困りますね。

今回は「死刑制度」について、ということで、「精神異常者」対策についてはまた別の機会に書かせていただけます。


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