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タイトル:石川ファミリーアンサンブル通信575  2010/02/15


今日はまた天気が悪いですね。寒いです。
昨日はオケの練習。ソロ合わせもありました。今回のVnのソリストの加藤さんは自分の弾きたいことをぐいぐいと全面に出してくれ、とてもすばらしいです。
オケにとって一番やりにくいのは何となく弾いている人。自分の主張がなくて、オケに合わせたり合わせなかったりする人。
こういう人は大変やりにくいのですね。その点加藤さんは、自分の音楽を存分に出してくれますし、大きな表現で弾いてくれるのでこちらも合わせていて面白いのです。
ただ、オケの方がちょっとついていけない点があり、これはソリストに対して申し訳ないですね。
昨日、シューベルトについて調べていたら、面白いことに気付きました。
例のグレート交響曲についてです。この呼び名はイギリスの出版社がつけたらしく、英語でグレートというよりも本来ドイツ語でグロッサーと言った方が良いようです。
それはどうでもよいことなのですが、この曲、シューマンがシューベルトの死後に発見したと言われています。
シューマンは、シューベルトの兄の家に行き、シューベルトの仕事場の机の上で埃まみれになったものを発見したものです。
そして、その自筆譜を見て驚嘆し、シューベルトの兄を説き伏せて、この自筆譜を拝借し、ライプチヒで親友のメンデルスゾーンの指揮で、初演したものです。
そして、シューマンがそれを聞いて、「天国的に長い」と評したのも有名です。もちろんこれはグレートを絶賛して言っているのです。
くれぐれもお間違いないように(一部のアホ評論家は全く逆のこと:天国的に退屈で冗長、と言ってますがこれは全くのでたらめ)。
シューマンとメンデルスゾーンの天才2人が、これまたシューベルトという天才の作った傑作に驚嘆したのはなぜでしょうか?
シューベルトの存命当時オケから演奏拒否されたこのあまりにも長大で複雑な交響曲に何を魅せられたのでしょうか?
何でも、まず、出だしのホルンから始まる序奏部、ここに注目したというのです。
そして、シューマンもメンデルスゾーンも自分の交響曲の第1楽章の序奏部をこれに習って書いたというのです。
ここで、このグレートの序奏部、何がそんなに斬新なのか?
ハイドン、モーツァルト、ベートーベンの交響曲にも最初に序奏を入れた曲は数多くあります。
例えばベートーベン、第1、2、4、7番が明確に独立している序奏を持っています。ハイドンでも多くの序奏がついた交響曲があります。
モーツァルトにもリンツなんていうのがありますよね。
ですが、これらの序奏、一体何のためにあるのか?というと明解な答が無いようです。
ハイドンは序奏が出た後
全く違う第1楽章の主題が始まります。そこに何の関連性もありません。
もちろん、主部を弾き出すという意味もあるでしょうし、いきなり主部というのではなくちょっともったいつけているのかもしれません。
そう、大事な贈り物を包むようなきれいな包み紙のように。つまり、重要な内容物に合うための見てくれを付ける感じです(もちろん悪い意味ではありませんよ)。
もちろん主部との関係も考えて包み紙も選ぶものです。ですが、包み紙自体に何らかの価値があるわけではありません。
ベト7の出だし、これは主部とは全く関係ないでしょう。序奏が終わると唐突にフルートがリズムを刻み出す。
ベト2、4もつながっているものの単にリズムを圧縮していてつなげているだけで、序奏部の旋律に主部との関連性はないし、その後に使われることもない。
ですが、グレートはどうでしょう、序奏から続いて必然性を持って第1主題が始まる。そして、この序奏、コーダで高らかに再現され、序奏を持って第1楽章が終結するのです。
シューマンもメンデルスゾーンもこの点に斬新さを見出したのではないでしょうか?序奏も交響曲の主部であると。
そしてそれまで、単にお飾り、包み紙程度であったこの部分を、交響曲のテーマとして用いるようになったのです。
今、オケでシューマンの4番を練習していますが、まさにこの曲はその通り。序奏の部分に出てくる2つのテーマを徹底的に各楽章で使っています。
さらに、この序奏が第2楽章でもそっくり出てきます。続きは明日に--

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IFE通信No.575 10/2/15発行(平日発行)
発行者:石川 聡
石川音楽工房(PC版)
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