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タイトル:石川ファミリーアンサンブル通信573  2010/02/11


今日は祝日のため、休刊ですが、まぐまぐ!の広告の都合のため発行しました。ですので、2/10に書いております(笑)。
昨日は、伴奏という話題がありました。
そもそも旋律と伴奏というのは何なんでしょうか?
例えば、あまり良い例ではないかも知れませんが、パガニーニのヴァイオリン協奏曲があります。
ソロヴァイオリンは技巧的なパッセージを弾いている間、オケにせよピアノにせよ、ジャンジャンという和音だけです。
これは歌えと言われても困りますよね。もちろん強弱は付けるでしょうが。つまり、オケでやったってピアノでやったって同じです。
オケの方が金がかかるのでピアノでやった方がよいでしょうし、オケでやる必然性はありませんよね。
では、ブラームスのヴァイオリン協奏曲はどうでしょう?第1楽章で、ソロヴァイオリンが高い音で旋律を弾きます。
この下でヴィオラが対位旋律を弾きます。これはソロ対オケという意味では伴奏です。ですが、伴奏といえない面白さがあります。
聞く人は、ソロの高い音での美しい旋律の下で弾くいぶし銀のようなヴィオラの対位旋律を同時に聴き、この曲の性格を感じるわけです。
バスの進行なんかも面白い。つまり、ソロヴァイオリンの素晴らしさはオケのバック無しでは語れないのです。
第3楽章もそう。オケの中でも複雑に絡み合い、そしてソロとも絡み合うのがおもしろいんですよね。
パガニーニの協奏曲のジャンジャンとは全く違います。ピアノで表現できるものではありません。
バロック時代、特にバッハの作品では、各パートがそれぞれの声部という曲作りでした。
それが、モーツァルトやハイドンでは、極端に旋律と伴奏との分業が盛んになりました。
ですが、モーツァルトやハイドンのソナタの伴奏でさえ、うまく弾くかどうかで曲は全く変ります。
シューベルトの即興曲。同じパターンが何回も繰り返される、そこには微妙な転調による色の変化です。
ですが、そんな単純パターン、悪くいえば伴奏のパターンのようなものでも、弾き方1つで曲に引き込まれるような感動を味わえるわけです。
ジェラールムーアという名ピアニストがいます。フィシャーディースカウの歌の伴奏をよくやっていた人で、「お邪魔ですか」という本を出しています。
そう、歌の伴奏は歌があくまでも主ですが、ピアノがなければ曲にはなりません。どこまで出すべきか、表現するか難しいんですね。
シューベルトはピアノの伴奏抜きに歌曲は語れないでしょう。魔王なんてあのピアノの伴奏を聞くだけでも歌が想像されます。
歌手も上手いピアニストがバックで盛り上げたら自然とのれるものです。
伴奏はたしかに伴奏ですが、曲の器を作り上げる土台なんですね。

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IFE通信No.573 10/2/11発行(平日発行)
発行者:石川 聡
石川音楽工房(PC版)
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