メルマガ:ムダ金を払おう!〜勝利者たちの「型破り」成功術〜
タイトル:ムダ金を払おう!〜勝利者たちの「型破り」成功術〜No.4  2007/03/18


*☆*――*☆*――*☆*――*☆**☆*――*☆*――*☆*――*☆*☆*――*☆*
☆☆
             ムダ金を払おう! 
☆☆
        〜〜勝利者たちの「型破り」成功術〜〜

No.4 お金を心の支えにしろ
*☆*――*☆*――*☆*――*☆**☆*――*☆*――*☆*――*☆*☆*――*☆*

「世の中の動きというのは、実態はみんなが考えているよりも速い。

だから現場を知らない机上の政策はいつも後手後手に回るのだ」

*☆*――*☆*― 日本マクドナルド創業者 藤田 田 ―*☆*――*☆*

私は、一部上場企業に勤める中間管理職です。
おかげさまで順調に出世し、1300万円以上の年収でした。

しかし、50歳になった途端、みるみる年収が減り始め、
3年後には800万円にまで落ち込みました。
年収と反比例し、上司の目が厳しくなり、
ああ、これは、無言の肩たたきなのだな、と直感しました。

しかし、子供たちにはまだまだ学費がかかるので、
会社を辞めることはできません。
思いあぐねてこのHPをクリックしました。
http://z.la/kn8gb

サラリーマン一筋の私に、副業ができるのか不安でしたが、
本業の合間に無理なく頑張って、
1年後の今では、【本業の2倍】の年収になりました!

定年までは副業で頑張ろうと思っています。
そして、定年後の再就職の心配をすることなく、
この仕事で1億円プレーヤーを目指します!

50歳からの成功を手に入れられて、本当にラッキーな人生です!
ありがとうございます!


藤田田のたぐいまれなビジネスセンスは、戦後の混乱の中で生まれたといってよい。

既存の権威や秩序、家柄や学歴などの価値形態が崩壊した社会で、
エリート意識を捨てることで商人としての目が開いたのだ。

藤田は、1926(明治15)年3月、大阪に生まれた。
敬虔なクリスチャンだった母親が「いいクリスチャンになるように」と、
「口」に「十」字架を入れた「田」を名前にしたという話は有名だ。
父親は英国企業の日本支社に勤務する電気技師で、五ヵ国語を流暢に話した。

当時には珍しい洋風の暮らしをしていた藤田一家をエリートと呼んでいいだろう。
彼の国際感覚と語学力は、この環境で培われたものだ。
だが一家は、空襲で全財産を失なう。

1948(昭和23)年、藤田は東京大学法学部に入学する。
GHQ本部での通訳が生活の糧だった。
月給は1万8千円。公務員の初任給が2千3百円だったというから、
学生の身分で8倍を稼いでいたことになる。

「人生カネがすべてや」
生きていく精神的な支えがなかった当時の藤田は、そう考えていた。
外交官として世界に雄飛するよりも、GHQの軍人たちに、
藤田は将来を決定づける答えを見出していく。

彼らは階級は低くても、国際的なビジョンと確固たるビジネス哲学を持っていた。
権威や肩書きは重要ではなかった。

その後、藤田は物品販売に乗り出す。
顧客がなにを欲しがっているかをリサーチし、神田駅前に露店も出した。

やがて仕事仲間から外貨割り当てを受け取り、高級バッグや
アクセサリーの買いつけを行なうようになる。
貿易会社「藤田商店」が誕生したのである。
藤田が24歳の時のことだ。

1967(昭和42)年、買いつけでアメリカに渡った藤田は、
右手にコーラ、左手にハンバーガーを持った家族やカップルたちを目撃する。
藤田とマクドナルドとの運命的な出会いだった。

当時の日本には、海外旅行を楽しむ余裕はまだない。
アメリカの食文化を日本へ・・・。

藤田は、米国マクドナルド・コーポレーションにアプローチを始めた。

藤田商店とは規模も知名度も比較にならない大手企業が、
日本進出のパートナーとなるべく交渉を開始していた。

しかし、米国マクドナルド・コーポレーション社長のレイ・クロックは、
藤田が持つ国際感覚と語学力、そして、情熱に心を打たれる。
ライバル企業を尻目に、藤田商店はパートナーに選ばれた。

1971(昭和46)年、日本マクドナルドの第1号店が銀座にオープンした。
「店舗は郊外に」というアメリカ側の要請をはねのけ、
「最新の輸入品が並び、世界の観光客が集まる国際エリア東京の銀座を1号店に」と
藤田が主張し続けた結果、実現した店だった。

「世の中の動きというのは、実態はみんなが考えているよりも速い。
だから現場を知らない机上の政策はいつも後手後手に回るのだ」

藤田はその後も世界最大の玩具チェーン「トイザらス」との合弁事業や、
低価格でのハンバーガー提供などの奇襲戦略を次々と展開している。

藤田商店創業から50年。藤田は今も毎月預金を欠かさないという。


中堅の会社で専門職をしていた27歳のOLです。
自分では頑張っているつもりなのに、
同期の男性社員にポジションも給料も追い越されてしまいます。
 
自分の技能を正当に評価してもらえない!
 
この会社でずっと働き続けることに迷いが生まれました。
 
そんなとき、インターネットでこのHPにめぐり合いました。
http://z.la/kdclj
 
能力も資金もない私でしたが、差別されることなく仕事ができ、
1年も経っていないのに【本業の3倍】の収入になりました。
 
3月いっぱいで会社を退職し、この仕事を本業にします♪
今では、((( OL時代の5倍の月収 ))) です!

特に何もとりえのない、20代の私でも起業できました!
このビジネスに、本当に感謝しています。

*☆**☆* ムダ金を払おう!〜〜勝利者たちの型破り成功術〜〜
*☆**☆* 長澤 智彦 tohiko@infoseek.jp

ブラウザの閉じるボタンで閉じてください。