メルマガ:ムダ金を払おう!〜勝利者たちの「型破り」成功術〜
タイトル:ムダ金を払おう!〜勝利者たちの「型破り」成功術〜No.3  2007/03/10


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             ムダ金を払おう! 
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        〜〜勝利者たちの「型破り」成功術〜〜

No.3 すべてが金で買えると思え
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「百万円たまれば百万円の智恵がわく。金がすべての元手になる」 

*☆*――*☆*― 大谷グループ総帥 大谷米太郎 ―*☆*――*☆*

「製鉄王」「ホテル王」として名をはせた大谷米太郎(おおたに よねたろう)は、
ほぼ無一文の状態から出発し、文字通りどん底から財界の頂点にまで
自力で昇りつめた人物である。

大谷が生まれたのは富山の貧しい小作農家だった。
長男だった彼は、多くの兄弟姉妹と両親の生活を支えるため、
幼いころから闇雲に働いた。
それでも「鶏が食べるクズ米しか口にできなかった」そうだ。

労働に追われて小学校すら満足に卒業できず、
自分の名前以外は読み書きもできなかったという。

大谷はかなりの遅咲き実業家である。
百姓奉公に明け暮れて起業を志す余裕すらなかったのだ。
これでは展望が開けないと、30歳をすぎてから、
わずか20銭の金を握りしめて上京する。

しかし、東京で待っていたのはさらなる貧窮だった。

身寄りもなければコネもなく、ただ職探しに奔走する。
安宿に居合わせた手配師の世話で日雇いの力仕事の口を得るが、
食事にさえ困る生活は変わらない。

時には隣家の野菜を失敬したり、ごみ箱を漁ったりしたという。
職を転々とし、一時は子どものころから得意だった相撲の道に入り、
力士として活躍したりもする。
やがて以前から目をつけていた鉄の世界に進出、
小さな町工場の運営が軌道に乗り、大谷重工業を興すまでになっていく。

こうした力ずくの成り上がり人生を経てきた夕フな財界人・大谷は
「金は力なり」を看板に掲げる。

彼は常に「タネ銭哲学」という信条を社員に説いた。
「百万円たまれば百万円の知恵がわく。金がすべての元手になるんだ」と
社員に給料の1割を貯金させ、3年続けると合計額の半分を褒美として支給する。
一見、「金こそすべて」の拝金主義にも見えるが、実はそうではない。

「自分で苦労してためた金だからこそ芽を出す種になる。
親や他人の財産をあてにするな。他人の金で起こした事業がうまくいこうはずはない。
自分の腕を磨くには、まずは自分のタネ銭を持て」

これが大谷の信念だった。
どんな金にも力があるのではない。
自分で稼ぎ出した金だけが万能の力をくれると説いたのである。

大谷の経営姿勢も、儲け最優先の拝金主義とはほど遠かった。
彼は商売に対する心構えを「信用一心」と表現している。
手を抜いたり、不当に価格をつり上げたりすれば、客は必ず逃げる。
たとえ採算を度外視しても、客の信用をつなぎとめておくほうがいい。

恐ろしいのは損をすることではなくて、「損をするような気がするから」と、
良い材料で質のよい商品を提供することをやめてしまうことだ。
つまり信用を失なうことなのである。

「私には秘訣なんてものはありませんよ。強いて言えば、私はただ、
丸い風呂桶の中に入ってお湯を向こうに押しやっただけです」

大谷はビジネスの秘訣をこう語っている。

丸い風呂桶の中で自分のほうへ湯をかき寄せようとすると、
湯は向こうへ逃げてしまう。
逆に湯を押しやると、風呂桶の壁面に沿って湯はぐるりと回り、
自分のほうへ帰ってくる。

金もこれと同じだ。

まず、自分の利益より客や社会の利益を考えろ、ということだ。
学歴のないことで苦労を強いられてきた大谷は、晩年、
青少年のための教育施設へ多額の援助をたびたび行なったことでも知られている。


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*☆**☆* 長澤 智彦 tohiko@infoseek.jp

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