メルマガ:【 明治維新 】の閑話休題 
タイトル:【 明治維新 】の閑話休題 第2章  2006/12/01


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          【 明治維新 】の閑話休題     


   第二章  【【 志士を支えたパトロンの素顔 】】

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明治維新に関心のあるみなさん、こんにちは。
このメルマガの発行人、山中です。


購読者の方からお便りをいただきました。
どうもありがとうございます。

本文とはあまり関係ないところのご意見でしたが、
「閑話休題」という言葉の意味についてでした。

辞書には、「話を本筋に戻すときに用いる語」とあり、
「それはさておき」「無駄話はさておいて」などと
解釈しています。

私が使っている言い回しとは、逆のようですね(笑)

このメルマガの題名を、もっと長く言うならば、

『明治維新の動乱や歴史的事件はさておいて、
ちょっとした裏話で、頭を休めませんか』

とでもなるでしょうか(笑)

話を本筋から裏話に逸らしている言い回しですよね(笑)

言葉の使い方が不適切だと思われている購読者の方々、
勉強不足で申し訳ありませんでした。

まあ、素人の読み物として、広い心でお許し願います。

他にも、ご意見、ご感想などをお待ちしています。
yamcyu@yahoo.co.jp
こちらまでお願いいたします。


明治維新については、本当にいろいろな読み物が
いろいろな切り口で書かれていますよね。
流れも、起こった出来事も、登場人物もご存知の方が多いでしょう。
そこで、このメルマガでは、ちょっと外れて、
歴史的事件の裏側にある、ちょっとした裏話(?)を
紹介していこうと思った次第です。

明治維新について、あまり良く知らない方でも
楽しんでいただける、軽い読み物です。

ツウの方は知っている裏話かもしれませんが、
噂話は、ちょっとずつ違うものです(笑)
ご存知の逸話との違いを見つけていただければと思います。

前置きが長くなりました。

第2号は、この話題をお届けします。


第二章  【【 志士を支えたパトロンの素顔 】】

☆☆ 借金を踏み倒しても当然の志士たち ☆☆


幕末の志士たちといえば、酒を飲んでは、
祇園で芸者遊びをするものと相場が決まっているが、
志士たちがそんな遊興三昧にうつつをぬかす活動資金は、
いったいどこから出ていたのだろうか。

高杉晋作のように、藩の公金を勝手に使った者もいたが、
彼ほどでなくても、藩の機密費が使われている場合が多かった。

とくに長州と薩摩は、多額の工作資金をつぎ込んでいた。
そのせいで、維新後の新政府となっても、公金で遊ぶことに
何の罪悪感も無いという、とんだ悪癖を残してしまった。

それはさておき、彼ら公金を使えた薩長の志士はともかく、
志士の多くは下級武士であり、まして脱藩でもしようものなら、
金銭的は苦労はそうとうなものだった。

なかには、自分で資金を調達する志士もいた。
安政の大獄で処刑された梅田雲浜は、
大和と長州の交易を行い資金を得ていた。
坂本龍馬は、日本初の商社亀山社中で輸送業を行って
資金を得ていた。

しかし、彼らのような例はまれで、多くの志士たちを
経済的に支えていたのは、パトロンの存在だった。


なかでももっとも知られているのが、下関の廻船問屋小倉屋の白石正一郎。
安政4年(1857)から残されている正一郎の日記によれば、
維新までの約10年間に下関の白石家を訪れた志士の数は約400人にのぼる。

下関にきた志士で、正一郎の援助を受けていない者はひとりもいないと
いってもいいほどだ。
長州藩の高杉、桂小五郎、久坂玄瑞らは当然として、
他藩でも、西郷隆盛、真木和泉、吉村虎太郎などが世話になっていた。

文久3年(1863)、高杉が奇兵隊を結成した時も、本陣は白石邸であり、
正一郎みずからも奇兵隊に参加している。

正一郎が志士たちのパトロンとなったのは、
思想的には国学の影響だったろう。

しかし、商人が財産を費やしてまで志士たちを援助するのには、
それなりの理由があるはずだ。

白石家は下関という北前船交易の要所にいながら、
下関が長州藩の支藩長府藩領だったため、
江戸、大坂の市場は幕府の御用商人に握られて手が出せず、
みずから薩摩との交易を開拓しても、
今度は長州藩の御用商人に横取りされるという、
幕藩体制の矛盾を体験していたのだった。

正一郎ほどではないにしても
下関の商人たちは晋作たち奇兵隊を支援していた。

たとえば、下関稲荷町の妓楼大坂屋(木村家)や
白石家と同じ廻船問屋の入江和作などがそうである。

吉富藤兵衛などの豪農たちもパトロンとして、
奇兵隊の挙兵に資金援助をして、
自分たちも農民隊を編成している。

薩摩の豪商森山新蔵は、藩に巨額の献金をして
士分として取り立てられた。
西郷や大久保利通と親しく、精忠組にも加わって、
活動資金を提供している。
長州の白石正一郎とも交流があった。

ほかにも、兵庫の廻船問屋の北風荘右衛門、
京都の薬商武田家などが知られている。

しかし彼らパトロンたちは、維新後は報われることがなかった。

明治になるとあれほど変革に燃えていたはずの志士たちが、
今度は新政府の高官の権力者となってふるまうようになる。

あれほど晋作につくした白石家ですら、利用するだけ利用してしまえば、
かつての志士たちは、もはや見向きもしなかった。
白石家の全財産は志士たちに、飲み食いされて、むしり取られたまま、
何も返ってこなかった。
小倉屋は倒産し、正一郎は赤間神宮の宮司となってこの世を去った。

しかも、かつて正一郎が批判をした幕府の御用商人たちは、
新政府の政商として、生き残っていったのだった。


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@人@ 発行人  山中 正敏
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