メルマガ:The Nippon Legend of Heroes≪日本英雄伝説≫
タイトル:The Nippon Legend of Heroes≪日本英雄伝説≫Vol.1  2006/02/11


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    The Nippon Legend of Heroes≪日本英雄伝説≫   Vol. 1

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■始めまして

 このたび、日本英雄伝説というメルマガを出します荒谷肇と申します。

 神代の時代から中世に至るまで、日本人の心の中に住んでいた英雄伝説を
紹介していきたいと思います。

 ギリシャ・ローマ神話のヘラクレスとか旧約聖書のサムソン、中国の三国
志や水滸伝に登場する英雄群像など欧米や中国の英雄伝説はかなり知られて
いますが、日本人なら誰でも知っていた日本の英雄伝説は昭和30年代を境に
忘れられていったようです。

 今一度、日本人が親しみ語り継がれてきたヒーローたちの伝説を見直して
みようと思いますので、よろしくお願いします。

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■神武東征

 神武天皇は神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)といい、
父鵜葺草葺不合命、母玉依姫命の四男。15歳で太子となり、阿比良比売命と
結婚し、多岐志美美命と岐須美美命という2人の子供をもうけた。

 神武45歳の時、長兄五瀬命(いつせのみこと)と大八島の政治を行なうの
に適した場所を相談し、塩土老翁神から聞いたことがある「青山をめぐらす
東方の地」を目指す決心をした。この時をもって、天孫降臨以来三代続いた
日向の地を後にして東征の戦いの旅が始まった。

 海路で日向を出発した神武は、筑紫の宇佐から岡田宮、安芸のタケリ宮、
吉備の高島宮を経て、難波の岬から河内の青雲白肩の津に至り、そこから上
陸を試みたが、土地の豪族である長髄彦(ながすねひこ)の激しい攻撃に遭
い一旦撤退する。この時に長兄五瀬命が敵の矢玉に当たり重傷を負った。

 神武は「日の神の子孫である我らが日の出の方向に攻め込んだのが悪かっ
た」と深く後悔し、紀伊の雄水門に上陸し、竈山へと進軍した。この途中、
重傷の五瀬命は息を引き取った。

 さらに神武は先へ進み、熊野を越えて、熊野の神邑に着き、天磐盾(あめ
のいわたて)に登った。その後海を渡るが暴風に遭い残った2人の兄である
稲氷命(いなひのみこと)と三毛入野命(みけいりのみこと)を失った。

 やっとの思いで熊野の山中に差し掛かった神武軍の前に、巨大な熊が現れ
た。実はこの熊はこの土地の神の化身した姿で、この神の放つ毒気に当たり
兵たちは皆失神して倒れてしまった。

 この様子を天上界から眺めていた最高神の一柱である高御産巣日神と天照
大神は、すぐさま援軍として武豊槌神を差し向けようとしたが、武豊槌神は
その必要はないと言って、代わりに霊剣布都御霊剣を降下させた。

 霊剣は天孫降臨の際に邇邇芸命(ににぎのみこと)に従って降り、熊野に
住み着いていた高倉下神の倉の屋根を突き破って床に突き立った。翌朝それ
を見つけた高倉下神が直ちにそれを神武の陣へと届けると、神武も兵も元気
を取り戻し、付近の豪族を打ち破ってさらに進撃することが出来た。

 ところが神武も兵たちも九州生まれの九州育ちで、この辺の地理には全く
疎く、人里ならまだしも山中の行軍とあっては土地勘がなければどうしよう
もない。さすがの霊剣も役に立たず意気揚々と進んできたのが仇となったの
か、たちまち道に迷ってしまった。

 これを天上で見下ろしていた高御産巣日神は、すぐに賀茂建角身命を呼び
出して助力を命じた。賀茂建角身命は早速3本の脚を持った烏に化身して、
東征軍の頭上に舞い降りた。神武は突然現れた不思議な烏を神の使いと確信
し、全軍に烏の後に続くようにと命令を出した。八咫烏(やたがらす)と
名乗るその烏に導かれ、神武軍は無事に山越えをすることが出来た。

 東征軍はさらに吉野、宇多へと進軍した。この地は兄宇迦斯(えうかし)
弟宇迦斯(おとうかし)という豪族の支配地で、兄宇迦斯は神武に申し出て
この地を譲るから和解成立の宴をもうけたいので、出席してほしいと要請し
た。しかし、これは罠で、兄宇迦斯は宴席に細工を施して、人が入ると天井
が落ちてくるという仕掛けになっていた。

 しかし、この企みも弟宇迦斯の神武側への密告により、神武を迎え入れて
先に宴席に入らせようとした兄宇迦斯の裏をかいて「お前が先に入って見せ
ろ」と問い詰められ、宴席に叩き込まれて、落ちてきた天井に押し潰されて
しまった。

こうして大和まで攻め入った神武は、長兄五瀬命を死に追いやった宿敵長髄
彦と対峙することになる。日の神の血を継承する神武と近畿地方を領有する
長髄彦との対戦は東征始まって以来の激戦となり、両軍共に死力を尽くして
の戦いとなったが、次第に遠征に疲れを見せてきた神武軍は押し返されて、
戦況は不利に傾いてきた。

 神武が最期の突撃の覚悟を決めて空を見上げたその時、遥か天空から金色
の鵄(とび)が飛来して神武の構えた弓に止まった。そしてあたかも雷光の
如く光り輝きだした。

 この光を浴びた長髄彦軍は皆目が眩んで戦意を喪失して敗走した。追い
すがる追撃軍を避けて、なんとか体勢を立て直しつつ反撃の軍議を開こうと
した長髄彦の前に歩み寄ったのは、片腕と頼む饒速日尊であった。

 実は饒速日尊は、神武東征に先立ち天照大神から命を受けて天磐船に乗っ
て高天原から天下り、長髄彦の元に身を寄せて機会を窺っていたのである。
また長髄彦の元に落ち着いた饒速日尊は、その妹登美夜須毘売と結婚して、
宇摩志麻遅神をもうけ、大和の地方豪族として独立し、長髄彦の側近として
この戦に参加していたのである。
饒速日尊が天照大神から授かった十種の神宝(とくさのかんだから)の一つ
八握剣(やつかのつるぎ)を一閃すると、長髄彦の首は驚愕の表情を浮かべ
たまま地に落ちた。

  饒速日尊はその足で神武の陣へ赴いて経緯を説明し、大和の支配権を献上
したのである。(一説には、この時飛来した金鵄は金山彦神が遣わしたもの
だという)

 これにより大和国は天皇家の統治するところとなり、神武は3人の兄を失
いながらも強行した東征を見事に成功させ、悲願であった「青山をめぐらす
東方の地」を手にすることが出来たのである。
天孫邇邇芸命から連綿と受け継がれてきた統一国家樹立の夢がついに叶った
瞬間でもあった。

 神武は大和国の橿原宮で即位し、神倭伊波礼毘古命火火出見(ほほでみ)
天皇となり、富登多多良伊須須岐比売命と結婚して、日子八井命、神八井
耳命、神沼河耳命の3人の子を成した。

 神武天皇は在位76年、137歳で没して、その子の神沼河耳命が第二代綏靖
天皇となり、神代から人の世へと推移していった。

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■編集後記

 日本国誕生も随分血生臭い戦いの結果であったことが今更ながら知ること
が出来ました。

 それにしても神武天皇は在位76年、137歳まで生きたとは驚異の長寿です。
そういえば旧約聖書のノア以下歴代の子孫たちも、これまた大変な長寿を全
うしています。

 人が神に近かった時代というか神話時代には、最高権力者は聖者並に扱わ
れていたのかもしれません。

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〓The Nippon Legend of Heroes≪日本英雄伝説≫〓
[発行人]荒谷肇 e-mail:doragon2006@excite.co.jp

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