メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:新コロナの警告/・・・(2/2)−5  2020/06/13


■新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続を保障する潜性イノヴェーションはエトノス&生命の一回性を「共有する自由」
で繋ぐ『日常』にある(2/2)−5

<注>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449 
 
(エピローグ)『倫理』なる人文知の極致の有意性の再建が必須/先験的“倫理”からリアリズム“倫理”なる『外界の思考』
への転換

 ・・・垣間見えたAI‐ディープラーニングの限界、だからこそ新しい“倫理学”の可能性への期待が高まる・・・

[1]拡張現実(Augumented Reality)をめぐる新たな視点の展開

・・・人間の壁(AI高付加価値)を越える「配分の正義」の実現は如何にすれば可能だろうか?それには潜性イノヴェーショ
ンのラビットホール(兎穴)を通過できる「拡張現実」(AR)的な「一回性の体験的な想像力」がヒントとなる。・・・

如何にすれば人間の壁(1,2)のリアル(エネルゲイア)化は可能なのか?安定したグローバル・ネットワーク(Global 
AI-Web/Network)でその代替が可能だ!という、ある意味で誰にでも分かり易い理想を持ち続けるのは、それはそれとして重
要であると思われるが、何よりも先ず人々がリアルの『日常』生活を安心して持続できるという<ヒトにとって最低限の必要
条件を満たす生命の論理>を最優先させなければ、あらゆる意味で本末転倒となる。

そこで、「人間の壁」(“AI等機械高度イノヴェーションVs労働生産性”に因る格差拡大/人間の壁1)を克服するカギは
「配分の正義」であることになる。1970年代以降の新自由主義(@ハイエク・フリードマン)による「配分の不正義」の時代
には、この意味での格差は更にスキル偏向技術進歩、いわば技術イノベーションに因る“雇用一人当たり生産性向上(GDP総
額増加)と一家計当り所得減少”の大<乖離>の問題「グレート・デカップリング/人間の壁1の拡大」(関連↓★)が発生
したため深刻化するばかりとなっててきた。

★米国のグレートデカップリング・トレンド、ほかについてhttps://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/03/05/153938
・・・
実は、それが特に中間層の没落につながる主な原因となっていた(人間の壁1の拡大が定着化したことに因る!)訳だ。加え
て、更に本格的AI時代となった現在では、ヒトが単純なAI化サービスに対する不信感や、そもそもの「配分の不正義」(次善
の機会と隔絶した不可逆的な超過利潤(レント)の放置に因るGreat‐Decouplingの発生など)がもたらす大きな不安を、換
言すれば得体が知れぬ新たな生命上のリスクをそこに感覚的に感じ取るという問題「人間の壁2」が深刻化してきた(委細は、
第4章‐<注>を参照乞う)。そして、既に述べたことだが、これは当記事の主要テーマである「潜性イノヴェーション」と
「自然・文化エトノス環境」の問題にも深く関わっている。

 そのようなことから、「国家」の<信用>を着実に支え続けるのは、先ず、基本的には(1)古典的イノヴェーションによ
るエネルゲイア(ビジネス&金融活動がもたらし、すぐに貨幣に換算し分配が可能となる付加価値)の創造(シュンペーター
『動態』におけるイノヴェーション(新結合))と、その「公正な分配」である。しかし、考えてみれば一定期間におけるマ
ネー量トータルの大きさだけでは不十分である。

それだけではなく、加えて(2)「その一回性の生命体であるヒトを含め、それに続く未生たちが、更に持続的に、未来へ向
かって生き続けることが可能となる十分な量のマネーが永続的に供給できる仕組み」を保証するものは何か?ということにな
る。そこで浮上するのが「潜性イノヴェーション」の問題である。

そして、この「潜性イノヴェーション」で必須となるのが、我われ一回性の生命体の胎盤ないしは培養基盤の役目を担ってい
ることが明らかな「自然・文化エトノス環境」に関わる<想像力の問題>である。

しかも、本格的な「AIグローバル・ウエブネットワーク(Global AI-Web/Network)」の時代へ入りつつあるからこそ喫緊に
考えるべき課題は「拡張現実(Augumented Reality)」的な「一回性の想像力(脳内思考)」活性化の問題である。但し、
注意すべきはそれが、ハイエクないしはミルトン・フリードマン流儀の新自由主義(リバタリアニズム)的なグローバリズ
ム論、あるいはAIシンギュラリティ論の如き薔薇色の世界を喧伝するユートピアの喧伝ではないということだ。

また、拡張現実(Augumented Reality)の考え方をAI-Webの世界だけへ閉じ込めてしまえば、それはミルトン・フリードマ
ン or ハイエクら新自由主義者が「市場原理なる超観念的な設計主義の罠」に嵌った「概念硬化」と同轍となる。

一方で、マルクス・ガブリエルの「新実存主義」が主張するとおり、ヒトの想像力は無限であり、その意味で人間社会の持
続性を保障することになる!そして、それは歴史・文化、芸術、文学、音楽etc.らのベースとなる凡ゆる暗黙知はリアル自
然世界への拡がりであることをも意味する。

それは、その“外界の思考”へと拡がりつつ地球上の生命・自然トータルと常に共鳴し続ける新実存主義的なアナログ・
ワールド、つまり生命論的なリアル因果の延長である拡張現実(具体的に言えば文化・文学・芸術活動など)の世界は無限
であるということだ。なお、この論点は更に「文化文化資本(同経済学)」の問題へ繋がるが、ここでは割愛する(関連参
照↓▲)。

▲文化資本とは、例えば池上英子『江戸期プロトモダニティhttp://u0u0.net/EyAB』の如き伝統・文化から生まれるスピリ
ットを地域の伝統産業などの中に取り込みつつ内在化させて、そこから新たな外在性(偏執的なマネタリズム市場原理を超
えた付加価値創造(or潜性イノヴェーション)的な視点の発見など)を生み出す、まさに「“リベラル共和主義”の時代に
相応しく、ノモス・エトノスも十分視野に入れた持続的で漸進的な経済活動の原動力となり得るもの」である。

https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20170713/p1
<補足>「AI‐DL導入」で特に留意すべきこと/「人がやるべき仕事の発見」に照らして
これは「人がやるべき仕事の発見と創生/“AIで消滅の危機に瀕する?とされるヒトの仕事の復権”に関わる方向性」とい
う、非常に重要な課題と深くクロスすると思われるが、ここでは特に留意すべき点の記述に止めておく。 
 <「ディープ・ラーニングの判定結果による顧客への提案と個々の顧客がそれに十分満足するか否か」の問題>には<軽
く見過ごすべきでない重要な問題点>が潜んでいる。当然のことだが、ヒトがつくるものやヒトのサービスに個々の顧客が
十分満足することが続けばリアル経済の価値が高まり、ヒトの生産性が伸びることになる訳だが、これはヒトの意識作用の
一環である抽象化がヒトの脳内(そして生命個体内)の活動であるため、それが刻々と変容する凡ゆる地球上の「リアルな
自然・社会のエルゴンおよびエネルゲイア」(潜性・顕性の両活動エネルギー)と共時的に繋がっていることに因ると思わ
れる。

言い換えれば、それは製造・販売・サービスを提供する側と顧客側とがビジネス現場で、そのような意味では大きな暗黙知
の支配下にある「リアル経済」の新たな可能性(潜性イノヴェーション世界)を常在的に共有していることに因ると考えら
れる。

 一方で、ビッグデータ解析の結果である「AI機械計算またはディープ・ラーニングの予測値」(解析フィルター仕掛けの
圧縮化、つまり中立的と想定されるビッグ母集団の解析に因る機械的な抽象化に因る予測値はリアルな自然や社会と同期的
(マッハ感覚論的素材性的)には繋がっていない。
 
それは、いわば高度デジタル抽象的な形式知の世界とリアル経済の間には、見逃すべきでない絶対的な「人間の壁2」(断
絶/労働生産性VsAI等“機械高度生産性”に因る超格差の拡大トレンド、およびそのことに因る人々の不満や不安心理の拡
大)があるためである。そのため人的に省力化されたビジネス現場では、実に皮肉なことであるが、高度な専門知とは全く
無関係な人的サービスを顧客側から求められるケースも発生している。無論、現下の「新コロナパンデミック」対応のテレ
ワークとは全く次元が異なることである。
  
[2]新時代の倫理の前提1/「“赤の女王”の足枷」の問題
・・・当記事の冒頭でも取り上げたが、新時代の“倫理”と深く関わることになる「“赤の女王”の足枷」の問題にふれて
おく・・・
 
<注>「赤の女王」とはルイス・キャロルの小説『鏡の国のアリス』に登場する人物であり、彼女が作中で発した「その場
にとどまるためには全力で走り続けなければならない(It takes all the running you can do, to keep in the same 
place.)」という台詞から、種・個体・遺伝子が生き残るためには進化し続けなければならないことの比喩として用いられ
ている。
・・・
これは、アメリカの進化生物学者リー・ヴァン・ヴェーレン(Leigh M. Van Valen/1935 -2010)が1973年に提唱した、
「全生命(自然環境)系を根源的に支配すると見るべき、(a)敵対的な関係にある「種」の間での進化論的軍拡競争と(上
位層)、(b)生殖におけるダーウイン進化論的な有性生殖の利点を巡る競争(下位層)なる、二つの異次元の進化現象につ
いての統合的な説明」(永続性の原理↓▼)の象徴である。

この「a、b」二つの異次元相の激烈な競争の結果として、もし唯一の生き残りが生じたとすると、それは必ずゼロサム
(All-or-nothingで利害の総和がゼロになること)となり、生物種そのものが、ひいては生命そのものが自然界(地球上)
から消滅することもあり得る(よりミクロな、あるいはよりマクロな生命・環境系も視野に入れれば、必ずしもそうとは
言い切れぬかもしれないが)。
 
『自由の命運 上、下:国家。社会、そして狭い回廊』(早川書房)の著者、ダロン・アセモグルと ジェイムズ ・A. 
ロビンソンは、このような考え方を「政治経済」社会の分析(政治・経済を一強支配しようとする権力(構造)、専横の
リヴァイアサンの分析)にあてはめ自由の命運を論じているが、結局、我われ人類が“自らの生命を永続させる”ために
は、自然界を含めた広大な視野で『足枷のリヴァイアサン(赤の女王)』(組織化した民主主義社会による赤の女王の制
御システム(足枷))の再構築に取り組むより他の道はありえない現実を実証的に論じている。

そこで、特にここで押さえておくべきことは、「マネー&<マネー&金融マネージャー資本主義>」の暴走と、これまで
重視しつつ取り上げてきた「人間の壁1,2」の問題である。それは、今まさに「準汎用AIの時代」が本格化しようとす
る時代であるからこそ、これら二つの問題が重畳し、それが<新たな超リスクの病巣(AIと金融工学を駆使するシャドー
・バンクらによる、マネー&金融マネージャー資本主義の独占支配構造)>と化して、より一層「格差問題」を深刻化さ
せる恐れがあるからだ。その危機感の表れは奇しくも当記事・冒頭の(前置)で取り上げた、[以下]の部分
(@20200403日経)である。

【 ▲またもブラックロック(世界トップ・シャドーバンク)か?FRBの透明性確保がカギ:ジリアン・テット403日経/
FC、・・・リーマン以降、現在に至るまでのアメリカ経済の「回復」は、・・・もっぱらレント経済へ注力した「マネー&
金融マネージャー資本主義」の再生にすぎない。しかも、いまや又アメリカのみならず全世界がポスト・コロナパンデ
ミックがもたらす深刻な構造不況に襲われている。(再び、99%国民層の餌食(ルンペン・プロレタリアート)化を狙
って!/補、toxandoria・・・】https://www.nikkei.com/article/DGKKZO57560620S0A400C2TCR000
 
そもそも、エトノス内におけるエントロピー解放手段としての暴力装置(暴政、戦争、財政危機など)を内蔵せざるを得
ない国家(統治パターナリズム)の基盤である「法」の根源が、C.シュミット、ハイデガー、H・アレントらの如くノモ
ス(nomos/古代ギリシャのノモス法そのもの、あるいは其処に住む住民が平等に与えられる“ノモス法で定められた社
会環境・インフラの分け前”のこと)だと見る位置に立てば、H・アレントの「社会」の先に、政治・経済が協働して当
たるべき真の役割(アレントの難解さをフーコーの視座で再構成したもの/@稲葉振一郎『政治の理論‐リベラルな共和
主義のために‐』(中公選書))が見えてくる。

それこそが、そこから浮上する「リベラル共和主義」(リベラリズムと共和主義の十分な均衡による貧困問題などの根本
的解決)という新たな方向性だ。そこでは<「現代の民主主義国家における統治権力(パターナリズム)と個々の労働者
の間を仲介する「労働組合の役割」をノモス法の原点と照らして本格的に見直す>ことが最も重要な課題である。

つまり、一般の国民・市民層の『日常生活の営み』という日常経済のリアリズム(潜性イノヴェーション)の活性化に関
わる政治活動に、常時、取り組むことが最も重要な労働組合の役割であり、特に<無産化したルンペン・プロレタリアー
トの有産化>への取り組みが急務である。

 別にいえば、資本主義社会において本来あるまじき只の既得権「保守機関」へ変質した日本の名立たる大企業(群)と
労働組合など、例えば日本「原子村」または(株)電通らの「メディア&ジャーナリズム監視・統括」企業、および連合
を筆頭とする「 労働組合」(これらのことごとくは、今や只の「レント(過剰利潤)の死守機関」化、いわば<マネー&
金融マネージャー資本主義>の尖兵たる「赤の女王」の暴走のための旗振り役と化した!)を、一般社員(一般市民層)
の日常生活とビジネスの活性(政治意識)化”を支い得る有意な組織へと、そのあり方を見直す)」のが重要だというこ
とである(同上『政治の理論』。

・・・(参考)◆政治的地位or金融工学式“労働節約型技術”等に悪乗りの連合らと同轍で特権レント構造に胡坐をかき
アンシャンレジーム化したメディア界の仕切り屋らしい傲慢なへ理屈! →電通副社長「経産省ルールに則った、通常業務
より低い利益」 持続化給付金の再委託で会見608ThePAGE 
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1270100675104366592
 
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1270100675104366592
 
https://twitter.com/nikkan_gendai/status/1269873043716935680
・・・
「労働組合」は、リベラル共和主義の時代にこそ、貧困の根本的な解決のために必須の“産業民主主義(産業組織論)の
ベース・キャンプ”となるべきだ。そこへ、もう一つ加えるべきは(、内外の市民層が主役となるアソシエーションの問
題(@日下部 史郎『新自由主義に抗して―スーザン・ジョージと世界市民運動―』(SSBパブリケーションズ))である。 
因みに、自然(自然環境)系における「in vitro (実験環境内)とin vivo(実験環境外) の区別」は研究分野によっ
て多少異なっている。それは、「どのレベルを生きている環境系と見るかの違い」ということに因る。そのため、「生命
環境そのものについての理解」は相対的になる。だから、ヒトが認識している自然についても、(1)地球環境の内外で
分ける(即ち、“内=自然(生命系)、外=非自然(非生命系)”)とする考え方と、(2)地球環境〜全宇宙までを含
めてオール自然と見なす考え方、の二通りが成り立つ。そして、例えば「AIシンギュラリティ」論は明らかに(2)の立
場である。

(補足)▼「永続性の原理」について

自然界の一部たる人間社会もある意味で広義の「永続性の原理」(持続的な対称性バイアス、つまり同調圧力のジャンル
(自然界でも作用する物理・化学的な相転移・熱伝導・濃度希釈など広義の“忖度・同調”への傾斜圧力)の誘惑を可能
な限り断ち切り、または遅らせつつ最大限に定常性を維持するため暗黙知に照らしたリスク分散/その全体を保証する原
理が、おそらくハーネス調教に似る自然計算のプロセス(関連/Cf.↓★))で補完されている可能性が高い。
★想定上の完全AIアンドロイドはなぜ胡散臭いのか? それは「アナログ/自然計算(“暗黙知”ワールド?)」と「デ
ジタル/AIディープラーニング(“形式知”抽出マシンワールド?)」の溝の深さによる?(仮説)、https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2019/09/02/125003

ただ、「民主主義は未完の営為であるとの謙虚さ」(これが倫理観の大地!)を前提にすれば、厳密には「永続性の原
理」にもローカル自然環境や広義の伝統文化または歴史発展的な意味でのヴァリエーションがある。そして、その典型
が現代の民主主義の維持を目的とするヴォルテールの合理的精神による権力批判の実践ということに刺激を受け、モンテ
スキューが着想した<「三権分立」に「メディア(第4権力)」が加わる権力分散(四つの権力)の形>である。そして、
これが現代民主主義の「法の支配の原則(法と秩序)」の中核である。

◆「第4権力」の意識が殆ど希薄化した(あるいは疾うに捨て去った!)日本メディアの謎?(苦w)、
 
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1230623511305080833
・・・(関連)いっそ日本メディアの殆どはジャーナリズムの看板を下ろしビジネス路線に徹した方が無害かも
神社?!w
 
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1267596757967372290
・・・(関連)>これ程の無責任さは戦後の内閣では例を見ない。メディアはその酷さを国民に伝える義務がある。 
↑ 同感だが、日本メディアには「ソレが自分の仕事との自覚」が全く無いのでは?or その類の汚れ仕事は週刊
文春らのビジネスと割り切ってる?w
 
https://twitter.com/mt3678mt/status/1268370419687415808
◆両者に質の差はあるが今の「日アベ・米トランプ」はファッショ2.0で同義! ポスト<新コロナパンデミック、
「日米の一強ファッショ権力」凋落>の重要な課題は「赤の女王」↓★暴走の国際協調による抑制! →トランプ氏
大敗か 米失業率、選挙時2桁も525時事 https://www.jiji.com/jc/article?k=2020052500111&g=int
・・・ 
https://twitter.com/tadanoossan2/status/1267355974718779392
そして、この民主主義のあり方こそが「剥出しの、換言すれば善・悪を超越した苛烈なゼロサムの生存競争」に曝さ
れる生物・動物一般との「良い意味での違い」(信頼に基づく人間社会)を保証してきたといえる。

しかし、そこには「人間社会」故の逆説ともいえる、自身がまさに「赤の女王」の化身であるという恐るべき現実が
一切視野に入らぬ(又は、それを敢えて無視しようとする)ゼロサムの「ファシズム」が出現する可能性が必ず潜ん
でいる。

従って、「赤の女王」の暴走を抑止するための足枷が、つまり「全ての国民による“倫理”観の共有ということ、お
よび権力を縛るための法の支配の“四つの権力の形”」が民主主義には必須条件であることが理解できる。

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