メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:新コロナの警告/・・・(2/2)−4  2020/06/12


■新コロナの警告/ファシズム2.0に抗い持続を保障する潜性イノヴェーションはエトノス&生命の一回性を「共有する自由」
で繋ぐ『日常』にある(2/2)−4

<注>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2020/06/04/155449

5『日常』は「潜性イノヴェーション」のエントランス/『日常』における潜性イノヴェーションの在り処を探る
・・・シュンペーターおよびカール・メンガーらオーストリアンが直感していた「『日常』の潜生イノヴェーション」(“緑
のカナリア”)への予感、の在り処を探る・・・
 
<注>美しい声のカナリア(緑のカナリア)のピピネラの画像は、当記事 [4 シュンペーターは「『日常』潜性イノヴェー
ション」を感知するオーストリアンの終着点、未生への希望“緑のカナリア”の共有!] の再録。鳥のオペラのプリマドンナ、
美しい声のカナリア(緑のカナリア)のピピネラは、「潜性イノヴェーション」の在り処の象徴にも見える?! https://www.iwanami.co.jp/book/b269250.html
 
いま、20世紀前半に米国で活躍した「現象学的社会学」(日常を生きる普通の人々の視点から日常生活世界の自明性を問うこ
とで社会的現実の有り様を考察する)の始祖、A.・シュッツ(Alfred Schutz/1899 - 1959/ウイーン出身)の「他者への想
像力に基づく日常生活世界の意味(日常性の社会学)」が注目されている(ヘルムート・ワーグナー著、佐藤嘉一 監訳『ア
ルフレッド・シュッツ』‐明石書店‐/アルフレッド・シュッツ、トーマス ルックマン(シュッツ没後に加筆・編集)共著、
『生活世界の構造‐ちくま学芸文庫‐)。

その理由は、この「A.シュッツによる日常性(生活)を凝視する視点(生命現象にも似た複雑な関係性のネットワークを慎重
に観察する)」が、近未来の「定常経済」社会のため(『日常』重視の経済社会を実現するため)の「全く新しい生産性の定
義」を提供する可能性があると思われるからだ。

つまり、それはサプライサイド生産性論の呪縛(論理の飛躍/参照↓▼)からの解放と、既成の科学技術型イノヴェーション
生産性論を乗り越える新たな生産性の定義を提供することになるのではないか、という意味である。
▼「サプライサイドの論理の飛躍」について
・・・一国で1年間につくり出されるすべてのモノやサービスの価値(付加価値)がGDP(国内総生産)だが、その<成長
率>は決して働き手(労働力人口)の増加率だけで決まる(変動する)訳ではない。サプライサイド論の限界、つまり「サプ
ライサイド特有の論理の飛躍が生じている原因」は此処にあると思われる。
・・・特に、重要視すべきはイノベーション+etwasの問題ということになる。+etwasとは、当記事で注視するA・シュッツ
の『日常性』の現象学が抉る潜性イヴェーションの可能性と、それがもたらす“幸せの感情を伴う豊かさ”!の役割というこ
とである。別に言えば、それは「 “幸せの感情を伴う豊かさ”の土壌が潜性イノヴェーションであり、その潜性イノヴェー
ションは「広大な感情の海の上に浮かんでいる」という関係であると考えられる。https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180806/p1
・・・
ところで、いまガダマー『地平の融合』(常に意味の全体論を重視し続ける非常に広角な視座の哲学)の立場(関連参照↓★)
とも共鳴すると考えられる「20世紀前半に米国で活躍したアルフレッド・シュッツの「他者への想像力に基づく日常生活世
界の意味」(相互主観性の中核)に関わる考察が注目されている。おそらくその背景には、愈々、これから本格化するAI化社
会への“ある種の不安と危機感、そして何らかの期待感のようなもの”があるからではないかと思われる。
★[AI時代の哲学的解釈学]ガダマー(Hans-Georg Gadamer/1900 - 2002)『地平の融合』によるAI原理主義批判/「見え
ないこと」を見る基本的視座、https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/05/19/040514
 ・・・
また、それは「分析哲学上の一つの立場である日常言語派が、AI‐Web社会化トレンドでユーザー生成コンテンツへ過剰に依
存するネット・メディアと共鳴しながら、再び、優勢となってきている」ため、ガダマー『地平の融合』(意味の全体論)的
な価値を持つ社会的に“見えないこと(自然および人間社会の中で暗黙知(アナログ知)の要素が占める部分)”の重要な意
味が忘れ去られるのではないか?という、一種の危機意識が高まっているからでもあると思われる。

しかし、自然および現実の人間社会では暗黙知(アナログ知)の要素が、実は相変わらず相当の部分を占有していると考え
られるようにもなってきているため、もっぱらAIデジタル知(形式知)だけに頼り切る方向へ社会構造を深化させることの
現実的なリスクが再認識されており、その意味でもアルフレッド・シュッツの“日常生活“を巡る議論が重要だということ
になる。

そこで、シュッツ“日常生活の現象学的社会学“における「サインとシンボルの役割の違い」に関わる説明を、下記論文★
より抽出転載しておく。如何に多様で豊かな空間(相互主観性の拡がり)が直接的には目に“見えないこと”として、つま
り我々の内外の環境世界にリアルなものとして“存在”しているか、が理解できるはずだ。しかも、これこそが普通には
“みえないこと”の部分(あまり強くは意識されていない部分)の重要な意味であり、そこから「AIならぬヒトこそがやる
べき仕事」の可能性が無限に広がる新世界についての展望が描けるはずだ。

★「シュッツの“日常生活におけるサインとシンボルの役割の違い”についての説明」‐出典:p.5〜6/白石哲郎『ア
ルフレッド・シュッツの記号概念─シュッツ社会学における他者理解論の射程─(佛大社会学、第43号(2018))、https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BS/0043/BS00430L001.pdf

・・・シュッツにとって日常生活世界は、「人びと の間で行為する十分に目覚めた成人」を主体とする世界、外的な 行
為環境および他者の存続についての自明な認識、いわばそれらの存在が、これからも安定してそこにあり続けることへの
漠然とした確信である「存在論的安心」にもとづく自然的態度によって支えられた世界、自己と他者が「社会共同体:シ
ュッツの記号概念における仲間」として動機づけあ い、そうすることを通じて共通のコミュニケー ション環境を成立さ
せている間主観的な世界を指している。また、シュッツによれば、日常生活の現実から他の諸現実への移行、およびそれ
ら「固有の認知様式と、明らかにされるべき固有の問題群及び地平群をもつ限定された意味領域」の間での移行は、日常
生活の現実内で関わる他者や諸々の出来事に対する 自然的態度が放棄される「特定のショック」を経験したときに生じ
るという。「夢の世界」への飛躍としての入眠、幕があがり「演劇の世界」へ移行する際に感じる内的な変化、S. A. キ
ルケゴールが「瞬間」と呼んだ「宗教的領域」へ移行する際の様々な宗教的経験、「科学的思考の世界」への移行に際し
て、生活者としての情緒的な態度を停止し、科学者としての「私心のない観照の態度」に徹しようと決心することなど、
日常生活をいとなむなかで経験する種々の ショックのたびに、人びとは諸現実の境界を突破して、みずからの「現実性
のアクセント」を別の限定的意味領域へと置きなおすのである。日常生活世界の只中において、その他の有意味的な世界
への飛躍が経験されるということは、「シンボル」の場合,間接呈示する項のみが至高の現実に属しているということを
示唆してい る(「サイン」の場合,間接呈示する項と間接呈示される項いずれもが至高の現実の一要素をなしている)。
それゆえ、絵画、ファンタジー小説、子供の玩具、共同的な礼拝、科学的理論として客体化されている「シンボル」は、
「特定のショック」そのものの「物質的基盤ないし誘因」としての役割を果たしている。・・・
・・・
つまり、別に言うならばシュッツの「見えないこと」の発見はサプライサイド生産性論の呪縛からの解放と、既成の科学
技術型「イノヴェーション論」を乗り越える新たな生産性の定義を提供することになるのではないか、という意味でもあ
る。

ところで、シュンペーターの「動態」でふれたことの再録となるが、『潜性イノヴェーション』を理解するキーワードは、
エルゴン(ergon/死静態・潜性態)、デュナミス(可動潜性態・可動潜在性/dynamis)、エネルゲイア(現勢態/
energeia)、およびエンテレケイア(entelecheia)であった。
可動潜性態(デュナミス)は現勢態(エネルゲイア/energeia)に先行的に対応(いわばプレ・エネルゲイアの謂いで)
するものである。エルゴン(ergon/死静態・潜性態)は、ヒトの内心(および社会関係あるいは自然との関り)の中で
普段は休眠状態にある「±」または「善・悪」など、そもそも両義的な性質をもつ情念・表象または何かの関係性のこ
とを意味するのに対し、それがリアル活性化すると両者の何れかを表現する表象的・言語的なヒトの意識活動(潜性イ
ノヴェーションの契機)となる。つまり、ヒトの『日常』(日々のリアル生命活動)は「エルゴン⇒デュナミス(プレ・
エネルゲイア)⇒エネルゲイア(現勢態)⇒エンテレケイア(entelecheia)」のプロセスに支えられている訳だ。

だから、(+)のエルゴンが何らかの機械処理ないしは消費活動等で言語(意識)的に、更には経済的に表現され、そ
れが形式化され(例えば契約などの形で)「現実」化するとそれが新たに創造される経済価値(付加価値)のデュナミ
ス(潜在性・潜性態)というリアル可能性の創造物となり、その貨幣化による分配と蓄積がヒト・企業・国家に必須の
富の形成力(エネルゲイア/現勢態)となる、ということが理解できる。

因みに、この「±」のエルゴン(ergon/死静態)の意義、いわば『日常』における潜性イノヴェーションの宝庫とし
ての重要性に逸早く気づいたのが17世紀のマンデヴィルであり、そのことを強調するためマンデヴィルは『蜂の寓話』
(逆接的な啓蒙の書)を著わしたとも考えられる(この論点についての論考は下記↓★にあるので参照乞う)。このた
めか、初期のハイエクもマンデヴィルに注目していたようだが、結局、その研究は潜性イノヴェーションに関わる深化
へは向かわなかったと考えられる。
★マンデヴィル『蜂の寓話』は透明甲殻リバイアタン・安倍晋三ら出現への警告!『日常』とホッブスに潜むエルゴン
(内需等に係る新しい生産性の培地)の発見がアベ「サクラ怪獣」駆除のカギ https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/11/30/184331
・・・
・・・「表象的・言語的なヒトの意識活動(潜性イノヴェーションの契機)」という切り口で探索が可能な「潜性イノ
ヴェーションの在り処」(サンプリング)・・・
・・・ただし、この「潜性イノヴェーションの在り処」が決して「デュナミス(可動潜在)&エネルゲイア(現勢態・
可動態)の両生産性」そのものではないことにくれぐれも留意!・・・
【 もし、欲を出し過ぎてそのような理解をすれば、その途端に「静態→動態なる遷移プロセス上での均衡論」という
「普通の意味での経済世界における±効用論」の呪縛に囚われ「潜性イノヴェーションの在り処」は、忽ちに意識し難
い世界へ転送され、消滅するだろう。】
・・・動的平衡論のメタファーで言えば、それは「生命論的な水準の基礎代謝(その意味での『静態』)と多様なエ
トノス文化・自然環境(に関わる必要がある)という二つのリアリズムこそが、より豊かで持続可能な経済(リアル
『動態』の持続)の前提条件であり、しかもそのリアリズムは絶えず動態に対し僅かに不可逆的に先行し続けなければ
ならない生命の論理の統制下にある」からだ。・・・関連で、下記★1,2参照乞う・・・
★1 福岡伸一教授と共に、「動的平衡」の視点から「不安定な社会」を見る、
http://www.future-society22.org/blog/75a3b5a5458
★2 元本保証された多様性の創出としての古澤満『不均衡進化(Disparity Evolution) 』/不均衡進化論(発生生
物学者・古澤満氏)は遺伝子レベルで観察されるネオ・ラマルキズム(ネオ・ラマルク進化論)? https://www.evernote.com/shard/s440/sh/e8be82a6-ca1f-412e-8f6c-f8f0497b6d14/444d32d63dff181da92876df8ac11d

(潜性イノヴェーションの契機1)

・・・M.アンリ『感情の海』と脳の「報酬系」機能に潜む秘密・・・

<注>ここで、「潜性イノヴェーションの契機1、2」と二つに区分して示しておいたが、理解しやすくする目的で便
宜的に分けたものなので、そのこと自体にあまり大きな意味はない。強いていえば「潜性イノヴェーションの契機1」
は感情と意識(脳)との関りを切り口としており、「潜性イノヴェーションの契機2」は美意識の問題を切り口として
潜性態の在り処のサンプルを探索したものである(広義では契機1も美意識の問題と深く関わる)。

(1)M.アンリ『感情の海』に潜む秘密

M.アンリ『実質的現象学』(叢書ウニベルシタス/法政大学出版会)によれば、M.アンリ(Michel Henry/1922 - 2002)
は、次のような原点となる視座から論考を深めて行ったと思われる。
 <自分一人が、あるいは自らを含む一定数の人々が、仮に、いま突然に此処で命絶えることがあるとしても、自らの
周辺を含み此の世界に生きるその他大勢の人々は、何事もなかったかのように、今までどおりの日々を生き続けてゆく
だろう。しかし、このように絶えず流れ去る世界の中で、個々人の「絶対的主観性」を保障する<現象学的実在性(真
理)>とは何であるのか?>

そして、同じ現象学と呼ばれるものであっても、M.アンリは、<現象学(委細/参照↓★)における「形相(エイド
ス)、質料(ヒュレー)」の作用因(アリストテレスによる)=抽象的認知>と、<自ら(M.アンリ)の現象学におけ
る「絶対的主観性」に内在する作用因=実存的認知(‐意識)>を全く異なるものとして峻別した。
★フッサール現象学の概要(および、その現代的意義):旧「toxandoriaの日記」https://toxandoria.hatenablog.com/entries/2017/09/01
・・・
従って、M.アンリの<実質的・志向的現象学/普通の意識では見えず、かつ理解不能な個々人の内奥にある真理の中核
たる意識作用(コギタチオ)の探求プロセス>におけるエイドス(形相)とヒュレー(質量)の両者に相当する概念は、
フッサール現象学とは異なり、外部世界の現象学的な形相的「与件/現出」以外の実在とも共鳴し得る多様な志向性
(様々なベクトルを帯びた意識)を獲得することになった。
言い換えれば、M.アンリの現象学では、作用因としてヒュレー(質量)が最も重視されていることになる。もっと分か
り易く言ってしまえば、M.アンリは、個々人の絶対的主観性の意識作用(コギタチオ)の実在性として視覚と結びつき
易い形相(エイドス)よりも触覚・痛覚らとの親和性を十分に想像させる質料(ヒュレー)を採用していることになる。

そして、M.アンリは絶対的主観性の実在性(その中核に内在する真理)の現象学的な「与件(現れ)」として「感情」
の表出を措定する。その絶対的主観性の核心(自己性の湧出源)となる「与件」の背後、個々の絶対的主観性の中核に
は、その与件(現れ)を含む広大な「感情の海」(超越論的情感性/affectivite)が存在すると見るのがM・アンリの
特徴である。

つまり、「視覚」以外の知覚(内感の窓口としての触覚なども含む)を重視しているという点が、「視覚」という個々
の形相的な与件(現れ)と結びつき易いエイドス(形相たる意識内容(コギタートゥム/cogitatum))を重視するフ
ッサール現象学(やや設計主義的な理性の現象学)と、片や触覚を重視するM.アンリの現象学(“感情の海”の拡がり
を想定する情感性の現象学)の根本的な差異であると思われる。

なお、[神谷英二:情感性と記憶―アンリ現象学による試論(1)/福岡県立大学人間社会学部紀要2005,vol.14,
No.1,21―36 http://u0u1.net/GN7E]によれば、<情感性(affectivite)とは何か?の問い>に、M.アンリ以前のヨー
ロッパ哲学は必ずしも十分な答えを提示してきたとは言えないようだ。

(2)「M.アンリ『情感の現象学』」と「デューイ・プラグマティズム『共有的な自由(自由の共有)』」の間にかか
る、新たなヒューマニズムへの希望の架け橋
ところで、M.アンリ「現象学」の稀有な特質と言えるのは、それが『情感の現象学』から独特の一瞬一瞬の出会い
(一回性)を重視する共同体論(個の自由原理ではなく、『第3章−モンペルラン協会の理念の変質』の論点における、
デューイのプラグマティズムの共有的な自由(自由の共有)意識を連想させる!)へと発展することである。

米国ではプラグマティズムの伝統に因る「共有的な自由」(自由の共有)と、啓蒙思想由来の「個の自由」の二つが区
別されてきたということだ。そして、「個の自由」を重視する流れはハイエク、ミルトン・フリードマンらによって
曲解され「市場原理主義の二大開祖のリバタリアニズム」(完全自由主義)へ帰結した(関連/↓★)。
★アメリカのリベラリズムの発展 山本春義:大阪経済大学(哲学)、
https://www.evernote.com/shard/s440/sh/743844a9-683f-46ec-8197-709224e27988/ec88f7ac7a5e8d607194ea499d43e8a4
 
他方、「共有的な自由」(自由の共有)の重視はデューイ(John Dewey/1859‐1952)のプラグマティズムで絶対に忘
れるべきでない「一人ひとりの保障された言明可能性」という考え方に由来する(@ルイ・メナンド『メタフィジカル
・クラブ』−みすす書房−)。デューイはチャールズ・サンダーズ・パース、ウイリアム・ジェームズとならびプラグ
マティズムを代表する思想家であり、20世紀前半のアメリカ哲学者のなかでも代表的且つ進歩的な民主・民衆主義者
(良い意味でのポッピュリズム主義者)であった(関連で(プロローグ)も参照乞う)。

ところで、このデューイの「一人ひとりの保障された言明可能性」は「凡人(日常を大切にする普通の人々)の正し
さ」(その根底は、デューイ・プラグマティズムの限定合理的な世界認識にあると考えられる!)を保証する問題とも
呼ばれるが、それは<現在における“さしあたりの生き方としての民主主義”を最大限に重視し、それを持続的に繋ぎ
留めるよう努力し続けるということであり、逆に言えば『民主主義』はヒトが存在し得る限りでの未完の営為だ!とい
う理解による、換言すれば民主主義国家では『聖人・君子ならぬ国民層の大多数を占める“凡人”の正しさの保証手段
をシッリ政治・行政的に確保して(つまり、多様な言明の記録・保全を法的に確立して)社会的信用を維持すること
真逆を謀ってきた!

因みに、繰り返しとなるが潜性イノヴェーションとリアル経済のイノヴェーション(シュンペーターの新結合)は直接
的には無関係なことだ。それは、これら二つの異次元のイノヴェーションに関しては、個々別々での両者の関係性につ
いてのリアル因果的な説明が殆ど不可能であるからだ。

一方、既に見たとおり暗黙知的な潜性イノヴェーションが市民生活の『日常』の殆どを占める構成要素であることは論
を待たない。だからこそ、潜性イノヴェーションはヒトを含めた生命および環境と広範に、かつ深く繋がっていること
が窺われる。また、この点こそが、「『日常』は(両)イノヴェーションの培地である」ことの証ともなっている。

・・・脳の「報酬系」機能に潜む秘密・・・

の適応能力向上を目的として進化したメカニズムである。そして、これは殆どの動物種の生存が、有益な刺激(いわば
外界の実在)である主に視覚的(アリストテレスがいうエイドス(形相)的)との接触を最大にし、かつ有害な刺激と
の接触を最小にすることに起因する。これら報酬を認知することで、その動物の連合(連想)的な学習機能が作られ、
適切なアプローチと正常な行動が誘発され、肯定的感情が促進されるため、生存および生殖の可能性を高める役割を果
たしてきた、と考えられる(画像は、https://www.terumozaidan.or.jp/labo/class/s2_13/03.html より)。

だけに反応しているものではなく、それはおそらく殆ど無意識であることが多いと思われるが、内面的な報酬系の刺激
となり得る記憶や感覚・感情経験的な記憶・知識・概念(あるいは、それらが複雑に交差するネットワークそのものの
記憶)の膨大な蓄積にも反応しているはずだ。

そして、それは触覚系の経験で蓄積された体感的な記憶であり、強いていえばエイドス(形相)に対するヒュレー(質
量的)な記憶の蓄積と理解してもよいのではなかろうか。

報酬系を具体的にみれば、それは誘因行動を引きおこす刺激の総称である。例えば、空腹の人にとって食べ物は報酬だ
が、満腹な人にとって食べ物は報酬ではなく、むしろ不快感を与えるだろう。また、ある種の美人や美女の魅惑的な顔
は報酬となる(が、人それぞれ好みは様々だがw・・・)。

つまり、報酬かどうかは脳の状態に依存しており、主観的な快体験となるか否かで決まる。動物の場合はその物質に引
き寄せられるような行動をとっているかどうかを測定する。

以下に、川畑秀明著『脳は美をどう感じるか』(ちくま新書)を手掛かりに『感情の海』と脳の「報酬系」機能に関連
すると思われるクローズアップの光景を[潜性イノヴェーションの契機1の事例]として取り上げておく。

 ・・・[潜性イノヴェーションの契機1の事例]/「龍安寺・石庭」に潜むフラクタル構造・・・

・・・潜性イノヴェーションの在り処を考えるためのヒント/新実存主義(@マルクス・ガブリエル)の眼で見ればヒ
トの知覚・認識は「外界の思考」(内外のエトノス自然・社会環境との深い関係性を維持する意識)である!/ガブリ
エルの画像は、
https://www.express.de/bonn/bonner-markus-gabriel--30--deutschlands-juengster-professor-18112958 より・・・

・・・一例を挙げておくと、例えば「龍安寺・石庭」の岩の位置から等距離にある位置を中心軸として解析すると、
推薦「観賞場所(寺院方丈内/縁側内側の中央あたり)」から遠景へ、向かって分岐が繰り返されるフラクタル構造
(つまり、グルーピングとゲシュタルトの法則の実現:これが龍安寺『石庭』が我われ鑑賞者へ永遠の静寂なる感動
をもたらす秘密!)となっている!/電子情報通信学会誌会誌2003年10月 /By Gert J. van TONDER、ほか・・・
https://www.researchgate.net/publication/220013361_Visual_structure_of_a_Japanese_Zen_garden
https://www.ieice.org/jpn_r/index.html
https://www.ieice.org/jpn/books/kaishikiji/200310/200310-1.html

・・・新進気鋭の哲学者であるマルクス・ガブリエル(Markus Gabriel/1984 - /ドイツの哲学者、ボン大学教授)
の新著『新実在論‐“心”という語で表せるたったひとつのものなど存在しない‐』(岩波新書)の序章を書いたジ
ョスラン・マクリュール(Joceran Maclure/ラヴァル大学教授/1973− )によれば、かつてガブリエルは、数々
の形而上学の重要問題について、大胆な見解を唱えており、たとえば以前の著書では「存在論や認識論の分野で自然
科学に似た要素還元論的な構成主義が乱用されるいま、ガブリエルは“新たな存在論”が求められている」と論じた
が、この新しい著書でガブリエルが言う「新たな存在論」は、我われの現実(日常的な)をかたちづくる対象領域―
すなわち「意味の場」、つまり『日常』の多元性・多次元性を中心に据えた実在論のことである。

・・・が、その多元性・多次元性の意味を単にリニア―な繋がり、あるいは単純な入子構造的な構成と見立てるとす
れば、おそらくそれは誤りである。
・・・そうではなくて、たとえば龍安寺「石庭」↓に潜むフラクタル構造(@Gert J. van TONDER↑)の如く数理
的・抽象的な世界との不可避の接点でもあり得るし、マクロ・ミクロ世界との物理・化学的な、あるいは自然環境
論・生命論的なつながりや共鳴のようなこともあり得るだろう。ましてや、ヒトの場合はそれに社会的な関係性や
個々人の内面との対話のような実に多様なファクターが絡み合い、共鳴し続けることになる。しかも、「それらの
複雑な関係性の世界」は「リアル経済的な謂いでの現勢態(エネルゲイア/energeia)」とは全く無関係であるか
に見えるし、たしかに両者は個々の事象面におけるリアル・エネルゲイアの意味では全く無関係である。

・・・しかしながら、実際にはこの「前者」の複雑極まりない多元性・多次元性の世界こそ、現勢態(エネルゲイア
/energeia)に先行的に対応(いわばプレ・エネルゲイアの謂いで)する潜性態(デュナミス)、すなわち「潜性イ
ノヴェーション」の豊饒な培地(潜性イノヴェーションの契機1)と、仮に名付けておくべきものなのである。
 
龍安寺「石庭」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E5%AE%89%E5%AF%BA
Computational Analysis of Ryoanji Garden. By Gert J. van TONDER, Nonmember, Yoshimichi EJIMA, Member
 (Graduate School of Human and Environmental Studies, Kyoto University, Kyoto-shi, 606-8501 Japan),
and Michael J. LYONS, Nonmember (Media Information Science Laboratories, ATR, Kyoto-fu, 619-0288
 Japan).・・・

(関連情報1)

評者: 福岡伸一/朝日新聞掲載:2013年06月02日/ラマチャンドランのピークシフト仮説、ミラーニューロン、
連想・・・ cf.川畑英明著『脳は美をどう感じるか』(ちくま新書)
 
脳のなかの天使著者:V.S.ラマチャンドラン(インド出身のアメリカの神経科医、心理学・神経科学者)出
版社:角川書店 https://book.asahi.com/article/11630859

◆脳のなかの天使 [著]V・S・ラマチャンドラン

ルリボシカミキリの青を、私は限りなく美しいと感じるが、ルリボシカミキリ自身は、仲間の背中の模様を、私が
感じるように感じてはいない。おそらく彼らにはそれは青色ですらない(虫は色彩をもたない)。美とは一体何だ
ろうか。この思考実験からわかるように、美は客観的な存在ではなく、私たちの心の作用としてある。美術家の森
村泰昌は、芸術の本質は「まねぶ」ことにあるといった。まねすることは学ぶこと。

意外なことに、脳科学の進展は、芸術家の直感と極めて近いところに焦点を結びつつある。本書は、ベストセラー
『脳のなかの幽霊』の著者が、美の起源とヒトの脳の特性を縦横無尽に論じた最新作。読まずにはいられない。

美を感じることは、生物学的に根拠がある。生存に必要なことを自然界から抽出する操作として。青に美を感じる
のは、海や大気の色だから。ダイヤモンドの輝きが美しいのは、水の反射を想起させるから。

その抽出方法を、著者は美の原理を順に挙げ論じていく。ひとつは単離。複雑なものから輪郭、色、形状、動きな
ど少数の要素を取り出してみせること。もうひとつはピークシフト仮説。単離されたものがもつベクトルをさらに
頭と大きな背の盛り上がりが見事に誇張されている(ピークシフト)から。ピカソの絵が破調に見えて、なおそこ
に美があるのも、それが天才による極端な単離とピークシフトだから。

ではなぜヒトは自然からことさら美を抽出する必要があったのか。進化の光を当てると見えてくる。ここからが本
書の核心部分。それはある光景を思い浮かべるとき、実際にそれを見ているのと同じ体験が可能だから。バーチャ
ルリアリティーによってリハーサルできることがリアリティーと直面したときの準備を与え得るから。

著者はここに、近年の脳科学の最大の発見、ミラーニューロンを結びつける。この神経細胞は特定の動作をしてい
るとき活性化されるだけでなく、その動作を他の個体が行っているときも同じように活性化する。いわば「まねぶ」
の回路。この回路を脳の他のしくみと連携させたおかげで、ヒトは遺伝子の束縛から脱し、サルと袂(たもと)を
分かって短期間のうちに文化と文明を築き得た。 

[山下篤子訳、角川書店・1995円/V.S.Ramachandran神経科学者。カリフォルニア大学サン
ディエゴ校の脳認知センター教授及び所長。ソーク研究所兼任教授。共著に『脳のなかの幽霊』、著書に『脳のな
かの幽霊、ふたたび』など。]

・・・「脳」の究極の謎に挑む/ミラーニューロン [レビュアー]鈴木裕也(ライター)ラマチャンドランは、
詩人・ランボーや音楽家・リストなど、芸術家には共感覚の持ち主が多いことから、考察をさらに深めていく。そ
れが、人間を人間たらしめている言語や芸術と、脳の仕組みや働きとの関係につながっていくのだ。その鍵を握る
のがミラーニューロンだという。サルにもあるこのニューロンがなぜヒトで高度に発達したのか。その推論の過程
こそ、まさに本書の読みどころ。まるでミステリー小説を読むかのような「謎解きの快楽」の連続である。本書で
提示される考察は、どんなに確からしく感じられようとも、あくまで推論である。文中には「かもしれない」「可
能性がある」「ひょっとすると」などの語が頻繁に現れるが、もどかしさは微塵も感じられない。もっとも、これ
以上先の「真実」は知らなくてもいい「神の領域」なのかもしれない。
https://www.bookbang.jp/review/article/30038
 
(関連情報2)「福岡伸一の動的平衡論」なる、「デュナミス&エネルゲイア」が共存し得る生命論 https://www.asahi.com/rensai/list.html?id=205 ( 画像は、
https://note.com/masuko_megumi/n/n457129905a33より)
 
第5回 京都大学―稲盛財団合同京都賞シンポジウム「生命とは何か?それは動的平衡」福岡 伸一 
2018年7月22日

 (潜性イノヴェーションの契機2)

(1)「バーラインの覚醒ポテンシャル」と「中庸の重要性」の発見

・・・美術作品や自然景観などから受け取る「見かけの上で比較的わかりやすい具象ないしは抽象的なイメージ」
よりも、やや見かけの上でわかり難い(あるいは、かなり分かり難い)、別に言えばより抽象度が深い「バーラ
インの覚醒ポテンシャル↓★」と呼ばれる感性的なゾーン(見る人の快感を最大へと導く覚醒の度合いを客観的
に測る実験から得られた概念)が存在する。

・・・心理学者バーラインは、「単純さ、複雑さ、新しさ、馴染み深さ」などの感じ方について、それらとの親
近性の上昇に伴う覚醒水準(快感、つまり心地よさを感ずる程度)が逆U字カーブを描くという実験の結果を導き
出しており、それによると中程度の緊張状態(つまり、中庸な程度)のものが一番好まれる(最高値を示す)こ
とが知られている(以上は、三浦佳代著『知覚と感性の心理学』‐岩波書店‐ 
https://www.iwanami.co.jp/book/b259450.html より)
★覚醒ポテンシャル(カナダ出身の社会・実験心理学者、バーラインの覚醒水準モデル:Daniel Ellis Berlyne
/1924‐1976)https://en.wikipedia.org/wiki/Daniel_Berlyne
・・・
 ・・・美術における、新たな美的価値の発見/抽象性“指標”のサンプリング(参照:川畑秀明『脳は美をどう
感じるか』‐ちくま新書‐)・・・

・・・「バーラインの覚醒ポテンシャル」の具体例・・・

●モンドリアン/ピークシフト・プロセスへ向かう意識の流れの発見
 
モンドリアンの直線と色彩(生得的解発機構に基づく感情(生理学的本能)における高度な報酬系またはピーク
シフト・プロセスへ向かう意識の流れの発見Susanne Deicher/Mondrian: 1872-1944: Structures in Space
 (Basic Art Series 2.0)Köln : Benedikt Taschen2015 
・・・
ピークシフト、対称性など自然界に存在する要素と脳は敏感な反応関係を日常的に生起し続けている。しかし、
われわれヒトはこの素朴な反応関係で満足することは少なく、例えば「肖像画の構図」上の目の位置について研
究した米国の知覚心理学者クリストファー・タイラーによれば、多くの画家は顔の中心と肖像画の中心を合わせ
るケースは少なく、殆どが少しずらされており、どちらかの目の一つが絵の中央に描かれていることが分かった。
自然界に存在する対称性の要素が美的快感を与えることはよく知られているが、やがて同じ対称性の構図に飽
きを覚えることも事実である(以上、川畑秀明『脳は美をどう感じるか』より引用転載)。

また、ヒトの顔が全く左右対称でないこともよく知られている。アンドロイドならぬヒトの顔が左右対称でない
ことには様々な理由が考えられるが、おそらく「生命体としてのヒトの存在が内外のミクロ・マクロにおよぶ多
次元の自然エトノス環境のなかで活かされている」というリアルと関係があるのではないか?

 それは、多次元内で多様にかつ非常に複雑に結び付いた生命体であればこそ、ヒトの全要素がマシンの如く整
然と対称性を保持する、しかもそれが還元論的に、かつ「整序」(Filing System)的(重力物理学にも強かっ
た数理経済学者、ミルトン・フリードマンが好んだ言葉!)に構成されていることはあり得ず、必ずどこかで生
ずる僅かのずれや歪を環境内トータルで修正し続ける必要があると思われるからだ。
 
だから、顔の左右の造作に些かのずれがあるのは、むしろ、そのこと自体が“脳の報酬系”への刺激となって生
じる「健康、健全さ」(ひいては生命の活性化)の表れともいえそうだ。また、生命体における、これ等の生体
構成要素に関わる多少のずれの存在(結果的にそれが多様性をもたらすことに繋がる)は、それ自身が絶えず
「潜性イノヴェーション」の契機となっている可能性が高い。

・・・また、驚くべきことに約100年前のオランダの画家ピエト・モンドリアン(1872-1944)の抽象絵画では、
その「特に強調された直線と色彩の表現」(白・黒と三原色、縦線、水平線が特に重視された)が両眼視差・運
動視差などに関わる科学的な知識に基づきピークシフト効果を最大化させる工夫に取り組んだ痕跡が、近年の知
覚心理学の知見を応用したモンドリン絵画の研究で明らかとなりつつある。絵画における、このように有意なピ
ークシフト効果の発見も、それが「潜性イノヴェーション」の契機となる可能性を暗示している。

●ポラック/[中庸の重要性の発見]黄金比(誰でもが美を感じる比率とされる)と脳(島皮質)の関連
 
・・・島皮質(insular cortex)は、大脳皮質の一領域である。島皮質は脳の外側面の奥、側頭葉と頭頂葉下部
を分ける外側溝の中に位置している。島皮質は身体状態に関連する(身体感覚に関わる)情報を「高次認知と情
動の処理」に統合する役割を持つと位置付けられる。例えば、黄金比などを誰でもが等しく美しいと感じるのは、
おそらく島皮質の身体感覚(直感、気分、体性感覚、能動的感情など、いわばヒトの感情の海の世界)に関わる
作用と考えられるが、大脳皮質のなかでも、特にこの島皮質は「潜性イノヴェーション」の契機となる可能性が
高いと考えられる(画像はウイキより)。 

・・・ギリシャ・ローマ時代古典の彫刻(ヘソを中心とする上下で黄金比が成立しており、その他の細部にも同
比が隠れている)を美術の知識がない普通の人々に見せた調査(fMRI)では、黄金比が保たれた画像を見る時の
方が、そうでない画像を見る時よりも「島皮質」の活動が高まることがわかった。おそらく、それは美術の知識
がない普通の人々も等しく美しいという心地よさを感じているためと思われる(@イタリアの脳神経科学者ディ
=ディオらの調査)。なお、黄金比の他にも青銅比、白銀比、白金比、第二黄金比および先に取り上げた対称性
など、様々な知覚心理学的な効果を示す法則性が自然には潜んでいる。/@川畑秀明『脳の認知‐Japanese 
Journal of Cognitive Neuroscienc』
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ninchishinkeikagaku/13/1/13_84/_pdf/-char/ja
 
Pollock (Basic Art Series 2.0) Hardcover−April 3, 2020 by Leonhard Emmerling Koln : Benedikt 
Taschen2020 
・・・一方、20世紀アメリカのの抽象画家ジャクソン・ポロック(1912−1956)のドリップペインティング
(https://kumiko-jp.com/archives/53556640.html)には、近年のコンピューター技術と脳科学を駆使した研究
(fMRI/脳機能診断、http://cbfm.mtpro.jp/journal2/contents/assets/016030152.pdf)で、その一見ランダム
で偶然の賜物であるような画面の美的効果にはフラクタルの要素が入り込んでいることが明らかとなっている。
なお、千住博の連作『ウォーターフォール(滝)』https://www.senju-museum.jp/special/index.html もドリ
ップペインティングを駆使している(画像は軽井沢・千住博美術館より)。

・・・フラクタルは既に「(潜性イノヴェーションの契機1)−龍安寺『石庭』」でも取り上げているが、
「EEG(脳波)研究、https://www.jstage.jst.go.jp/article/biophys1961/31/6/31_6_38/_pdf」によって、複
雑さの程度を表すフラクタル指数(リアス式海岸などの自然(景観)フラクタルでは、その複雑さの次元に応じ
て概ね 1 < D < 1.3に分布する)の評価から中程度の複雑さを表すフラクタル構造とアルファ波(リラックスや
安静と関係する)の相関が高いことが分かってきた。

・・・そして驚くべきことに、近年のコンピューター技術と脳科学を駆使した研究で、ポロックの作品にも中
程度のフラクタル構造が潜むことが確認された。たとえ、それが無意識であったにせよ、ポロック芸術には
「中程度のフラクタル構造で鑑賞者にリラックスしてもらう」という戦略があったことになる。
因みに、腸壁の画像診断によるガン化の評価でも、このフラクタル指数が診断材料の一つとされており、「フ
ラクタル指数>1.50」ではガン化の可能性が高くなる。
・・・ところで、実はこの「中庸の重要性」(“複雑さのなかの秩序”の価値観とも呼ばれている/それは、
“無関心”ではなく“多くの人々が多様性を受け入れるという態度に裏付けられた中庸には、おそらく最も多
くの『潜在イノヴェーションの契機』が内在している”とも考えられるからだ!)は民主主主義の根幹に関わ
る非常に大事な問題を想起させる。それは、既に上で述べた<米国プラグマティズム(@デューイ)の伝統に
根付く「米国における二つのリベラリズムの問題(米国には、二つの異なるタイプの自由がある)」ろいうこ
と>に関わる。

(2)ゲーミフィケーションと拡張現実(AR)の問題

・・・画像は、https://www.elecom.co.jp/pickup/column/vr_column/00003/ より

・・・ゲーミフィケーション(gamification)は、一般的に「ゲームの考え方やゲームデザイン・メカニク
ス(根幹部分に関わる諸々の仕組み)などのゲームの要素を、ゲーム以外の様々な社会的な活動やサービス、
あるいは企業経営などに援用し有効にそれを利用するもの」と定義できる。Cf. https://www.4gamer.net/games/999/G999905/20181117014/
・・・また、使い方の工夫しだいでは「拡張現実」の一種がゲーミフィケーションだと見立てることもでき
るだろうが、ただそれだけのことでは済まないだろう。一方、「拡張現実」(AR)は、例えば「リアル風景に
バーチャルの視覚情報(VR/Vertual Reality)を重ね合わせて(又は付加して)表示するようなことであり、
目の前のリアル世界を“仮想的に拡張する”技術」である。

・・・更に、「ゲーミフィケーョンと拡張現実(AR)」の両者を効果的に工夫して重ね合わせると「恰もそれ
が現実的な体験(経験)であるかの如く意識させられる、全く新しい現実感覚、すなわちよりリアルに生の一
回性が実感させられるような拡張現実(AR)を出現させる」ことが可能となる。別に言えば、VRと違い、ARは
あくまで「現実世界が主体である」ということになる。

・・・少し脱線すると、リアリティは必ずしも「正しい意味での実在」とは限らぬこともあり得るから、やや
こしくなる。例えば、「今やJPNルイ16世(ゼロサムのファシスト)を自称するまで偉大化?したアベさまへ、
相変わらず多数派が忖度し続けているため(関連↓*)、今の日本はvirtualならぬnominal reality(名目的
な現実/名バカかりの現実)となっている!」という具合で、現実には、実に驚くべき事例もあり得るからだ。
ここから理解できるのは、「Virtual Reality=実在はしないが実質的に機能する意味での現実」ということ
である。

*【名目現実/Nominal Reality日本!w】しかし、各社分を併せればアベ支持4割弱(35〜40%?)で、「個
別政策“厳”批判⇔固定アベ支持」の不可解トレンドは不変!? →共同: 内閣支持率2年ぶり40%割れ
(39.4%) 黒川処分「甘い」79% 601日刊ゲンダイ #政権批判は誹謗中傷ではない https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/273932
・・・
・・・因みに、MR「Mixed Reality/複合現実」、SR「Substitutional Reality/代替現実」を含めた4種の
AI‐Reality技術「広義のVR技術」(VR・AR・MR・SR)についての委細は、下記★が詳しいので参照乞う。
★VR・AR・MR・SRの違いとは?それぞれの活用方法を紹介、
https://www.elecom.co.jp/pickup/column/vr_column/00003/

・・・ともかくも、具体的に見るとスマホのゲームアプリを使った「アニメ聖地巡礼」などのコンテンツツ
ーリズムが「ゲーミフィケーョンと拡張現実(AR)」の分かり易い組み合わせの事例である(https://animetourism88.com/ja/88AnimeSpot)。これは、スマホの位置情報を使って画面内に現実世界の
風景と仮想現実のキャラクターをいっしょに映し、恰もその場(現実)にゲームのキャラクター(つまり、
参加者自身のエージェント)がいるかのような体験ができるものである。

しかし、このゲーム感覚でのゲーミフィケーョンVRの体験はコンピュータが「独占する場(世界)ではなく、
それよりも遥かに遠い昔から我われはそれを経験している。
 
・・・1枚目は「天井桟敷」、2・3、枚目は「状況劇場」のポスター・・・

・・・それは広く考えれば映画なども其のジャンルに入れるべきであろうが、我われが、リアル時間を生身
の俳優らと対峙しつつ共有し、リアルステージと対面することになる演劇がそれである。なかでも、かつて
寺山修司が主宰した演劇実験室「天井桟敷」、あるいは唐十郎「状況劇場」等の事例を注目し、再評価すべ
きである。
 
・・・これらは、たたの前衛活動であったと見過ごしてはならず、これらのステージには、必ず「一回性の
リアル体験的な想像の世界」への入口である、いわゆる「兎穴」(ラビットホール)が仕掛けられていた。
従って、このような意味での演劇的な拡張現実(AR)空間も「潜性イノヴェーションの契機」として 重要
である(ディズニー、不思議の国のアリス『兎穴』の画像は、https://magic-c.jp/?pid=31950051y より)。

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