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タイトル:“晩秋”の南都に漂う身体化された心(唯識的エナクティヴィズム)の風景(5/n) .  2018/12/18


【“晩秋”の南都に漂う身体化された心(唯識的エナクティヴィズム)の風景】幼生期(古墳〜奈良時代)列島の住人は現代
と異なり「自分と違う存在を見ようとせぬ人々」ではなかった!(5/n)

<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2018/12/17/044810


(エピローグ)安倍晋三首相、日本会議らが必至で取り戻しを謀る戦前・戦中期「国体思想、靖国顕幽論」らの滑稽、それは
日本伝統の正統保守的なエナクティヴィズム(唯識的に“身体化された心”)の対極!喩えれば、安倍・日本会議らの脳内に
取り憑くゴースト観念!

<注6>靖国顕幽論とは?

・・・「維新政府」以降の国家経営の誤りの根本は、江戸時代前期から中期の山崎闇斎、荻生徂徠らの儒学者、あるいは本居
宣長(江戸中期〜後期)、平田篤胤(同後期/幽顕思想(顕幽論))ら国学の流れを汲む<「後期水戸学イデオローグ」が夢
想(妄想)した「祭祀と政治の一致/至高の国家的儀礼に関わる議論」の中で「愛国玉砕(散華)戦争(このみいくさ)」
(日本型聖戦論)が過剰濃縮されたことにある。

・・・平田篤胤(キリスト教、および西欧啓蒙思想も熟知していたらしい!)の「顕幽論」は、現世の殆どの人間(日本国民
を殆ど野蛮で動物的な有象無象の存在と見る)には基本的な意味での人間の権利がないとする。しかも、篤胤はこの顕幽論を
半ばジョークで創ったと告白さえしている!(苦w)そして、愛国玉砕戦(このみいくさ)で勝利し、大霊界へ昇り英霊の位
階構造に列して初めて日本国民は人間たる基本的権利が与えられるとする(関連資料:吉田真樹著『霊魂のゆくえ』(講談社)
、田中純『政治の美学―権力と表象』(東大出版会))。

・・・また、顕幽論(“靖国神社と国家神道”の中核イデオローグ)によれば、現人神とは『記紀神話の降霊(招魂)儀式で
中枢神殿(英霊が眠る靖国をこれと見立てる)の霊璽(れいじ/神や霊が宿る“よりしろ”)に憑依する神霊(エクトプラズ
ム/人霊とは異なり神格化した英霊)となる“愛国者”の意味であり、それは皇国史観に基づく天皇だけのことを指す訳では
ないとされる。

・・・どうやら、“追憶のカルトのお仲間”たちは、その意味で安倍晋三首相を天皇より上位の現人神(英霊が降霊した存在)
と見て崇めている節があり、これは恐るべき『狂』以外の何物でもない!(苦w)そして、この現人神は『世界で唯一の澄め
る“うぶすな”でできた“美しい国、日本”の国土を愛国戦争で死守する覚悟で玉砕した神霊が再び受肉する国土』と定義さ
れる。

(関連資料)<安倍晋三なる“狂”に屯する神霊愛好者らの不気味な蠢き>24/11/24 【安倍晋三総裁スピーチ】


【HD】 H24/11/24 【安倍晋三総裁スピーチ】 安倍救国内閣 国民総決起集会

  
(安倍政権の常套的な政治手法である『議事録隠蔽』、『各種偽装工作』、『ご飯論法』等の“嘘、不誠実、傲慢、確信犯

意識の三点セットならぬバカの四点セット?(w)”は脳内で観念が空転するエナクティヴィズム不在の病理)

 いま、「改憲」強行の仕掛けの一環として安倍晋三首相、日本会議らが必至で取り戻しを謀る戦前・戦中期の「国体思想」
とは、「天賦人権説」(民権論、主権在民論)の対極にある天壌無窮の現人神たる天皇を中心とする中央集権的官僚制国家
(厳密に言えば天皇を狡猾に政治利用する“悪魔的・情念的な特定イデオローグ集団に因る政治権力の恣意的強靭化”、“軍
部と君側の奸たるお仲間”が野合した特権勢力の利益にだけ好都合な官僚制国家)の建設を目指すものであった。

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 だから、それは真っ赤なウソと隠蔽、同調&忖度の強要を「打ち出の小槌」と見なす国民騙しの欺瞞であったし、彼らが口
実に利用する上代・日本黎明(幼生)期に導入された古代律令制が古代中国(南北朝時代を統一した隋唐帝国)を手本とする
ものであったことが示唆するとおり、日本古代には「国体思想」やヤマト民族意識による排外思想などは存在せず、それどこ
ろか倭国(黎明期の日本)は、東アジア漢字文化圏の一員であるという寛容な国際感覚に裏打ちされていたのだ。

そのうえ、これも彼らが日本を戦前へ回帰させるための口実とする「神格天皇制の理想」も歴史修正の意味で真っ赤なウソで
ある。それは、神道・宗教学者の小山悳子が指摘するとおり弥生〜古墳〜奈良期ごろの伝統古神道の宗教観と人間観の中核に
は「いわば正統保守(リベラル共和)的な、更に言い換えれば“現代における最先端の生命・量子&宇宙物理論にも通ずる、
非常に寛容で謙虚なスピリッツ”が存在するからだ。(出典:小山悳子『日本人の求めた元神』(日本図書センター))

 そして、同様のことは米国の宗教・神道学者トマス・カスリスも著書『神道』で述べており、それは、目下、世界的に再認
識されつつある西田哲学(西田幾太郎)、あるいはHKBモデルらを使うダン・ザハヴィらの自然科学的現象論(哲学&認知科
学の融合/現象学の前倒し”front-loading phenomenoligy)、つまり身体化された心(ますますグローバル化する社会問題等
へのエナクティヴィズム的な処方箋)と融合する方向をすら窺わせる(HKBモデルの委細はコチラ⇒ https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2018/11/12/060933)。

(敢えて日本の危機を招来する安倍晋三、日本会議ら<偽装極右派アナクロ妄想>的な異常発想の愚!)  

 なかなか厄介なことなのだが、ここで再び先にプロローグで取り上げた「身体化された心の現象学(エナクティヴィズム)
の問題を更に少し深く考えてみるべきかもしれない。それは、下記論文★によれば我われ人類が<分断の背景にあるエナクテ
ィヴィズム的な観念の不在!換言すれば“身体化された心の不在”による分断!>がなぜ生ずるのか?を真剣に考えるべき時に
なっているように思われるからだ。

 ★博士論文/エナクション(身体化された心)の現象学:身体的行為としての事物知覚と他者知覚(宮原克典東京大学総合文
化研究科学術研究員)
・・・【結論】心は〈頭の中〉にない。認知は〈頭の中〉だけでおこなわれるわけではない。file:///C:/Users/hanachannooyaji.LAPTOP-9N6G9GM9/Downloads/A32232.pdf 

 しかし、スピノザの“エチカ”の視座で考えると、今度は、同じことから分断ならぬ相対的な見方が生まれるのはなぜなの
だろうか?その逆ベクトルとの分かれ目は何処にあるのだろうか?おそらく、それは、「“エチカ”が前提するアニミズム
(汎神論)的な、自然(or宇宙)環境論的な、あるいは生命科学論的な俯瞰「意識」から生ずるエナクティヴィズムの観念が
不在」である場合は、必ず個々人のニヒルで傲慢な感情が優越することになるため分断へ走り、逆に、その意味でのエナクテ
ィヴィズム観念が凌駕すれば、その同じ個々人の精神は寛容となり柔軟な相互主観性が維持できることになるからではないか
と思われる。(神経生理学的には、そこで脳のミラー・ニューロンが重要な役割を担うことが理解されているが、委細は省略
する)。

(関連参照)スピノザの神の定義は無限がヒント!(現代における量子・宇宙物理学の先端知である“自然・生命・宇宙環境
論”に近い!)=100分de名著「スピノザ「エチカ」「第1回善悪」:はてなのBLOG“ぶぼうぶろぐ”さん、https://amagomago.hatenablog.com/entry/2018/12/12/113023?_ga=2.185988073.1794731233.1543822538-66370160.1543822538

  因みに、エナクティヴィズム的な観念の理解に役立つ生命科学論的な視点の事例として「いわゆる性の決定上のアポリアの
問題」を取り上げておく。例えば、<生物の雌雄決定では現実的にはYが君臨し過ぎている訳だが、事実上、それはX上の他の
遺伝子に張り合うべきものをYが歴史的に捨て去ってきたことに等しく、そのため、却って生命個体そのものが大きなリスクと
脆弱性(男性に特有な劣勢遺伝ファクター)を抱え込んでいる事実>についての理解が役立つかもしれない。つまり、客観的に
見れば「YとXのいずれが優越するか?」よりも、そもそもは「YとXの双方が協力し合う」方が、ある生物種にとっては遥かに
有利な選択となるはずだったのだ。そして、おそらく「事実上、Yが優越していることによる男性特有の大きなリスクと脆弱性」
は、Yの“Xより遥かに柔軟な内外の諸環境との寛容な協調性”がカバーすることでトータルの帳尻が合っていることになるよ
うだ。だから、男性がマッチョぶりなどを誇り女性を蔑視するのは非常にバカげていることになるだろう。w 

 このように、生命科学や物理学など自然科学的な先端知を人間社会(人文・社会科学分野)の問題に敢えて類比的、類推的
に思考しようとするアラグマティック(G・シモンドンの個体の哲学(コンシリエンスのジャンル))に重ね合わせて見ると、
単なる生物学、あるいは物理学などの枠に納まらない、非常に幅が広い社会的な視点(例えば、相互主観性のエンドレスの調
整を重視する民主的な社会の意義を生命論的に深く凝視することによる、新たな資本主義や民主主義の可能性についての視点
の発見)への途も大きく拓けてくる筈である。

  このような観点から見ても、第二章およびエピローグの冒頭でふれた<世界が再注視する西田哲学、あるいは伝統古神道の
宗教観と人間観の中核に潜在する正統保守(リベラル共和)的なスピリット>とは全く異質で内向的な<政治的に異常な安倍晋
三なる妖怪と、それを強力に後押しする日本会議なる偽装極右>の存在は、全地球的に被害が拡大する巨大リスク(平和憲法
放棄、アナクロ軍事大国化、巨額財政破綻、巨大原発災害etc)を自閉的かつ退嬰的に助長しつつあるという意味で非常に有害
である!(例えば、下▼の直近事例などは愚の骨頂!)

 ▼敢えて日本の危機を招来する安倍晋三、日本会議ら<偽装極右派アナクロ妄想>的な異常発想の愚!∵雌雄決定に関わる
XY論の知見に照らせば、玉砕敗戦の道の象徴たる「明治の日」を日本文化の理想!と短絡すること(過剰♂マッチョ)では敗戦
の再現が必須!⇒ 「明治の日」へ祝日法改正原案 自民議連、「文化の日」改称1213産経
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181213-00000569-san-pol

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                                                             (完)

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