メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:定常化を見据えるEU「Potenz経済学」の廻廊に無頓着な日本は・・・(4/n) .  2018/08/07


■定常化を見据えるEU「Potenz経済学」の廻廊に無頓着な日本は、“間違い&ウソ”だらけアベノミクス「男の花道」必3選論などにかまけず<将来人口/年率0.6%減の現実>直視から再出発すべき(4/n)

<注1>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180806

(エピローグ)将来へわたり持続可能な『定常型社会』への移行プロセスの設定が日々に困難化しつつある日本の危機

既に述べたとおり、A・シュッツ「人間ゆえの新たな文化創造の多様なタネとしての日常性の社会学」とK・ラワース「自然界の繁栄を支えるネットワーク(生命現象、および生物の持続生存のあり方を手本とする)」が、定常経済を具体化するとき非常に有意なヒントとなるのは間違いがない。

一方で、あるいは「定常経済」が永遠のエンテレケイアであり続ける可能性も高いが、「定常経済」には、それはそれとして、ルソー『一般意志』と同じような意味での理念的な役割が十分にあると思われる(エンテレケイアについては参照↓★)。

★Google‐Webネットワーク時代の「AI・BD‐Web情報」とリアル社会情報の根本的な差異の問題/両者はアリストテレスの潜勢態(デュナミス/dynamis)と現勢態(エネルゲイア/energeia)に対応する。なお、その潜勢態(可能性でもある!)を完全に実現して、その目的に到った状態のことはエンテレケイア(entelecheia/プラトンのイデアに匹敵する)と呼ばれる・・・、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180701 

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そのような意味で、殆どのマスメディアが相変わらず“一強政権だ!一強政権だ!”と誉めそやす安倍内閣(アベノミクス)の深奥に潜む『追憶のカルト』が、その邪悪な刃を日々に研ぎ澄ますことで、益々、日本の<持続可能な『定常型社会』への移行プロセスの設定>が手遅れとなりつつある。そもそも、今の日本は<改憲>第一主義(しかも、それは戦前型へのアナクロ退行“改憲”である!)にかまけている時間はないはずなのだ。

言い換えれば、それは、今の日本に求められている喫緊の課題が<従来型の成長の後を受ける社会構想たるべき、まったく新たな発想に基づく『定常型社会=持続可能な福祉国家ビジョン』への廻廊の設計>ということだ。しかし、我われ一般国民が、日
々、目にするのは、社会現象学者A・シュッツが指摘する<たしかな未来へ向かう“もう一つの緩やかな時間と豊潤な日常生活”>の発見どころか、<かつて政治学者・橋川文三が抉り出して見せた、異常な戦前・戦中期型のアイロニー(国賊探し、そして現実逃避(無関心への逃げ)>が拡散するばかりの悲惨な日常である(完)。

・・・なお、対処すべき仕事があり、暫く当日記はお休み(中締めと)します。再開の時期は?デス・・・

(記事への補足1)当「エッセイ/試論」についての雑感

●経済成長(人間の主観or欲望的評価の計数化たる右肩上がりGDP準拠方式)は、生命活動と同じく「熱力学第二法則」に抵抗するエルゴン(活動)であるので、そもそも論的に見れば、同じく「同法則」に抗う「生命活動のあり方」から大きく外れる。従って、GDP原理主義(永遠の右肩上がりGDP準拠方式)によるロストウ発展段階説の儘での永遠飛行はエントロピー論的にも不合理である。

●従って、地球エトノス環境(Planetary boundaries)を上限とする定常経済社会(ケイト・ラワースのドーナツ経済社会、究極ターゲットは定常経済社会)化を現在から未来に跨る最重要ターゲット(絶えざるエンテレケイア)とすべきであり、そこから逆照射すれば必然のイメージとして、EU(欧州連合)が視野に入れるが如き『展相Potenz)経済学』の廻廊(発展プロセス)が構想できることになる。

(記事への補足2)

「政治(特に日本の←補足、toxandoria)に倫理は大事なものでなくなった」ドイツの哲学者、ガブリエルさんが語る 広がる「21世紀型ファシズム」毎日新聞2018年7月6日 東京夕刊 https://mainichi.jp/articles/20180706/dde/012/040/002000c

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 「安倍晋三政権は、政治家が倫理から懸け離れてしまった現代の象徴」−−。6月に来日したドイツの哲学者、マルクス・ガブリエルさん(38)は学窓にこもらず、国際政治から脳科学、人工知能まであらゆるジャンルに切り込んできた。20代でボン大学教授となり「ドイツ哲学の新星」と呼ばれる知性が、安倍政権、社会を覆う鬱、そして理想社会を語る。【藤原章生】

 知識人を二つに分ければ、ガブリエルさんは沈思黙考型ではなく冗舌発散型だ。ひねりの利いた比喩や笑い話を織り込み、マシンガンのように言葉を放つ。直感で湧いてくる言葉が大きな刺激剤となり、聞く者に新たな考えを呼び覚ます。7カ国語を操り古代ギリシャ語など古語にも詳しく、各国の政治から環境問題、スマートフォンのゲームまで博覧強記の彼に、今の日本はどう映っているのか。

 安倍政権については一連の不祥事から政策まで結構詳しい。

 「イメージと現実。何事も二つがあるけど、私がこれから語るのはあくまでもイメージです。私から見た安倍さんは、トランプ米大統領の友人になろうとした最初の人。世界の指導者の誰もが当選直後のトランプ氏が何者なのか、この現象が何なのかわからず戸惑っていたとき、安倍さんは(2016年11月に)いち早くトランプタワーを訪ね、最初にお墨付きを与えたという印象を世界に残した。その点が際立っている」

 大統領候補にすぎなかった時代は距離を置き、当選するとすかさずすり寄る。ちょっと恥ずかしい振る舞いだが「大事なのは実像ではなくイメージ」とガブリエルさん。「彼は日本人の多くがこうした行動を好むとわかっていたのでしょう。米国のストロングマンというファンタジーに近づくことで、安倍さんは『極めてパワフルな男』という自分のイメージを売ろうとしたのだと私は思います」

 パワフルがなぜ大事なのかといえば「権威主義的なリーダーという印象を国内外に植えつけられるからです」と言う。

 広辞苑を引くと、権威主義とは<もっぱら権威(人を服従させる威力)に価値を認める主義。権威をもって他を圧迫する態度や行動としてあらわれる>。

 「例えばトルコのエルドアン大統領は(03年に首相に就任以降)権威主義のイメージを広めた。経済はガタガタなのに、彼はそのイメージで何とか長期政権を保っている。安倍さんも着実に権威主義モデルに向かっている」

 ロシアのプーチン大統領ら権威主義的リーダーが目立つ現代は「ムソリーニによるイタリアのファシズムとよく似ている」と言う。時代のファシズム性については、作家の辺見庸さんが06年、私とのインタビューで当時の小泉純一郎首相をファシスト
と呼び「ファシズムは独裁者が生み出すものではない。ある日、ふと気づくとかすかに変わっている空気。人々の仕草も行動も一見同じなのに、何かが変わり、もう後戻りできないかすかな変化」と説いた。

 これに対し、ガブリエルさんは、ムソリーニ時代、建築から芸術、法制にまで及んだ「未来志向」を強調する社会運動「未来派」をキーワードに「21世紀型ファシズム」を語る。「未来は過ぎゆく時間の一部で、中身のない幻想です。ファシズムはこの幻想で大衆を動かす。つまり、未来を目指すなら、現在は悪であり、今のルールを壊さなければならないと国民を誘導する。これは今の日本のみならず世界に広がっている動きです」

 「戦後レジームからの脱却」「日本を取り戻す」という言葉も確かに、幻想のように響く。

 政治スキャンダルをいくら重ねても政権が崩れない現状は「まさにファシズム的統治の成果」だとガブリエルさんは言う。

 「21世紀型ファシズム以前の政治家には、国民の反発、デモに対する恐怖があったが、その感覚は弱まっています」。日本の一連のスキャンダルは「無責任」という言葉で読み解かれることが多いが、ガブリエルさんはそれを「倫理」で解く。

 「有権者はかつて、倫理を備えたリーダーか、そういうふりをする指導者を求めてきましたが、最近は政治にとり倫理は大事なものではなくなった。典型がトランプ、安倍政権です」

 なぜ問われないかと言えば、「古い価値観を捨てなければラジカルな未来は開けないという絵空事のような言葉が、人々の倫理を鈍らせるのです。安倍政権は経済を安定させれば政権は揺るがないとわかっている。政権の中身がどうあれ、どれほどスキ
ャンダルが続こうと、権威主義、強い男のイメージが備わっていればなんとなく支持されると。ただし、経済が傾けば、もともとイメージだけなので、崩れるときは早い」

スピード社会は我々を壊す

 社会のムードについても聞いてみた。今年邦訳が出た13年の著書「なぜ世界は存在しないのか」(講談社選書メチエ)に現代社会の抑鬱性に触れたくだりがあった。職場でのうつ病発症は増え、バブル崩壊以前に比べ、社会全体が鬱っぽくなった印象が確かにあるが、「これは先進世界共通のことだ」とガブリエルさんは言う。

 英国の経済学者、リチャード・ウィルキンソンさんらが6月に出版した「インナー・レベル」(未訳)は、世界中の統計を駆使し、富や機会の不平等が高まるほど社会全体のストレス、うつ病発症が高まると説く。主因は経済の低迷、縮小ではなく、格差にあると。

 一方、ガブリエルさんは「スピード」をキーワードに「鬱社会の成り立ち」を解く。

 「社会のシステムが一つの目的に向かい、一定の速度で動いているときはいいのですが、目的が失われたとき、システムそのものが壊れ始める。それが鬱です。個人で言えば、鬱は自分にあらがう力、ネガティブ思考で、これがときに自殺やひどい惨事を招く」

 成長を目指した社会が、経済の停滞で目的を疑いだし、逆向きの力、つまり鬱が社会に広がったということなのか。「日本の資本主義は世界でも最も速い社会システムの一つで、見事なほど完璧に組み立てられ、成長をもたらしてきた。今も日本人が時間に厳しいのは礼儀正しさではなく、資本主義からきたものです」

 経済は低迷してもスピードだけは変わらない。速すぎるスピードの中で一瞬、個人は内省する。そのとき個人の精神はぼうぜんと取り残されるか、システムに逆行する。だから個人が鬱に? そういぶかるとガブリエルさんはぱっと「サラリーマン」が憑依(ひょうい)した口調で、一人語りを披露する。

 「会議はなく、地下鉄に乗ることもなく、メールも電話もする必要がなく、何かに応える心配もなく、ジムにもディナーに行くこともない。そして、内省したとき、自分の思考が自分自身に反発してくる。それが鬱の要因です」

 そして、冗談交じりの口調で続けた。「だからスマートフォンがはやるのです。抗うつ剤のようなものです。地下鉄でもどこでも指先を動かすのは、内省から逃げている。精神が自分を食い尽くそうとするのを必死に防いでいる。スマホに没頭することで、鬱と戦っているのです。もしスマホがなければ人々は即座に鬱になる」

 「スピード」にとらわれた人々の一種の強迫観念とも言えそうだ。「すでに十分あるのに高速で生産し続けなければ立ちゆかない。そんな社会システムは間違いであり、それは我々を壊し、先にあるのは虚無だけです」。無限の創造性を備えた各自の脳を駆使することで「間違いを認め、そこから脱却しよう」というのが彼の訴えだ。スマホをやめろというのではない。自分たちの強迫観念を自覚せよということだ。

 ギリシャの映画監督、故テオ・アンゲロプロス氏が11年、当時ローマ特派員だった私のインタビューで謎めいた言葉を残した。「今は未来が見えない。誰もが大きな待合室でチェスをしながら、扉が開くのを待っている。中には扉を壊そうとする者も
あるがすぐには開かない」。最後にこのセリフを紹介し、ガブリエルさんに「扉の向こう」に何がなければならないのかと問うと、「面白いね」と言いながら即答した。

 「あるべきものがある。人間を壊さないモデルだ。今はどんな政治問題も一国だけのレベルでなく世界の問題だ。気候変動も不平等も。扉の向こうにあるのは不平等解消のあるべき姿だ」

 ガブリエルさんは全員に最低でもそれなりの額の収入を与えるベーシックインカム(最低所得保障)に加え、「マキシマムインカム(収入の上限)」が必要だと説く。「金をいくら稼いでも個人の楽しみは限られている。例えば月額50万ユーロ(約6
000万円)を上限にする。共産主義になれというのではない。資本主義下でできる話です。国レベルでも世界レベルでも今の不平等は過去最悪。今の民主主義の危機もポピュリズムも権威主義も全て、不平等の問題からきている。扉の向こうにあるのは、
それを乗り越えた新たな社会モデルだ」

 その理想に至るのは革命的な激変ではない。「じわじわと時間をかけて人の精神が変わっていく」とみている。「北欧などにはそれに近い考えがあるし、日本は今でこそ格差がひどいけど、かつては収入格差が極めて小さい良き価値観を備えていた。日
本がモデルになれるかもしれない」。半分冗談っぽく、それでも何かに挑むような真剣な目で笑った。

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