メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:幕末「普遍の自生史」隠蔽は正統保守に非ず、・・・(4/4) .  2018/03/09


[情報の評価]幕末「普遍の自生史」隠蔽は正統保守に非ず、松陰「白日」の削除を謀るアベ独裁は戦前構造災の再来/敗
者と異論への寛容(思想)の回復が必須(4/4)

*お手数ですが当記事の画像は下記URLで御覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180307 

(エピローグ)“日本型構造災”克服のため、特に国民が覚醒すべき<ホッブズを超えた「敗者の論理」(エトノス観に因る
限定合理主義)>の意義

・・・現下の<アベ問題=戦前型“偽装極右/追憶のカルト”の再来>に潜むもの、それは兆民、諭吉、透谷、漱石らが発
見した、<勝者の論理に潜在する「耐性の欠如」が助長する「構造災の膨張」>という恐るべき超リスク・・・

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西郷隆盛「征韓論」の真意の解釈に関わる議論の決着はついていないので、それはともかく置くこととすれば(関連参照⇒ http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180107 )、「明治六年(1873)政変」 のあと、維新政府が讒謗律と新聞紙条令で新
聞の口封じと国民の目隠しを謀った歴史があることを先ず想起すべきだ。

これは、勝者たる維新政府の主流派が、西郷の「征韓論」を力づくで抑え込んだため政府首脳である参議らの半数と軍人、
官僚約600人が職を辞した、後の「西南戦争」(明治10年(1877))の原因となった事件であり、同戦争で敗れた西郷らは政
争の敗者であることが確定したが、問題は、それに止まらない。それは、この事件こそ<政府内の政策論争の勝者が寛容な
「思想」ではなく、「特定イデオロギー」で政敵と国民一般を軍事・官憲力を使ってでも強権的に折伏し制圧するという戦
前日本政治の悪しき伝統>の嚆矢となる事件であったからだ。しかも、何を血迷ったのか?安倍政権は、目下のところこの
“戦前日本の悪しき伝統”の取り戻しに必至である。

そして、そのような強権政治の第二弾が「1881年(明治14年)の政変」であり、それによって吉田松陰らによる血みどろの
努力の中から奇跡的に自生していた<「白日」(普遍)の発見という歴史事実>が巧妙に隠蔽され、代わりの「ダミー市民
宗教(顕密二元論)」を掲げることで、恰も当時の日本で理想の先進的な民主主義制度が実現するが如く偽装した歴史があ
ったことは、既に書いたとおりであ。

他方、この「政敵と国民一般を軍事・官憲力を使ってでも強権的に制圧するという戦前の日本政府の政治手法」に対し、政
治哲学、政治思想、芸術・文学活動などの各分野で熱心な批判活動に傾注したのが、中江兆民(明六社での人権思想普及活
動、政権中枢の井上 毅らとの交流努力)、福沢諭吉(“瘦せ我慢の説”で人権論を展開)、北村透谷(政治権力者による
優勝劣敗(格差必然論)を一種の御都合主義!と見抜いた)、夏目漱石(維新政府が主導する文化政策の軽薄さを作品で厳
しく批判!)らである。

ところで、彼らに共通するのは、主権者・一般国民に必須の「感情の政治学」の発見ということだ。言い換えるならば、そ
れは“思想とイデオロギー(勝者側の圧倒的で激烈な一人ヨガリ感情の敗者への強制、つまり被支配者側に対する一方的、
又は独裁的なそれの押し付け)は異なる!”という「厳然たる目前の現実(リアリズム)」についての<一般国民レベルの
共有感情に基づく気付き>である。

ヒトラーにせよ、スターリンにせよ、安倍晋三にせよ・・・<余りにも理不尽でホッブス的な暴力闘争の渦の中での勝者の
一人ヨガリ感情に囚われた異常論理>に共通するのは<「耐性の欠如」と、「格差(優生学的な優勝劣敗)を当然視」する
非科学的な意味での致命的欠陥が潜んでおり、戦前の日本では、それが<ダミー市民宗教たる「顕密二元論システム」(密
教的な“天皇の政治利用”)>という圧倒的な一強支配イデオロギーの形となり日本全体を支配し、日本国民を無謀な侵略
戦争へと煽り立てた。

そのような意味でのアナクロ感情による支配体制を取り戻そうとする安倍晋三、日本会議らの暴政へ対抗し得るのは一般国
民の覚めた私的感情(維新政府が隠蔽を謀った水平的な共有感情に因る主権者意識)と、<江戸プロトモダニティー等の伝
統文化に関わる再評価に基づく正統保守の価値観こそが欧米リベラル共和主義と共鳴するという確固たる自律思想(イデオ
ロギーに非ず!)の発見!>ということである。

Cf. 真っ赤な嘘と傲岸不遜の塊が安倍の正体!その恐るべき資質上の欠陥<耐性の欠如>こそ前代未聞の国難!https://www.evernote.com/shard/s440/sh/097b3564-35cd-4813-b2b7-9026e3c9ab17/66843b8e7c83f6a6b0fcf9d5b8bb5d9a  

・・・歴史経験と文化の積み重ねだけから学び得る寛容(トレランス/宿命的な魔性の封印・制御)は、リベラル共和を成
熟させてきたオランダ・ベルギー(旧フランドル)の歴史に学ぶべきことの再発見が重要でhttp://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080127、実は、アメリカにもその大きな可能性が潜む。それがコンシリエンスとエ
トノス観に基づく一種の限定合理性(ネオ・プラグマティズム)への気づきということ!・・・

イデオロギーの押し付け合いを巡る「戊辰戦争」的な意味での抗争(これまで述べてきたとおり、明治維新政府は“戊辰戦
争が実は国家主権(ここでは単純に勝者を意味するものではなく、リベラル共和、天賦人権論的な意味での主権者の意味!)
を巡る激烈な抗争であった”)の歴史は、<ダミー市民宗教「顕密二元論システム」(密教的な“天皇の政治利用”)>を
創造した日本史だけの専売特許と見るのは誤りである。

それは、例えば19世紀半ば(ほぼ日本の幕末期ピークの頃に重なる/1853ペリー来航、1858日米修好通商条約、1858−59安
政の大獄)のアメリカでも、事実上、当時のアメリカの勝者の立場(北部が名実共に勝者となるのは、米国史で最大の62万
人の戦死者を出した南北戦争の後だが)であった「北部」の内部にも“近未来の合州国の主導権を巡る抗争が、いわば「主
に経済的な理由で南部・奴隷制を支持する一派」と「それに対峙する反対(連邦主流)派」による激烈な分断の結果として
のイデオロギー抗争があったからだ。

因みに、南北戦争から約70年後に世界経済恐慌が起こり、それから約80年後にリーマンショックが起きている。更にその10
年後、南北戦争から約150年後に当たる今のアメリカではトランプ大統領の下で、恰も南北戦争のデジャヴの如き一般国民の
間での「分断」が起きており、その背景は全く異質ながら、幕末の終焉(明治維新)から150後の日本でも<アベ一強なる
「ダミー市民宗教/異常イデオロギー顕密二元論」の取り戻しを謀るアナクロ権力>を巡り、一般国民が深刻な「分断」の
脅威に晒されている。

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ところで、「幕末的思考」(みすず書房)の著者・野口良平氏が中心となり翻訳したルイ・メナンド著、野口良平・那須耕
介・石井素子訳「メタフィジカル・クラブ」(2011刊、2001原書/みすず書房)という注目すべき本がある。これは、ルイ
・メナンド(英米文芸・言語学、ハーヴァード大教授)の初邦訳であり、『思想は決してイデオロギーに転嫁してはならな
い』という重要な殆ど経験的な信念の提示である。つまり、それは「南北戦争」への反省(クラブメンバーが身近に見聞した
“過酷な戦争のリアルに対しては如何なるイデオロギーも無力であり、無意味化する”ことへの気付き)に立脚し、若き哲学
者たちが興したプラグマティズムの思想が、いかにして米国精神の礎石を築きあげたのかの緻密な論証と描写となっている。
この本は米国研究の要であり、ピューリツァー(歴史部門)賞を受賞している。

監訳者の野口良平氏によれば、これは「広い意味での形而上学(メタフィジカル)への批判」(このクラブの名は形而上学
を客観視する目的で付けられている)―既存のイデオロギーやアカデミズムのあり方の検証−への志向であり、それは言い
換えれば「人間同士の感受性や価値観の違いと、お互いの自由への顧慮」を最重視すべきであり、“これは一般的に常識化
しているプラグマティズムの理解とは異なり、それは目先の実用主義や産業・市場原理主義とも異なる一種の『エトノス環
境』観(関連参照⇒ http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20171109 )に基づく限定合理主義の立場ということ”である
(“・・・”の部分は野口氏の直接的な言及ではなく、toxandoriaが解釈的に補足したものである)。

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このルイ・メナンド「メタフィジカル・クラブ」が指摘する内容との絡みで、いま最も注目しているのはW.V.O.クワイン
(1908−2000/米国の哲学者・論理学者で、20世紀の哲学者の中で最も影響力のある人物の一人/オランダ系)のネオ・プ
ラグマティズムであるが、残念ながらスペースの限界があり、その委細は又の機会とする。その代わり、クワイン哲学のエ
ッセンスと見るべき内容を以下★に記しておく(クワインの画像は
http://www.kyotoprize.org/laureates/willard_van_orman_quine/ より)。

★クワイン哲学の最も肝心な部分を記述した“くだり”があるので、中山康雄著『科学哲学』(人文書院、p88)から下に
引用・転載する。委細は省くが、この非常に謙虚で、かつ融通無碍(“オバートンの窓”
 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20171109的な意味で)なクワイン哲学(そのネオ・プラグマティズム)の核心は、「ル
ソー市民宗教の欠点」(関連⇒(1−2))を補う可能性があるのではないか?とさえ思われる。・・・《この全体論のイメ
ージを提示する際に、クワインは次のようなメタファーを用いている。すなわち、地理や歴史から物理学や数学、論理学まで
に至る私たちの知識や信念の総体は「周縁部(フリンジ/fringe)でのみ経験と接する人工の構築物」ないしは「境界条件が
経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされるのである。この描像の下では、理論(あるいは“思想”としてのイデ
オロギー)と合致しない観察結果が得られたときに生ずるのは、なんらかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題
に割り当てられていた真理値の再配分なのであり、そこには多くの選択の余地があることになる。(言い換えれば、本物の
“思想”は無限の可能性が絶えず拓ける状態にあることになる!←補、toxandoria)》

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<補足1>W.V.O.クワインの「要素還元主義」批判に基づくネオ・プラグマティズム

・・・自然における階層性を認めたとすれば、上位階層で成立する基本法則とそこに用いられる基本概念は、必ずそれより一
つ下位の階層において成立する基本法則および基本概念に翻訳あるいは書換えが可能であると考える立場のこと(出典:http://urx.nu/7qAh )。

・・・そこで、まずクワインは「具体的経験とアプリオリ命題」で現実を完璧に分析できるとする手法の限界を指摘する。次
に、数学と論理学の厳密な体系の上で真実の姿をただ一通りに捉えることはどんな認識・言語をもってしても不可能であるこ
とを証明し、非常に人間的で謙虚な科学哲学を構築した。

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・・・因みに、論理偏重ではなく、現実(因果)を重視する科学哲学、つまりこのようなクワインのネオ・プラグマティズム
の観点からすれば、日本原子村の傲慢(https://twitter.com/shinkaikaba/status/968198238959382528)のみならず、オラ
ンダ(欧州)モデルと真逆の裁量労働制・拡大や高度プロフェッショナル制・導入(いずれもヒト労働力の余りにも単純な
道具視であり真のプラグマティズムとは無関係!)、又はシンギュラリティ万歳!(最強の科学技術基盤出現と、到来する前
特異点/内閣府経済財政諮問会議:齊藤元章@PEZY Computing/(株)et.al., http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/2030tf/281003/shiryou5.pdf )、果ては日本核武装論までひけらかしネトウヨらを煽り立てる安倍晋
三首相のトンデモ日本国家主義を信奉する輩の独善的イデオロギーは、とても近代国家の知性主義的態度とはいえず、非科学
的・非民主主義的・反知性主義的なカルト、魔術・妖術、高々で幻影・手品師マジックの類以外の何物でもない!)

<参考>トランプ現象で分断化!に見える米国だが、過半超の人々は「メタフィジカル・クラブ」(定説ではなく、ルイ・メ
ナンドが指摘する真のプラグマティズム精神(一種の限定合理主義)に覚醒している!?

◆目玉を自負する税制改革(法人税減税)も不支持が多く、トランプ支持で比較的“高い”と言えるのはテロ対応と僥倖の好
況「経済」だけ!「北・財政・移民」ら関連の政策はメタメタ!; Trump Rated Best on Terrorism, the Economy; Better 
on Taxes Gallup 

http://news.gallup.com/poll/228149/trump-rated-best-terrorism-economy-better-taxes.aspx

◆【トランプ“教師の銃武装による反撃”法整備論(一種のアベに似た狂信観念への遁走)がプラグマティカルに徹底批判さ
れるのは必定!】一方で、近年における銃保有世帯の割合は著しく低下している! ⇒ 米、やまぬ乱射と銃自殺/保有数
の削減、一歩ずつ223日経/FT  

https://twitter.com/shinkaikaba/status/967114379236802561 

◆【過半超の米国人は自動運転車に懐疑的!】More than half Americans Hit the Brakes on

Self-Driving Cars/10 million self-driving vehicles will be on the road worldwide by 2020,

http://news.gallup.com/poll/228032/americans-hit-brakes-self-driving-cars.aspx 

◆【ネット上の個人情報保護の新トレンドから取り残される日本!】早くもEUでは、20180525にGDPR(The General Data
 Protection Regulation)が施行されるが、同様の動きはEUや中国だけでなく米国を始め世界中に広がりつつある。https://www.ipa.go.jp/files/000064473.pdf https://twitter.com/shigejam/status/965026468467126272


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<補足2>【動画】世界トレンドと真逆の「身の程を忘れつつ“デジタル専制”&“出口を見失ったジャブジャブ金融拡
大”(AIシンギュラリティ金融工学ほか)へ溺れる儘の安倍政権下で日本が世界で孤立する懸念を論評した注目すべきTV
番組!/20180302BS11オンデマンド/寺島実郎《未来先見塾》―日米株価乱高下の理由―ゲスト:白井さゆり(慶應義塾
大学総合政策学部教授)http://vod.bs11.jp/video/insideout-miraisenkenjyuku/20180302/ 



(Appendix)

当記事のなかで、文脈に応じ折りにふれ参照してきた『幕末的思考』、『メタフィジカル・クラブ』の二冊は、一読した
だけではとても汲めども尽きぬほどの非常に豊饒な視野を与えてくれる優れた本である。ので、参考までとして下に“み
すず書房”の案内文を転載の形で紹介しておく。

なお、共に“みすず書房”刊であり、前者は野口良平氏の著書、後者はルイ・メナンド著の原書を野口良平・那須耕介・
石井素子の三氏が共訳したものである(監訳:野口良平氏)。


・・・

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幕末から明治への列島の歩みは、暗から明への昇華ではない。それは、列強による開国への圧力を前に、尊皇攘夷から尊
皇開国への転向とその隠蔽、新政府の正統性の急造を伴いながら、慌しい近代国家建設を余儀なくされる過程であった。
しかしそこでは、植民地化への危機感と理不尽への抵抗を糧に、普遍的価値のうえに新社会を構想する思考が、徒手空拳
で模索されてもいた。中国や西欧からの輸入ではない、この国に地生えの思考が育まれる契機は、しかし、生みの親でも
ある対外的「危機感」に圧迫され、皇国主義イデオロギーの席巻という試練のなかで影を潜めていった。帰結の一つは、
現在も続く第二極の不在である。

本書は、「明治維新」という事後的な枠を通しては見えてこないその思考――幕末的思考――の系譜を、吉田松陰、中岡
慎太郎、坂本龍馬、福沢諭吉、中江兆民、北村透谷、夏目漱石、朝河貫一、中里介山らに辿り、その画期性を歴史の行間
にあぶりだした精神史的試論である。松陰の「やむにやまれぬ大和魂」の射程、中岡と坂本の連携を支えた地べたの普遍
感覚、私情こそ公的なものの源泉であると見た福沢や、後発近代社会こそが民権論を実践できるという兆民の価値転倒の
試み、『こゝろ』で「先生」の殉死に託した漱石の抵抗、介山『大菩薩峠』が描く明治がこない世界――。

彼らの未成の思考を紡ぎ直すこと。その今日的意味の切実さを、幕末の人びとの経験は我々に教えている。

・・・

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南北戦争は連邦存続と奴隷解放のために戦われたと理解されがちだが、実際はイデオロギー対立の殺し合いによる解消と
いう側面が強い。62万の戦死者を出して維持された連邦、民主主義とは、一体何だったのか。

この反省に立脚し、現代に至る米国精神の礎石を築いた若き哲学者たちがいた。後の合州国最高裁判事オリヴァー・ウェ
ンデル・ホウムズ、心理学者ウィリアム・ジェイムズ、論理学者チャールズ・サンダース・パース、教育学者ジョン・デ
ューイである。ときに反目した彼らの思想は次の一点で一致していた。すなわち「思想は決してイデオロギーに転化して
はならない」。

彼らは米国の近代化に大きな役割を果たしただけでなく、教育、民主主義、自由、正義、寛容についての米国人の考えを
変えた。その思想「プラグマティズム」胚胎の場が「メタフィジカル・クラブ」――形而上学批判の意味を込めて命名さ
れ、彼らが集った議論集会であった。本書は、歴史上に一瞬あらわれたこの幻のような集会を象徴的中心として、
米国100年の精神史を見事に描き切っている。米国研究の要として名高い、現代の古典である。

フランシス・パークマン賞(Society of American Historians)、ピューリツァー賞歴史部門受賞。『ニューヨーク・タ
イムズ』紙ベストセラー。

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