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タイトル:明治150年の“あるべき”眼目はその前の江戸プロトモダニティの発見!・・・(3/3)  2018/01/07


[希望のトポス]明治150年の“あるべき”眼目はその前の江戸プロトモダニティの発見!それは東アジアで圧倒的な存在感を示
す日本法学アカデミズムの土壌/が、今や『詩織さん事件』がその信頼性を崩壊させつつある!(3/3) 
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180107

<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180107


3 世界との関連性を十分に意思しつつ「共和国たる20世紀中国」の憲政をめぐる歴史を俯瞰すると、「“日⇔中憲政”交流
史」に透ける日本「法学」の影響力の大きさが浮上する


・・・特に日露戦争前後から日中国交正常化ころまでの中国近現代史を俯瞰すると、<維新期〜戦前の国家主義・立憲主義の
混在⇒戦争直前期〜戦中・国家主義の暴走⇒戦後立憲主義の苦闘、その日本政治の全過程を清濁併せ呑み凝視してきた中国>が
理解できる! ・・・


(先ず日本国民が自覚すべき“日⇔中/憲政”交流史に透ける日本「法学」の影響力の大きさ)


f:id:toxandoria:20180106171659j:image:w200:right周知のとおり、吉田松陰の尊皇攘夷思想は明治維新期〜戦前軍国主義日
本、そして現在の安倍政権と、そのシュゴシン(守護神)たる日本会議の極右的スタンスに至るまで深く影響してきたという
のが一般的理解だが、近年の日中関係史研究の中から、このことについて根本的疑義を突きつける事実が発見されている(出
典:王暁秋著、木田知生訳『中日文化交流史話』―日本エディタースクール―)。


それによると、林則徐(英国の植民地主義へ抵抗した清朝の官僚)らとも親しかった魏源は、アヘン戦争後の中国で新思想の
提唱者として中国人に対し「世界に目を開かせる」役割を担った知識人の代表者である。魏源の著書『開国図志』と『聖武
記』は佐久間象山(尊皇開国派)・吉田松陰(尊皇攘夷派)ら幕末日本の知識人へ大きな影響を与えており、これが彼らの尊
皇開国、尊皇攘夷思想の基盤を作ったと考えられる。


おそらく明の時代まで遡る日中間のかなり色濃い文化的な双方交流の関係に加え、ほぼ明治維新期に重なる清朝末期(清滅亡
・宣統帝退位は1912(明治45)年)以降は、植民地主義化した日本から中国に対する外交・政治的な関りが増すことも周知のと
おりである。そして、ポスト日露・日清戦争あたりから、国力が弱体化する一方の中国に対し日本からの外交・政治的な圧力
が更に強化されることになり、これが爾後の反動、つまり過剰な中華ナショナリズム形成の契機となった。


と同時に、この頃の清国の王朝(光緒帝)は、中国が歴史的に多民族で構成されてきたという宿命から、新たな「中華民族
の概念」を創造しつつ自らの国を近代的な意味での国民国家へ変容させるという非常に重い課題を突き付けられていた。こ
のため、先ず京師大学堂(1912年以降は北京大学)の整備をバックとするアカデミズムと教育の改革に着手していた。


このような状況下で中国に対する日本側からの政治とアカデミズムが混交する形での影響力(個々の良し悪しの問題はさて
置くとして)が増すことになったが、特にそれを大きく憲政史の観点から凝視することが重要と思われる。この「日・中両
国を巡る一種のグローバル」史を考察する場合に特に見逃せぬ点として、中村元哉氏(津田塾大学教授/既出、『対立と共
存の日中関係史/共和国としての中国』の著者)は下の二点を指摘している。


(1)憲政の土台となる、律令に因る人治から法治化へ転ずる試みは間違いなく清朝に始まった。それは、治外法権(不平
等条約)の撤廃という政治上の要請に基づき法制の近代化が待ったなしだったからだ。そして、その最大の功労者は清朝末
期の法学者・沈家本(しんかほん)で、彼は司法の独立を期して特に刑法典「大清現行刑律」の編纂に尽力した。このため、
1940年代までには、刑法と民法を区分する六法によって支えられる近代法制へ置き換えられた。


(2)この時代の清朝は、およそ40〜50年くらい西欧文明を先行して受け入れた日本を成功モデルと見なしており、主に日
本経由で西欧に関する諸情報を取り入れ始めた。それは、清朝からすれば民族・風土・地理学的にコンパクトで効率的な
(既述の“二つの江戸プロトモダニティ”までがリアルにその視野に入っていたか否か?は未検証であるが/補足、
toxandoria)、しかも同文同様の(古代以来という意味で歴史的に漢字・中国文化を深く共有する)日本は最適のモデルと
見えたからである。このため、日清・日露戦争から日本留学ブームが始まっており、清朝の近代化に不可欠な新しい概念
(特に社会・法制・憲政関連の)が日本語(日本で創られた漢字、いわゆる国字)を介して次々と導入された。

・・・立憲民主主義国家の「憲政の構築に不可欠な用語」に絞ってみると、中国へ西欧的な新しい概念を伝えた日本語(国
字/和製漢語)の事例は下記(⇒)のとおりである。特に「法学」分野を中心とする日本アカデミズムの存在感は圧倒的な
ものであったことが分かるが、見逃せないのは同様の傾向が共産党一党独裁下にある「中華人民共和国」となった現在も続
いていることである。

 ⇒ 社会、権利、議会、憲政、憲法、共和など

・・・なお、「国体」なる和製漢語も日本から中国へ導入(逆輸入)されたが、このコトバの当初の意味(概念)が日本と
中国では決定的に異なっていたことに注意を要する。明治憲法下の日本では国柄(国の形を天皇の身体と同一視する曖昧で
特異な神権政治的概念)と同義、つまり万世一系の現人神たる天皇が統治する皇国の意であった。今の憲法学では国の主権
のあり方(君主制or共和制)をさし、主権の運用の違いとしての政体(専制or立憲)と区別する。他方、20世紀 初頭の中国
(新政(中華民国と清朝の並立)時代の清朝末期)へ移植された(統治権の所在と最高機関の所在が曖昧のまま、国の形の
意味として)コトバ、国体はやがて中華民国(1911・辛亥革命、1912・孫文〜)初期の<「国体」論争>のプロセスで、権
力の暴走を防ぎ得る後者(最高機関の所在)の概念として定着するかに見えたが、その後はあまり中国では使われなくなっ
てしまった。


(中国における日本『法学』アカデミズムの圧倒的な存在感の中核は美濃部達吉(戦前)と横田喜三郎(戦後)を介した
「純粋法学」(ケルゼン)の影響力) 


このような意味での中国における日本「法学」アカデミズムの圧倒的な存在感の中でも絶対に見逃せないのが美濃部達吉(戦
前)と横田喜三郎(戦後)を介した「純粋法学」(ケルゼン)の影響力の大きさである。しかも、それはある意味で現在の共
産党一党独裁下にあるはずの人民共和国でも同じことが言えると思われる(この問題意識は、既出、中村元哉・著『対立と共
存の日中関係史/共和国としての中国』の重要な論点の一つである)。


そこで、先ず現代においても世界の大勢で理解が共有されている、『法学』アカデミズムにおける「純粋法学」(ケルゼン
(Hans Kelsen)/1881 1973/オーストリアの公法・国際法学者)の重要性について中村元哉氏が同著書の中で書かれている
部分をそのまま以下に転載しておく。


・・・ケルゼンの純粋法学理論とは、規範と事実を峻別する新カント主義の二元論を背景にして法学に倫理的価値判断や政治
的価値判断を混在させることなく、実定法のみを取りあげることを主張した理論である。実定法そのものを純粋に認識しよう
とした彼は、規範概念によって国家理論や法理論を構築しようとし、規範こそがすべての上位に位置する原理だと捉えた。こ
の純粋法学は根本規範を頂点とする法の段階説を導き出し、法の最上位に位置し蓋然性を規定する憲法も根本規範によってそ
の妥当性を獲得する、とした。以上のような法学、政治学、行政学の新展開のなかで、中国の憲政の準備は進められて行っ
た。・・・


f:id:toxandoria:20180106173842p:image:w300:left・・・[補足、toxandoria] → 倫理的価値判断については、昨今のAI
進化あるいはコンシリエンス(人文社会・科学両知の融和傾向)の深化とそのカバー領域の拡大で、今や法に限らぬ凡ゆる分
野で古典的なそれとは異質の発想が求められる時代へ入ったとはいえ、人類の存続そのものが完全に絶望的とならぬ限り、一
定の理想を目的とする蓋然性が大きい『憲法』の規定についても、それがケルゼン理論的な意義を失うことはないと考えられ
る。/関連で、ヒトが生きる意味そのものを冒涜する典型(アンチ・ケルゼン)と思しき、シンギュラリティ―信仰的、ない
しはトランプ流のコントラリアン(逆張り)思考的な空気に毒された?と思しき人物、ピーター・ティールに関して“他山の
石”的な興味深い情報があるので、下記★も参照乞う!・・・


★ピーター・ティールがトランプを支持する本当の意味-テクノロジーが「政治」(それを統制すべき役割の法はおろ
か?!)を飲み込み始めたJun. 10, 2017松島倫明(NHK出版/学芸図書編集部編集長)<注>ピーター・ティールは「ペイパ
ル・マフィア/シリコンバレーで数々の有名企業を立ち上げる天才起業家集団」の中でドンと呼ばれており、リバタリアン
(共和党右派シンパとされるが、厳密には、諸悪の根源が政府による規制(法に基づく)にあるとする、“貧困問題などへ
の着眼は良しとしても、実はいとも容易く戦争はおろか政治権力の暴走へ従属し易い、ご都合的orクローニー(お仲間)式
の過激ビジネス自由原理”主義)であり、かつ熱烈なトランプ支持者。https://www.businessinsider.jp/post-3426 


・・・


同じく中村元哉氏によると、そもそもは儒教の人治主義一色に塗り込められてきた中国を根底から変革して個人の自由を確
保しようとした陳独秀が1915年に上海で開始した「新文化運動」(文化革命)の思潮がその受け皿となったのだが、先ず清
末〜民国(中国大陸にあった中華民国)の時代にかけ一貫して注目され続けたのが日本の美濃部達吉であった。やがて、そ
の影響もあって清末から受容されていた大陸法系の行政法学が1910年代の中国でも主流を占めることになる。


その後、英米法などとの論争の時代を経たうえ、東京帝国大学に留学した法学者が美濃部達吉を基盤に中国の行政法学を
1920年代の後半に中国で確立した。この学説に対する高い評価は満州事変以降も続き中国の憲政思潮に対する日本の影響が
強く残り続けることになる。しかも、日中戦争が近づく1930年代になっても美濃部学説は高く評価され続けており、当学説
を含む日本の行政法学が中国の行政法学を此の1930年代にこそ基礎づけたのである。


1940年代の戦時になると流石に日本の法学の影響は薄れたが、その流れの過程で日中両国の司法には意外な関係性が生まれ
てくる。戦前の中国の法学会はケルゼンの純粋法学を中国流に受け入れようと努力したが、意外なことに戦時期に入っても、
今度は同じくケルゼンを紹介する横田喜三郎『純粋法学』(岩波書店、1935)の翻訳を法学者・劉燕谷(りゅうえんこく)
が完成させており、それを戦後に再版して、純粋法学を正しく中国に定着させようとした。


更に、このように日本を介し全面的に紹介された純粋法学は、戦後の中国の憲政実施の準備と合さるかのように、韓徳培ら
によって肯定的に受容された。特に、韓は純粋法学を全面擁護して、これを全ての法学者が拠って立つべき出発点だと高く
評価した(韓徳培『ケルゼンと純粋法学』ほか)。彼は、戦後中国の自由主義思想を代表する『観察』誌で自由を訴えた
法学者であり、共産党の一党独裁下で成立した中華人民共和国(1949〜 )の時代になっても、武漢大学で国際法学者とし
て活躍した人物である。


中村元哉氏によれば、ケルゼンの純粋法学は政治的な法学支配に対抗し得る法理論であり、凡ゆるイデオロギーを批判する
性格を持っている。そのため、これは驚くべきことだが、それからやや後になるが人民共和国成立後の「新民主主義」段階
(1945〜1952年頃まで中国共産党の路線でもあった毛沢東の指導体制/主要政敵の崩壊が主たる目的の中国人民協商会議・
綱領に因るものであるが、曲がりなりにも共和国を名乗る必要性から、この綱領は民主主義の名を冠している)から「反右
派闘争」(1957.6〜年末にかけて中国で行なわれた右派分子に対する思想・政治闘争)の時代に至るまで、ケルゼン関係の
著作は細々ながら広く翻訳され続けており、その影響力は、解放後のグローバル市場世界に愈々本格的に、しかも今度は十
分に全世界に対して責任を持って参加せざるを得なくなった現在の中国にも、何らかの影響を与え続けている。


(“人類文明の行く末、そして世界の流れ”との関連性の俯瞰から浮上する、日中“憲政”交流史に透ける日本「法学」の
影響力の大きさの背景にあるのは同じ漢字文化圏、同文同様の思考世界における日本文化への高い評価ということ)


・・・しかし、今や『詩織さん事件』なる蟻の一穴が日本法学アカデミズムの信頼性を根こそぎ崩壊させつつある!・・・


ポーランドの偉大な経済学者、オスカル・ランゲが理論的に証明していること(ランゲ・モデル(1))を引き合いに出すま
でもなく、既にエトノス環境(2)における運命共同体であることが市場経済的にも実証されたといえるこのグローバル世
界が、今や原理主義的な意味での共産主義などの社会・経済に関わる特定イデオロギーやアナクロ極右化の類の固定観念の
支配下に収まるほど単純でないことは周知となっている((1)、(2)については下記を参照)。

(1) ⇒ http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20170320 、

(2) ⇒ http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20171109


他方、中村元哉氏が著書『対立と共存の日中関係史/共和国としての中国』の中で繰り返し指摘されているとおり、特に
20世紀の中国史を共和国の歴史(つまり憲政史)として描写すると明らかとなる「殆ど運命共同体の如く対立と共存の
関係を持続させてきた日本と中国」という構造の発見はなかなか一般的には、殊に肝心の日本政府関係者(厳密に言えば
安倍政権の)らにとっては理解されにくいことのようだが、一般国民は薄々ながらこのことについての自覚が芽生えつつ
あるかに見える。


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そして、このことは直近の世論調査の結果が暗示している。それは、「いくら安倍首相が固い決意を表明しようとも、改
憲を急ぐべきではない」という意識が日本国民の約7割を占めていることである(添付画像)。これは、おそらく日本国
民の殆どがその深層心理と重なる部分で「日本会議に主導された“追憶のカルト”式、アベ改憲の危うさ」(記事の冒頭
でふれた維新期の征韓論を淵源とする侵略主義が狂信・暴走化した“追憶のカルト”についての委細はコチラを参照⇒http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20170104 )を直観しているからだと思われる。


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問題は、<「戌笑う」と改憲決意!戌年の今年こそ憲法のあるべき姿を!>と年頭に発言した、安倍首相の<国民の最大
の懸念をすら笑い飛ばす驚くべき軽薄さ、というより実に不快なミスマッチ異物感がムンムンする、そして恰もそれが不
気味に湯気立つような不潔感にある。アベ流の軽薄さ、つまりこの臭い立つ汚物感の如き下品なノリが罷り通ることとな
り、やがて<何でもポケット《AIシンギュラリティ》時代に相応しく“めっちゃ”インスタ映えする《ドラえもん式アベ
改憲2018》の汚名が歴史に遺ることになるのだろうか?(添付画像)


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振り返れば、中国が日本の法学アカデミズムを高く評価しつつ中国が美濃部達吉(戦前)と横田喜三郎(戦後)を介した
「純粋法学」(ケルゼン)の影響力を持続的に受け入れ、しかもその影響力は今も続いており、それが習近平政権の未来に
さえ影響する可能性が高いという現実が観察される土壌には、同じ東アジア文明・漢字文化圏で同文同様の思考形式(文
化意識)を、おそらく古代史以来の悠久の時間の過程で共有してきたという歴史的なリアリズムがある。


従って、いま何よりも懸念すべきは『追憶のカルト』の妄想に突き動かされるままに、国民の意思を無視するか、あるい
はそれを凡ゆる手練手管を繰り出して誤魔化しつつ、安倍政権が自らとそのお仲間らが望む方向へ改憲をゴリ推すことだ。
それは、既述のとおりの極東地域における植民地争奪戦という過酷な“近代史”の悪しき余韻を、その余韻の儘に止める
どころか、再びその悪夢をリアル国際政治の場で蘇らせ、東アジアに止まらぬ全世界からの<戦前型日本リバイバルへの
警戒心>を取り戻してしまう恐れがあるからだ。


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因みに、一見では全く異次元の出来事のように見えるかもしれないが、<日本メディアの沈黙を傍目に各国の主要メディ
アが急に次々取り上げ始めたためグローバルに公然化することで、あの「詩織さん事件」なる日本政府(安倍政権)が
公式に?に隠蔽したアベシンパ・ジャーナリストによるレイプ犯罪のリアルが今や全世界向け重大ニュースとして拡散中
という異常事態>が日本人そのものを深く傷つけつつあると見るべきだ。いわば、それは安倍政権下で起きつつある此の
余りにも理不尽で動機不純な<レイプ型「改憲」>の実像と「詩織さん事件」が深部共鳴することで、世界中からより厳
しい警戒の視線を浴びられることになるのは今や時間の問題!と思われるからだ。


この「詩織さん事件」なる日本政府によって公式に?隠蔽された女性ジャーナリストへのレイプ犯罪は、只の日本政治
(安倍政権)の異常性の指摘という範疇に止まることはあり得ず、アナクロ日本会議(靖国顕幽論)の画策の下で安倍政
権が推し進める<レイプ型「改憲」>への暴走、つまり「アベ一強アナクロ政権への日本司法の過剰忖度問題の公然化」
と深く重なり合うことで、当記事の核心である<日本「法学」アカデミズムへの高い国際的信頼性の伝統>が根こそぎ崩
壊しつつあるかに見え始めている。だから、これは東アジア漢字文化圏のみならず世界中の民主主義と共和政国家の損失
であり、全世界的な危機でさえある!


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従って、このような時であるからこそ同様に悠久の時間(日本側からすれば広義の日本の古代化(日本国の幼生期)以来
の時間)を刻んできたユーラシア大陸の東端に跨る広域文化圏であるとの意識(それこそが、東アジアで圧倒的な存在感
を示す日本法学アカデミズムの土壌であった!)を深耕させることが最も肝要となる訳だが、残念ながら、ここでその先
を書き込むスペースはない。そこで、注目すべき歴史学者・深谷克己氏(早大名誉教授)の著書『東アジア法文明圏の中
の日本史』(岩波書店)から、関連する部分を下に引用することに止めることとしたい。


・・・社会が政治的支配・被支配ではなく長老・祈祷者などの経験知と託宣に導かれ、集団の合意によって行為を決定
する「運営社会」から、特段の有力者か少数上位者の意思で左するか右するかを指図する「政治社会」へ変化すること
が「古代化」である。中でも日本史では、当初から東アジアの「古典古代」を継受するという(自意識を持つ)大陸諸
王朝群の更に周辺に位置して、かつ王への上昇を欲求するいくつもの集団(日本列島でいえば渡来系、倭人系の諸豪族
から成る数多の集団)が一段上へと争闘を繰り返し鬩ぎあう地域であったため、国際的な力が往復的に働く中で消長し、
長い時間を要した古代化となった。・・・(途中、略)・・・そのような意味での「古代化」は数世紀にわたる長い過
程であって、初めから「日本国」だったのではない。「別れて百余国」と記された時代から奴国・邪馬台国等の小国あ
るいは連合国時代を過ぎて何世紀も後に東アジア法文明圏(中国冊封圏)において承認される「国号」として「日本」、
「日本国」が称され始めた。日本列島にはなお独立性の強い広大な政治的勢力、部族社会が各地に跋扈しており、それ
らに対抗しつつ幼生期の日本国は国際関係において優越した地位を得たということである。・・・


・・・また、古代以後にも、広い範囲の「唐物(からもの)」文物の渡来は留まることがなかった。ことに古代の「日
本国幼生期」に、東アジア古典古代を継ぐ中華王朝の政治文化を吸引し続けたことによって、「外来文化の影響」を超
えて、自らの「体質」(特に日本的と見なすべき超個性的な中華帝国よりも或る意味で高度化し洗練された体質)に近
い域にまでそれが進んだ。最初に吸収したものから更に二次的に紡ぎ替えて日本風になった事物も数多くあり、身辺化
して派及が気付かれなくなっているものさえあるが、それらが日本の政治文化の「基層」の構成要素となったと言って
もいいくらいである。・・・(完)

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