メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:M.アンリ『情感の現象学』から見える『感情の政治学』の可能性(その四)  2017/11/12


[希望のトポス]愈々、グローバル新自由主義に置き換えるべき「感情の政治学」が必須の時代へ(2/2) M.アンリ『情感の
現象学』から見える『感情の政治学』の可能性(その四)

<注記>お手数ですが、当記事の画像は下のURLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20171109 


(エピローグ)愈々、グローバル新自由主義に置き換えるべき「感情の政治学」が必須の時代へ/日本で『感情の政治学』を正
常に起動・生起し持続させるための条件


(1)『感情の政治学』を成立させるためのベーシックな視点


結局、H.アーレントが『人間の真理』を実現するための<活動力>探求のプロセスで已む無く巻き込まれて行った<ハイデガー
らの「大文字の“生”の摂理(エトノス&コギト両者の内)に潜む魔術(悪魔)的な闇」>と<ヤスパースの倫理観(小文字の
“生”を未来へ繋ぐための絶えざる“リベラル共和”「生起」への意思(“生”へのアフェクト))>との狭間で体験した<ア
ーレントの激烈な葛藤の物語>の教訓は<エトノス&コギトの主要成分であるゾルゲ(気遣い、思い遣り、関心)をめぐるゲー
テ「ファウストの悪魔」(自己意識の内容(コギタートゥム)の中核に潜む前意識の闇)と、リベラル共和主義の擁護者として
のアレント自身の究極の闘いであった>ということになるのではないか。


しかし、このゾルゲ(クーラ/参照、プロローグ)をめぐるゲーテ「ファウストの悪魔」(自己意識の内容(コギタートゥム)
の中核に潜む前意識の闇)との究極の闘いは、ひとりH.アーレントに止まるものと見るべきではない。それどころか、それは特
に“アベ一強政治権力”なる『感情の政治学』的な背理に苦渋する現代日本の国民一人ひとりに関わる肝心要の問題と理解すべ
きである。


逆説になるが、今の苦境下に置かれた我われ自身の日々の生活こそが、愈々、これから日本でも『感情の政治学』が重要になる
という問題意識のベースとなり得る稀少なリアル歴史経験であるので、これを奇貨として活かすべきなのだ。なお、『感情の政
治学』の著者・吉田徹によれば、『感情の政治学』が成立する要件には、「化」(どのように政治に関わるか)、「間」(関係
者の政治で、現代世界を席巻する新自由主義の政治を置き換える)、「群」(群れて行動する)、「怖」(恐怖がそもそも存在
した場所)、「信」(なぜ政治に信用が必要か)の5つのポイントがある。


(2)2017「衆議院議員選挙」の結果から見えてくること(『感情の政治学』的な診断)


そこで、ここでは直近の衆議院議員選挙の結果を参照しつつ、当記事の主要な論点である「ゾルゲ」(気遣い、思い遣り、関
心)をキーワードに『感情の政治学』の切り口から見た<現代日本政治の喫緊の課題>を具体的に摘出しておく。


f:id:toxandoria:20171109121708p:image:w450:rightf:id:toxandoria:20171109121552p:image:w430:right

それは、長らく<一強体制>を誇ってきた<安倍自民党政権の国民(国民主権)に対する「気遣い、思い遣り」の決定的な欠
落>が、<約半数の「国政選挙での無関心層」(常在棄権層)の固定化>を更に強化し、結果的に<国民の期待と安倍政権側
の意思との間に生じた深い溝が折角の高額な600億円もの巨額を投じた選挙を介しても一向に埋まらず、却って、益々、その亀
裂が深刻化するばかり>という異常な病理に嵌っていると思われるからだ。 


f:id:toxandoria:20171109121855p:image:w270f:id:toxandoria:20171109121942p:image:w550:right

そのため、国民意識の深層では非常に不健全なルサンチマン(折あらば、せめて《もはや不可抗力のアベ一強》に代わるetwas
(何か)に対し仕返しをして鬱憤を晴らしたいという不健全な怨嗟の感情)のマグマが煮えたぎり始めている節がある。そこ
で、押さえておくべき重要な一つの視点がある。それは、ナチス登場の場合など実に唾棄すべき不都合な悪用のケースがある
ものの、ポピュリズム自体は必ずしも「悪」ではないということだ。しかし、トランプと安倍晋三なる“今を盛りの“らぶら
ぶ”・カップルと見なすべき二人のポピュリスト”は、そのナチスそっくりの実に唾棄すべき不都合なポピュリスト性(戦争
・御仲間&クライエンテリズム嗜好)という点で、気が合っているのではないか?と思われる。

・・・Cf.【小池百合子、前原誠司の失脚の裏に米国政府 在米日本大使館の内部文書入手〈週刊朝日〉】1108AERAdot. http://urx.blue/GX2h 

:総選挙後、在米日本大使館がまとめた内部文書を本誌は入手した。《改憲勢力が発議可能な3分の2を確保した総選挙結果は
米国には大歓迎の状況だ。むしろ米国が意図して作り上げたとみていい。民進党を事実上、解党させて東アジアの安全保障負
担を日本に負わせる環境が改憲により整う非常に好都合な結果を生み出した》そして《日本が着実に戦争ができる国になりつ
つある》と分析。こう続く。《米国には朝鮮有事など不測の事態が発生した時に、現実的な対応が出来る政治体制が整う必要
があったが、希望の小池百合子代表が踏み絵を行ったのは米国の意思とも合致する》(以上、部分転載)

f:id:toxandoria:20171109123804j:image:w200f:id:toxandoria:20171110105921p:image:w300:right

そこで、ヤン=ヴェルナー・ミュラー著「ポピュリズムとは何か」(岩波書店 2017)について松岡正剛氏(松岡正剛の千夜
千冊、http://ur2.link/GSuh)が、トランプ・安倍晋三の両者のポピュリズム性について書いていること(両人のポピュリズ
ムは、全体論(holism)に憧れ、「残余なき全体」を標榜しているという点でナチズムと同じ!とも指摘している)が的を射
ており面白いので、下に部分転載しておく。  

f:id:toxandoria:20171109124258p:image:w300:rightf:id:toxandoria:20171109124406p:image:w300:right【安倍政権が“大衆
恩顧主義&お仲間意識”クラスタ集団であることの証拠は加計・森友だけに非ず、例えばCJクールジャパン(現状:開設4年目
の全投資24件の過半が赤字等で事実上の失敗!戦略不在でお仲間だけが膨張!)その政策全般が、ひいては今や日本全体と日本
資本主義トータルがその業病に冒されている!】大衆恩顧主義&お仲間意識⇒http://ur2.link/GSuh、1106日経記事http://urx.blue/GUgD /2013年以降設立、官民ファンド14の委細はコチラ⇒http://urx.blue/GUgO 


《本書は2016年夏の、トランプがまだ大統領になっていなかった時期の著作だが、ポピュリズムが本来の社会的多元性を蝕む反
多元主義(antipluralism)や、政治家がご希望の注文に応じてみせる大衆恩顧主義(mas-clientelsm)にもとづいていること
を証してみせた。ドナルド・トランプはこう主張した、「ただひとつ重要なことは、人民の統一(the unification of the 
people)である。なぜなら他の人々(the other people)はどうでもいいからだ(ナチズムと同じ!/補、toxandoria)。また、
恩顧主義(クライエンテリズム≒お仲間意識”クラスタ集団”化)とは、庇護者(パトロン)になりたがる政治家が業界団体や
職能団体や地方コミュニティをクライエント(顧客)として、さまざな政策的サービスを供給することをいう。安倍晋三が加計
学園と特区を重ねたやりかたはクライエンテリズムの典型だった。》


ところで、そもそも政治権力の行使にあたっては、その支配体制(王制、独裁君主制、立憲議会制など)の別を問わず、権力側
の権威維持のためにも最終的には国民の総意が納得したという<オバートンの窓(委細、後述)を介した国民総意(民意)の承
認という形式>を取ることが必ず必要であり、その意味でのポピュリズムを含めて考えれば、立憲議会制国家の「選挙制度」不
備で生じた<安倍自民党政権による、国民の預託意思とギャップがある安倍一強体制の出現=日本民主主義の形骸化(名バカり
民主主義化)/20171103BS11・寺島実郎『未来先見塾』>という無残な姿は余りにも異常である。


f:id:toxandoria:20171109124745p:image:w360f:id:toxandoria:20171109124821p:image:w360

上の画像は、【20171103BS11・寺島実郎『未来先見塾』の動画、http://urx2.nu/GPux】より部分転載したものだが、これに従っ
て「アベ一強下で名バカり民主主義国家と化した日本病」の病原体が浸潤・転移した箇所(●)を以下に整理しておく。先ず、
今の病状を総括的に診断すれば<絶対得票率(有権者総数を分母とする)17〜18%台の自民党が、約61%の議席を絶対的に占
有し続けているという大矛盾>が『日本の国政選挙の欠陥』を証明している、ということだ。


以下●の状況も併せ見れば、より明快に理解できるのだが、毎回、約600億円もの巨費(血税)を投じつつ《“政権側の悪事
(犯罪政治)”の禊だけを目的とする、只のお祓い儀式化した、しかも「仕組み(制度)上の作為で捏造されるに等しい“何で
も横ばい”なる国民意思(約半数が常在無関心化!)をただ確認するだけの“欠陥”国政選挙》を、十数年にわたり漫然と繰り
返し続けてきた現代の日本は一体どんな民主主義国家なのだ?という思いが高まるばかりである。


●2014対比で、2017(今回)の投票率は何ら変わらず53%前後、横ばい

・・・委細は省くが、実はその前との対比でも殆ど変わっていない(以下、同じ)。つまり、日本の国政選挙では約5割の棄
権層(無関心層)が定着するという悪しき現象が見られる。


●自民党・得票率(比例区)も、約33%で推移しており、投票率と同様に横ばい


●自民党・絶対得票率(有権者総数を分母とする)は17〜18%台であり、横ばい


●自民党・議席占有率も、約61%で変わらぬ傾向であり、横ばい

・・・これに公明議席が加算され、与党が約2/3を占める傾向も変わらず、横ばい


●党別の比例区得票率から見えてくること

・・・与党45.8%(自民33.3+公明12.5)、リベラル派29.5%(立憲19.9+社民1.7+共産7.9)、維新(極右)6.1%、希望(旧
民進、ヌエ的存在?)17.4%中道?極右?/よって、これら極右系野党(維新、オール希望?)が与党側へなびけば現代日本フ
ァシズム体制が一気に実現する可能性が高まる!が、これが国民のリアル総意(預託意思)と言えるのか?


f:id:toxandoria:20171109125418p:image:w300

・・・因みに、絶望に墜ちたと揶揄されながらも約1000票の得票を確保した“ヌエ的存在”と見るべき希望(旧民進)が、今後
の改「改憲」動向に大きな影響を与えることが垣間見える。

[Cf. Twitter/<共同世調/希望の党支持層、約1千万の8割=安倍政権の憲法改正に反対http://urx3.nu/GPOx>Vs<内閣支
持率54%に上昇/憲法に自衛隊明記、賛成44%で反対を凌駕1103日経>は、愈々メディア絡み<“真実Vsフェイク”「国民意思」
争奪戦>開始の意味!?http://urx3.nu/GPOy]


国民の意思、先の寺島実郎氏(『未来先見塾』)の言葉で言えば“国政選挙における国民の預託”を<ダンテ《神曲》の地獄・
煉獄ならぬ《欠陥国政選挙の空焚き地獄》>へ押し込め、そこで国民のルサンチマンが内向・鬱積して高圧化するに任せて無責
任に放置する、見て見ぬふりをするという日本政治の姿は、最早ただの欠陥選挙制度と言うよりも“国政選挙に名を借りた、れ
っきとした一種の国策犯罪行為”と見るべきであろう。


しかも、この“国策犯罪行為”の理不尽については政界、司法界、財界、労働界、メディア界、アカデミズムら日本のリーダー
たる、いわゆる知識層の人々は殆どが重々承知のことであるはずだ。しかし、寺島実郎氏らごく少数の例外を除いて、この種の
批判(危機感の披歴)は殆ど耳にすることがない。


そのため、この欠陥選挙制度を自らのための奇貨とすら見なす特権階層・既得権益階層あるいはアナクロ極右派(日本会議な
ど)を代弁する現下の政治権力側の意思(ハッキリ言えば身勝手な悪意とお仲間意識!)は、このような“極悪犯罪的な政治”
の深刻な余波を各方面へ波及させつつある。そして、それは特に日本の近未来を担うべき若い年代の国民層の選挙行動におい
て観察される。


例えば、今回の衆議院選挙でも“約6割!の無関心層”を除く“18〜29歳・青年層”の約4割強が熱烈な安倍自民党の支持者
であることが分かったと一部で報じられているが、それは“無関心層”込みの全体比(同年代の有権者総数を分母とする)で
見れば、何のことはない、矢張り、おそらくそれは高々で16〜17%程度に過ぎない、と推計される。


つまり、日本の青・少年層は、立派な?大人達の投票行動を上回る健気さで?その悪しき大人たちの選挙行動を手本としつつ
ソックリもの真似をしていることになる。しかも、彼ら若年層の“棄権層(無関心層)”の割合は6割に達しており、それは
大人達の平均5割の常在「無関心(棄権)層」を遥かに超えている。これを、<日本民主主義の危機!>以外に何と呼べば良
いのか?


f:id:toxandoria:20171109125608p:image:w300f:id:toxandoria:20171109125653p:image:w300

しかし、既に海外メディアからは、この日本の欠陥選挙制度を放置することについて厳しい批判の報道が出始めている(添付
画像は、その事例)。これもガイアツに頼るしか解決の途がないと言うのだろうか?


(3)『感情の政治学』を起動・生起させる第一の条件は、欠陥「選挙制度」(衆議院の“小選挙区比例代表並立制”および
世界に類例がない高額な“供託金制”)の改革


[欠陥「選挙制度」(衆議院の“小選挙区比例代表並立制”の改革]


・・・先ず「欠陥選挙制度」を改革し、『感情の政治学』の舞台である<オバートンの窓>を開き、国民意思をエンドレスに
生起させる環境を整備することが肝要・・・


この問題と関連して注目すべきは、第二章『・・・小森謙一郎『アーレント最後の言葉』が示唆する、“感情の政治学”の現
代的意義・・・』で書いたとおり、H.アーレントの<『人間の真理』を実現するための活動力の定義>である。アイヒマンの
「悪の陳腐さ」についての批判をベースに書いたとされるアーレントの著書『精神生活』における《考えることの大切さ、思
考の大切さ》についての論考のなかに初めて登場している。


つまり、日本の「欠陥選挙制度(国民の意思が正統に得票率に反映されない“欠陥”選挙制度(特に衆議院・小選挙区比例代
表並立制)」が<オバートンの窓(Overton window)>を閉じており、このため『約半数の棄権層(無関心層)=《考えること、
および思考の大切さ》を忘れた無感動で無“感情”な人々』を日本社会の中に固定化・常在化させるという、民主主義国家に
は全く不適切な、日本の近未来にとって、実に深刻かつ不幸な事態を出現させている。


それは、今まで見てきたことから分かるはずだが、特にM.アンリ『感情の現象学』とH.アーレント『精神生活』が明らかにし
たとおり、実は個々人の《考えること、特に論理的・批判的に考えるアフェクト(志向意思)》が深く“感情の海”に根差す
ものであるからだ。


f:id:toxandoria:20171109125931p:image:w300:right国民全体の広大な“感情の海”(国民意識の中核と深層で“共‐パトス”
化する超越論的情感性)と絶えず共鳴しつつデリケートに開閉する<オバートンの窓>は「現時点における一般世論の中で、
ごく自然に受け入れられ得る政策領域の広さ、あるいは担当政権による諸政策の受け入れ易さの度合い」を示す“相対概念”
(絶対的かつ客観的に計測可能な広さを持つ“窓”に非ず!)で、これが相対的に広く大きいほど、多数派国民から正当視さ
れ、かつ実現可能な政策の数が多くなる(画像はウイキより/関連⇒http://ur2.link/GRNa)。


[世界に類例がない高額な“供託金制”の改革]


・・・世界に類例がない余りにも高額な日本の“供託金制”の実情と、その改革が必要であることについての委細は下の記事
▼を参照乞う・・・


▼20170930my−evernote《供託金問題/日本は民主主義国家に非ず!》http://ur2.link/GSiC 


供託金の問題は、共謀罪、文書管理法の問題と共に日本の民主主義(厳密には、国民主権に基づくエトノス・パターナリズム
型(http://urx.red/GT7D)の統治の根幹であるが、メディアが殆ど真剣に取りあげないこともあって、一般的に関心が薄い。
第三者機関のチェック、裁判所(司法)の意識改革らと連動した、市民・国民自身の覚醒が全てのカギとなる。


そして、その核心部分は、「日本国憲法:第四十四条」の<「両議院の議員及びその選挙人の資格は、人種、信条、性別、社
会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない」の“誰でも選挙に出馬する事が出来る”との主旨>が名
目だけになっており、もっぱら既存政党にとり有利で、供託金を上げれば上げるほど無産者層らの新人をリアル政治から排除
できるという、非民主主義(非共和主義)的で国民分断的な制度となっている。


(補足)SNSの「狭隘クラスタ化(マイナス感情の濃縮効果)」で「自己意識(コギト)の深層(コギタートゥム)に潜む
“悪魔(魔術)的な闇の成分”」が顕現リアル化するリスクへの対応が必須


<注>当論点は、『政府がツイッターの規制検討へ!座間の事件を受けて閣僚会議!/http://ur0.work/GYlb』に隠されてい
る“政府の意図”云々とは別次元の<既存メディアのジャーナリズム意識の問題>である。より具体的に言えば、既存メディ
アが『感情の政治学』に関わる意識を持っているか否か?ということであり、チャンス到来!とばかりに速攻で安倍内閣が持
ち出した<短絡的なSNS規制論>はナンセンスである。


f:id:toxandoria:20171109130337p:image:w335f:id:toxandoria:20171109130409p:image:w300f:id:toxandoria:20171109130
445p:image:w300:right

このジャンルのテーマは、必然的に、これから益々SNS等の利用方法が多様化する時代の主要メディアのあり方に深刻な影響を
与えることになると考えられる。例えば、添付1〜2枚のTw画像の対比でわかるのだが、ヘッドラインや論調しだいで同様の調
査「データ」から、あるいは質問方法の差異や煽りの有無などに因って殆んど真逆の結果を導く様な傾向が観察されている。
また、添付3枚目の画像は主要紙のヘッドラインを並べて見たものだが、これは今回の総選挙で主要メディアがアベ様へ過剰
に“忖度”した可能性が高いことを如実に示唆している。

なぜなら、それは「論理判断、アフェクト(善と悪が共有する±のベクトル意志)あるいはヤスパースが一つの理想形を体現
した寛容かつ倫理的で人道的な価値判断と批判力)」といえども、M.アンリらの現象学的に見れば、矢張り、これら全てが深
い『感情の海』に浮かぶ現象であり、しかも、それは薄氷を踏む思いで絶えざる“生”の生起を選択する『感情の政治学』で
支えるべき、非常にデリケートな問題であるからだ。

そして、特にSNSらネットメディアが主観性の核心である前意識(無意識、潜在意識、大文字・小文字の『二つの“生”(参照、
第二章の<注>)』、“魔術的・悪魔的な闇の成分/権力的暴走、ファシズム、戦争、テロ、殺人、破壊願望、猟奇嗜好”)
などに対し深く強い刺激となっていることが覗われる。


f:id:toxandoria:20171109130648p:image:w450f:id:toxandoria:20171109130734j:image:w275

f:id:toxandoria:20171109130803j:image:w250:rightf:id:toxandoria:20171109130856j:image:w250:right

今年のノーベル文学賞に輝いたカズオ・イシグロ(日系・英国人/代表作:『忘れられた巨人』、『浮世の画家』、『私を
離さないで』、『日の名残り』など)の一貫したテーマは、コギト(自己意識)の核心に潜む「先反省的自己意識」(ザハヴ
ィらにとっての最大の関心事)を「記憶」の切り口にした文学的な「探求」と見ることもできそうである。


f:id:toxandoria:20171109131050p:image:w360

しかし、このカズオ・イシグロの受賞を“日本にも沢山ファンがいる!”と、速攻で称賛してみせた安倍首相は、おそらくカ
ズオ・イシグロ文学の内容など全く理解してないと思われる。他方、たまたま見聞した松江市(島根)の「小泉八雲記念館」
で開催中の企画展「文学の宝庫アイルランド:ハーンと同時代を生きたアイルランドの作家たち」http://urx3.nu/Glb8は、
ハーン文学を介して日本と西欧の記憶の古層の共鳴を探るという意味で非常にタイムリーである。

f:id:toxandoria:20171109131147j:image:w250

また、偶然に旅先の出雲(松江)で発見した、藤岡大拙著『出雲人/日本人を煮詰めると出雲人になる』(ハーベスト出版、
松江市)は、古代いらいの日本人の気質気風や言語、あるいはアニミズム的な伝統神道の独特の「宗教・文化観と記憶」の
古層が、実は、そもそも多元的な国際性に根付くものであることを冷静に物語っており、正統保守からは程遠い「日本会議、
靖国神社」らの特異性を冷静に逆照射していることが興味深く、ハーンが松江の人情と文化に深い愛着を持ったのも頷ける。


つまり、世界がグローバル市場原理主義一色に染まってしまったため、<大格差、社会の分断化>などの弊害に飲み込まれた
多くの人々がやりきれない閉塞感(あるいは感情のマグマの空焚き?)の虜となっている時代であるからこそ、人類共通の前
意識の世界に拡がる人間の記憶の闇の中に人間の真理を探る文学、芸術、文化こそが、人類共通の喫緊の課題となっている
「感情の政治学」の核心に迫り得るものと思われるからだ。 

f:id:toxandoria:20171109131239p:image:w450

ノーベル文学賞より先にウィットブレッド賞(英国・アイルランド在住作家に与えられる文学賞)を受賞したイシグロの作品
「浮世の画家」が、実は、戦前・戦中期に日本全体を覆っていたアベ的なもの、つまり<怪奇極右幻想(追憶のカルト)なる
特異な政治・宗教観念である『靖国顕幽論』>が潜む、戦前・戦中期日本人の心の闇を抉ったものである。いわば、それは妄
想的愛国心と復讐の先取りの情念に溺れる記憶の闇の奥底に揺蕩う浪漫主義でありつつも、実は、奇怪で異常な感情の流れで
あったということだ。


ともかくも、新聞・テレビ・週刊誌ら既存のマスメディアは、特に<主観性の核心である前意識の闇の部分>へ大きなマイナ
スの影響を与えかねない責任の重大さを、これまで以上により強く意識して情報発信することが重要な使命であると改めて自
覚すべきだ。


それは、既存メディアのマンネリズムに溺れた記事づくり(ヘッドライン、論調、アンケート調査など)が、<日常化した
SNS等ネット・ツールで必然的に狭隘クラスタ(マイナス感情が濃縮)化>する個々の人々の<前意識も含む主観性の深層と
闇>に対する不用意な煽りとなって、それが思わぬ形で非常にリスキーな起爆・発火装置に変容する恐れが、いよいよ高ま
っているからだ。


なお、フッサール、M.アンリ、ダン・ザハヴィの現象学に共通するのは<無媒介的認知的自己意識(先反省的自己意識)/こ
れはザハヴィの用語で、前意識も含めた主観性と他者性の核心のこと>への強い関心であるが、そもそも<その自己性と他者
性におけるコギト(ノエシスたる自己意識)とコギタートゥム(意識内容)は、エトノス的な外在の自然・生命・文化・情報な
どの凡ゆる環境から絶えず何らかの共鳴的な影響を受けていると見ることである。


そして、従来の大方の理解は「無前提性の原理」を定理と見なし(http://qq1q.biz/GQp9)、これを否定するフッサール現象
学は一種の数学的な抽象性を帯びているので、感情の問題とは無関係だと見なされる傾向があったようだが、実は、フッサール
を批判的に継承したM.アンリは必ずしもそうは思っていなかったようである(完)。

ブラウザの閉じるボタンで閉じてください。