メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:[希望のトポス]仏マクロンが感知したリベラル共和への希望(4/4)  2017/07/17


[希望のトポス]仏マクロンが感知したリベラル共和への希望/ノモス、文化資
本、エトノス・パターナリズムが“新自由主義(アンシュタルト)”克服のカ
ギ(4/4)

*お手数ですが、当記事の画像は下記URLで御覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20170713

4 市場原理をリベラル共和主義の有意ツール化する/“見えざる手”の暴走を
乗り越えるためのパターナリズムの方向性


・・・「中庸」を前提とする「合理性の限界」への気付きが決め手!・・・


現実的に人間は非論理的な行動をとることが多いが、経済合理的な個人(ホモ
エコノミクス)が前提の理論モデルは非合理な個人行動のモデルを構築する上
でも大数観察的に有効(投票結果予測の出口調査に相当する)と考えられてお
り、この合理性モデルをベンチマーク(比較のために用いる指標)として構築
・活用するアプローチは一般に方法論的合理主義と呼ばれ、市場における消費
者の選考(選択行動)の評価などで幅広く活用されている。


また、この“経済主体の嗜好や行動様式を表現する最も基本的な概念”であ
る「選好」は、選択肢の集合上に定義される二項関係を意味しており、無差別
関係(どの2点でも互いに差別がない水準を示す関係)や効用関数(ある財の
組合せが示す効用水準の関係)も選好(関係)から導かれる(選好が合理性の
条件を満たすとき、全く同じ情報を持つ効用関数が無数に存在することも知ら
れている)。

しかし、ある経済主体(ホモエコノミクス)が2つの選択肢aと bについて、ど
のような主観的評価をしているかは直接観察することが出来ないので、経済学
では直接観察することが可能な実際の行動の観察を通じて(効用関数に時間の
要素を加味した動学的な視点を加えて)経済主体の選好を推定することになり、
これが「顕示選好理論」と呼ばれる。


この顕示選好理論の実用性を直観的に分かり易く表現すれば、それは「顕示選
好理論に基づく市場観察から得られた、ホモエコノミクスの最も代表的な消費
行動パターン・モデル」を抽出して、ミクロ経済学の諸領域である、マーケテ
ィング、消費者行動分析、企業行動分析などで多面的に有効活用することがで
きる、ということである。7

ところが、この顕示選好理論の規約定義(暗黙の約束事として前提されている
ルール)は「いずれにしても、ある経済主体(ホモエコノミクス)が自分自身
の判断と責任で選択したものは、その個人の利益であると見なす/アダム・ス
ミス“神の見えざる手”」ということであるが、実はこの点こそがホモエコノ
ミクスを主人公とする「自由放任主義」物語の致命的な欠陥である。それは、
「全ての“アダム・スミスの思想大系”が“神の見えざる手”一色だとするの
は根本的誤解」だということが、次第に明らかとなってきているからだ(出典
:若松良樹『自由放任主義の乗り越え方』(勁草書房))。

この若松良樹『自由放任主義の乗り越え方』によれば、認知心理学の手法を経
営学に導入した「行動経済学」の理論に基づく論文「A Behavioral Approach
 to Law and Economics 2000/Christine M. Jolls , Cass R. Sunstein,and Richard Thaler http://urx.mobi/ECbD /未邦訳」が、<実際の人間には市
場原理主義が前提するホモエコノミクスとは異なる、下の「三つの限界がある」
こと>を明らかにしている。言いかえれば、クリスティーヌ. M.ジョルズ(Christine M. Jolls/行動経済学者、労働法学者http://urx.mobi/ECci )、
キャス・サンスティーン(Cass R. Sunstein/法学者、環境法学者http://urx3.nu/EGyH)らが、かの「自由放任主義」から新自由主義に繋がる
一連の物語の致命的<欠陥>を見事に指摘したことになる。


(1)計算合理性の限界

・・・これは計算能力の限界に因るもの。チューリングマシン(コンピュータ
ー、AI)の計算可能性問題(停止性問題の決定不能性定理
http://u0u1.net/ECBy)に留まらず、例えば米トランプの如き思い付き型「恫
喝政治」や安倍政権が好む「アベノミクスの失敗を絶対に認めず弥縫策(AI万
能ツール視、原発リスクのゴリ推進、軍需&カジノ経済など)を出しまくるバ
クチ経済政策」は計算が不可能な“まさか(不確実性)=信用崩壊”の世界へ
国民を陥れることに繋がる(浜矩子、http://urx3.nu/AHiu )。


(2)人間の意志力の限界(強靭な意志力の驕りは中庸に敵わず!/偶然に生
れ落ち持続する生命の論理に反する!)

・・・哲学で言う「意志の弱さ」に相当。これも米トランプの思い付き型とい
う「恫喝政治」に典型事例が観察される。長期的な利益(持続性)を無視させ
て「目先の短期利益」の方向へ人々を巧みに誘い込むトランプ・ポピュリズム
は、この「人間一般の意志の弱さ」の逆利用。


(3)マイファースト自己利益の限界(オレ様のお零れ分配での共生ならぬ皆
で仲良く共倒れの誤謬!)

・・・「マイファーストに因る“自己利益”最大化の意志」と「多レパートリ
ー可能性の中の一つを選択することにより持続性を保証しつつ共有利益を確保
する意志」、のいずれかについての選択(意志)は相矛盾する。驚くべきこと
に、後者「多レパートリー可能性の中の一つの選択」はヒトの脳内での「意識」
発生(意識統合)or生命(の持続)の問題と相似している。他方、捨てられた
99%超レパートリーの検証が歴史と生命実存の意味、とも言える!(関連参照
⇒http://u0u1.net/ECBM)。


・・・だからこそ、資本主義の持続性を保証する中庸な「限定合理性」、およ
び人々にその必要性を認識させ得る一定の抑制パターナリズム(=エトノス・
パターナリズム/絶えずノモス・エトノス環境との調和へ十分に配慮しながら、
国民総意の主権者意識を実行する統治権力/統合的な『主意主義』)が必須で
あることの理解の共有(リベラル共和主義の可能性へのアプローチ)が肝要と
なる・・・


<注3>主意主義(voluntarism)

・・・人間の精神の中で、「意志」(意思に方向性が加われば意志、と仮に定
義しておく)の働きを知性・理性や感情よりも重視する哲学・神学上の立場の
ことで、主知主義(知性・理性を重視)、主情主義(感情を重視)と対置され
る。現在、先端的な脳科学・AIなどの研究分野におけるヒトの意識の研究でも、
人間をヒトたらしめる要素(アイデンティティー)の決定的なファクターとし
て「意志」(or意思)の問題が重視されている。

・・・主意主義と深く関連する「人間の自由意思」の問題で忘れてならない人
物に13世紀スコットランドの神学者ヨハネス・ドウンス・スコトウス(その思
想の徹底的な緻密さから精妙博士(Doctor Subtilis)と呼ばれる)がおり、
彼はフランチェスコ派スコラ神学者で、後にパリ大学教授となった人物(http://u0u1.net/ECHx)。

・・・スコトウスは、先ず「絶対的に正しい自由意思」を持つのは神のみであ
るから神は先ず純粋にその自由意思で世界を創造したと理解し、アウグスティ
ヌスの「自由と理性の両者に対する神の絶対的先行性」を留保して、神だけが
持つ「正しい自由意思」が神自身の「理性(知)性」の判断とは無関係に先ず
世界を創った、と考えた。

・・・更に、スコトウスは、神に劣後する人間の「自由意思」が常に善悪につ
いて「絶対的な善」を選ぶことはあり得ないながらも、偉大なる神の見守りの
下にある人間(その意味でも謙虚であるべき)には一定の判断力が、つまり善
か悪かの道が選べる最小限の「理(知)性」は与えられており、同時にその人
間が正しい判断を下すことができるよう一定の自律的な「自由意思」も与えら
れていると考えた(中庸の宗教観/これは、カルト宗教の危険性についての逆
説的な論証ともなっている!)。

・・・

上に掲げた「限定合理性」を確保するための検討で、更に必要となる各論的な
方向性として、『自由放任主義の乗り越え方』の著者、若松良樹は以下の課題
を指摘する。なお、これら各論の検討については、その一部が第五章と重なる
部分もあるうえ、ここでの更なる議論はページ数の容量限界もあるので、項目
の列記に止めておく。


●リバタリアン・パターナリズム(一匹目のキマイラ/誤解されたままのアダ
ム・スミス“神の見えざる手”の別ヴァージョン)の台頭と限界

●最大化としての合理性、完全合理性の失敗(同じく、二匹目のキマイラ/同
上)

●最も有効と思われる「中庸の徳」なる限定合理性(既述のとおり、そもそも
アダム・スミス“神の見えざる手”が誤解の賜物であった)

●コンシリエンスによる行動経済学・生態学的な合理性の有意性の検討が喫緊
の検討課題(ノモス、エトノス観念との関連性が大きい!←補足、toxandoria)


5 リベラル共和主義の核心は、無産者層の“有資産化とリアル政治参加”機
会の拡大


(リベラル共和主義の核心1/無産者層の“有資産化”が持つ重要な意義の再
確認)


・・・第二章で、産業組織論の観点から「無産者層の“有資産化”が持つ意
義」について既に述べているが、ここでは些か異なる観点から同じことを考
えてみる・・・


いまの世界は新自由主義がもたらし続ける格差、いわば「ルンペン・プロレタ
リアート(無産層化)の増加傾向」を如何にして弱め、ひいてはそれを解消で
きるかの課題を突き付けられている。そして、格差解消と持続的な経済を創造
することへの希望を託したということ、換言すれば「新たなリベラル共和国」
フランスへの深化を期待するという点で、反知性主義の米トランプとは異なる
意味で圧倒的な国民の支持を受け登場したのが、フランスの若いマクロン大統
領である。


その仏マクロン政権への期待は、今まで見たことからだけでも明らかなのだが
、エトノス意識下での持続成長のカギとなる<「無産者層の有資産層化」を実
現する“日常の政治学”(そのカギとなる形骸化した労組問題の解決が急務!)
の重要性についての覚醒(目覚め、気づき)>があったのではないか?と思わ
れることだ。


一般的に、見かけでは街頭デモやストライキ活動が活発であることなどから、
フランスは労働組合の活動が活発だと思われている。しかし、少し細部をクロ
ーズアップしてみると、実は、フランスの労働組合の組織率は、官民の全セク
ターで全7 〜8%程度、民間企業は5%程度と推計され、これは欧州諸国で
は最も低い組織率である。因みに、日本は全セクターで17.3%(2016年/http://ur0.biz/EE0l)


フランスの労働協約の適用率は92%と驚異的な高さで、ほぼ全ての労働者がそ
の適用範囲に入っている。それは、フランスでは労働省の省令(1936〜、http://ur0.biz/EE0u)によって労働協約が産業別に締結されているが、組合
員か非組合員かの別は問わずに、該当する産業で働くすべての労働者に、その
労働協約の結果が拡張して適用されることになっているからだ。この点は日本
と決定的に異なっている。


フランスの労働組合活動(労使関係)には別の面でも大きな特徴がある。それ
は(労使双方ともだが)、彼らの多くは法律・労働法の専門家であるか、ある
いは一人ひとりが何らかの分野の専門家である。つまり、フランスの労働組合
活動では特に左派系のインテリ層の人々が専従で仕事に携わっていることが
多い。


然るに、イデオロギー的には急進左派であるにせよ、又は一般にその真逆と理
解されているリバタリアン(急進リベラリズム)にせよ、新自由主義に席巻さ
れた資本主義の現状の下で両者は、益々、夫々が急進ウルトラ化した。一層
“先鋭化”したからこそ、彼らは「民主主義と自由主義(自由原理主義)は両
立しない」というアレントの主張(ノモス法の原点)に嵌ったまま戸惑ってい
る可能性が高い。が、アレントの真意は古典的な「ノモス法の原点」に、ただ
止まることではない。その証拠にフーコーの思考をそこで介在させると、既に
見てきたとおりだが、そこから明らかにリベラル共和主義(ノモス・エトノス
をベースとする中庸な文化資本主義の時代)への希望が見えてくる(稲葉振一
郎『政治の理論』)。

また、フランスでは国策の有力産業分野である原子力系、軍事技術系の労働組
合活動が、良きにつけ悪しきにつけ大きな影響力を持ち、結局、彼らは既得権
化して現在に至っている。つまり、全就業者数に占める一定の割合の大きさ
(前者、後者共にmax.3%程度、と推測)から、これも又エリート層の、ある
意味で特権と化してきた原子力と軍事技術関連という両産業分野の労働組合活
動が全体の労働環境に何らかの影響を与え続けていることが理解できる。


なお、3.11フクシマの過酷な原発事故経験にもかかわらず<原発推進御用組
合>と揶揄される大労組の寄り合い組織である「連合」を中核支持基盤とする
民進党(その原発政策)が一向に煮え切らず、しょせんは安倍・自民党の国策
「原発推進」に追随する形、ひいては与党・自民党政権の補完勢力化している
ことが、甚だ残念ながら、日本国民一般の意識を曇らせたままにしている元凶
である。一刻も早く、仏マクロン並みの「リベラル共和主義の可能性」への覚
醒が民進党に求められる所以である。


ところで、第二章で触れたとおり、「リベラル共和主義」的な社会の原点を古
代ギリシャ・スパルタの統治(軍事国家的統治権力、自律市民を前提とする自
由(リベラリズム)、市民に平等な主権を認める民主主義が共存する)に見て
いたアレントの「社会論」には“そもそも民主主義と自由主義(自由原理主
義)は両立しない”の言説の如く難解な点があるのは確かだ。


しかし、アレントらが重視するノモスの“そもそもの意義”が「ノモス法で定
められた、その地域の環境(自然・ノモス・伝統文化・社会インフラ)の平等
な分け前(取り分)を地域の住民に分け与えることだ」だという理解を援用す
れば、「新自由主義が暴走して格差が拡大するばかリの恐るべき資本主義社会
の現況」に辟易している我々にも、改めて、希望の方向への重要なヒントを与
えてくれる。 

そして、これも第二章で触れたことだが、その中でも特に重視すべきユニーク
な発見は、「現代の民主主義国家における統治権力(パターナリズム)と個々
の労働者(雇用者)の間を仲介する「産業民主主義」(経営に一定の雇用者の
参加を認める考え方/特に文化資本主義では必須となる)の主柱としての労働
組合の本質的な役割をノモス法の原点を想起しつつ根本から問い直す」という
ことである。その意味で、労働者の団結権(労組活動)はノモス法的に考えれ
ば労働者の生存権を守り、新自由主義の副作用である「格差」拡大のジレンマ
を解消するためのれっきとしたツールとなり得る。


ともかくも、このように考えれば第一章で書いた<仏マクロン政権でニコラ・
ユロ環境大臣が誕生した画期的な出来事>の意味が、よりリアル化して理解で
きるはずだ。そして、おそらくマクロンは、「無産者層の有資産層化」を実現
する“日常の政治学”に関わるフランス社会の意識改革のため、ある意味で特
権化してき<フランスの雇用関係(労組活動)の改善>に加え、「格差」を解
消するための柱として<消費貸借と金融取引>のファクターを基本政策に確実
に取り入れつつ、旧弊化した原子力産業らへの見直しにも取り組むことになる
と考えられる。


(リベラル共和主義の核心2/特に日本の選挙(供託義務)には『無産者層と
左派』を排除するという非民主主義(非共和主義)的な異常な政治論理が未
だに潜む)


・・・ここでの表題は(リベラル共和主義の核心2/無産者層の“リアル政治
参加と日常性の政治化”の機会拡大)と書きたいところだった!・・・


しかし、日本の選挙制度(1950年に制定された公職選挙法)では、1925年制定
「普通選挙法」の「供託義務」が、そのまま引き継がれ放置されているので、
そこには『無産者層と左派』を排除するという非民主主義(非共和主義)的で
異常な政治論理が潜んでいる。


供託金の問題は、共謀罪、文書管理法の問題と共に日本の民主主義(厳密には、
国民主権に基づくエトノス・パターナリズム型(当記事冒頭の<注1>を参照)
の統治)の根幹であるが、メディアが殆ど真剣に取りあげないこともあって、
一般的に関心が薄い。第三者機関のチェック、裁判所(司法)の意識改革らと
連動した、市民・国民自身の覚醒が全てのカギとなる(右画像は、20170712中
日新聞http://urx2.nu/EFRtより転載)。


そして、その核心部分は、「日本国憲法:第四十四条」の<「両議院の議員及
びその選挙人の資格は、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又
は収入によって差別してはならない」の“誰でも選挙に出馬する事が出来る”
との主旨>が名目だけになっており、もっぱら既存政党にとり有利で、供託金
を上げれば上げるほど無産者層らの新人をリアル政治から排除できるという、
非民主主義(非共和主義)的な制度となっている。


このため、供託金制度は違憲無効であるとしていくつかの訴訟が起こされてき
たが、裁判所は憲法47条が国会議員選挙制度の決定に関して国会に合理的な
範囲での裁量権を与えていることを指摘した上で、供託金制度は不正目的での
立候補の抑制と慎重な立候補の決断を期待するための合理的な制度であるなど
として、いずれも合憲判決を出してきた(1999年には最高裁が2度の合憲判決
を出している)。


直近の供託金違憲訴訟では、2017年6月9日の第4回公判(東京地裁)で、裁
判長が冒頭から、さらに突っ込んだ審議を行いたいと話し始めるなど、些か空
気が変わり始めた気配があり、特に今後の裁判所の判断動向を注視すべきであ
る(http://ur0.biz/EEfh)やはり、全てのカギを握るのは「日本国民」一般
の<リベラル共和主義を求める意思>と<メディアの奮起>である。なお、日
本の供託金が世界各国と比較してどれほど高く、かつ異常なものであるかを知
るには下★の情報が詳しいので参照乞う。(完)


★日本の選挙の謎・世界で抜きん出て高い供託金制度!http://ur0.biz/EEfJ
★供託金(ウイキペディア)http://ur0.biz/EEg3  

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