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タイトル:客観知を心底で憎む追憶のカルト/希望はAIら最先端でコンシリエンス・・・(5/6)  2017/01/06


■客観「知」を心底で憎む追憶のカルト、その靖国『顕幽論』是非の意識が日
本の命運を分ける/希望は量子論・AI・脳科学らの最先端で必然の流れ「自然
・人文科学」融合(コンシリエンス)が生まれつつあること!(5/6)

<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20170104

3−2 靖国イデオローグの系譜、その余りにもゾンビ的な追憶のカルト/平
田篤胤仕込み「顕幽論」の異常性(インテマシー過剰、客観知への憎しみ)

(記紀を基に8世紀初頭から貴族社会に、やがては一部の武家社会で拡がった
『皇統一系』の思想/が、それは絶対多数派の庶民層とは無縁であった)

8世紀初頭に完成した『日本書紀』が史実の根拠とされるようになった頃から
、記紀の創作である「皇統一系」思想は先ず日本の貴族社会に拡がった。次い
で、南北朝時代の末期頃に書かれ1370年頃までに成立した軍記物語『太平記』
(南北朝時代を舞台に後醍醐天皇即位、鎌倉幕府滅亡、建武の新政、・・・二
代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任までを内容とする軍記物語)が一
部の武家社会へ、「皇統一系」は歴史的事実だとの認識を広める役割を果たし
た。

しかし、「皇統一系」は歴史事実とは言えず、むしろ王統に関わる伝承等(歴
史的メタファー)の大集成という意味で評価されるべきものだ。そして、そも
そも記紀は外来文化に寛容な日本文化を象徴する暗黙知の宝庫であり、それは
日本人が共有する誇り高き「大いなる巨人(寛容な意識を持つ民族)の物語」
であったことになる。

従って、現下の安倍政権(日本会議 政権!)が必死で謀る「一連の復古的動向
/“追憶のカルト”なる病理学的に異常な世界へ引き返そうとするゾンビ的な
政治情念」の根拠は、「皇国・紀元2600年/日本建国神話」(旧暦BC660年1月
1日、グレゴリオ暦で読めば現在の2月11日に神武天皇が建国)という<虚構
の日本史>の中へ全ての日本国民を強制回帰させようと謀る人々の<特異な妄
想世界>の中にあることになる。

が、記紀の内容が誤りと嘘バカリで、国民を誑かす悪書だという訳ではなく、
その貴重なメタファー(汲めども尽きぬ暗黙知の貴重な宝庫)を<あくまで
も、その100%が歴史的事実だ!>と作為で曲解する“君側の奸+軍神信仰”
の『狂』(追憶のカルト/異常“観念同時”、異常“間主観性”の病理)が邪
(よこしま)で有害なだけであり、その往年の“君側の奸+軍神信仰”の
『狂』が、今や再び「第3次安倍第2次改造内閣の暴走」で再現されつつある。 

(明治維新〜戦前・戦中期におよぶ軍部支配の歴史、それは次第に強烈な『愛
国玉砕(散華)戦争』なる下賜カルト観念の国民共有へと変容した)

そもそも、その根本は<明治維新政府(門閥・閨閥・閨房閥を世襲で固めつつ
“天皇を担ぐ君側の奸”の野合的な連合体構造)が採用した「国体思想」戦略、
現人神天皇の建国神話的カリスマ性の徹底的な政治利用>ということであっ
た。

そこで、維新政府は「宣教使」(宣教使は官庁の名称/長官、次官、講義生、
史生、判官、主典、宣教使その他の職員で構成/明治5年、廃止)の役職(国
家神道普及のための国民洗脳が主務)を設け、神学者・国学者を総動員して天
皇の偉大さ、支配の正統性、それに対する国民の忠節の意義など(天孫たる現
人神を批判する国民は絶対に容赦せぬ!という国策の“脅し”)を説いてまわ
らせた。

結局、この政策は後期水戸学の会沢安らが主張した「祭政教一致」(教=国体
へ絶対貢献できるよう国民を教化・洗脳すること)を原則として行われた。そ
して、日本会議の影響下にある『安倍政権の官邸“教育再生会議”、http://goo.gl/JAHQf3 』は、明らかに、維新期のそれ(後期水戸学派の祭政
教一致=教育現場への直接介入と洗脳教育)の取り戻しを意識している。

ところで、「国体思想」とは、「天賦人権説」(民権論、主権在民)の対極に
ある天壌無窮の現人神たる天皇を中心とする中央集権的官僚制国家(厳密に言
えば天皇を狡猾に政治利用する“権力の強靭化”、薩長野合型“君側の奸”連
合に好都合な官僚制国家)の建設を目指すものであった。

しかし、それは真っ赤なウソを根拠とする国民騙しの欺瞞政策だったし、そも
そも古代律令制が古代中国(南北朝時代を統一した隋唐帝国)の模倣であった
ことが示唆するとおり、実は日本古代においてヤマト民族派的な排外思想は存
在せず、それどころか明らかに倭国(黎明期の日本)は、東アジア漢字文化圏
の一員であるという寛容な国際感覚に裏打ちされた存在であったのだ。

(靖国顕幽論の登場/平田篤胤派「神道」による神道のカルト化、その余りに
も暗く不気味なゾンビ生命論型パラドクスへの没入)

「維新政府」以降の国家経営の誤りの根本は、江戸時代前期から中期の山崎闇
斎、荻生徂徠らの儒学者、あるいは本居宣長(江戸中期〜後期)、平田篤胤
(同後期/幽顕思想(顕幽論))ら国学の流れを汲む<「後期水戸学イデオロ
ーグ」が夢想(妄想)した「祭祀と政治の一致/至高の国家的儀礼に関わる議
論」の中で「愛国玉砕(散華)戦争(このみいくさ)」(日本型聖戦論)が過
剰濃縮されたことにある。

平田篤胤(キリスト教、および西欧啓蒙思想も熟知していたらしい!)の「顕
幽論」は、現世の殆どの人間(日本国民を殆ど野蛮で動物的な有象無象の存在
と見る)には基本的な意味での人間の権利がないとする。しかも、篤胤はこの
顕幽論を半ばジョークで創ったと告白さえしている!(苦w)そして、愛国玉
砕戦(このみいくさ)で勝利し、大霊界へ昇り英霊の位階構造に列して初めて
日本国民は人間たる基本的権利が与えられるとする(関連資料:吉田真樹著
『霊魂のゆくえ』(講談社)、田中純『政治の美学―権力と表象』(東大出版会))。

また、顕幽論(“靖国神社と国家神道”の中核イデオローグ)によれば、現人
神とは『記紀神話の降霊(招魂)儀式で中枢神殿(英霊が眠る靖国をこれと見
立てる)の霊璽(れいじ/神や霊が宿る“よりしろ”)に憑依する神霊(エク
トプラズム/人霊とは異なり神格化した英霊)となる“愛国者”の意味であり、
それは皇国史観に基づく天皇だけのことを指す訳ではないとされる。

どうやら、“追憶のカルトのお仲間”たちは、その意味で安倍晋三首相を天皇
より上位の現人神(英霊が降霊した存在)と見て崇めている節があり、これは
恐るべき『狂』以外の何物でもない!(苦w)そして、この現人神は『世界で
唯一の澄める“うぶすな”でできた“美しい国、日本”の国土を愛国戦争で死
守する覚悟で玉砕した神霊が再び受肉する国土』と定義される。

しかし、愛国(国策)「原発」系の過酷な放射能汚染(およびその拡大リス
ク)を放置したままで、何が美しい国土の死守か!と言いたい。そこに現れて
いるのは「非分析的感性」たる<インテマシ−過剰/関連参照⇒第3章−1
 カスリス「インテマシー/インテグリティー」>と<客観“知”への憎しみ
/関連参照⇒エピローグ:トマス・カスリスの神道に対する率直な思い>とい
う、日本会議、神社本庁、安倍内閣らの余りにも常軌を逸した異常な精神環境
の正体である。

4 正統保守を自覚する日本国民は安倍政権、日本会議、神社本庁ら偽装極右派(1801〜、の異常イデオロギー没入派/エセ神道スピリチュアリティー派)と、
早急に一線を画すべきである!

・・・それは、正統保守と伝統日本文化の源流たる「神道」本来のスピリチュ
アリティー(カスリスが分類したスピリチュアリティー(1)に重なる)には
世界平和への大きな貢献が期待されるから!・・・

(伝統神道の原点と見るべき神道書『神令』によれば、「天皇制」草創期(お
よそ“大化改新”以前)の神道は天皇に対し民衆を平等に見る徳治政治を求め
ていた)

■神道・宗教学者、小山悳子(とくこ)によれば、神道書『神令』(伝:大納
言・一条兼良、筆/兼良は室町時代の公卿・古典学者、http://ur0.biz/AGfm)
の成立期は、およそ“大化改新”以前(中国由来の儒教の受容が本格化するよ
り前の時代)である。

・・・[3−1 神道的スピリチュアリティーと実存神道]で触れたトマス・
カスリス『神道』(ちくま学芸文庫)も、「古代神道の成立期」を「先史時代
〜794年」と見ており、それは此の小山悳子の指摘にほぼ重なっている。

・・・従って、そこには弥生期〜古墳時代ころの伝統神道の最古の思想が潜む
と思われ、当書の研究から更なる“日本文化と伝統神道”の古層の再発見が期
待されている。しかも、この書の研究成果は安倍政権、日本会議、神社本庁ら
が謀る『軍神靖国“顕幽論”/追憶のカルト(国家神道)』復活工作へのアン
チテーゼとなり得ると考えられる。

・・・また、小山悳子は<日本神道史における「元神からの芽生え」とされる
國常立尊(虚無の元神ヨリ萌牙シタもの)の概念の展開には、現代宇宙論と神
道の創生観に関わる概念的な類似性が窺われる!>と見ている。それは、『神
令』の“元、気(無・虚無・非空間)ヨリ萌牙シ(もえきばし=兆し)モノ”、
ビレンケン宇宙論(http://ur0.link/qfzq )、量子論・量子物理学(トンネ
ル効果、量子もつれ他)、先端発生生物学らが恰も深部共鳴しているように見
えることからも想像される。

・・・つまり、寛容かつ謙虚な「正統保守」的価値、およびその意義の再発見
が此の神道書『神令』のなかにある、と小山悳子は考えており、この日本古来
の神道および日本の伝統文化は、東西の宗教・文化(一神教VS汎神論)の対立
解消へ貢献し得る可能性をすら秘めている、と主張している(出典:小山悳子
『日本人の求めた元神』(日本図書センター/Cf.⇒http://ur0.link/qfzn )。

<注>國常立尊(くにのとこたちのかみ)

・・・日本神話に登場する天地開闢の時に出現した「元神からの流出」であり、
『日本書紀』においては初めての神とされる。『古事記』では国之常立神、
『日本書紀』では国常立尊と表記されている。別名、国底立尊(くにのそこた
ちのみこと)とも呼ぶ。その元神が化生・転生して八百万の神々、つまり自然
界ができたというのが伝統神道および記紀の神話論理(ミソロジー)。

・・・

ところで、上掲書の著者、小山悳子によれば、かつて自由民権運動の視野に
想起されるのが、本居宣長と同時代の伊勢神宮の神道学者(神職)、出口延
佳(1615〜1690)の『天皇・人民平等論』(現代のコトバで言えば、象徴天
皇制に近い考え方!いわば良い意味での天皇の顕教式利用)である。

出口延佳は日本古来の伝統神道を正しく伝える者としての誇りと使命感から、
一般的理解とは真逆の『“天皇=民衆”平等論』を説いていた訳だ。つまり、
そこでは<純粋精神・多元文化主義としての皇国史観>が現代でも通用する正
統保守たる<象徴天皇制の下で「国民主権共和(デモクラシー型)ナショナ
リズム」へ深化する可能性>が芽生えていたのである(関連⇒ 
http://urx.nu/atS9 )。

また、同氏は「ある意味で神の領域にまで立ち入ったともいえる先端遺伝子学
(発生生物学、DNA研究)の分野で、地球上の全ての人間は同じ仲間、同じ
民族と結論されたのであるから、もし過去の閉ざされた情報の中で選民思想や
ヤマト民族(派)の如き純血民族思想が生まれたのであれば、伝統神道におい
ても、その部分は取り去って考えるべきである。そうすることでこそ新しい神
道の優れた本質(東西を繋ぐ新たな寛容の可能性)を見出してゆくことができ
る」と、述べている。つまり、このような視点こそが正統な歴史認識の基本な
のである。

小山悳子『日本人の求めた元神』によれば、本居宣長・平田篤胤らの偏狭な日
本思想(宣長の場合は、宣長が偏狭であったというより、後世の国学者・神道
学者らが曲解したというべき!)、あるいは戦前の文部省謹製『国体の本義
(昭和12)』と『日本世界観と世界新秩序の建設(文部省、昭和17)』、又は
“生長の家”過激派の異常イデオローグなどは、そもそも寛容であった伝統神
道(平安中期以前の古層日本文化と重なる)の考え方を『関東軍式、満州国統
治の経営理念(国家神道方式)』にとり好都合となるよう脚色したものであ
る(本居宣長の曲解、の委細についてはコチラを参照⇒2013-05-07toxandoria
の日記、http://urx3.nu/AH5I )。

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