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タイトル:「日本会議」問題! 強弁『国体の本義』(昭12)で天皇を現人神へ再び祭り上げた・・・(2/4)  2014/08/02


[暴政]「日本会議」問題! 強弁『国体の本義』(昭12)で天皇を現人神へ再
び祭り上げた超然クーデタそっくり!ムリくり『集団的自衛権憲法解釈』閣議
 決定の安倍総理は美しい「このみいくさ」取戻しを謀る「追憶のカルト」
 (2/4)

 <注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20140801

2 大正期以降の「皇国史観(国体論)」の大混乱/「人間である」と自覚す
る昭和天皇は、如何にしてリアル「現人神」へ祭り上げられたか?


2−1 大正デモクラシーで昭和10年代に旧「国体論/天皇現人神論」は最大
危機を迎えた、しかし文部省が強弁『国体の本義(昭12)』をでっち上げ、軍
事超然権力は天皇を「現人神」に再び祭り上げた


(1)そもそも明治政府が強権カルト的「憲法解釈/神社非宗教論」で『大日
本帝国憲法が定める“政教分離の原則(信教の自由)”と超然宗教たる“国家
神道”は矛盾しない』としたことが、今に繋がる全ての災いの始まり!


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◆昭和10年代に天皇を<現人神>に祭り上げた時も、『国体の本義(昭12)』
(原典参照⇒http://urx.nu/aAbH /大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神
勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。
・・・)の強弁は≪文部省謹製≫であった!安倍はこの手で戦前を取戻す!⇒
科学ならぬ“スピリチュアル”好みの下村文科相は郡山で地元中高校生へ「夢
や志を持てば国はチャンス最大提供」と・・・、他方、風評対策や奨学金制だ
けで東電救済、フクシマ事故対策が手抜きのままでは夢が持てない!@金子勝
氏via Twit2014.07.20 只のオッサンがリツイートhttp://urx.nu/aiXd


・・・


「大日本帝国憲法(1889公布、1890施行)」では、文面に“信教の自由“が明
記されていた(条文、下記*)が、それは「国家神道は宗教ならず宗教を超え
たものである」(神社非宗教論=国家神道は超然宗教であるとする一種のカルト
観念)という超然権力による強権的法解釈に立脚しており、<神道と神社を他
宗教の上位に置くのは憲法の「信教の自由」と矛盾しないとの公式見解>に基
づくものであった。


*大日本帝国憲法第28条の条文=「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ
義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」


1889年の「勅令第12号」(大日本帝国憲法公布・皇室典範公布と同年)によっ
て官立・私立の全学校における宗教教育が禁止され、<「宗教ではない」とム
リくり解釈された「国家神道」は一般宗教を超越したものとして、いわば超然
カルト的に理解される>ことになる。翌1890年には、「教育勅語」が発布され、
軍国主義一色で洗脳するため国民教化の基本が示され、日本は「国家神道」が
<宗教・政治・道徳・教育・科学>の上に超然と君臨する異常政体と化した。


このように、<明治憲法(大日本帝国憲法)の“政教分離の原則(信教の自
由)”は明治政府の強権憲法解釈によって“国家神道”と矛盾しないとされた
ことが、今に至る迄の日本の近・現代史における全ての誤りの発端となった>
ことは間違いがない。つまり、この明治期における初期条件の根本的誤り(と
いうより明治政府による国民への嘘(明治憲法のムリくり解釈)の押付け)こ
そが、その後の日本(戦前〜戦中〜戦後)へ連鎖的悪影響をもたらすという意
味で、諸悪の根源になったと考えられる。


やがて、帝国主義の更なる深化は、昭和10年代に入ると「徹底した天皇の政治
利用を伴うネオ国体論(皇国史観ルネッサンス)」を求めるようになる。一方、
帝国主義の更なる深化と併行して、大正デモクラシーで開花した“新しい社会
(国民主権、自由主義、政教分離など民主主義に関わる基本的諸観念)の発見”
という新たな外来ファクター(本格的な民主主義思想)の流入が、伝統的「皇
国史観」の存立基盤そのものを脅かすようになり、当時の日本は<民主主義V
S伝統的「皇国史観」>の対決構図を孕む危機的状況に陥った。


つまり、『伝統神道と本居宣長』の曲解というアキレス腱(世界に冠たる現人
神の国という尊大な皇国史観)を抱えながら“そもそも皇国史観の尊厳の元は
何に由来するか?”という最も基本的な疑問を解かず、それを放置したまま遣
り過ごしてきたため、「皇国史観(国体論)が、愈々“拡大する植民地”と
“新しい社会の発見”の挟撃を受けることとなり、日本は昭和10年代に国家自
身と日本国民のアイデンティティー危機というクライマックスを迎えたことに
なる。


しかも、そのため、当時の国体論の内部は、この根本問題の解釈をめぐる様々
な流派が生まれて深刻な衝突と分裂を繰り返す大混乱に陥っていたのだが、終
戦直後から現在に至るまで行われてきた“皇国史観(戦前)批判」の主流的方
法(論)”は、この「皇国史観」内部での国体論をめぐる“アイデンティティ
ーの混乱”を殆ど見過ごしてきており、それは「戦前の誤った皇国史観」だと
して、一派一括りで言及されることが多かった。


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昆野伸幸著『近代日本の皇国史観再考、国体論』―ぺりかん社―によれば<昭
和10年に発生した「天皇機関説」事件>を契機に「国体明徴問題」解決のため
の「教学刷新評議会」が設置され、「教学刷新ニ関スル答申」
(http://urx.nu/a87d )が出された。そして、この答申を作成する過程で提
出された“特別委員会”報告で、<肝心な一般国民の国体論への無関心>や
<国体の尊厳の元に関する諸説の混乱>などが指摘されていた。この点は、な
んとなく現代日本のキョロ・ウロ層(無関心多数派層、国政選挙5〜6割棄権
層)の問題と重なり、暗澹たる気持ちにさせられる。


<注記>「天皇機関説」事件

・・・貴族院本会議での菊池武夫議員(陸軍中将)による天皇機関説非難の演
説が発端で、軍部や右翼による天皇機関説と美濃部達吉排撃が激化。著書が発
禁処分となり、不敬罪の疑いで検事局の取調べを受けた。同年9月、美濃部は貴
族院議員を辞職、翌1936年(昭和11)には天皇機関説の内容に憤った右翼暴漢
の襲撃を受けて重傷を負った。


(関連情報)


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■【もし、これが「無関心多数派層、国政選挙5〜6割棄権ウロ・キョロ層」
の問題と同期すれば、日本が一気に<戦前型の軍事ファシズム国家>の時代へ
突入する危機が迫る!】09年対比で約13%もダウンは危機的状況!天皇現人神
論に基づく戦時国家体制への宣言たる『国体の本義(昭12)』の直前の時代に
日本でウロ・キョロ層が急増していたのを連想させる不気味な現象! ⇒ 地
方選、投票率が急落! 市区長選平均39% 昨夏以降分、728朝日http://urx.nu/azjo


・・・


しかし、当時の文部省は、これらの問題に対し冷静かつ論理的・客観的に真正
面から答えることはしなかった。それどころか、「日本とはどのような国か」
についてはその新たな「国体の条件」を政府が責任を持って明らかに示すと豪
語する一方で、実際には上から目線の強権的スタンスで、天皇現人神論の回復
を目的とする屁理屈『国体の本義(1937/昭和12)』を大急ぎで編纂・刊行し
た。このようなくだりは、現代日本のポスト・311フクシマに関わる「文部省謹
製・放射能副読本問題」(下記▲)を連想させる。

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▲沖縄の小学校にも「原子村の頭目、文科省(スピリチュアル好きと思しき下村
博文・大臣)」作成の嘘だらけ「副読本」が回ってきた。文科省の罪は重い!@ ジョージvia Twit2014.07.22只のオッサンがリツイートhttp://urx.nu/ao0H


・・・


ともかくも、この『国体の本義』は、爾後の「国体明徴運動」(国家主導の、
いわばヤラセ的社会運動)で御上の論理を有意とするための重要典拠とされる
ことになった。そして、この時に<皇国史観に基づく国体の尊厳の核心>につ
いて国家主導の公正・中立な学術・研究や歴史的・文献学的・考古学的検証な
どは一切行われなかった。そのため、きわめて非論理的な一種の“神憑りorカ
ルト洗脳”の如き状態のまま日本が戦中〜戦後を迎えることになる。


結局、この時の<文部省当局の意図的な曖昧さの放置>こそが、戦前〜戦中〜
終戦〜現在に至る過程で悪しき影響を拡大させた核心的原因と考えられる。無
論、軍事ファッショ政権下では、いったん出された『国体の本義』の“根拠の
曖昧さ”への批判は絶対に許されないことであった。


かくして、大日本帝国憲法・第一条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」(が、天皇は現人神だとストレートに記されてはいない!)の記述にも拘らず、
そもそも「自分は人間であること」を自覚していた昭和天皇は『国体の本義』
によって、再び、政治的な理由でムリくりにリアル「現人神」へ祭り上げられ
てしまった。


なお、第二次世界大戦後、GHQ「神道指令」(1945/昭20)が出され、国家神
道は解体へ向かったが、国家と神道を巡る「政教関係」(日本国憲法第20条は
“信教の自由と政教分離原則”を規定)については、靖国神社参拝問題がその
典型であるが、今日も種々の議論が絶えない。それどころか、日本会議(会員
数ca800万人)あるいは創生日本、国家基本問題研究所などを受け皿として、
いまも今上天皇を現人神と見なしそれを信ずる人々が未だにかなり多く存在す
る。


無論、欧米先進諸国でも、例えば「厳格な政教分離原則/ライシテ」を規定す
るフランス(関連参照、下記◆)、あるいは宗教名政党である「ドイツ・キリ
スト教民主同盟(CDU)」、「(オランダ)キリスト教民主同盟(CDA)」など
が存在するドイツやオランダのように、具体的な「政教分離の原則」の外形的
有り方は各国の歴史事情などに応じて様々である。


◆2014-07-01toxandoriaの日記/フランス「原発依存大幅引下の決断etライシ
テ」とフクシマを無視し「美しい戦争と世界一安全な原発」を取り戻す安倍政
権の脳髄が「靖国&複合カルト」汚染なる倒錯型「超リスク」の深層、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20140701 


因みに、これは良く問われることだが、これら宗教名付きの政党が存在するド
イツ、オランダなどでは「政教分離の原則」が存在しないのでは?という素朴
な疑問がある。しかし、これは「政教分離の原則」に関わる根本的誤解である。
つまり、それは「政教分離の原則」が<政治・政党>と<宗教>の分離ではな
く、<国家・政府(地方行政府)/公共空間&公共意識>と<宗教>の分離で
ある、という同原則の根本についての理解不足に因る“基本的かつ致命的誤解”
である。


だから、いま一番戸惑っておられるのは、<自分は紛れもなく人間であり、か
つ今の日本国憲法は直近戦争における多大な内外の犠牲の上で、やっとの思い
で日本国民が手にした貴重な歴史経験の賜物だ。だからこそ、これを“天皇家
の精神基盤である伊勢神宮が象徴する日本の伝統文化と調和させる”ことが自
分の重要な役割である。その意味でも、偽装極右ならぬ“正統保守”の立場を
必死に守ることが絶対重要だ!>と思われている今上天皇ではないだろうか?


(2)普通選挙運動・労働運動など“国家と異なる新しい社会(民主主義思
想)の流入と発見”の最中に、突然『国体の本義』が登場した裏に透ける政治
的謀略の影


既述のとおり、大正中期〜昭和初期ごろにかけて、天皇の役割についての学説
である「天皇機関説」(1900(明治33)年代〜1935(昭和10)年頃までの30年
余りにわたり憲法学の通説とされ、かつ政治運営の基礎的理論とされた学説)
が主流として定着するようになっていた。


そこで、このトレンドを苦々しく思う超然軍事権力(日本政府)が、これに対
抗するため当時の文部省を窓口に御用学者らを総結集させて、急ぎ編纂した出
版物が天皇現人神論を中核とする『国体の本義(1937/昭和12)』であった。
そして、その時に行われた強引な論理、というよりも強権的なムリくり詭弁に
よる「国体論」解釈の手法は、現在の<安倍政権によるムリくり憲法解釈によ
る集団的自衛権行使に至った遣り方>とそっくりである。


「天皇機関説」の提唱者であった一木喜徳郎(男爵、文部大臣、枢密院議長な
ど歴任/二・二六事件で内大臣斎藤実が殺害されると、事件中は宮中で“人間
であることを自覚”されていた昭和天皇の相談相手を務め事件終息に尽力)と
美濃部 達吉(憲法学者、東大名誉教授/大正デモクラシーにおける代表的理論
家)が、一転して、空気がスッカリ変わったように激しく非難され始めたのは、
一木喜徳郎の政治的ライバル平沼騏一郎の謀略によるものであったことが知ら
れている。


なお、平沼騏一郎は、当時の法曹界で権力を持ち保守・右派勢力の中心人物
(黒幕、フィクサー)として暗躍し、果ては帝人事件(1934(昭和9年)に起
こったでっち上げ疑獄事件)や企画院事件(1939〜1941年にかけ、多数の企画
院職員・調査官および関係者が左翼活動の“嫌疑”だけで治安維持法違反とし
て検挙・起訴された事件)を引き起こした、典型的な“天皇の政治利用を是と
する”極右(正確には、右翼ならずカルト的狂想を誤魔化しているという意味
での偽装極右)政治家であった。戦後、平沼騏一郎はA級戦犯となったが、彼
は現在の平沼赳夫『日本会議・国会議員懇談会』会長の血縁にあたる養父であ
る。


(3)「国体の本義」を補完する「教育勅語と軍人勅諭」も明治天皇の意図を
離れ、「国民の戦争ロボット化」を目指す偽装極右派と軍部によって手前味噌
で解釈された


ところで、形式的に明治天皇が発したとされる「教育勅語(明23/原文 ⇒http://urx.nu/aAbY )は、“そもそも皇祖・皇宗、つまり万世一系の歴代天
皇が日本国家と日本国民が守るべき道徳を確立したと語ることから始まり、絶
対的な国民の忠孝心こそが日本の国体の美しい精華であり日本国民を教育し育
てるための淵源である”と規定してある。そのうえで、“有り難くも、かくの
如く歴代天皇が国家と道徳を確立したのであるから、いざ国家に危機が迫った
時には国民が国と天皇家の為に全力で尽くし潔く行動すべきであることなど、
国民が守るべき12の徳目(道徳)が明記され、これを死守するのが国民の伝統
であると記されていた。


一般的に誤解があるようだが、この「教育勅語」(水戸学および明の朱元璋の
『六諭』の影響が指摘されている)が「天皇現人神論」については直接触れて
いないことを注視すべきである(因みに天皇現人神論を重視する国粋主義者ら
は“明”朝(漢族系)までの中国文化は高く評価し、“清”朝(満洲族系)以
降のそれは蔑視するようになったとされる)。


加えて、「教育勅語」を纏めた井上毅(内閣法制局長官)が「立憲主義の君主
は国民の良心(内心)の自由に干渉し得ないので教育から宗教色を排するのが
当然」だと主張していたことが知られている。ので、当時のフランス(第三共
和政・中期頃)の政治事情に通じていたとされる井上毅はフランスの厳しい
「政教分離の原則」を意識していたのではないかと思われる(厳格な政教分離
の原則を指す言葉、ライシテが初めてフランス共和国憲法の中に現れるのは、
「パリコミューン(1871)後に制定された第三共和国憲法(制定1875)が1884年に
改正された時」である/ 関連参照⇒ 2014-07-01toxandoriaの日記、http://urx.nu/aA9N )。


つまり、井上毅(漸進主義の考え方から先ずプロイセン型国家を構想すべしと
主張した人物でもあるが)は、司法省の西欧使節団(8人)の一員として明治5
年(1872)に渡欧しており、この時はフランス中心に司法制度の調査研究を行
った。従って、井上はライシテとパリコミューンの事情についても、ある程度
理解していた可能性が高い。ともかくも、このような事情を背景としてできた
「教育勅語」は、形式的に明治天皇が発したとされているものの、そこでも
「天皇現人神論」はストレートに主張されていなかった。しかし、昭和10年代
以降になると、現実的には「天皇現人神論」が「教育勅語」の大前提であると
理解されるようになった。


また、「教育勅語」の少し前に、同じく形式的に明治天皇から直接出された
「軍人勅諭」(明15/原文 ⇒ http://urx.nu/aAc2 )は“軍人に対して政治
への不関与を命じる(今風に言えばシビリアン・コントロールを厳守すべき)
”ことが基本であると書かれているものだが、ここでも「天皇現人神論」には
直接触れていない。にもかかわらず、やはり昭和10年頃から軍部は「軍人勅諭」
が“明治憲法に先行して出された”重要勅諭であると主張するようになる。


更に、彼らはやがて「軍人勅諭」は<軍部の独立性を担保する重要証拠>であ
るという方向へムリくりに解釈し直される。その後は軍部の政治介入が強化さ
れることとなり、万事につき「天皇現人神論」を金科玉条とする「国家総力戦
を唄う日本軍国主義の罠」に日本全体がスッポリ嵌ることになった。まさに、
これこそ丸山 眞男が言う「抑圧の移譲」による「無責任の体系」の完成、そし
て「国家神道(靖国顕幽論)による、全ての日本国民の戦争ロボット化」とい
うことであった。


2−2 ご都合主義でムリくり解釈される「日本民族論」、それは単一大和民族
(攘夷論の一つの根拠)⇒日本人混合民族(昭和10年代〜戦中期)⇒単一大和
民族(戦後期)と揺れてきた


(昭和10年代〜戦中期は軍部の露骨な政治介入で「天皇の密教政治利用」が強
まり、東アジア植民地獲得(帝国主義)を支える「日本人混合民族論」へ傾斜
した)


ところで、歴史的「皇国史観」(本居宣長がアーキタイプを完成した)をベー
スとする伝統的「国体論」とは異なる、いわばネオ「国体論」(現実的、政治
的に天皇を利用するためにこそ、天皇を現人神に祭り上げることを良しとする
国体論/いわば強弁『国体の本義』なる皇国史観ルネッサンスで一層悪徳化し
た“天皇の密教政治利用”)の原像がそのフレームを現しつつあった明治半ば
以降の日本は、軍部の露骨な政治介入も加わり、やがて東アジアの植民地獲得
政策を積極的に拡大させて行った。


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<注記>天皇制をめぐる「顕教・密教」論(仏教の顕教・密教の意味ではな
い!歴史学者・坂野 潤治氏の用語)

・・・「顕教」は、「一般国民を広く柔らかく洗脳するシステム」として機能
した天皇制、「密教」は特権層による<隠然たる国家支配の技術>の意味。後
者は<場合によっては「玉(ぎょく)」(天皇)をも冷酷に政治利用するとい
う傲慢な意思(“密教テロリズム・クーデタ”を超然発動する意思)を秘める
悪意に満ちた、非民主主義的で狡猾な統治システム技術>である。


このため、爾後は、今までの日本の歴史と決定的に異なる困難な事態を抱え込
むことになる。その事態とは、つまり異民族の同化をめぐる伝統「国体論」の
有効性についての議論である。別に言えば、それは<日本の伝統トラウマでも
ある『世界に誇るべき純血の単一大和民族』なる妄想>と、<異民族統治の正
当性を主張するためのネオ「国体論」>の相克ということである。


つまり、それは<そもそも皇国史観(特に明治期以降の国体論(皇国史観)は
『伝統神道と本居宣長』の曲解に端を発する(参照、下記◆)ものであったの
だが・・・)は歴史と伝統文化を共有する単一日本民族に固有のものである。
しかし、拡大する一方の植民地の異民族は日本伝統の国体を理解できないので
はないか?だから、彼らに対し天皇陛下への主体的忠誠を期待するのは無理で
はないか?>という、もっともな危惧(憂虞)の問題であった。これが、いわ
ゆる<日本人に関わる「混合民族論」と「純血大和民族論」の相克>の問題の
発端である。


◆2013-05-07toxandoriaの日記/日本会議&神政連の『伝統神道と本居宣長』
曲解が安倍自民の主権制限こと「改憲」と戦前型「国民モルモット化」なる暴
政の元凶http://urx.nu/aA9N


そこで、歴史の流れから大きく俯瞰すると、日本人が「混合民族」であるか
「単一大和民族」であるか?の問題について、ある興味深い傾向が見えてく
る。そもそも幕末期以前の伝統皇国史観(本居宣長)では「単一大和民族論」
であったのだが(尊王攘夷論の一つの根拠)、明治中期〜大正期〜昭和初期
(戦中期)においては植民地獲得が拡大するにつれて「混合民族論」が主流と
ならざるを得なくなった。そして、興味深いことに、終戦後は、再び、左派・
右派の別を問わず「単一大和民族論」が主流となったのである。いわば簡単に
科学的検証の結論など出そうもない「日本民族」の問題は、これもご都合主義
的にムリくり解釈が繰り返されてきたようだ。


それは極めて時流に沿った政治的マターであるという訳だ。しかも、それは今
も同じことで、擬装極右たる安倍政権下では皇統問題(男系Y染色体問題、日
本人は全て神武天皇の子孫?これも一種の天皇密教利用の問題?w)とも関わ
りつつ益々不可解化しつつある。因みに、後述する古澤満著『不均衡進化(Disparity Evolution) 』―筑摩書房―によれば、二本のDNAがほつれて複製
されるとき、「二本の鎖」のうち一方は「連続鎖」、もう一方は「不連続鎖」
となるが、「連続鎖」といえども100%の複製はあり得ず相対的に変異が小さい
という意味で「保守的」といえるだけのことだ。

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