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タイトル:奇怪な自己愛的「可視歴史観」で国民主権と平和主義を捨て、・・・(3/n)  2014/03/02


[暴政]奇怪な自己愛的「可視歴史観」で国民主権と平和主義を捨て、「反知性
主義」で第三次グローバリズムの佳境を突き進む安倍サイコパス一派/付、聖
母の真実ならぬ魔女の受胎告知と化す日本の惨状(3/n) 

<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください・
http://urx.nu/6ZNu   

1−2 同時代のフランチェスコ・デル・コッサ『受胎告知』との比較から見
えてくること/“一見、完全無欠に見える美しく合理的な説明”には注意せよ!

【画像】フランチェスコ・デル・コッサ『受胎告知』
Francesco del Cossa(ca1435-1477)「Annunciation and Nativity 
(Altarpiece of Observation)」1470 tempera on panel 137 x 113 cm Gemaeldegalerie Gallerie, Dresden, Germany

クリヴェリとほぼ同時代(初期ルネサンス)の画家フランチェスコ・デル・コ
ッサの『受胎告知』では、ほぼ同じ場所に「カタツムリ」を描いた例がある。

美術史家ダニエル・アラス(Daniel Arasse/1944-2003/著名なイタリア・ル
ネサンスを専門とする美術史家/人文学的な知の先端を担うフランス社会科学
高等研究所(EHESS)の「芸術の歴史と理論」部門で活躍した)によれば、この
フランチェスコ・デル・コッサの「カタツムリ」は「余りにも分かり易く見え
すぎる“一見、完璧(完全無欠)に映る美しく合理的な説明”(この絵の場合
は線遠近法なる合理的視点)による見えない世界(内面世界/人間存在の必然
として、そこでは聖なる真理(形象不可能なる真理)とともに悪魔的・カルト
的な観念が共存する)についての説明は危険である」との鑑賞者への警告であ
る。

つまり、この「カタツムリ」には、そのような「揺籃期グローバリズム時代」
に必須の心得を当時のこれらの絵の鑑賞者(これも揺籃・幼少期の中間市民層
の人々がメイン・ターゲット)たちへ警告する意図が隠されているということ
だ。

無論、これは絵画に限ることではなく、例えば、それは現代日本における「世
界一絶対安全な日本の原子力発電、フクシマ汚染水の完全コントロール」(安
倍晋三・首相)、あるいは「幸福の科学」(未だ国会に議席は得ていないが、
関連する政党名で言えば『幸福実現党』)などがある。

同様に「公明党」も限りなく妖しい政党である。それを理解するには、“公明
の意味が『公平で、良心に恥じるところがなく絶対に正しい』ということであ
り、表面的に完璧(合理的)な無謬性を政党名として唄っている”など、これ
ら余りにもその響きと口当たりが良すぎるコトバが与える面妖で胡散臭い異様
な空気を考えてみるだけでよい。

ところで、それとは少し意味合いが異なるが、先のカルロ・クリベリ『聖エミ
ディウスがいる受胎告知図』も、朽ち易い野菜と果物を受胎告知図と現実世界
の狭間に置くことで、我われ現実世界の人間に対して何か特別のことを暗示し
ていると見るべきであるようだ。

当然ながら「グローバリズム交易で遠方(外国、遠方の地)からもたらされる
“物的・経済的豊かさ”と異文化交流がもたらす“より洗練された高い精神性”
なる二つの見事な調和のイメージで表わされた“聖なる受胎告知の瞬間(豊か
で美しい奇跡)”が、この絵画のテーマである。しかし、同時に、その絵の片
隅に描かれた腐敗しやすい野菜と果物は、この美しい絵ですらも、それ自体が
“とても朽ち果て易く、非常にフラジャイル(脆弱)で儚(はかな)いイメー
ジにすぎない”ということの暗示でもあると考えられる。

しかし、それだけではない。この絵の中に具体的に現れてはいないが、この
「聖なる絵画」の深層には、その美しい表象のネガとして「悪魔」や「小悪魔」
らの“偽装極右的な怪奇で醜悪な表象”が必ず隠れていると見るべきなのだ。
つまり、あのフランチェスコ・デル・コッサの警告と同じく、それは、我われ
人間自身の内面には聖なる真理とともに悪魔的ないしはカルト的観念が必ず共
存するというリアリズムである。それは、グローバリズム経済時代における陰
の部分(必然的に交易活動の活発化に伴う格差拡大や地域個性消滅などのマイ
ナス面)と見なすこともできるであろう。

つまり、カルロ・クリベリが『聖エミディウスがいる受胎告知図』の中に描い
た「朽ち易い野菜と果物」の図像は、この絵画の鑑賞者たちが些かでも気を許
したり油断をして、自分の眼での批判という基本的な行為を怠れば、この「聖
なる美しい絵画イメージ」の背後に潜む悪魔やゾンビ(永遠に死ぬことが叶わ
ぬ呪われた死者の霊たち)、あるいは例えば日本の「アベ“靖国&原発国策融
合カルト”権力」の如く異様な自己愛、いわばナルシズム的「可視歴史(社
会)観」の共有でたむろするカルト系の御友達一派(縁戚・眷属・一族郎党)
が、何時でも、何処でも此の種の「美しい絵画」の主役になり得るのだ、とい
う警告を発している訳だ。

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