メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:奇怪な自己愛的「可視歴史観」で国民主権と平和主義を捨て、・・・(2/n)  2014/03/01


[暴政]奇怪な自己愛的「可視歴史観」で国民主権と平和主義を捨て、「反知性
主義」で第三次グローバリズムの佳境を突き進む安倍サイコパス一派/付、聖
母の真実ならぬ魔女の受胎告知と化す日本の惨状(2/n)

<注記>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://urx.nu/6ZNu  

1 「聖母の真実(形象不可能なるもの)の降臨」ならず「魔女の受肉(受胎
告知)」と化す、アベ「可視歴史(社会)観」が支配する日本

<注記>「可視歴史(社会)観」(追憶のカルト)
・・・自分にとり美しいと思われる所だけ、または見たい部分だけを抽出し、
敢えてそこだけに焦点を当てて歴史や社会的現実(神と悪魔が共存する多様な
人間存在のリアリズム)を都合よく解釈する特異な歴史・社会観(美醜混在の
現実直視を避けつつ手前味噌の強大な権力の保持だけに拘泥する、ひ弱でカル
ト的な意味で劣化した人間性の現れ)であり、安倍様の御友達一派が目指す
「戦前の(美しい部分だけの)取戻し」は、その典型である。例えば黒人の存
在を認めたくないという可視歴史(社会)観の下では、米国大統領のオバマ氏
は認める(理解できる)が、黒人のオバマ大統領は認められない(理解できな
い、現実の視野に入らない)というような非常に深刻な社会問題(外交問題な
ど)が生ずる可能性がある。また、安倍様の御友達一派のそれが悪質なのは、
御友達の仲間内だけで済ませておけばよいのに、その特異な「可視歴史観」
(追憶のカルト)による歴史(社会)解釈、またはその「特異な信念」
(Blind belief)を日本国民全体へ、あるいは外国人へまでそれを強制し洗脳
しようと謀ることにあり、それこそ彼らがカルトであることの明快な傍証とな
っている。

1−1 カルロ・クリヴェリ『受胎告知』/そもそも、揺籃期グローバリズム
は一方的価値観の押し付けではなく「精神とビジネス」を介す「WinWin交歓」
であった

【画像】カルロ・クリベリ『聖エミディウスがいる受胎告知図』
f:id:toxandoria:20140301031725j:image:w500
・・・「The Annunciation with St.Emidius」1486 Oil on wood 
transferred to canvas  207 x 146.5 cm National Gallery 、 London

f:id:toxandoria:20140301032039j:image:w200
現代における優れたルネサンス研究者の一人と目される英国の女流美術史家
リサ・ジャルディ−-ヌ(Lisa Jardine/1944− )は、著書『Worldly 
Goods』(1998、W.W.Norton)の中で、このカルロ・クリヴェリ『受胎告知』
の個性的な表現について次のように述べている。

・・・以下、引用開始/toxandoriaの意訳(関連部分のみ)・・・

・・・夥しいほど多くの貴重で高価な事物が、マリアが住まう建築物の外まで
溢れている。見るからに貴重なものであることがわかる石や陶器製の壷には多
くの植物が植栽されており、それら高価な壷類は回廊の手摺の上に置かれてい
る。右上の回廊の手摺にはオリエンタル風の敷物が掛けられており、それは回
廊の外壁に装飾されたテラコッタ製の浮き彫りを部分的に隠している。その敷
物の傍にはエキゾティックな孔雀が止まっている。

鳩の棲家だと思われる鳥籠の傍には、陶器製の壷に設えたもう一つの植栽が置
かれている。遠方のアーチ橋の上では二人の人物がWinWinのビジネス交渉を行
っている。恐らく、彼らは仲買人か外国からやってきたビジネスマンたちなの
であろう。

この絵の前景では、神と神に選ばれた者(マリア)との間での『精神的な交流
(交歓)』が行われ、遠景の橋の上ではWinWinの(交渉・関係者がともに利得
を享受できる)ビジネス取引(交流・交換・交歓)が行われている。そして、
この遠景と前景の“取引・交流・交換・交歓”(transaction)が、クリヴェ
リの絵の中ではイメージ的に共鳴し合い、合わせ鏡のような干渉の作用をもた
らしている。 

画中のトルコ経由で輸入されたペルシア絨毯は、この種の絨毯を取り扱う商人
の店先に吊るしてあった実物をモデルに描かれたのかもしれない。より現実的
に考えれば、これらの絨毯類は、当地の親切な商人が貸し出した本物のペルシ
ア絨毯を実際にクリヴェリが見て模写したものに違いないし、あるいは、その
絨毯を貸してくれたのは、どこかの財産家・パトロンであったかもしれない。

今では、このクリヴェリの絵は“ペルシア絨毯の歴史”についての貴重な証拠
(イメージ記録)として、多くの専門家によって、しばしばよく利用されてい
る。つまり、今日では、このクリヴェリの絵は“絨毯のデザイン”が15世紀
中にどのような変遷を辿ったかを知るための貴重な歴史資料でもあることが理
解されているという訳だ。

別に言えば、この絵の中にある「ペルシア絨毯」は、「聖母マリアの手と腕」
を恰も生きた肉体のように見事にリアルに美しく描いたものと同等の力量を発
揮して、画家クリヴェリが細心かつ高度の精神力を注ぎ込みながら、巧みに写
し取った『現実』(real)なのだ。だから、たとえ専門家のように特別の関心
を持たなくても、これら活きいきと描かれた珍しい事物の姿や形、そして豊か
な装飾の中に我われの意識はすっかり吸い込まれてしまいそうになる。

また、この絵の中では<聖母マリアの象徴的アトリビュート(attribute/
属性)>がリアルに描かれている。

例えば、棚に置かれたガラス製品はマリアの受胎(キリストの受肉)の純潔さ
を表わしている。光そのものの性質を失わずに光が恰もクリスタル・ガラスを
透過するように、聖母マリアは彼女の純潔を失うことなく神の子(キリスト)
を宿したという訳だ(最先端の科学知見によるとクリスタル・ガラスの煌めき
を説明するには「量子力学(ミクロ粒子の“無と有”の間の往還を説明する
EPR効果/Einstein-Podolsky-Rosen(EPR)チャンネル/Cf.↓*量子テレポー
ション、出典:大澤真幸『思考術』)」の理解が必要となるようだ! ← toxandoria、補足)。

*<注記>「量子テレポーション(EPR効果の実用化)」
=古典的な情報伝達手段と量子もつれ (Quantum entanglement) の効果を併用
して離れた場所に「一定の量子スピン状態(つまり、大量の情報)」を瞬時に
転送する通信技術 
・・・2013年8月に古澤明・東大工学部教授を中心とするグループが完全な量
子テレポーテーションに成功したと発表しており、波の性質の転送技術を改良
した量子テレポーションによって、“従来の100倍となる61%の実験成功率”
を達成したとされる、http://urx.nu/6UFp )。

・・・

ところで、消費財に関する、クリヴェリの恐るべきほど正確な視覚リアリズム
による再現の対象は、イタリア半島の物産だけに限られていない。聖母マリア
の身近には、世界中からあらゆるニーズの大きい商品が集められている。これ
らの様々な商品と物産は、およそ北フランスあたりからオスマン帝国にまで及
ぶ広域な市場で活躍するイタリア交易商人たちの誇りを物語っている。

つまり、マリアの周囲には次のようなものが集まっている・・・イスタンブール
経由で入ってきた使い心地がよさそうなペルシア絨毯、部屋に架かっているア
ラス織りのカーテン、ヴェネツィア産の繊細で洗練されたガラス製品、スペイ
ン半島内イスラム圏からやって来た金属製品、中国産の磁器と絹、ロンドンか
らやって来た広幅生地(broadcloth)など様々である。

15世紀半ば頃までには財力(金銭)さえあれば手に入れることができるよう
になっていた貴重な日用品の数々を、クリヴェリは細心の配慮で描いている。
クリヴェリの仕事の多くは、このようにエキゾティックでニーズが大きいもの
の世界を描くことに費やされている。

多くの人々から祝福され支持された、当時の貿易商たちのWinWin交歓グローバ
ル交易活動そのものがクレヴェリ自身にとっても、彼自身の実利(日常の経済
生活)に結びつくビジネスを提供していたのであった。つまり、この初期ルネ
ッサンスの時代には<進取の心意気に溢れた「経済・交易・ビジネス活動」と
ピュアで奥深く知的な市民らの「精神世界」のWin・Win交流・交歓>が、ごく
当然のこととして日常的に行われていたのである。

・・・ここで、引用は終わり・・・

このとても興味深い記述から何を感じるかは人により様々で、それは人々の生
き様しだいのところがある。が、21世紀に生きる我われは、例えば上で見た
全く新たなIT技術(量子テレポーション)の実現など更なる革新的科学技術の
実現(そこでは、先端電力工学、分散型電力などの研究成果も加わり、原発の
如き中央集権&メインフレーム型の巨大電力供給システムが不要となる可能性
が高い!)が視野に入りつつある「21世紀の科学革命」のなかで、更に、有
無を言わせず益々加速する「グローバリズム経済の時代」を生き抜かなければ
ならないのが現実である。

しかも、これほどモノと情報が溢れているため“外形的には、歴史的に見ても
空前絶後とさえ言えるほどの情報過多と豊饒・飽食の時代である”にもかかわ
らず、他方で、日本の個性と日本らしさがどんどん失われている。いわば昨今
のように、グローバル情報面から画一化される世界的トレンドのなかでは、
「日本自身」と「地域」(経済・文化・伝統)の双方が、WinWin交歓の関係を
築くどころか、その現実は真逆であり、グローバリズムのなかで諸共に崩壊し
ていくのか、とさえ思われてくる。

そこで見られるのは、老若男女の別を問わぬ心象風景(精神環境)の貧困化、
粗暴化であり、街並みや自然環境など日本の伝統美や美しい景観の破壊も深刻
化している。目下の日本のグローバリズム経済時代の最中でも見られる、この
様な矛盾について考えようとするとき、このクリベリ『聖エミディウスがいる
受胎告知図』は一つのヒントを与えてくれる。そして、それはこの絵の真下の
縁に描かれている「瓜」(または胡瓜/古代から中東・インド・ギリシャで栽
培されており、6世紀に中国、9世紀以降にヨーロッパへ伝播した)と「林檎」
の図像にある。

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