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タイトル:[机上の空論]薔薇は理由なく咲き、自公はわけなく朽ち果てる  2008/06/11


[机上の空論]薔薇は理由なく咲き、自公はわけなく朽ち果てる
2008.6.11

<注記1>

●テーマが見えにくかったので、【A.ジレジウス『薔薇は理由なく咲く』、その人間的実存の意味】を改題して再度UPしました。

●本日、ようやく野党は福田首相に対する問責決議案を参院へ提出するようです。J.ロック流に言えば“絶対多数の国民の支持”を失ったにもかかわらず「小泉・安部いらいの暴政の継承へ拘り続ける」ことに対する“国民の代表による、か細い抵抗の意志”に過ぎません。

● しかしながら、お隣の“韓国国民の米国産BSE問題に対する抵抗パワー”には負けるものの、これは「異常で悲惨な日本の民主主義」に対する<抵抗意志の表明としては歴史的な出来事>であり、本格的な民主主義実現への第一歩です。

●正義と倫理を見失い、隠微に爛れてしまった自公の存在は、年間3万人以上と多発する自殺と悲惨な通り魔事件の遠因であることにも早く気づくべきだったと思います。

<注記2>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080608

[副題/スーベニール・シリーズ]2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/ゲント編/右上、薔薇の画像はhttp://vol01.eyes-art.com/0210.htmlより


『啓蒙とは、人間が自分のせいでとどまっている未成年状態から脱却することである』(イマニュエル・カント)


・・・これは、フランス革命が勃発する以前に、カントが与えた啓蒙の定義。それは「他者(規則・法制などの変革)に導かれるより前に、自分の知力を使うことができない状態から脱却すべき」ことを意味する。


Hier Encore - Charles Aznavour(帰り来ぬ青春)
[http://www.youtube.com/watch?v=yuLhi-qOU_A:movie]


(序論/A.ジレジウスの薔薇から余りにも程遠い現代日本の社会)


作家・中野孝次氏(1925-2004)は、その著書『人生の実りの言葉』(文春文庫)の中でアンゲルス・ジレジウスの「薔薇」という詩を取り上げています。


『薔薇はなぜという理由なしに咲いている。薔薇はただ咲くべく咲いている。薔薇は自分自身を気にしない、ひとが見ているかどうかも問題にしない(ドイツ語からの直訳文=薔薇は何故(ナゼ)なしに有る。それは咲くが故に咲いている)』


Die Rose ist ohne Warum、sie、weil sie bluet、es lenkt keine Aufmerksamkeit auf sich、fragt bluet、nicht ob es gesehen wird.(The rose is without why、it blooms because it blooms. It pays no attention to itself、asks not whether it is seen.) 


アンゲルス・ジレジウス(Angelus Silesius/1624‐1677)は、ドイツ・バロック期の神秘主義的な詩人で、本業は医者でしたが、ドイツ伝統のキリスト教神秘主義者たちの著作に親しんだためプロテスタント派の人々から退けられることとなりカトリックへ改宗(1653)しています。しかも、その後、科学合理主義と産業革命の発展による社会構造の歪み(格差社会)が発生したことへの批判意識からロマン派が胎動することにより再発見されるまで、彼の作品は長い間忘れられた存在でした。


ところで、中野孝次氏は、ジレジウスの『薔薇』について宗教哲学者の上田閑照氏(京都大学名誉教授)が次のように解説していることも、同書で紹介しています。


『薔薇は通常の意識にとっては一つの自然物であり、キリスト教的にいえば被造界に属し、近代的にいえば対照的自然界に属している。しかし“薔薇は何故なしに有る”と歌われているこの薔薇は、いわゆる自然物ではない。アンゲルス・ジレジウスは、また「ここに汝の肉眼が見る薔薇、それは永遠に神の内でこのように咲いていたのだ」と歌っている。ここでは、薔薇が咲くという事が、神の内の出来事、従って神の出来事として見られているわけである。この時、“薔薇は何故なしに有る”ことになる。すなわち、“薔薇の何故なき有る”は比喩的ないし類比的にいわれたことではなく、神の有(存在)そのもであり、神の有として“何故なしに有る”のだ。この時、薔薇は被造物的自然界をつき抜けて、神の内で咲いていることになる。』


今、経済学者・岩井克人氏のオリジナルと思われる「自己循環論法」が注目を集めています(参照、http://www.kenyama.net/2006/09/post-162.html)。この二つは全くフィールドが異なりますが、ジレジウスの『薔薇』に潜む観念とこの岩井氏の「自己循環論法」の論理には奥深いところ(=現代人が忘れ去ってしまった、人間存在の深奥にある重要な世界を示唆するという意味)で何か共通点があるように思われます。そして、「自己循環論法」について岩井氏は次のように説明しています。


『・・・前略・・・なぜ私は1枚の紙切れに過ぎない1万円札に1万円の価値があると思っているのだろうか?それは、他のすべての人間が、その声が泥棒を意味すると思っており、その庭の使用は所有者だけの権利だと思っており、その紙には1万円の価値があると思っているからである。それだけではない。他のすべての人間がそう思っているのも、それぞれ他のすべての人間が、その声が泥棒を意味すると思っており、その庭の使用は所有者だけの権利だと思っており、その紙に1万円の価値があると思っているからである。・・・後略・・・』(出典:2008.6.4付・日本経済新聞『やさしい経済学/言語・法・貨幣と“人文科学”』)


文字通りに“この岩井氏の説明”を鵜呑みにしてしまうと、それを「トートロジー(同意語反復/tautology)」と同一視してしまうおそれがあります。無論、名著『ヴェニスの商人の資本論』(ちくま学芸文庫)で資本主義の一つの発展可能性(“自由原理主義的な新古典派”と“ケインズ主義”の限界を乗り越える資本主義の可能性)を予告した岩井氏が、そのように表面的な意味を説く訳はありません。それどころか、岩井氏はこのような、「自己循環論法」が成り立つ前提として社会(正義(=政治的衛生観念)と信用を大切にする社会!)なるものの存在意義と、その中にこそ基礎を持つべき企業の責任の重さを強調します。それは、あのハンナ・アレントの「人工物としての社会の役割と責任」を連想させ、非常に興味深いものがあります(アレントの社会論の詳細は下記記事★を参照乞う)。


★ハンナ・アレントの危機意識=“労働の疎外”と”公共の喪失”(2008-04-28付toxandoriaの日記/冷血・外道で悪徳まみれの『小泉・前首相カムバック』に国民は何を期待するのか?(2))、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20080428


しかしながら、今の日本には「岩井氏の自己循環論法」と「トートロジー(tautology)」を同一視しがちな“テレゴング嗜好(=デジタル・アンケート嗜好(志向ならぬ!)/参照、http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C6%A5%EC%A5%B4%A5%F3%A5%B0)の何事も他人任せのまま受身で生きるという空気”が充満しています。例えば、NHKクローズアップ現代『ランキング依存が止まらない〜出版不況の裏側〜』(6月4日、放送)は、出版物購入にかかわる「消費者のランキング依存行動」が「出版界と既存のメディア業界(新聞・テレビ)」などに対し深刻な打撃(=経営危機)を与えつつあることを取り上げていました。


同じような問題意識は、“休刊宣言” (参照、http://www.j-cast.com/2008/04/10018864.html)をしたばかりの雑誌「広告批評」の編集長・河尻亨一氏が“テレビ、新聞、雑誌、ラジオの4媒体が、インターネットという急成長を続ける新興メディアに押され、世の中に対して、以前のような力を発揮できなくなっている”ことが出版不況(つまり、それで雑誌媒体の広告を収入源としていた広告批評が休刊する羽目になったようです)の原因だと語っていることにも現れています(参照、http://mediasabor.jp/2008/06/no_style_6.html/いささか異なる観点となるが、デジタル情報社会化の進展が社会的事故の広範なリスクを高めるというポール・ヴィリリオのリスク論について書いた下記記事▲も参照乞う)。


▲2006-03-28付toxandoriaの日記 /「格差拡大の時代」(政治的事故)を予見したポール・ヴィリリオに学ぶ、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060328


明らかに、これはネット化(デジタル化)の影響ですが、「ランキング依存」で本や雑誌を買ったりテレビ番組を選んだりする行動は、日本の一般消費者(一般の国民、一般大衆)が、「自分なりにモノを考えたり、問題意識を持ったり、本気で人を愛したりすること」、言い換えるならば「一回性としての人生を生きること」(=人間としての実存を凝視する生き方)をやめてしまい、思考停止(=人生の実りならぬ、人生の幼児化・子ども化状態) のまま、一定の作為が伴うランク付けに基づいて流行する大多数の他者の言動に大きく影響されつつ一定方向へドッと雪崩れ込むという非常に危機的な社会へ変質しつつあることを意味します。現代日本において、小泉・前首相の如き詐欺師的な資質の寄生・世襲政治家が持て囃される訳もこの辺りにあるようです。


そして、やはり、これも既述のハンナ・アレントの警告に繋がります。つまり、それはネット化(デジタル化)が消費活動の画一的で循環的な流れを“高度に”促進し、結果的に「受身型の思考パターンとライフスタイルの画一化」をもたらし、ここに改めて現代的な意味でのファシズム(全体主義)が芽生える土壌が出現するという訳です。


・・・・以下は、[2006-08-29付toxandoriaの日記/2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/ゲント編、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060829]の再録です。但し、記述内容は加除・修正してあります。・・・


(スーベニール/2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/ゲント編)


【画像】


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・・・ファン・アイク兄弟(兄Hubert van Eyck(ca1370-1426)、弟Jan van Eyck(ca1390-1441)/油彩画技法と近世ネーデルラント絵画の完成者とされる)の大作、ヘントの『聖バーフ大聖堂の大祭壇画、神秘の子羊』(門外不出扱いとされている/この絵の全体像は下記URLで参照乞う)。http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/e/eyck_van/jan/09ghent/index.html


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・・・その祭壇画・下段中央の「神秘の子羊」をクローズアップしたもの。


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・・・この祭壇画の展示風景。この絵の写実的で驚くほど繊細な描写力には目を見張らせるものがある。


・・・潅木、針葉樹などが生い茂り、“あらゆる季節の花”が美しく咲き乱れる緑の絨毯の上で、厳粛な神秘の子羊への礼拝が今まさに行われているところを天上の神(上部中央/キリストとの説もある)とマリア(左上部)、そして洗礼者ヨハネ(右上部)が見守っている。神の子羊の頭上には精霊の鳩が出現し、そこから幾筋もの金色の光が四方に放射して、輝かしい世界(天のエルサレム)を照らしている。


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・・・『聖バーフ大聖堂』の修復中の周廊部分の景観。


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・・・『聖バーフ大聖堂』の前にあるファン・アイク兄弟の銅像。


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・・・ゲント市内で撮った街角の風景(観光馬車、通りの美しい景観、そしてゲントの花嫁(左))。


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・・・ゲントに張りめぐらされた運河沿いの船着場の景観。この運河沿いには凡そ12世紀から17世紀に建てられた美しいギルド・ハウスが建ち並んでいる。


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・・・12世紀末頃にフランデレン伯フィリップ・ダルザスが建てたグラーフェンステイン城。この城の建築様式は十字軍がシリアで建造した城塞プランに発想の源があるとされている。


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・・・13〜18世紀の長い時間をかけて建てられたゴシック建築の傑作とされる『聖ニコラス教会』。聖ニコラスは漁師と船乗りの守護神であり、海に近いゲントの市民たちは航海の安全を祈願するため、この寺院を建てたとされている。


(ゲントの印象)


ゲントの印象を一言で言うならば、それは、まさにアンゲルス・ジレジウス『薔薇は理由なく咲く』の“薔薇”のように美しく“人生の実りを意識する人々が住まう古都”だということです。『聖バーフ大聖堂』の中に入り、ファン・アイク兄弟の作品とされる『神秘の子羊』を初めてこの自分の眼で見た瞬間にこみあげた感動の中に浮かんだのは、中野孝次著『人生の実りの言葉』(文春文庫)の中(p36〜40)で紹介されていたアンゲルス・ジレジウスの『薔薇は理由なく咲く』です。


現代日本のあちこちで、毎日のように起こる意味不明で凄惨な殺傷事件の数々、とうの昔に正義感と文化・市民厚生への理解を放棄した政権政党・利権ヅラたちのバケツの底が抜けたような腐敗・強欲・淫欲、倫理観をドブに捨てた中央官僚らの破廉恥な規律の緩み、資本主義の社会的責任を忘却しマネーゲーム型のカネの餓鬼・亡者と化した経済学者や企業経営者たち、傲慢な論理万能主義に溺れつつ政治権力へ魂を売り悪魔的な錬金術師へと退行した科学者たち・・・、このように幼児化・餓鬼化し、しかも刹那的・猟奇的な空気に毒されて爛れ切り殺伐たる社会空間と化した日本から最も縁遠い、人間実存の光と影が織り成すヒューマンな色彩が、紛れもなく現代フランドルの都市ゲントには存在していました。


(都市ゲントの概要)


人口約25万人のゲント(参照/ゲントの地図、http://www.trabel.com/gent-plan.htm)はスヘルデとレイエの二つの川が合流する場所に位置します。このような地の利に恵まれた中世のゲントは、ブリュージュ及びイーペルと並ぶ毛織物の生産地として栄えました。また、その時代はフランドル伯領の首都としても大いに繁栄しました。その後、ブルゴーニュ公国の時代を経て、1500年にはハプスブルグ家のカール5世がこの地で誕生しており、彼の庇護の下に黄金時代を迎えたゲントは、ブルージュと並ぶ北方ルネサンス発祥の地でもあります。また、オランダ独立戦争(1569-1609)中には、スペインとの間で一時的な休戦条約「ヘントの和約(1576)」がこの地で結ばれています。


第二次世界大戦後は、北部郊外のゲント・テルネーゼン運河に沿って大臨海工業地帯が造成され製鉄・石油化学・自動車などの外国系企業が進出しています。現在のゲントは、このテルネーゼン運河によって約7万トン級の船が入港できるため、アントワープに次ぐベルギー第二の港湾都市となっています。


ゲントはフラマン語圏の学術・文化的な中心都市であり、国立ゲント大学(オランダ国王ウイレム1世が1817年に創立)、ゲント美術館(Museum voor Schone Kunsten Gent/14世紀から20世紀前半のヨーロッパの巨匠たちの作品(ヒエロニムス・ボスからマグリットまで)、ゲント市立現代美術館 (S.M.A.K. Stedelijk Museum voor Actuele Kunst )、考古学博物館 (Oudheidkundig Museum van de Bijloke /14世紀に建てられたベイローク修道院内にあり、さまざまな時代のガラス、陶器、装飾品、武器、衣装などを収蔵)、フランドル文芸アカデミーなどがあります。


(聖バーフ大聖堂の歴史的価値)


ゲントの黄金時代(中世)の生き証人とも言える遺構が『聖バーフ大聖堂』と、そこに収蔵される大祭壇画、ファン・アイク兄弟作の『神秘の子羊』です。この時代のゲントは商業・貿易と毛織物工業の中心地であり、ファン・アイク兄弟が活躍した時(北方ルネサンス発祥の頃)は、善良公(ル・ボン/Le Bon)と呼ばれたブルゴーニュ公フィリップ3世の治世の時代でした。当時の繁栄の雰囲気をつかむため、ピーター・シュミット著『神秘の子羊ゲント』(ゲントの出版社、Ludion版)の中(p6〜7)から、「ファン・アイクの時代のフランドル地方」の個所を以下に転載(『・・・・・〜 〜 〜 ・・・・・』の部分)します。


『・・・・・ブルゴーニュ公国のフィリップ3世が1419年に即位した時は、領地は経済的にも文化的にも繁栄の絶頂期にあり、フランシェ=コンテからフリースランドまでを占めていた。フィリップ公がル・ボン(善良公)というあだ名を頂戴しても驚くにはあたらない。1419年から1467年までの長期にわたる統治期間に、彼はイギリスとフランスの間に起こった百年戦争に関与した。この戦争は1453年まで続いたが、オスマントルコに対して艦隊を配備し続け、心底から十字軍戦士然としていた。


一方、国内では久しく平和を維持したが、明らかにこのことは領地の経済発展に拍車をかけた。最も裕福な地域は世襲の領地であるブルゴーニュ及びフランドル地方であった。ブルージュ、ゲント、イープルなど輝かしい貿易都市を抱えたフランドル地方は、ヨーロッパ経済の中心として主要な役割を果たした。即位から6年後の1425年にフィリップ公は、領地における未来の学問のメッカとなるべきルーヴェン大学(ベルギー最古の総合大学/参照、http://homepage2.nifty.com/norigen/belg/lv.html)の設立(1425)に関わった。


敏腕の政治家・外交家であることはさておき、フィリップ公は文学・芸術の寛容な後援者でもあった。1431年に金羊毛騎士団を創設し、首都ディジョンやその他多くの地域を美しく装飾するなどして、国中の無数の職人・芸術家・音楽家に仕事をもたらした。中にはフィリップ公あるいは彼の宮廷のために仕事をした巨匠たちもいる。ヤン・ファン・アイクが1385年頃から1441年まで生きていたこと、ロヒール・ファン・デル・ウエイデンやディルク・バウツのそれぞれが1464年と1475年に没していることを鑑みると、「初期フランドル派」の芸術が最初の最盛期を迎えた時期はフィリップ公の統治時代と一致することが明らかである。


大都市の中産階級層はフィリップ善良公の黄金期の恩恵を十二分に受けた。貧困が蔓延して(ヨーロッパ中で)いたにも関わらず、ブルゴーニュ公国の大都市における生活水準が相対的に高かったことは驚嘆に値する。ブルージュやゲントの中産階級者たちは、貿易で富を築き優雅な生活を送った。ゲントでは織物貿易が栄え、中世からフランドルの首都の主要な収入源となった。市民の地位の高さや裕福さは、世俗や教会の統治者に加えて、市民が重要な芸術作品を委託するようになったという事実に現れている。『神秘の子羊』の起源を見ると、まさにこのような事情を背景としている。本祭壇画は王家からの寄贈でも委託でもなく、有力な市民(寄進者は裕福な市民夫婦、ユドースク・フェイトと、その妻リスベット・ボルルートであり、彼らの肖像は、この祭壇画の両翼を閉じた時に現れる表面画・下段の左右に描かれている/参照、http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/e/eyck_van/jan/09ghent/index.html)の後援のおかげで制作されたのである。・・・・』  

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