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タイトル:暴力的本性を直視する『平和主義』の意義(追記)  2007/05/31


暴力的本性を直視する『平和主義』の意義(追記)
2007.5.31


●[暴力的本性を直視する『平和主義』の意義]へ頂いたTB(http://blog.kaisetsu.org/?eid=555701)の内容を「追記」として送信しておきます。


●このTBの中にも画像がありますが、お手数ですが、この画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070531


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暴力的本性を直視する『平和主義』の意義(追記)


(追  記)


[kaisetsuさま → 当記事]のTB内容(http://blog.kaisetsu.org/?eid=555701)を下に転載します。司馬遼太郎氏の手紙の添え状(kaisetsuさまがお持ちのもの)の画像があります。


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『toxandoria の日記、アートと社会』より、暴力的本性を直視する『平和主義』の意義 2007.05.31 Thursday 『toxandoria の日記、アートと社会』


2007-05-31 暴力的本性を直視する『平和主義』の意義を読んで感じたこと。


 次は司馬遼太郎氏が関西の当時の副知事にあてた手紙の添え状の一部の写真である。

[f:id:toxandoria:20070531200441j:image]


 次に、2004年2月14日に海舌が書いたものを貼り付けます。


 『書類の整理をしていて、偶然、生前の司馬遼太郎氏の手紙が出てきました。


 御本人が書かれたものを、私が先方に御持ちした時、添え状のみ、私が頂いたものです。


 御存知のように、司馬氏は、主に幕末から明治の時代を小説の題材とされましたが、何度か、身近に接する機会を得たものとしては、おそらく、一番の関心事は、「昭和」特に「太平洋戦争」であったと思います。


 この部分に対する「情念」が、余りに強くて、或いは、「不条理過ぎて」、書けない、客観的になれなかったのでは、と御推察しています。


 勿論、「何故、あんな馬鹿げた戦争を起こしたのか」という憤りです。


 明治を「清純な精神」、昭和を「泥まみれな精神」というような感覚では、と思われます。そこに、大きな断絶を見ておられたことは事実だと思います。


 もう少し、踏み込みますと、「明治」に解答があると睨んで彷徨ってみたが、余りに、「明治」と「昭和」の精神の相違に、愕然とした、という所では、と感じています。(これは、私のような凡人の推量です。)』

 
 参照 『toxandoria の日記、アートと社会』より『司馬遼太郎の祈り、人間について』、http://www.hikoboshi.com/eba/inori/inori136SibaRyoutarou.htmより転載、


バカというのは、差別語ではありません。


 人間の本性にひそむ暗黒の部分のことです。人間は一人で歩いているときは、たいていバカではありません。イヌやネコとおなじくらいかしこいのです。行くべき目的も知っていますし、川があればどうすればよいか、ちゃんとわきまえています。


 ところが集団になって、一目的に対して熱狂がおこると、一人ずつが本然(ほんねん)にもっている少量のバカが、足し算でなく掛け算になって、火山が噴火するように、とんでもない愚行をやるのです。


 民族・宗教・国家。


・・・以下、省略・・・


[司馬遼太郎・著「司馬遼太郎が考えたこと 15」新潮社]より


これは関西の有力府県の当時の知事が辞任する時に、司馬遼太郎氏も、その府県の役職を同時に辞めることを宣言した添え状でした。中身は、その当時の知事の記念本に載せる文でした。


 その添え状は、かなり激しい文章で綴られていました。


 『一切から退きます。(航海していると蛎がうがつくものですね。)』と書かれています。司馬氏は、その当時の知事を『大好きでした。』と書いています。その当時の知事は政争に敗れたのです。
 その大好きな理由を次のように書かれています。


 『表裏がなくて、平然と公人として生きていて、ときに痛々しいほどでした。ただ幸い、頭脳と政治的感受性がありましたから、あの激務のなかで生きてゆけたのでしょう。』


 現在、官僚や学者から政治的分野に入った政治ブルーカーは、「国のかたち」と言う言葉を多用します。これは、司馬遼太郎氏が書いた本の題名ですし、これを念頭に喋っているのだと思います。


 しかし、司馬遼太郎氏が、「この国のかたち」と言う場合、明治と昭和は断絶しています。不連続です。生涯を通じて断絶していたと思います。もし、司馬遼 太郎氏が透明な精神と呼んでいるのは『明治時代』の精神であって、決して昭和では無いのです。昭和は得体の知れない泥に塗れた時代です。司馬遼太郎氏は昭 和を殆ど語っていません。全然書いてないと思うほどです。司馬遼太郎氏の作家としてのエネルギーは戦前・戦中・戦後の暗く・荒んだ時代への憤り、不満、批 判に在るのに、その時代が余りにグロテスクで書けなかったと御本人から聞いたことが在ります。


 先に転載した次の司馬氏の言葉が昭和を背景として言っておられるのは明らかです。(例え、他の時代、他の国に於いても適用されるものであっても、昭和と言う時代を生きた司馬氏が心根で考えているのは昭和の愚考です。)


ところが集団になって、一目的に対して熱狂がおこると、一人ずつが本然(ほんねん)にもっている少量のバカが、足し算でなく掛け算になって、火山が噴火するように、とんでもない愚行をやるのです。


 何度も書きますが、日本の伝統的な知識層は、明治時代の精神に一種の敬意と「美しさ」を感じますが、昭和という時代を、そのような言葉で呼ぶことはしないでしょう。美しい、汚いというのも相対的な概念であり、明治は美しく、昭和は汚いのです。


 勿論、これは個人のことでは無いです。歴史的時代の問題です。


 今、昭和、特に戦前・戦中の歴史を美化する動きが顕著ですが、この動きをしている人々が「国のかたち」という言葉を使うことは司馬遼太郎氏を冒涜することだと思っています。


 toxandoria氏が書かれているように、『アルブレヒト・デューラーの『自画像』の透徹した眼差し』こそ、知性です。


 人々が書物や絵画、音楽から何を学ぶか、これは自由ですが、その作者の透徹した眼差しから全く離れた解釈や引用を行うことは作者に対する冒涜です。

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