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タイトル:“戦争の悲惨が美しく見える”日本の「論理的な危機」  2007/05/07


[Intermission]“戦争の悲惨が美しく見える”日本の「論理的な危機」
2007.5.7


<注>お手数ですが、当記事の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070507


レオナルド・ダ・ヴィンチ『受胎告知』 Leonaldo da Vinci(1452-1519)「The Annunciation」 ca1472-1475 98 x 217 cm Oil and tempera on wood Uffizi Gallery、 Florence
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今、東京国立博物館で『レオナルド・ダ・ヴィンチ/天才の実像』展(3月20日〜6月17日)が開催されています。このイタリアの至宝(というより世界の至宝/ウフィッツィ美術館発行の図録によると、この受胎告知はモンテ・オリヴェートのサン・バルトロメーオ教会に由来し、師ヴェロッキオ(Andrea del Verrocchio/1435-1488)の指導を受けていた頃のダヴィンチが若い時代(20〜23歳)の作品であり、1867年からウフィッツィに帰属している)を日本へ搬入し展示するため、保護ガラスの存在を殆んど感じさせない「無反射ガラス」(ドイツ・ショット社製)を使った特別の保護ケースをドイツのグラスバウ・ハーン社へ発注しています。



(妄想)フランス大統領選挙の結果について


各報道によると、5月6日に行われたフランス大統領選挙では右派のサルコジ氏(カトリック信者でユダヤ系ハンガリー移民の子)が、左派のロワイヤル氏を退けて勝利しました。サルコジ氏は現シラク大統領の支持母体の総裁ながらもアメリカ型の自由主義的な経済改革の導入、高い失業率の改善、移民増大関連に伴う犯罪対策の強化などを公約に掲げ、右寄りの『保守政権』の維持を果たしたと報じられています。


得票率はサルコジ氏52.7%、ロワイヤル氏47・3%で、意外にも投票前に約10%と予想された両氏の開きが5.4%まで接近しており、今後の政権運営の難しさと今回の大統領選挙でのフランス国民一般の呻吟・困惑ぶり(国民の関心の高さを反映して投票率は85.5%に達した)が現れているように思われます。


敢えて端的に言えば、サルコジ大統領の誕生によって、今後のフランスは「高邁な理念・文化型国家」から「現実的なビジネス重視型国家」の方へ少し軸足を移すのではないかと思われます。このため、一部の報道が分析しているとおり、サルコジ大統領の下で暗礁に乗り上げている欧州憲法の批准プロセスが動きだす可能性もあると思われます。


ただ、“親米派大統領”の登場でイラク戦争などを機に歩調が乱れたアメリカとフランスの関係が修復へ向かう見通しだとする一部の解説には疑問符がつきます。なぜなら、サルコジ氏は、当選を確実にしたとき真っ先に支持派の市民が大勢集まったパリ市内で行った演説で“もし、アメリカが今後もイラク戦争や地球環境問題について独善的な考えを推し通そうとするならフランスは容認できない”と発言し。アメリカに対しクギを刺しているからです(2007.5.7、AM6:00〜 NHKラジオニュース)。


恐らく、サルコジ大統領が進む方向は英国ブレア型・ニューレーバー政策(社会民主主義の原点と自由市場主義の摺り合わせと葛藤の成果)に近いものになると思われます。いずれにせよ、サルコジ氏が大統領に選ばれたことで「今後のフランスが根っこからゴッソリとアメリカ化する」ということはあり得ないようです。


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この春、自宅周辺で咲いた花々のプロフィール(記事内容とは無関係です)
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(迷想)「美しい国・日本」が掲げる“青藍”(戦後レジームからの脱却の象徴)について


<注>以下については、関連記事として下記(■)を参照してください。


■妄想&迷想、ドイツの青(Azur)と日本の青(青藍=Blue)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070503
■2007年春、ドイツ旅行の印象[バンベルク編] ←プロローグ部分
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070505


上のレオナルド・ダ・ヴィンチ『受胎告知』のマリアの「青い衣」にも使われている美しいラピスラズリの青は「フェルメール・ブルー」とも呼ばれていますが、それはキリスト教で聖なる天上の色とされてきました(参照/下記★)。


★小林康夫著『青の美術史』(平凡社ライブラリー)


ある色彩の専門家の説によると、「青い色」の特徴は「良い、美しい」と「強い、固い」という対照的な両極端の心理に結びつく傾向が大きいとのことです。つまり、「青い色」そのものには何の責任も罪もないのですが、何かの切欠でどちらかの極端な心理へ強く結びついてしまい易いということです。


哲学・美学などの分野では、この種のテーマは「記述(例えば色の名前のこと)と判断(良い、強いなどの価値判断のこと)の区別ための論理的必然性の問題」と言われています。


つまり、このようなテーマを考えるときには、必ず現実的な経験(≒歴史経験、歴史から学ぶ知恵、現実的な社会経験など)を必ず視野に入れて論じないと、人間にとっては無意味なことになるという訳です。


例えば、コンピュータにある色の名前と定義を次々と記憶させ、それらが他の言説と結びついたときの意味を論理文脈(アルゴリズム)的に解釈させることは容易ですが、そのコンピュータの解釈の結果が「良いか悪いか」、あるいは「正しいか根本的誤りか」については、現実的な経験を積み、ある程度まで謙虚に正しい基本を学んだ人間でなければ、絶対にそのような価値判断はできないということです(ただし、これは学歴の有無や専門分野の違いなどとは無関係なことです)。


ともかくも、日本の場合の青(青藍)は「強い、固い、頑固→軍国主義、ファシズム、特攻隊の悲劇など」の不幸な直近の歴史との結びつきを誤魔化すことはできないはずです。


つまり、このような点についてドイツのように真摯な反省(参照、下記★/ヤスパースの功績による)ができない限り、政治的な言説の一環としての「青藍」は決して“美しく”はなり得ないのです。


★2007年春、ドイツ旅行の印象[ドレスデン編] ←エピローグ部分
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070501


“青嵐の天空を貫く美しい国”を掲げる日本国首相とそれを強く支持する一派及び軽薄なネット・ウヨなどの方々は、この最も根本的な点が理解できていないと思われます。尤も、このウヨ・サヨなる言説そのものがナンセンスだと思いますが・・・。


このような意味での正しい歴史認識または日本人として必須の基本をすっ飛ばして、独善的に自分の考えを他人へ押しつけたり、自分の不見識を根拠に相手を激しく罵倒したり、ののしり合ったりするのは喩えれば「ラリっている薬中患者の妄想」と同じようなものです。


ネット上に溢れかえっている「いわゆるガサツなウヨ・サヨレベルの言説」を眺めてみると、このような最も肝心な部分の意識がスッポリと抜け落ちています。これは、別に言えば“柳が幽霊に見えてしまう”ようなものかも知れませんが、このような「生きている人間としての論理的必然性」を無視した異様な心理が日本全体に広がりつつある一方で、『過去の戦争による悲惨な経験を美しいものと見做そうとする人間的な必然性が感じられない非論理性』が広く国民一般から受け入れられつつある今の日本は、フランスとは全く異なる意味でリスキーな(危うい)状況だと思われます。


日本の社会が、このような事態に嵌り易い一つの原因は、恐らく、欧米におけるキリスト教の長い歴史経験の中で理解されてきた「絶対知」と「暗黙知」(相対知)の精妙なかかわり合いの意義が、未だに十分理解されていないということがあるようです(この論点の詳細は下記★を参照)。


★[民主主義の危機]自由と実践理性の葛藤、その現代的意味(1/2) 
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050403


ともかくも、このように俯瞰して見ると、今回のフランス大統領選挙で便宜的に使われた「右派、左派」なる言葉は、日本のネット上の喧しい争論(それとも罵倒用語?)などで使用される「ウヨ、サヨ」とは大いに意味合いが異なると思われます。

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