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タイトル:[民主主義の危機]“永遠のファシズム”への道を歩む「美しい国」ニッポン  2007/03/09


[民主主義の危機]“永遠のファシズム”への道を歩む「美しい国」ニッポン
2007.3.9

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[欧州人権裁判所、ストラスブール] (ウイキメディア・コモンズより)

<注>お手数ですが、上の画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070308

7日の各報道によると、北朝鮮の核をめぐる6者協議で設けられた日朝国交の正常化についての作業部会は「戦時中の日本による強制連行問題」について対応を求める北朝鮮と「北の拉致問題解決」を主張する日本との間での議論が平行線をたどり、何の成果もないままに2日間の日程を終了した。そもそも“北”というファシズム国家の犯罪行為である「拉致問題」がここまで拗れてしまった根本原因は、これまでの長い間にわたり“右も、左も、小泉も、安倍も”、悉(ことごと)く彼らのすべてが“北による拉致を政治的に利用してきたこと”による。このため、この「拉致問題」については、凡ゆる意味で「信用・信頼」の入る隙間が殆んど見出せなくなっている。この「信用・信頼」を裏づけるのが事実を保証するドキュメント(行政文書・資料、外交文書・資料等)だ。


一方、松岡農水相は7日の国会(参院予算委員会)で「自らの政治資金管理団体の光熱水費の不明朗な計上問題」について“適切に報告している!”を繰り返すばかりだ。一昨日の国会では“きちんと確認してから答えたい”と答弁しているので野党側が再度詳細な説明を求めたが、松岡氏は“内容までの開示は現行法(制度)が予定してないので説明は差し控える”として応じなかった。このことについて記者から所見を求められた安倍首相も“松岡農水相は法的に何ら問題ありません”と庇(かば)うばかりだ。ここで見えるのは“法(政治資金規正法)なんか政治的に利用するのは当然だ”とする傲慢な権力者の意思だけだ。ここにも「信用・信頼」の空気は微塵もない。しかしながら、ここでも、それを保証するのは事実を裏づけるドキュメント(行政文書・資料、外交文書・資料等)だけである。


見方を変えると、政治が人間の「信用・信頼」関係の上に築かれるべきであることは理解できる。また、マックス・ウエーバーを引き合いに出すまでもなく、政治権力者には正統性が求められるが、それを保証する条件は「合法性、カリスマ、伝統」の三つだ。「合法性」は憲法などの法制で、「カリスマと伝統」は人間にかかわる信用・信頼および人間的魅力の問題だ。このように見てくると、安倍政権のように「法律」を政治的に利用するばかりであることに加えて、「信用・信頼」をも軽視する近年の日本政治(特に、違憲クーデタを実行した小泉政権以降の政治)には、実に驚くべきことだが正統性の条件の影が非常に薄いことが分かる。ここで“正統性らしきもの”と見えるのは、わずかに政治権力者の「芸能人と見紛うばかりの大衆的好感度(人気)”だけである。そして、その嚆矢が「小泉劇場」という訳であった。


しかし、これには手本があった。それは、1997年の選挙いらい「メディア王」ルーパート・マードック(Rupert Murdoch/1931- )との関係を深めてきたイギリス労働党のブレアの広報戦略だ。米ブッシュのイラク戦争開戦の直前に、マードックの支配下にある大衆紙がフセインの独裁体制と大量破壊兵器の恐怖を煽っていたという事実がある。これが一般大衆の正義感を鼓舞し、ブッシュの「悪の枢軸」のシナリオが一般に広く受け入れられる下地となった(出典:山口二郎著『ブレア時代のイギリス』(岩波書店)、p106-107)。


たしかに、自由民主主義を守るためにテロを防ぐことは困難な仕事である。しかし、だからといって社会秩序維持と監視体制の整備を優先するあまり、法を無視し、メディアによって密かに民意を誘導するという政治が常態となれば、その先には自由民主主義とは名ばかりの「超監視国家」が出現する恐れがある。現実に、ブレア政権はブッシュの「テロとの戦い」に呼応して疑わしい者への取締りを強化するため、「欧州人権規約の条文適用」(この実効を保障するのが欧州人権裁判所(European Court of Human Rights/Strasbourg、France))/ 参照、下記★)を停止してテロの容疑者を起訴なしに最大2週間拘束できるようにするため新しい法律を成立させた。その結果、600人以上が逮捕されたが、 2004年までに起訴されたのは69人で、うち有罪になったのは15人だけである。また、13人の外国人が裁判なしで刑務所に留置されたままである(出典:同上、p114)。


ここで見逃してならないのは、「国民の安心」と引き換えに、これほどの人権無視的で強硬な対策が行われたにもかかわらず、2005年7月の「ロンドン同時テロ事件」(イスラム教原理主義者とされる者たちによる地下鉄とバスを狙った事件)を避けられず、多大な犠牲者を出してしまったことである。


我われは、「小泉劇場」及び安倍の「美しい国」がメディア重視の戦略だけでなく、その後の「監視国家」についてもブレア流に学んだ節があることを忘れてはならないだろう。そして、法制(合法性)及びその支持基盤となる「ドキュメント(行政文書・資料、外交文書・資料等)とアーカイブ(文書館)」の役割こそが政治の「信用・信頼」の基盤であることを強烈に自覚すべきである。そして、オジャラケて商業主義へ走るばかりのメディアの戦略に乗せられて、ゆめゆめも「カリスマと伝統」を「芸能人の好感度」と見紛うべきではない。我われの未来が「自由民主主義」と「永遠のファシズム」(参照/下記◆)のいずれへ向かうかは、ただこの1点に賭けられているのであるから。


★欧州人権規約(抄)、http://www1.umn.edu/humanrts/japanese/Jz17euroco.html
★欧州人権裁判所、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E4%BA%BA%E6%A8%A9%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80
◆ウンベルト・エーコ著『永遠のファシズム』(岩波書店)

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