メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:[暴政]「履修漏れ問題」と「教育改革タウンミーティング・やらせ質問」が醸す妖しい空気  2006/11/02


[暴政]「履修漏れ問題」と「教育改革タウンミーティング・やらせ質問」が醸
す妖しい空気
2006.11.2

【画像】今日の疑問犬(ギモンケン)???
f:id:toxandoria:20061102183433j:image

<注>お手数ですが、画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061102

本日付の報道によると、政府・与党は高校必修科目の履修漏れ問題を巡って卒
業を認める補習の上限を70回に定め、校長の判断で50回程度まで短縮を認める
(2/3以上出席の場合)救済策で合意したそうです。

しかし、この「一連の大騒動」には“何か異常で不自然な感じが付き纏ってい
る”と思うのは考えすぎでしょうか? それに、メディアのオーバーヒートぶ
りにも何やら不自然なキナ臭さが漂っています。

以下に、素人の目から見た率直な疑問点を並べてみます。

●何故に、年度の1/2以上を過ぎた“この時期”に至って、この「履修漏れ問
題」が急浮上したのか? 

●それは富山県から始まったようだが、何故に、どのような訳で富山県なの
か? 具体的な切欠は何だったのか?

●それは実際に“どのようにして表面化した”のか? ・・・内部告発か、匿
名のタレこみか、それとも誰か正直者の自主申告なのか?

●聞くところによると、この「履修漏れ問題」は急に今始まったことではない
らしい。つまり、過年度で時間がかなり経過したことらしい・・・とすれば、
今年度の卒業生まで過年度分と同じ扱い(過去の卒業生と同じ扱い)というこ
とにして補習は無しで済ませることが何故できなかったのか?

●もし、このような判断が可能であるとすれば“真に悲惨な犠牲者”(校長先
生の自殺)まで出さずに済んだのではないか? また、教育現場での無用の混
乱も避け得たのではないのか? 何の罪もない生徒たちに余計な負担をかけな
くても済んだことではないのか? だから、これは政府・与党あるいは文部科
学省の考え方一つの問題ではなかったのか?

●具体的に教育現場のことは知らないが、そもそも履修内容不足について補習
の方針を決めるようなことは、元来は各学校の教務レベルの現場の仕事ではな
いのか? それが、どうして政府・与党の判断になるのか? 素人なので、ど
うも、この点が理解できない。結局は、「指導要領の不備の問題」の論点外し
ではなかったのか?

●もし、そうであれば、これは核心的な責任問題を回避するための文部科学省
による意図的な大騒ぎではなかったのか?

一方、今度は『教育改革タウンミーティング・やらせ質問、内閣府作成』の問
題が明るみに出て大騒ぎになっています(参照、→ http://headlines.yahoo.
co.jp/hl?a=20061101-00000112-yom-pol /読売ネット記事)。

このネット記事によると、それは“この9月2日に八戸市で開かれた政府の<
教育改革タウンミーティング>で、内閣府などが、教育基本法改正案に賛成の
立場で質問するよう、ミーティングへの参加者に依頼していたことが1日の衆
院教育基本法特別委員会で明らかになった”ということのようです。

これが事実だとするなら真に怪しからぬことですが、それよりも、これも何故
に“このタイミング”(9月)のタウン・ミーティングだったのでしょうか?

そして、本日付・中日新聞のネット記事(参照、→ http://www.chunichi.co.
jp/00/sei/20061102/mng_____sei_____006.shtml)は、『教育基本法が今国会
で成立の見通しとなった』と報じています。

結局、「教育改革タウンミーティング・やらせ質問」と「履修漏れ問題」は初
めから、ほぼ“この時期に同期させる”シナリオだったのではないか、と疑わ
れても仕方がないと思います。

ともかくも、この点について、どこまでも妖しい空気が漂っています。つま
り、「教育基本法改革法案」を成立させるための外堀作戦ではなかったのか?
 
もしそうであるならば、今回は、殆んど全てのメディアが上記の疑問点(●)
についての調査報道に取り組むどころか、いそいそと、率先して政府・与党の
世論誘導に加担したことになります。恐るべきことです。

・・・中身は関係ありませんが、以下に「当日記への直近のコメント&レス」
を転載しておきます。

[2006.10.23付toxandoriaの日記/『低投票率』と『民主主義の品位の放棄』を
看過するメディアの異常]へのコメント&レス

[コメントを書く]  to http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061023

sophiologist 

『toxandoria様

北海道の写真に魅かれて、コメントします。

札幌には、冬2月頃?と五月の中旬頃?に入ったことがありますが、秋の札幌
等には、行ったことがないので、紅葉の写真等を楽しんでいます。自宅のeMac
は、画面が暗くくすんで見えますが、今、職場のVaioで見ると、とても華麗に
見えます。

北海道に行って、本州とは異なる、「地霊」を感じます。それは、イギリスの
ような感じとちょっと似ていると思います。とまれ、北大のキャンパスの風景
はなつかしいですし、ポプラの木立は、私のお気に入りです(勝手ですが)。
また、魚貝類がおいしくていいですね。

知り合いで、小樽出身の人がいて、しみじみと小樽生活が頂点であったことを
語っていたことを想起します。東京や大都会は、確かに、味わって生活する場
ではありませんね。

さて、今日は、政治のことは言いませんが、オランダのことが言及されている
ので、思いついたのですが、オランダ、フランドルは、西欧ではないですね。
イギリス、フランス、ドイツが西欧で、オランダは、イタリア、スペイン、ギ
リシア、スイス、北欧、東欧、と関係するのではと思いました。中欧という呼
び方がありますが、それに少し近いのかもしれないと、思ったりします。(で
も、違いますね。)イギリスならば、ケルト文化になるような基層文化がオラ
ンダにはあるように思われます。東洋的欧州?とでも言うのでしょうか。アジ
ア的欧州でしょうか? 日本なら、沖縄、平泉、等でしょうか。

とまれ、私の直観では、オランダは、差異的知性の社会・文化つまり、プラト
ニック・シナジー知性のある国です。多元的な差異、他者のもまれることで、
差異共立共生する叡知が生まれたのだと思います。もう少し考えてみます。』

# toxandoria

『sophiologistさま、コメントありがとうございます。

もう十数年前になりますが、かなり長く札幌に住んでおりましたので「toxando
riaの1/3位の成分」は“ドサンコ”(=道産子)です。

いま思うと、その風土と気候はヨーロッパに似ています。北大キャンパスの雪
景色も”忘れがたいものです。

そして、北海道のなかの“フランドル”は小樽と函館だと思っていますが、こ
の二都には札幌にない“exoticな空気”があります。

フランドルはイギリスとの結びつきも強いようですが、その他との決定的違い
は“市民たちが自らの力で国土そのものを創り上げてきた”ことだと思いま
す。

ところで、札幌のサッカー・チーム『コンサドーレ札幌』の“コンサドーレ”
の意味はご存知でしたか? 

これは外来語ではなく、“道産子”を逆さ読みにしたものだと聞いておりま
す。』

[2006.10.26付toxandoriaの日記/フォト・ギャラリー「風景、晩秋の北海
道」/大型画像版のご案内]へのコメント&レス

[コメントを書く]  to http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061026

# 尾池千代子 

『何時も配信の記事に 感歎しています。オランダ ベルギー レンブラント
ブリュ−ゲルが大好きで このサイトに 巡り合わし 驚きと 感謝で 何時
も愛読しています。 

美術のみならず 世界の歴史 文化全般に精通され 鋭い政治 批判に 共鳴
し 溜飲してます。

今日は 北海道の 写真 大きいし 沢山で 有難う御座いました。オランダ
ツアーで バスの 窓から 西の空と大気に 衝撃を受け 脳裏に深くプリン
トされ 帰宅してから 「オランダの光」が 撮影 された事知り これは特
筆される 事で有ったのだと 納得 満足しました。 

北海道は まだ訪れていませんが お写真で 「オランダの光」の 疑似が 
偲ばれるように思い 行ってみたくなりました。』

# toxandoria

『尾池千代子さま、懇切なコメントありがとうございます。toxandoriaの記事
が少しでもお役に立てたことを知り嬉しく存じます。

フランドルへの関心はレンブラントから始まり、オランダ・ベルギー史、フェ
ルメール・ブリューゲルらの絵画、エラスムス・グロティウス・スピノザらの
思想を経て、漸く今回の「オランダ・ベルギーの旅」まで辿り着きました。

そこで分かり実感したのは、「オランダの光」(フランドルの光)が思ってい
た以上に欧米諸国の民主主義社会の奥深いところで重要な役割を担ってきたと
いうことです。

そして、その光は“江戸末期〜幕末〜維新期”の日本へも届いていたはずで
す。しかし、残念ながらそれは当時の政治権力者やアカデミズムの主流により
無視され、あるいは捻じ曲げられてしまったようです。

従って、日本独特の、別に言えば、ある意味で宿痾のごとく脅迫観念化したナ
ショナリズム(=寄生政治家らが踏襲する追憶のカルト)は、必ずしも“太平
洋戦争直前の時代”の産物ではなかったようです。少し視野を広げ日本近代史
の流れ全体の上から見ると、それは極めて根が深いものであることが分かりま
す。

しかも、その「追憶のカルト」は、様々な内外の条件が重なったこともあり、
ここ5〜6年の小泉政権下で急速に息を吹き返してきました。たまたま発表さ
れたばかりの「国境なき記者団」(http://www.rsf.org/rubrique.php3?id_rub
rique=20 )による「各国別、ジャーナリズムの自由度の順位」も(下記のデー
タ&引用記述をご参照ください)、そのことを傍証しているようで不気味で
す。皮肉なことに、「2001.9.11同時多発テロ」以降の日米同盟の絆の深まりが
日本の右傾化を後押ししてきたことになります。

日  本:2002年(26位)→ 途中略 → 2005年(37位)→ 2006年
(51位)
アメリカ:2002年(17位)→ 途中略 → 2005年(44位)→ 2006年
(53位)

(日本の順位が著しく下がった背景/Reporters without Bordersの分析記事
から一部引用)

Rising nationalism and the system of exclusive press clubs (kishas) thr
eatened democratic gains in Japan, which fell 14 places to 51st. The ne
wspaper Nihon Keizai was firebombed and several journalists phsyically 
attacked by far-right activists (uyoku).

ともかくも、このような遍歴の過程でピーター-リム・デ・クローン監督の映画
『オランダの光』に出会えたことは、とてもラッキーな偶然でした。

尾池さまも感じられたと思いますが、それはフランドルへ行けば必ず実感でき
るようです(今はDVDも手に入りますが、この映画の詳細については、http://w
ww.icnet.ne.jp/~take/vermeerhollandslight.htmをご参照ください)。

参考まで、この映画のスチール写真が見られるURLを下に書いておきます。
http://www.hollandslicht.nl/www/html/eng/multimed/desktops.htm

是非とも北海道は訪ねてみてください。自然風土がヨーロッパと似ていること
もあり四季折々に魅力的な“オランダの光”が体験できるはずです。

今後とも、どうぞよろしくお願いします。』

[2006.10.31付toxandoriaの日記/安倍政権内における“皇道派と統制派の暗
闘”を許す「メディアと民度」の劣化]へのコメント&レス

[コメントを書く]  to http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061031

# toxandoria 

『ヤメ記者弁護士さま、TB(http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/f81c8b45
37b37f22bbbf0430e36310e6)ありがとうございます。

2006年9月、4年ぶりで行われたスウエーデンの総選挙では社会民主党を中心と
するこれまでの左派連合が敗れて保守党を中心とする右派連合が政権を取って
います。このような直近のスウエーデンの政治環境の変化が、ご指摘の原子力
事故の隠蔽に影響したのかどうか?

しかし、必ずしもスウエーデンの社会が右傾化したとは言えないようです。そ
れは、敗れた左派連合の中で閣外協力をしてきた「緑の党」(環境政党)への
支持が逆に4.6%→5.2%へ支持率を伸ばし、議席も増やしたからです。同じよう
な傾向は、これからのイギリスでも起こる可能性があると思います。

これらの国々での現象は、単なる右傾化ではなく“多様化の中でのバランス回
復”だと思います。これに比べて、一部の利害関係者だけが、相も変わらず、
“ゲンナマ爆弾(買収行為)あるいは仕事絡みの恫喝”を受けて“熱心”
(?)に“投票に行かされる”一方で、過半の選挙民は政治のあり方に無関心
という、今の「日本の民主主義」は異常だと思います。

日本のメディアの現在のあり方について、自己規制論の立場から肯定する“良
識派の方々”もおられるようですが、どう割り引いても、耐震擬装、政治と貸
金業界の癒着などにかかわる詐欺まがいの政治・行政に対する日本のメディア
の自己規制はバランスを欠いており、臆病すぎる(自己規制のし過ぎ?)と思
います。

これらの問題への切り込みについて、日本のメディアは何故に過剰な自己規制
をやっているのでしょうか? メディアのパパラッチ化を過剰に心配するので
はなく、市民の立場へ理解と健全な民主主義を助長するという観点から、メデ
ィアはこれらの問題にもっと真剣に取り組むべきだと思います。

また、支持率調査、選挙の投票率などについても、過半のメディアと法曹関係
の方々は、あまりにも「データリテラシー」について無頓着・無関心すぎると
思っています。だから、多くの国民が“先ず結論ありき”の「ワンフレーズ・
ポリティクス」(自論への誘導政策)に騙されることになるのだと思いま
す。』

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