メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:[参考情報]2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/Append  2006/09/26


[参考情報]2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/Append
ix3(補足)
2006.9.26


f:id:toxandoria:20060926201552j:image
<注>お手数ですが、画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060926

●その後の、「Appendix2」(Appendix3へ転載した内容)でのpfaelzerweinさ
まとの“コメント&レス”の内容が長くなりましたので、「Appendix3(補
足)」としてUPしておきます。

[コメントを書く] 

# toxandoria 

『Pfaelzerweinさま、

政治権力側が “社会的なコミュニケーション能力”そのものを意図的に抑圧し
毀損するというバイオポリティクの側面に関連して、些か気になることがあ
り、ご質問させていただきます。

現在、(1)European University(本部、フィレンツェ)、(2)Central E
uropean University(本部、ブダペスト)という二つの国際大学がヨーロッパ
に存在します(参照、下記のintroduction)が、この二つの国際大学に関する
情報(評価情報)は日本の一般社会レベルでは殆んど得られないようです。

各HPのintroductionを見るかぎり、(1)はほぼEUの発展史(EC→EU→拡大E
U)と併行して構想が練り上げられてきたように理解できますが、(2)はアメ
リカ型のビジネススクールの延長のように見えます。なお、(2)の本部は、
ジュルチャーニ首相の“経済改革を巡るウソの発言”で、今(9/23)、数万人
規模の抗議デモが国会議事堂前で行われているようです(2006.9.25付・日本経
済新聞、記事)。

ヨーロッパにおける、この二つの国際大学についての現実的な評価はどうなの
でしょうか? 何かご教示を頂ければ幸いと存じます。

(1)European University(本部、フィレンツェ)
About the EUI? 、http://www.iue.it/About/

The European University Institute was created in 1972 by the Member Sta
tes of the founding European Communities. Its main objective is to prov
ide advanced academic training to Ph.D students and to promote researc
h at the highest level.

It carries out research in a European perspective (fundamental researc
h, comparative research and Community research) in history, law, econom
ics, political and social science. Its full-time teaching staff, fellow
s and research students are recruited from all countries of the Europea
n Union and from further afield. It welcomes research students for peri
ods of one to four years who wish to study for the Institute’s doctora
te (normally four years) or take the LL.M. (one year Masters programm
e) in comparative, European and international law, as well as post-doct
oral fellows. To learn more about the genesis and creation of the Europ
ean University Institute of Florence click here.

[the European University Institute of Florence]Genesis and creation of 
the European University Institute 
of Florence 、http://www.iue.it/About/CreationOfEUI.shtml

The idea of a European Institution complementing the construction of Eu
rope in the field of higher education appeared early on in the philosop
hies of the ”founding fathers”. It was already put forward in the pro
grammes of the pro-European movements Congress of the Hague (May 1948) 
and during the European Cultural Conference (December 1949). The projec
t however only took shape at governmental level on the occasion of th
e ”relaunch” of Europe initiated by the Messina Conference (1955). 

Walter Hallstein, German Secretary of State for External Affairs, was t
hen the promoter of a full-scale European University , to be inserted i
n the future Euratom treaty. In his initial conception, the University 
was to offer a training center for nuclear sciences and was to be a dir
ect emanation of the Community Conceived as a fundamental instrument o
f integration, it would educate the elite of the up and coming generati
ons in a spirit remote from nationalist views.(以下は省略)

(2)Central European University(本部、ブダペスト)
Introductory Remarks by Yehuda Elkana, CEU President and Rector、htt
p://www.ceu.hu/index.jsp

CEU is a US-style graduate university with a focus on the social scienc
es and the humanities, accredited both in the United States and in Hung
ary, and located in Budapest, in the heart of Europe. The university i
s oriented to interdisciplinary research on, and the study of, social c
hange and the policy implications of transition to open societies. In a
ddition, emphasis is placed on European Union affairs, as well as on th
e special features of non-Western democracies. 

Through their international experience at CEU, and exposure to a multit
ude of different-and sometimes opposing-points of view, students at thi
s university develop a deep understanding of the intellectual and pract
ical challenges arising along the shifting boundary between the local a
nd the universal. They leave CEU with the knowledge and skills that ena
ble them to pursue careers in academia, government and the non-governme
ntal sector, international organizations and research institutes, missi
ons of the United Nations, as well as business at the national and the 
international level. (以下は省略)』

#pfaelzerwein (84.173.88.218)

『バイオポリテックとして幾つかの問題を考えますと、なるほどと思われる事
象が散見されるようです。

(1)の方は研究機関として重要なのでしょうが、新聞等で直接その報告等を
見聞きすることは少なく思います。EU関連の報告も通常のメディアでの載り方
は国内問題として議論されてからの事象と感じます。比較的注意している方で
すが、そうした訳でなかなか評価とまでは至りません。指導研究者陣も掛け持
ちも多いのではないでしょうか。

(2)の方は仰るように、ハンガリーの報道の問題もあって今回は騒ぎとなり
ました。詳しい背景は判らないのですが、国民はグローバリズムによる西側へ
の巻き込まれを何よりも懸念しているようです。大統領による判断が功を奏し
たようで、この辺りは他のスラヴ系の諸国とは違った性格が認められるようで
す。東ドイツと同じように優等生であったハンガリーの動向は注目されます。
と言うことで余りお役には立ちませんでした。』

#toxandoria

pfaelzerweinさま、早速のご返事ありがとうございます。

役に立たぬどころか、ヨーロッパの生の空気が分かりました。ありがとうござ
います。

ご指摘の今のハンガリーの動向(アメリカ型グローバリズムへの過剰な傾斜に
対する揺り戻し?)は、今後のEU全体のあり方へも影響を及ぼすのではないか
と思っております。私見では、アメリカ型グローバリズムへの過剰な傾斜の先
導役の一端を担ったのが(2)のCentral European University(CEU is a U
S-style graduate university with a focus on the social sciences and th
e humanities, accredited both in the United States and in Hungary, and 
located in Budapest, in the heart of Europe.)ではなかったのか、と思っ
た次第です。見方次第ですが、これは「人間の基本的コミュにケーション能力
に対する覇権的政治権力の介入」の問題ではないか、と思っております。つま
り、それはバイオポリテックの問題とうことになります。

日本では、この8月に「国立大学の独立行政法人」化後で初めての決算が発表
になりました。日経新聞(8月20日付)が「国立89大学、純利益合計は1,100億
円」と報じたことを嚆矢に全国紙・地方紙は続々と国立大学の「黒字」、つま
り「独立行政法人化の成果」を大きく報じています。しかし、このことに関し
ては根本的な疑義も提示されています(参照、下記URL★)。この「純利益・黒
字」の陰に政治権力側による示威的な介入の要因が隠れていることをメディア
がミスリーディングしているのではないか、という批判です。対案として、
「独立行政法人化した旧国立大学」の決算では、「経常利益」での評価または
「キャッシュ・フロー」レベルでの評価(投入した資金のコスト・パフォーマ
ンス面からの評価)の方が適切ではないか、という提案が為されています。

★財務諸表の正確な分析作業を進めよう」(大学財政問題分析検討ワークショ
ップ実行委員会)、http://www.shutoken-net.jp/2005/08/050831_14workshopN
L.html

一方、今日、発足したばかりの安倍政権は政策の柱の一つに「教育改革」を掲
げていますが、関連してアメリカ型の「教育バウチャー制度」の導入が議論さ
れています。ご周知のとおり、これは市場原理主義の始祖の一人、ミルトン・
フリードマン(Milton Friedman)のアイデアとされる、“公的クーポン券を餌
にした、学校と教員に対する市場原理主義的・大衆迎合主義的な教育評価制
度”のことです。

ところが、肝心のアメリカでも、この制度は一部の州において、私立学校に通
う極貧層の子供たちへの一種の補助金制度として導入されているだけで、これ
が全米に普及している訳ではありません。また、ヨーロッパで行われているそ
れは、国ごとに異なる目的に沿った、それぞれ特色のあるものとなっていま
す。このことは、文部科学省における当初の「教育バウチャーに関する研究
会」の議論でも認識されていました(参照、下記URL◆)。

◆教育バウチャーに関する研究会(第1回)議事要旨、http://www.mext.go.jp/
b_menu/shingi/chousa/shougai/010/gijiyoushi/06021506.htm

◆アメリカの教育バウチャー制度、http://www.clair.or.jp/j/forum/forum/ji
musyo/151NY/INDEX.HTM

しかし、東京新聞など一部を除き、ここ数日の民放テレビのワイドショーなど
主要メディアの取り上げ方を見る限り、このような観点から掘り下げた見方
(評価)は示されておらず、ひたすら安倍人気に擦り寄るような妖しげなムー
ドが漂っており、ワッショイ、ワッショイと「安倍政権・祭り」の御神輿担ぎ
をしながら提灯記事とヨイショ番組を垂れ流すばかりで、相変わらず、一般の
視聴者へは“バラ色の誤解”(ミスリード報道)を振り蒔いています。

考えてみれば、「国立大学の独立行政法人化」も「教育バウチャー制度の導
入」も「国民のコミュニケーション能力」の根底部分(内心の奥深く)に大き
く介入する問題です。従って、このような日本の教育環境(幼児教育〜大学・
大学院教育のすべてに関わる教育環境の改革動向/憲法改正問題と同様に、この
ように根本的な理念部分に触れる改革を誤ると取り返しがつかなくなる)を巡
る現状を観察すると、むしろ「国民のコミュニケーション能力」の劣化が意図
的に推進されつつあるのではないか、という疑念すら湧いてきます。それは、
まさに教育こそが「国民のコミュニケーション能力」の礎(いしずえ)である
べきだと考えられるからです。従って、誤った方向へ向かう改革にマスメディ
アの多くが、あまりにも短絡的に靡く傾向が見られることに強い危機感を覚え
る次第です。

今でさえも、日本の大学・専門学校等では「教員及びその授業方法に関する学
生による評価」の導入によって、かなりの教育現場において“悪貨が良貨を駆
逐する”という由々しき現象が起こっている節があります。つまり、現実的に
は出来の悪い(能力的に弱者の立場にある)学生ほど質が高い講義をする教員
(及びその授業内容)を低く評価する“という傾向があるため、その学生によ
る評価が管理サイドの教員に対する評価・査定へ反映されることを恐れる臆病
な教員ほど、多数の出来が悪い学生たちへ迎合するため自らの講義内容のレベ
ルを落とす傾向が出てくるということです。教員が“愚かな父兄の誤った批
判”を過剰に恐れるような場合には、同様の現象が小中高校においても進行し
ていることが考えられます。これは、教育現場の管理が、市場原理主義的な価
値観だけで割り切ることができないことの証であるともいえます。

ところで、日本におけるバイオポリテック次元の問題は別のフィールドでも悪
循環(社会風潮の連鎖的な右傾化)の方向へ傾斜するシンクロナイズ現象が観
察されます。例えば、この8月に東京都がオリンピック国内候補地を福岡市と
争った時、石原・東京都知事は、福岡市の応援に立った在日韓国人2世の東大
教授・姜 尚中氏を“怪しげな外国人”呼ばわりをしました。石原氏は、1999
年にも重度心身障害者について“彼らに人格があるのかね”と発言し、2001年
には閉経後に長命な女性に関する“ババア”発言の実績もあります。

これらの差別的な過激発言は、明らかに法の下の平等を唄う日本国憲法に対す
る違反行為であるにもかかわらず、選挙で300万票を超える都民の支持があるこ
とを背景に、石原氏の超過激な外国人や弱者層に対する差別発言はエスカレー
トするばかりです。この異常とも思われる問題の根本には、右派保守層のみな
らず、肝心のいわゆる負け組み呼ばわりされる人々(当の石原氏の差別発言の
対象となる人々)の多くの自らの内部で屈折したルサンチマンの情念が燃えた
ぎるからこそ、敢て石原氏を熱烈に支持してしまうという「捩れたコミュニケ
ーション現象」が存在するのです。そして、このような日本国民の根本的なコ
ミュニケーション能力に関わる異常現象は、今日、幕を下ろしたばかりの「小
泉劇場」でも起こったことは記憶に新しいところです。

このように見てくると、「国立大学の独立行政法人化」も「教育バウチャー制
度の導入」も「日本社会の悪循環的な右傾化傾向」も、これら全てがバイオポ
リテック次元の問題であることが理解できるはずです。言い換えれば、これは
「国民のコミュニケーション能力」の劣化の問題だということになる訳です。
そして、この問題を放置するどころか、むしろ悪い方向へ煽る傾向が石原・東
京都知事に限らず、日本における政権中枢において、まるでガン細胞のように
増殖しつつあります。そこに共通するのは近代の日本史に関する正しい歴史認
識の欠落、アジア諸国に対する誤った優越感、貧困層及び弱者層に対する差別
主義という恐るべきアナクロニズムです。

このような意味で、現在の日本の政治・教育環境は人種主義や排外主義を克服
しようとする欧米の潮流から見れば、まことに常軌を逸したものに見える筈で
す。従って、このたびの「安倍・新政権」発足にあたって、ニューズ・ウイー
ク(米)、ワシントン・ポスト(米)、ニューヨーク・タイムズ(米)、CNN
(米)、タイムズ(英)、デーリー・テレグラフ(英)、DPA通信(独)、フォ
ークス(独)、フィガロ(仏)、ル・モンド(仏)、新華社(中国)、聯合ニ
ュース(韓国)など海外のメディアが一斉に“安倍=タカ派政権が誕生”と報
じたことはむべなるかなと思われます。

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