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タイトル:[参考情報]2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/ブルージュ編2  2006/09/09


[参考情報]2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/ブルー
ジュ編2
2006.9.9

<注>お手数ですが、画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060909

【画像の解説】

一枚目は、「ブルフ広場」(Brug/15世紀に建てられた市庁舎(Stadhuis)と1
2世紀に建てられた「聖血礼拝堂」(Basiliek Heiling Blode/広場の南西の
角にあるロマネスク様式の礼拝堂)などの建物に囲まれた小さな広場)の方から
「マルクト広場」(Grote Markt)の一角に立つ「鐘楼」(Belfort)の方向を
望む光景。二枚目はその「マルクト広場」のヨーロッパで五指に入るといわれ
る美しい景観で、三枚目は、「鐘楼」のクローズアップです。ブルージュは、
この一帯を中心とする市街地全体が世界遺産に指定されています。

四枚目は、メムリンク美術館(旧シント・ヤン病院/Memlingmuseum, Sint-Jans
hospitaal)で見た『聖母マリア像』です。この「メムリンク美術館」には『聖
女ウルスラの聖遺物厘』があります(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandori
a/20060907)。

五枚目は、「ベギン会修道院」(Begijnhof)付近の静寂そのものの光景です。
この修道院は13世紀にフランドル伯夫人が創設した“ブルージュ・ベギン会”
(十字軍遠征に旅立った騎士の夫人たちが修道女として禁欲的な生活を始めた
こと)が起源ですが、今はベネディクト派の修道女たちが、この修道院を引き
継いでいます。なお、往年のポーランド映画『尼僧ヨアンナ』は、一般には17
世紀フランスの修道院で実際に起こった出来事がモデルになったとされていま
すが、実際は、この「ベギン会修道院」で起こったことだとする説もあるよう
です(参照、http://www.tomita.net/review/y980318.htm)。

六枚目、七枚目は「愛の湖公園」(Minnewater Park)の静けさに満ちた光景
です。昔はブルージュの内港だった辺りを水門で仕切り湖を思わせる景観を創
り、運河と結んで一帯を公園化とした比較的狭い場所ですが、「ベギン会修道
院」の静かな佇まいに隣接するため、この付近には中世の世界へトリップした
ような雰囲気が漂っています。

八枚目は、ベルギーで有名なビール・メーカー、「ドハルブ・マーン醸造所」
(Huisbrouwerij De Halve Maan)の入り口に掲げてある“三日月(ドハル
ブ・マーン=ハーフ・ムーン)ロゴ”の看板です。ここのレストランで飲むベ
ルギービール“ストラッフェ・ヘンドリック”(Straffe Hendrik)の味は格
別です。

九枚目はボートで運河クルーズをした時のものですが、十枚目はこのクルージ
ング・ボートから見た「ベギン会修道院」付近の白鳥が遊ぶ光景です。

十一枚目の右は「市庁舎」、左は「聖血礼拝堂」の一部で、十二枚目は同礼拝
堂の正面部分です。ここに隣接する「聖血博物館」には、十字軍遠征に加わっ
たフランドル伯がコンスタンチノープルから持ち帰ったとされる“聖遺物”が
あります。伝説では、1150年4月7日、ブルージュに帰還したフランドル伯(ア
ルザスのデイリック)は夫人であるアンジューのシビラと建立した「聖血礼拝
堂」に「聖血」を納めたとされています。

しかし、ブルージュに残っている「聖血」についての最古の記録は1256年のも
のなので、伝説が伝える年代とは大きなずれがあります。従って、史実は第4回
十字軍を指揮したフランドル伯ボードワン9世が十字軍国家・ラテン帝国(ロマ
ニア)の初代皇帝ボードワン1世となった頃の出来事ではないかとされています
(参照、http://www.belgium-travel.jp/bweblog/archives/2006/03/post_83.h
tml)。

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