メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:[参考情報]2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/Appendix1  2006/09/04


[参考情報]2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象
/Appendix1
2006.9.4

<注>お手数ですが画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060904

【画像の説明】

一枚目は「ブルージュの遠景」(一部)です。なお、この「ブルージュの遠
景」は当シリーズをまとめて小冊子にしたとき表紙に使う予定のものです。

二枚目は「ブルージュの夕景」、三枚目はゲントのレストラン(La Moule)で
出た「ムール貝のワイン蒸」、そしてベルギービールです。

四枚目はブラッセルの余りにも有名な「小便小僧」(MannnekenーPis)、五枚

は「ブラッセルの街角風景」、六枚目は同じくグラン・プラスの北東に続くガ
ルリ・サンチュベール(Galaries St−Hubert/ヨーロッパ最古のアーケード街
の一つ)のスナップショット、七枚目は「ガルリ・サンチュベールにある書
店」の内部、八枚目・九枚目は「グランプラス付近の道路標識と案内板」で
す。

十枚目はブラッセルの「王立美術館の入り口付近」、十一枚目はブラッセルに
ある「日本大使館の看板」、十二枚目はゲント市内に残る「中世フランドル
伯・由来の古城」、十三枚目は「ゲントの市街風景」です。

・・・以下が記事内容です・・・

●この記事は[2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/ゲ
ント編]と[2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/アント
ワープ編]の「コメント&レス」を纏めて「Appendix1」としたものです。

to → [2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/ゲント
編]、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060829

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# sophiologist 『toxandoria 様

ご無沙汰しています。フランドルの「放浪」は、とても有意義だったようです
ね。わたしは、田舎に籠った状態でした。私は、ずいぶん昔にテレビで見たブ
リュージュの運河の景色の息をのむ美しさに言葉もありませんでした。いつ
か、行きたいと思っていますが、なかなかチャンスがありません。

さて、ゲントの歴史を教えていただきましたが、やはり、北方「ルネサンス」
だけあって、市民が、高次の精神性をもっているのですね。(やはり、中産階
級の市民も、高次の市民と低次の市民がいるのですね。文化史は、もっと、ル
ネサンスとプロテスタンティズムとの関係を明確にすべきだと思っています。
私見では、後者は、前者の父権的反動であり、同一性暴力を帯びています。US
の国家暴力の観念的起源は、ここにあると思っています。)

述べられている『神秘の子羊』の感動についてですが、私は、最近、オリジナ
ルと複製の差異がやはり重要なのではと思うようになりました。ベンヤミン
は、御存知のように、アウラ喪失の複製時代の時代を説きましたが、現在は、
逆に、アウラの時代ではないかと思います。確かに、テレビやネットの画像で
も、それなりに、美を味わえますが、それは、表面的な視覚美に過ぎないので
はと思うようになりました。

オリジナルにあるのは、特異性の美です。それは、視覚を介して、深く精神に
作用し、名状できない感動をもたらすのではと思うようになりました。最近
は、美術はアートと呼ばれて、軽薄になっていますが、やはり、美術は芸術で
あり、本来、高次元の精神を伝達する表現ではないかと思います。

掉尾の「薔薇」の話は、正に、高次の精神、イデアを意味しているように思え
ました。プラトニック・シナジー理論では、差異共振シナジーにおけるヴィジ
ョンの表現としての絵画だと思います。

多く投稿されることを、期待しています。

また、TBがまた送れない状態になりました。私の論考中心のブログが以下で
すので、よろしくかったら御高覧ください。

『不連続的差異論入門:イデア界/IM境界/メディア界/MP境界/現象界の3
層構成です。』

http://www.doblog.com/weblog/myblog/53913』

# toxandoria 『sophiologistさま、こちらこそご無沙汰しております。

ブリュージュは、本当に美しい街でした。それは人も、空気も、自然も、空
も、歴史も、建築物もそれらの全てが美しいという印象です。それは、戦後体
制の脱却(=近・現代史の一方的な否定)で「美しい国」を目指すという、ど
こかの国の「期待の星の王子さま」が語る、ボンボン的で理念に欠けた空疎な
コトバと最も縁遠いものだと実感しました。

大衆受けがよい見栄えだけでなく、内実も伴った「人間の文化とその美しさ」
とは、こういうものだという一種のカルチャーショックを覚えました。

おっしゃるとおり、コトバでは言い表せない北方ルネッサンスの精神性がゲン
トの空気にも受け継がれているようでした。古来、ゲントの市民たちは独立心
が旺盛で、強い政治権力者に唯々諾々と付き従うことを好まぬという伝統があ
ったようです。フランデレン語では、これをスタウテ・ゲンテナーレン(いつ
も反抗的なゲント人たち)と表現するそうです。そのため、フランデレン伯、
ブルゴーニュ公、ハプスブルグ家などとの厳しい対峙の歴史を積み重ねること
になりました。

しかし、結果的にはその対峙の重層的な歴史がフランデレン伯、ブルゴーニュ
公、ハプスブルグ家などの高次の文化も取り込んだゲントの個性的な風土を創
ることに繋がったのだと思います。それは、ゲントに限らずベルギーという国
の魅力の源でもあるように思われます。

「芸術作品のアウラ」と「コピーとしての情報」の問題については奥の深いも
のがありそうに思われます。が、理想的に言えば、芸術作品はその作品が生ま
れた環境と一体化した場で鑑賞しなければ、本当のところは理解ができないの
ではないかと思われます。この意味で言えば、絵画であっても五感を駆使して
鑑賞しなければ本当に鑑賞したことにはならないと思われます。

最近、中野孝次氏を読み直しているのですが、氏の考察はブリューゲル同様に
ポストモダンへの希望を与えてくれるようです。

今はアントワープ編を書いているところです。今後とも、どうぞよろしくお願
いします。』

to → [2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/アント
ワープ編]、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060902

[コメントを書く] 

# toxandoria 『sophiologistさま、TB(http://www.doblog.com/weblog/myblo
g/53913/2620722#2620722)ありがとうございます。

「東京父権的近代主義批判」については、特に最近の出来事で思い当たる節が
あります。

それは、今回のオリンピック開催地の日本候補に関して東京と福岡が競ったと
きのエピソードです。福岡を応援した姜 尚中氏に大いに腹を立てた石原・東
京都知事が、ご本人を目の前にして“(日本国籍がない)ヘンな外人がヘンな
応援をした!”と姜氏を口汚く罵りました。

ご周知のとおり、現在の姜 尚中氏は東京大学教授であり、森巣 博氏(在オ
ーストラリアの作家)、テッサ・モーリス鈴木氏(オーストラリア国立大学教
授)らとともに、しばしば国際的な観点から現代日本の国粋主義化(ナショナ
リズム化、軍国主義化)しつつある政治状況を批判している方です。このた
め、前々から、「東京父権的近代主義」の代表者を自認する石原・都知事とし
ては、姜 尚中氏の存在が大いに気に入らなかったようです。

ところで、toxandoriaがオランダ・ベルギー両国に関心を持ったのは、その地
政的・自然地理的・気象的・歴史的な特殊性があったからです。高々、この二
つの国を併せても人口規模は約2.500万人程度であり、国土面積もせいぜいのと
ころ「東北6県+新潟県」程度だと思います。

乱暴に言えば、この地域の国土は取るに足らぬほど狭小で、オランダ・ベルギ
ー両国の人口規模も経済規模も“経済大国日本”とは比較にならぬほどチッポ
ケな存在です。それは見方次第ではヨーロッパの片田舎だと見做すことができ
るのかも知れません。しかし、今のヨーロッパでこんな発想を持つ人は高々が
極右的な立場の人々ぐらいだと思われます。

しかしながら、スキポール空港(オランダ)、ロッテルダム港(オランダ)、
アントワープ港(ベルギー)、ゲント港(ベルギー)などはヨーロッパ・EU圏
のハブ施設的な役割を担うとともに、これらの周辺には先端工業地帯が広がっ
ています。特に、アントワープは欧州で最大の化学工業地帯です。また、これ
らの地域にはミタルスチール(世界一の大鉄鋼会社/オランダ)、フィリップス
(電機会社/オランダ)、ロイヤル・ダッチシェル(英蘭を跨ぐ国際石油資本)
など世界でトップクラスの企業が存在します。また、医学・科学技術・出版な
ど知識・文化産業に関する国家戦略が明確であることも、オランダ・ベルギー
両国の特徴です。

このため、近年、これらの地域には欧米のみならず日本企業の進出もめざまし
いものがあります。そして、いうまでもなくブラッセルはEUの中枢圏であり、
使命感に燃えたユーロクラットたちが活躍する国際的なステージです。また、
アントワープ、ブラッセルなどはパリやミラノと並ぶファッションの先端的な
発信地です。無論のこと、これらの地域には、中世・ルネッサンス期〜近・現
代に至る、極上の美術作品と世界遺産が溢れています。これらの文化は、ブル
ゴーニュ、ハプスブルグ、フランス、ドイツ、イギリスなどとの重層的な交流
の賜物です。

今回のフランドル旅行の体験は、「東京父権的近代主義」の代表者を自認する
石原・東京都知事のような見方が、やはり“世間知らずの偏見”以外の何物で
もないことを再認識させてくれました。「人類は無駄に歴史的時間を過ごして
きた存在ではないということ・・・、地政的・自然地理的・気象的なハンディ
は“本物の国力や国民の幸福度”とは無関係であること・・・、グローバリズ
ムと多様性は、その方法論次第で十分に共存が可能であること・・・、歴史経
験と文化の積み重ねから学んだ寛容性のモデルがフランドルには確かに存在す
ること・・・、マルチリンガル社会と地域の個性は共存できること・・・、民
主主義とは、ひたすら“テロとの戦い”などの派手なお題目を唱えたり派手な
パフォーマンスを繰り広げることではなく、市民による誠意を持った地道な実
践の積み重ねであるということ・・・、超国家主義や宗教原理主義も歴史認識
的な知恵による克服が可能であること・・・云々の新たな発見がありました。

「東京父権的近代主義」の代表者を自認する石原・東京都知事(及び現代日本
の中枢に居座る政治家たちの多く)は、本気で日本の地方と田舎を小バカにし
ていますが、彼を筆頭とする現代日本の好戦的でマッチョな政治家たちこそが
“本物の大いなる田舎者”です。

オランダ・ベルギー両国には「ファスト・フードにかぶりつきながら、携帯を
片手に、いかにも忙しそうにおしゃべりしつつ道端を脱兎のごとく駆け回る東
京の都会人」たちとは異質な何かがありました。これら両国の都会では「先端
的な感性を働かせながらスローな生活を楽しむ都会人」たちの姿が心に残りま
した。それに、率直で明るい雰囲気の王室(オランダ・ベルギー両国の王室)
と国民・市民との間のゆったりした関係が、とても印象に残りました。』

# toxandoria 『belgianbeerblogさま、“アメブロ版”「toxandoriaの日記」
での読者登録ありがとうございます。

“はてな版”がホーム・ランドとなっておりますので、こちらでも読者登録
(アンテナ登録)をさせて頂きました。

ベルギーにお住まいとは羨ましいかぎりです。それに、時々、ブルージュのビ
ア・バーでベルギービールが飲めるとは! しかもジャズを聴きなが
ら?・・・。

フランドル旅行後、toxandoriaもベルギー・ビールに嵌っており、最近では仙
台のダボスというお店で飲んだ「ボンヴー、Bons Voeux」(アルコール分約
9%)が大いに気に入りました。アルコール分が多いほどベルギービールの個性
が出ているような気がしました。

ベルギーの現地情報も期待しておりますので、こちらこそ、どうぞよろしくお
願いします。』

・・・・・・・・・・

<参考>

【海外における最新の日本の評判1】

『日本の安倍氏とイラン大統領似る、“歴史修正志向”とドイツ紙シュピーゲ
ル』(2006.8.4付・共同通信配信記事)

共同通信のベルリン特派員発のニュースとして、下記の内容が報道されてい
る。

・・・ドイツ有力週刊誌シュピーゲル(8/4発売)は、小泉首相による靖国神社
参拝に関する記事を掲載。

・・・この中で、安倍官房長官が歴史家による東京裁判研究が必要だとの立場
を取っていることについて、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を“神話”と
呼んだイランのアハマディネジャド大統領と“歴史修正志向の点で類似してい
る”と指摘。

・・・“専門家によるホロコーストの検証が必要だ”との大統領発言との類似
性を指摘し、安倍氏も靖国参拝を好み中国や韓国に対する侵略を厳しく批判す
ることを拒否していると報じた。

・・・また、戦時体制を産業政策面から支えた安倍氏の祖父・岸信介元首相を
“ナチスの軍需相であったアルベルト・シュペーア”になぞらえて、こうした
家系が安倍氏の思考に影響したようだと指摘。


【海外における最新の日本の評判2】

『Jan van Bremen論文「オランダにおける神道研究」の指摘=日本アカデミ
ズムの自民族中心主義(ethnocentrism)化の問題』

これは、記事[2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/ア
ントワープ編](http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060902)で既に触れた
ことであるが、オランダにおける400年を超える日本研究の実績を背景として、
現代の日本学研究者たち(現代オランダでは、プロテスタント・カソリック両
系統の神学者らが神道・靖国・英霊などの研究に熱心に取り組んでいる)の中
から、靖国神社や英霊の問題に関する日本国内における最近の閉鎖的な研究傾
向(「ethnocentrism/自民族中心主義」化の傾向)に対する批判の観点が提言
されている。

彼らの研究の凄さは、徹底的に日本語の歴史的文書・古文書類を読みこなすと
いう文献学的研究に徹していることである。彼らにとって日本は未だに幕末期
の「開国以前の状態」に見えるのかも知れない。いずれにせよ、我が国のアカ
デミズム・出版・情報分野及び文化振興に関する国家戦略とリスク管理意識の
欠如と、その視野の狭さには悲しむべき点が多すぎる(詳細は下記URL◆を参
照)。

◆ライデン大学教授Jan van Bremen、論文『オランダにおける神道研究』
(国学院大学、21世紀COEプロジェクト・特別セミナー)、http://21coe.kok
ugakuin.ac.jp/modules/pdfman/get.php?id=30#search=%22%E3%82%AA%E3%83%A
9%E3%83%B3%E3%83%80%E3%81%AE%E5%87%BA%E7%89%88%E7%A4%BE%22

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