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タイトル:[参考情報]2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/アントワープ編  2006/09/02


[参考情報]2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/アン
トワープ編
2006.9.2

<注>お手数ですが画像は下記URLでご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060902

【画像の解説】

一枚目は、フランドル(フランデレン)・バロック様式の代表的な天才画家で
あるルーべンス(Peter Paul Rubens(1577-1640))がイタリアから帰国して
最初に制作した『キリスト上架』(The Raising of the Cross、1610/ノー
トルダム大聖堂、Onze Lieve Vroux Kathedraal/より大きい画像はこちらへ
→http://www.wga.hu/index1.html)です。イタリア留学中のルーベンスは主に
マントヴァのゴンツァーガ公の宮廷に使え、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケ
ランジェロらイタリア・ルネサンスの大家たちの作品を模写するとともにティ
ツイアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼらヴェネツィア派の画家たち、及
びイタリア・バロック絵画の創始者たるカラヴァッジオなどから大きな影響を
受けました。母親の訃報で急遽イタリアから帰国したばかりの頃に制作された
この絵の主題は、十字架に架けられたキリストが無理やり引きずり上げられる
痛々しいシーンです。しかし、このため、この絵のキリストはイタリアのミケ
ランジェロ風に筋骨たくましい躍動的な姿で力強く描かれています。

二枚目もルーベンスの作品『聖母被昇天(Assumption of the Virgin 162
6/同寺院所/より大きい画像はこちらへ→http://www.abcgallery.com/R/ruben
s/rubens2.html)です。こちらはルーベンスの円熟期(40台半ば〜50代前半/前
妻イザベラ・ブラントが1626年に病死したため、54歳のルーベンスは16歳の
エレーヌ・フルーマンと二度目の結婚をした)に描かれたものです。頭脳明
晰・容姿端麗で健康・円満な性格でもあったため、1620年代のルーベンスはス
ペイン総督(この頃、フェリペ2世の娘イザベラが南ネーデルラント(ベルギ
ー・フランデレン地方=南フランドル)総督を務めていた)・宮廷の宮廷画家及
び優秀な外交官として活躍しました。しかも、この頃の南ネーデルラントは、
ローマ・カトリック教会が主に北ネーデルラント(オランダ)からのプロテス
タント勢力の侵入を防ぐため芸術を通した民衆の教化に力を注いでいたことも
あり、天才画家ルーベンスの仕事はいくらでもある状態でした。このため、こ
の作品には1622〜1625年頃にフランスのアンリ4世の依頼でパリのリュクサン
ブール宮を飾るために制作された『ルーベンスのマリー・ド・メディシスの生
涯シリーズ、24枚の連作大画』(http://commons.wikimedia.org/wiki/Imag
e:Peter_Paul_Rubens_035.jpg、ルーブル美術館)に似た、一種の覇気に満ちた
ような雰囲気があります。因みに、この頃のルーベンスはイギリス王チャール
ズ1世とスペイン王フェリペ4世から騎士に叙せられるという栄誉も受けてい
たのです。

三枚目は、この円熟期にあたる1630年頃のルーベンスの『自画像』(所蔵、ル
ーベンスの家)です。この自画像には、宗教的な至高の高揚感と権力者の栄光
のクライマックスを最高の芸術家の能力で支えてきた偉大な画家という自負心
が感じられます。なお、英国の作家ウイーダ(Ouida/Marie Louise de la Rame
e/1839‐1908)原作のテレビ・アニメで有名になった『フランダースの犬』
(A Dog of Flanders)のラストは、愛犬パトラッシュに語りかける主人公ネロ
少年が“ねえパトラッシュ、見てごらん、あれがあんなに見たかったルーベン
スの絵だよ・・・そうだね、僕らはずーっと一緒だよね・・・パトラッシュ、
疲れたろう、もう僕も疲れた・・・なんだかとても眠いんだ・・・”という言
葉を残すなか、薄倖の二人(一人と一匹の犬?)が一緒に天に召されるという
涙抜きには語れぬ感動のシーンで終わりますが、・・・あのあまりにも有名な
場面は、このアントワープのノートルダム大聖堂の二つのルーベンスの絵の前
を想定したとされています。しかし、このお話は、肝心の地元では日本ほど知
られていないそうです。

四枚目はピーテル・ブリューゲル(Pieter d. A. Brueghel/ca1528-1569)の
『狂女フリート』(Dull Griet=Mad Meg c. 1562、アントワープ・マイヤー・
ファン・デン・ベルグ美術館/ Museum Mayer van den Bergh /より大きい画像
はこちらへ→http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/bruegel/mad-meg.jpg)
です。ピーテル・ブリューゲルは、ルーベンスより約半世紀前の時代のアント
ワープとブラッセルで活躍した画家です。ルーベンスと同様に、当時流行りの
イタリア旅行まではしましたが、ブリューゲルは宗教的な高揚感と政治権力者
の栄光を至高の美まで高めたルーベンスとは異なり、ルネサンス・イタリア絵
画の影響は殆んど受けませんでした。むしろ、彼は、ロベール・カンパン(Rob
ert Campin/ca1375-1444)に始まったと考えられる対象物を非常に精緻に描き
込むフランドル・リアリズム絵画の伝統を一足飛びに「現代のリアリズムの視
点」まで届かせてしまったのかも知れません。それは、時間をシンクロナイズ
させて同時にすべての現実世界の諸相(格差構造・矛盾構造のすべて)を見渡
し、見通すことが可能な「リアリズムの手法」ということです。ともかくも、
彼が生きた16世紀前半の時代は宗教改革と反宗教改革の嵐が吹き荒ぶなかで、
カール5世のハプスブルグ帝国を支えていたため「スペイン帝国の財宝」とま
で絶賛された「アントワープを中心とするネーデルラント一帯」が、スペイン
とフランスが血で血を争う地獄絵図のような戦場と化した時代であり、いたる
ところで戦火に巻き込まれた民衆の悲惨が目撃される時代であったのです。

五枚目は「ルーベンスの家」(Rebenshuis)です。この家にルーベンスはイザ
ベラ・ブラントと結婚してから住み始め、1640年に彼はここで64歳で亡くなっ
ています。館内の各部屋は当時の生活のままに再現されており、ルーベンスが
王侯貴族のように豪奢かつ豊かで非常に恵まれた生活を送っていたことが分か
ります。六枚目は、その「ルーベンスの家」の中庭に咲いていた季節の花々で
す。七枚目は、ベルギーで最大規模を誇る教会建築とされる「アントワープ・
ノートルダム大聖堂」のほぼ全景で、名高い47の鐘を持つカリヨンを備えた塔
の高さは約123メートルあります。八枚目・九枚目は、同寺院内部の色鮮やかな
ステンドグラスと壮麗な内陣の景観です。十枚目は、アントワープの美しい
「市庁舎」(16世紀に建造)です。当日は、あいにくの曇り空でしたが、一歩
この市庁舎前の広場(マルクト広場)に足を踏み入れた時の印象は、やはりブ
ルッセルのグランプラスと同じで、周囲の建築物が華麗なシンフォニーを奏で
るような雰囲気がありました(時系列的な意味では、ブラッセルよりアントワ
ープを先に訪れましたが・・・)。この市庁舎の前にある噴水は、アントワー
プの語源になったとされる巨人退治の伝説(ジュリアス・シーザーの一族とさ
れるブラボーという名の青年が、スヘルデ川を行き来する船舶を襲っていたア
ンチノゴスと呼ばれる巨人を退治し、その手を切り落とし川へ投げ込んだ場所
がアントウエルペン、アントワープ・・・すなわち“hand werpen”(=オラン
ダ語で“手を投げる”意味)が、アントウエルペンとなった?)を表現した
「ブラボーの泉」です。

<注>ブリューゲルの『狂女フリート』の画像解説については、過去のものと
なりますが下記の記事(◆)も併読ください。
◆“好感度”抜群の寄生政治家が創る好戦的な「妖術国家・日本」
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060612

・・・ここから記事の開始・・・

アントワープ(蘭アントウエルペン、仏アンヴェルス or アンヴァース、英ア
ントワープ)は、ブラッセルの北方約50kmに位置する、人口が約50万人のベル
ギー第二の都市です。この都市の特徴は、先ず北海に注ぐスヘルデ川の東岸に
発達した世界規模の貿易港(周辺に大工業地帯を形成)として発達してきたこ
とであり、同時にアントワープは中世以降の繁栄に支えられた豊かな伝統文化
都市でもあります。13世紀頃から始まる繁栄の頂点は、神聖ローマ皇帝カール
5世(スペイン王カルロス1世)が統治した16世紀です。その間、15世紀には
ブリュージュやゲントとの間で経済的な繁栄を競いました。凡そ、この頃が初
期北方ルネッサンス絵画(初期ネーデルラント絵画、初期フランドル絵画)の
時代でロベール・カンパン、ファン・アイク兄弟、クリストウス、ロヒール・
ヴァン・デル・ヴァイデン、メムリンクらの画家たちが活躍しました。

現代のアントワープ港は、ヨーロッパ有数の港湾施設であり、ベルギーの経済
を支える中枢機能の役割を担っています。その施設の広がりは北部のオランダ
国境へ伸びており、スヘルデ川の周辺に広がる入り組んだ運河地帯には、ロイ
ヤル・ダッチシェル、エッソ・スタンダード、GM、BASF(Germany. Multi-nati
onal chemicals manufacturing corporation)、ユニオン・カーバイトなどの
多国籍企業が進出しています。また、クラレ(樹脂製造)、日本碍子(ガイ
シ)(絶縁体、送電設備関係)、日本触媒(医療用、精密機器用エチレン系素
材製造)、ダイハツ自動車、東京化成(研究開発実験用試薬、半導体材料等の
特殊化学品製造/欧州事業統括の現地法人)、山武(製造装置メーカー)、トヨ
タ自動車(製造統括会社と販売統括会社の持ち株会社トヨタモーターヨーロッ
パ)などの日本企業が進出しています。

15〜16世紀頃のアントワープには「イングランドの毛織物、南ドイツの銀と
銅、ポルトガル人伝来のアジアの香辛料」などが集積し、商取引とともに金融
業が発達し、この時代のアントワープの人口は約10万人(パリに次ぐヨーロッ
パ第二の都市)まで膨れ上がり、約1,000にも及ぶ各国の商館が軒を競っていま
した。そして、この頃からフランドル絵画の中心はブリュージュやブラッセル
からアントワープに移り、ピーテル・ブリューゲル、ルーベンスらの大画家が
輩出したのです。なお、このフランドル地方の絵画の伝統は、オランダ独立戦
争(1568-1609)の渦中にアントワープがスペイン軍によって破壊(1585)され
て世界的な貿易港の地位がアムステルダムへ移る16世紀末〜17世紀初頭頃、つ
まり凡そルーベンスが活躍した時代頃からフランドル美術(南ネーデルラント
美術)とオランダ美術(北ネーデルラント美術)に区別して論ずることが可能
となります。そして、17世紀オランダの美術と経済は「レンブラントの時代」
(現代オランダの歴史家ホイジンガーの命名)と称される黄金期を迎えること
になります。

これに先立ち、16世紀中頃に経済的繁栄の頂点を迎えたアントワープには17世
紀前半にイタリアで起こったバロック様式の美術が他に先駆けて流れ込み、ル
ーベンス、ファンダイク、ブラウエル、ヨルダーンスなどのフランデレン・バ
ロック絵画を生み出します。現代のアントワープにも、これらの遺産の大部分
がマルクト広場から「アントワープ・ノートルダム大聖堂」(1352年に着工
し、約170年をかけて完成)周辺の旧市街地一帯及び「王立美術館」(KMSK/Kon
inklijk Museum voor Schone)及び「マイヤー・ファン・デン・ベルグ美術
館」(Mayer Van den Bergh Museum)に残されています。アントワープにおけ
る、その他の観光的な資源としては「アントワープ現代美術館」(Museum van 
Hedendaasgse Kunst Antwerpen)、「アントワープ・ダイヤモンド博物館」(P
rovinciaal Diamantmuseum)、「国立海洋博物館」(ステーン城/Steen Nation
al Scheepvaartmuseum)などがあります。

もう一つ、文化的価値という意味で忘れてならないのは「プランタン・モレト
ウス印刷博物館」(Plantin-Moretus Museum)です。「プランタン=モレトウ
ス印刷博物館」はルネサンスおよびバロック時代にまで遡る印刷出版工房で
す。これは、当時パリ、ヴェネチアと並び世界の印刷術の先端をいく都市であ
ったアントワープで、1549年にアントワープへ移り住んだクリストフ・プラン
タンによって創業されたものです。この印刷所は、16世紀以降のヨーロッパで
最も名声を馳せた出版社でした。しかも、この博物館の建物は1867年まで実際
に印刷業務に使用されており、世界一古い印刷機やその他の印刷機、莫大な書
籍や文書、芸術作品などがソックリ保存されており、その中にはモレトウスと
親交があったルーベンスの絵画も含まれています。

同博物館は建物自体にも建築的価値があり、当時のヨーロッパで最大・最高水
準の印刷出版所の職人らの生活と仕事の完全なる例証であることから、2005年7
月に世界文化遺産に登録・認定されました。また、同博物館所蔵の古文書類は2
001年にユネスコの「世界の記憶」として認定を受けています。その所蔵内容の
主なものを見ると、書籍・写本類が約3万点、銅板画が約3千点、インキュナ
ブラ(incunabula/15世紀後半に印刷された初期の活字印刷本/グーテンベルグ
聖書など)が約150点、その他の絵画・デッサンなどとなっています。

このような出版文化の伝統があるため、現代におけるベルギー及びオランダの
出版文化の水準は世界のトップレベルにあります(1830年以降、ベルギーはフ
ランス及びオランダの支配圏を離れて王国(立憲君主国)として独立します
が、そのオランダとの特異な歴史的関係の経緯から「プランタン・モレトウス
印刷博物館」はオランダ・ベルギー両国にとって共通の文化遺産であり文化基
盤であるともいえます)。例えば、それはユネスコが、2001年から毎年選んで
きた「World Book Capital」(世界における今年の本の首都)に、早速、アン
トワープ(ベルギー/2004年)とアムステルダム(オランダ/2008年)が選ばれ
たことが実証しています(参照、http://portal.unesco.org/ci/en/ev.php-URL
_ID=22376&URL_DO=DO_TOPIC&URL_SECTION=201.html)。

この「World Book Capital」を選ぶ基準として重視されるのが、先ず“その国
の出版活動が、どれほど「その国の歴史・文化」と「その国の子供や若者た
ち」を結びつけることに努力したか”ということであり、かつ“その国の出版
活動にかかわる投資が、いかに多様な価値の理解のため効率的にバランスよく
投資できたか”という点であることに注目すべきです。つまり、出版活動に関
する、このような二つの厳しいハードルをクリアできるということは、出版に
ついての余程の国家としての見識が存在しなければならないということです。

とろで、「ベルギー憲法」は国民の基本的な権利として「信仰の自由、教育の
自由、結社の自由」とともに「出版の自由」(第25条)を掲げています。因み
に、「ベルギー憲法」の第30条は“ベルギー国で用いられている言語の使用は
任意である”(つまり、ベルギー国民が何語を使うかは自由である)ことも定
めています。フランデレン語(オランダ語)とフランス語の間での“言語闘
争”という特殊な歴史経験を持つとはいえ、このようにユニークな憲法上での
「寛容性の宣言」には驚かされます(参照、「ベルギー憲法」http://members.
aol.com/Naoto1000/Loilinguistique/archives/ConstitutionBelge_jp.html#
2)。

また、近年の学術出版における「電子ジャーナル」に関する先見的な動きがオ
ランダで見られます。電子ジャーナルとは、インターネットの普及とともに199
4年頃から学術雑誌の世界で見られるようになった新しい出版傾向のことです。
それは学会機関であるか民間出版社であるかの別を問わず、従来の冊子体の学
術雑誌が電子化され、インターネットを介したオンラインサービスの形で読者
へ提供されるものです。その提供サービスの形は(1)出版社のサーバから直
接提供されるタイプ、(2)統合サービス提供者から提供されるタイプ(出版
元が弱小のとき)の二つに大別されます。出版社や学会から提供される多くの
電子ジャーナルは有料ですが、電子化の費用によって購読価格が上昇し小規模
大学などで購読困難などの事態が発生したこともあり、オープンアクセス運動
(電子ジャーナルの無料化運動)が起こっています。

このような電子ジャーナルは、価格問題もさることながら、より新しい重要な
問題を提示しています。それは電子ジャーナルによって「アカデミズムの研究
環境」が様変わりしつつあるということです。具体的には次のような点を列挙
することができます。
●研究者は、あまり図書館へ行く必要がなくなった
●研究者が読む文献数が増加しつつある
●アラートサービス(新論文のメール通知)の普及で、研究者は迅速に新しい
論文にアクセスできるようになった
●予算上の都合で購読契約をキャンセルすると、図書館に何も痕跡が残らない

これらは殆んどが研究上の生産性向上に結びつくので歓迎すべきことなのです
が、唯一懸念されるのは“四番目の問題”です。それは、明治以降、すでに140
年も時間を経たというにもかかわらず、未だに日本のアカデミズムの殆んどが
「欧米からの学術文献輸入型」のパターンを脱していないという問題点に繋が
ります。学術雑誌の講読を予算上の都合でキャンセルした途端に特定のアカデ
ミズム分野の先端情報がデフォルトされ何も痕跡がなくなるというのは国家的
リスク管理の観点からすると、大いに由々しきことです。この点、人口規模等
に関するかぎり、我が国よりも遥かに小国であるオランダ・ベルギー両国は、
伝統的に出版に関する国家的戦略を明確化してきたこともあって、世界を視野
に入れた学術出版の蓄積は膨大なものを持っており(参照、http://www.cyndis
list.com/nether.htm)、電子ジャーナルの提供者の立場についても同じ優越的
な立場を保持しています。

例えば、オランダの出版社エルゼビア社(Elsevier/参照、http://www.elsevie
r.com/wps/find/)は、早々と「TULIP PROJECT」(参照http://www.clir.org/
PUBS/reports/mcclung/app1/096.html)という実験プロジェクトを既に1990年
に開始して電子ジャーナルのサーバとしての出版社の優越的な立場を確保しま
した。現在、電子ジャーナルのサーバを担う通常の出版社としては、エルゼビ
ア社の他にシュプリンガー社(独)、Wiley社(米)、米国化学会など殆んどが
欧米の出版社と学会機関です。

これらの懸念は主に科学技術分野の問題ですが、最近、オランダ伝統の日本学
研究者(プロテスタント、カソリック両系統の神学者などが神道・靖国・英霊
などの研究に取り組んでいる)らの中から、靖国神社や英霊の問題に関する日
本国内における最近の閉鎖的な研究傾向(「ethnocentrism/自民族中心主義」
の傾向)に対する批判の観点が提言されています。彼らの研究の恐るべきとこ
ろは、徹底的に日本語の歴史的文書類を読みこなすという文献学的研究に徹し
ていることです。彼らのホンネの部分では、日本は未だ「開国以前の状態」な
のかもしれません。いずれにせよ、我が国のアカデミズム・出版・情報分野に
関する国家戦略とリスク管理意識の欠如には悲しむべき点が多すぎます。

ショービニズム信奉者(chauvinism/狂信的愛国主義、盲目的国粋主義=ナポレ
オン1世を理由なしに熱狂的に崇拝した兵士ニコラ・ショーバンの名前からの
造語)や日本国中枢のタカ派が望む「軍事力強化」以前の段階で、既に日本は
21世紀の敗戦国ではないのか、と思われてきます。その上、先に述べたUNESC
Oが「World Book Capital」を選ぶ基準となる“自国の子供たちと自国の歴史を
結びつけることについて自国の出版が努力し続ける”という点についても、今
や日本の社会全体が根無し草のように右へ流される昨今の風潮を見るにつけ、
残念ながら、それは今の日本とは無縁であることのように思われます。

今、次のような、ごく最近どこかの新聞で“垣間読んだ驚くべきドキュメンタ
リー”記事(●)がtoxandoriaの脳裏をかすめています。

●最近、ある心理学者が東京都内の一定数(統計的に有意なだけの数)の小中
高校生を無作為抽出してアンケート調査を行った結果

《質問項目》『あなたは、虫・動物・人間などが一度殺されても、又それが生
き返ると本当に思いますか?』

→→→ 《本当に生き返ると思うと答えた子供たちの割合》=約70%!

これは、とても、子供たちが“真面目に答えた数字”だとは思いたくありませ
ん。恐らく、このようなことをマトモに質問する大人を“おちょくる”少し大
人びた気持ちが働いたに違いありません。しかし、少なくともその約50%以上
の数字の部分は信頼できるのではないかと思われます。と、すれば約半数以上
の今の日本の子供たちは人間の死(=命の大切さ、生命の愛(いと)おしさ)
について直視できないでいることになります。このような目前の危うい現実
(リアリズム)を軽視して、テレビ好みで好感度な「美しい国、日本」という
見栄えだけのポピュリズム(衆愚)政治が今の日本で果てしなく蔓延ることの
空恐ろしさを感じるのはマトモでないのでしょうか? それは、マイナーな感
覚なのでしょうか? 今、我われ日本の大人たちは、ルーベンスの偉大な天才
を称えることも大切ですが、それよりもむしろブリューゲルの芸術のポスト・
モダン的な内実の意味をこそ想起すべきではないのでしょうか?

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