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タイトル:[原理主義の罠]“好感度”抜群の寄生政治家が創る好戦的な「妖術国家・日本」  2006/06/12


[原理主義の罠]“好感度”抜群の寄生政治家が創る好戦的な「妖術国家・日本」
2006.6.12

<注>この記事は、たまたま再読していた中野考次著「ブリューゲルへの旅」
(河出文庫版)と[「2006-05-30“形象不可能なるものの形象への降臨、受胎告
知図”からの反照/http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060530」へ頂いた、r
enshiさま、kaisetsuさま、レオン様のコメントがオーバラップして浮上した感
想をまとめたものです。

【画像】P.ブリューゲル『狂女フリート』 Pieter Brueghel the Elder(ca15
28-1569)「Dull Griet(Mad Meg)」1563 c. 1562   Oil on panel  11
7.4 x 162 cm  Museum Mayer van den Bergh  Antwerp 
・・・お手数ですが、この画像は下記URL(★)をクリックしてご覧ください。
★http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/bruegel/mad-meg.jpg

(中野考次著「ブリューゲルへの旅」(河出文庫版)、“狂女フリート”の章よ
り抜粋(部分))

・・・前、略・・・ブリューゲルの絵がなぜわたしに働きかけてくるのかとい
う点については、知識はなんの手助けもしてくれなかった。ある研究者はそれ
をマニエリスムとして様式的に説明し、ある人は近ごろ流行のイコノロジーか
ら個々の形象の意味を解明していた。・・・中、略・・・絵といえば印象派、
文学といえば近代文学の個性の劇、大事なのは独創的個性である。芸術は実人
生から独立した価値である、詩は純粋に詩であればよく、絵画はひとえにただ
色彩、つまり視覚的な感覚だけにまで純化されねばならぬ。芸術家とはそうい
う純粋な価値の世界に身をささげ、実人生の外に個と普遍とを追及する者だ、
云々。どうしてああいうくだらない考えにとりつかれてしまったのだろ
う。・・・途中略・・・狂女フリート、あの力強い魔女も全体の一部にすぎ
ず、彼女も関わりの相対化に犯されずにいない。ともかくたしかなことは、と
わたしは打ち切るように呟く。この画家は主観対客観、自己対社会、自然対人
生というような一筋縄の対比で割り切れる人物ではないということだ、と。そ
ういう近代的二元論の発生する元まで彼の目はとどいてしまっているかのよう
だ。彼の目は同時にすべての層を見る。その言葉にまず耳を傾けねばならぬ、
と。・・・後、略・・・

(同上、“傲慢”の章より抜粋(部分))

・・・前、略・・・近代世界は、自然的な世界を改造して歴史的な世界をつく
り出す。そして歴史的世界のみが、始めと終わりをもつのである。自然はくり
かえす。しかし自由はそこから脱却して目的をめざす。科学技術の進歩にした
がって世界が自然状態から文明社会へ改造されていくに従って、歴史的性格は
深まっていき、そしてその内面構造を観察すれば、世界は自然のまま横たわっ
ているのではなく、自由の上にもち上げられているように見えてくるにちがい
ないのである。世界が人間のかたちに似せて改造されてくる。そこに人間の知
性には深い崩壊の予感があらわれてくるのである。この状況が、現代人をして
終末論に直覚的に親しましめるものを生み出したと思われる。近代世界が古め
かしい聖書的終末論になじむのは、近代社会の構造が終末論的になってきてい
るということにほかならない。・・・後、略・・・(注)これは、中野氏が
“大木英夫『終末論』から引用した部分である。

(同上、“イカルス”の章より抜粋(部分))

・・・前、略・・・密告制度の上に成立つスペイン風異端審問制度の下では、
嫌疑がかけられただけで、もはやどんな猶予も許されぬものだったと、シラー
は記している。異端取締の目は、すべての印刷物のみならず絵画作品の上にま
で及んでいたのだから。・・・後、略・・・

●この中野考次氏(ドイツ文学者、50歳を過ぎて挑戦した処女作「麦熟るる日
に」が平林たい子文学賞を受賞/残念ながら2004年に79歳でご逝去されている/
参照、http://members8.tsukaeru.net/senjukai/Zakki/NakanoKoji.html)の名
著『ブリューゲルへの旅』(単行本の初版は1976年刊)は、最終的に「エッセ
イスト・クラブ賞」を受賞しました。しかし、この本が出版されたばかりのと
きには雑誌ユリイカの鼎談批評で美術史家などアカデミズムの泰斗から酷評と
バッシングを受けたことは有名な出来事です(詳細、後述)。

●中野考次氏の慧眼は日本の30年後を見抜いていたと思われます。つまり、新
自由主義思想(ド過ぎた自由主義と利己主義、市場原理主義、そして村上ファ
ンドとホリエモンに象徴されるド拝金主義)に翻弄されて深刻な格差が拡大す
る一方の国民層の不安と苦悩もなんのその、“歴史に名を残すことが唯一の目
的であるナルシスト宰相・小泉氏”は、嬉々として軍需産業帝国アメリカ・ブ
ッシュ大統領の後塵を拝するのに大わらわで国会審議など上のそらです。そし
て、その「神聖な指揮棒」を正統に引き継ぐのが、“狂女フリート”ならぬ国
民的人気ド抜群(マスメディアによれば多くの善男善女に対する好感ドも抜群
らしい?)のマッチョ&マッド・マン安倍氏ということになっているようで
す。

●kaisetsuさまによれば、特に小泉政権下で目立つ一連のキッチュ(Kitsch/大
衆に媚びた低俗で悪趣味なこと)な現象、例えば「5年にも及ぶロングランの
小泉詐欺劇場」、「国際的に恥を晒した渦中の贋作者・和田某(ペテン師画
家)に対する芸術選奨(文部科学大臣賞)授与のアカデミックな茶番劇」、
「小泉改革(規制緩和&市場原理主義)、村上ファンド、ホリエモンの、まる
でロンドを踊るかのような共振現象」などに共通するのは、“近代の開始”と
いう一種の“倒錯現象”であったようです。これは、中野考次氏が指摘する
“ブリューゲルの狂女フリート”のモチーフに重なります。

●特に、今回の「国際的に恥を晒した渦中の贋作者・和田某(ペテン師画家)
に対する芸術選奨(文部科学大臣賞)授与のアカデミックな茶番劇」は、既述
のとおり、かつて独文学者・中野孝次氏が名著『ブリューゲルへの旅』を出版
したとき、これがブリューゲルの絵画を厳密に検証しつつ、そこへ自らの半生
を重ね合わせた内面の告白の形を装った優れた文明批評であったにもかかわら
ず、高階秀而、中村雄二郎、山口昌男らの美術史の専門家と文化アカデミズム
によって罵倒に近い批判を受けたことを思い出させます。つまり、ここでも
“近代という名の深刻な倒錯”が観察されるのです。

●イオンさま、renshiさまのコメントから得られた理解は、本来であれば認識
論的かつ論理的説明から必然的に導かれる倫理的手法で解決に向け地道に取り
組むべきであるにも拘わらず、イディア界と実在界の関係を地道に説明するこ
とに苛立ちを感じた(或いはアカデミズムと科学が権力と癒着した)場合に、
聖俗癒着(特にカルト的エセ宗教と政治の癒着が起こった場合)の政治権力が
嵌り易いのが“分かり安さ”(視覚型の現象リアリズム重視)というポピュリ
ズムへの傾斜(政治手法としてポピュリズムを選択すること)だということで
す。

●これが、ブッシュ政権や日本の小泉・安陪など所謂『寄生政治家』たちに付
き纏う胡散臭さの背景です。ブッシュは固より小泉・安陪ら“世襲政治家”の
中には狂信の臭いすら巣食っています。これは、部族社会的・家産制的原理と
擬似宗教観による呪縛的な使命感で大量虐殺の残忍な歴史を刻印した「絶対王
制時代の権力者」たちの“錯誤の姿”に重なります。そして、この矛盾と葛藤
したのがイエズス会であったという見方も可能かも知れません。

●ただ、イエズス会については、大航海時代に入り、新大陸からの銀の大量流
入によって急激な物価上昇(インフレ、価格革命)が起こった16世紀におい
て、スペインのサラマンカ大学(創設1218年、世界最古の大学の一つ/http://w
ww.usal.es/web-usal/Ingles/Universidad/Historia/Historia.shtml)のイエ
ズス会派の神学者(サマランカ学派)たちが「公正な価格とは自然な交換(市
場での交換)で決まる価格の上でも下でもない」と定義しており、これはその
後の新古典派の「限界効用の理論」を想起させるユニークなものとなっていること
も忘れるべきではないと思います。このため、ハイエクは“資本主義の基盤を
つくったのはイエズス会の教義だ”とさえ述べているようです。

●ところで、toxandoriaは芸術論的にも、自然との一体感を重んじる東洋美学
に惹かれるものを感じていますが、キリスト教文化も究極には“自然との一体
化の問題”まで行き着くのではないか、と思われます。この点に関して、kaise
tsuさまは、下記の本(★)を必読書として挙げておられます。
★鈴木大拙、上田閑照共著『新編・東洋的な見方』(岩波文庫)

●従って、プロテスタント的思考を淵源とする「新自由主義思想」が現代の日
本で大いに誤解されていることを危惧しています。詰まるところ、「新自由主
義思想」とは自然破壊・地球破壊の思想であり、だからこそ欧米では、例えば
“苦悩する拡大EU”の姿に見られるように、その矛盾を克服しようとする努力
がキリスト教社会の中から芽生えています。アメリカ社会すら、その例外では
あり得ません。

●ところが、例えば小泉政権がこの5年間に行ったヤミクモの競争原理導入の
弊害が噴出しつつあることで明らかなように、日本国民の多くは自らが既に手
にしているはずの貴重な価値観(東洋哲学・美学的な価値観と社会観)までを
も、この「競争原理」(新自由主義思想)の“美名の下”で破壊し尽そうとし
ています。

●そして、この間隙に侵入してきたのが複数の妖しげなカルト教団(神道系、
仏教系、キリスト教系)の暗躍です。しかも、恐るべきことは小泉・安倍など
一部の“国民的な人気ド、好感ドが大きい寄生政治家”(民主党の一部も含
む)たちが、これらカルト教団の支援(愚民層・弱者層を餌食にした霊感商法
などからの上納金と選挙票の取り纏めなど)を受けながら、日本国憲法が定め
る政教分離の原則などクソ喰らえで政権維持体制の確立を図りつつあることで
す。

●このままでは、日本が全世界から孤立することになります。つまり、日本
が、非近代的なカルトと好戦的な闇の勢力に仕切られた“妖術国家”(同時
に、軍需産業帝国・アメリカの紛れもない傭兵国家の位置づけ)になる懸念が
あります。このような”危機感の欠如”こそが問題だと思います。今の日本で
最も不幸なことは、テレビ・新聞などメジャーなマスメディアの危機感を掴む
感覚が殆んど麻痺していることです。特に、テレビ局の番組づくりの劣化と経
営者層の意識のモラル・ハザードは恐るべきものがあります。

●小泉首相の後継者と目される安倍氏の“好感ド調査”などをやる暇があるな
ら、安倍氏の人物像・思想・業績などを詳細に調査し、広く国民へその実像と
隠れた姿を抉り出して伝えるなりの仕事に取り組むべきです。また、任期切れ
が間近い小泉首相が急速にやる気を失ったようになっている(通常国会の会期
延長問題よりも、早く訪米してプレスリーの故郷や記念館を訪ねるのが楽しみ
だなどというお気軽なそぶりを露骨に見せつけ、それをNHKテレビが重要ニュー
スとして垂れ流す)のは何故か、その背景を探るとともに5年間の小泉政治の
結果を総括・点検する調査報道的な番組作りに努力すべきです。現在のよう
に、テレビが芸能と政治を意図的にゴッチャにして視聴率稼ぎの低俗番組づく
りはプロ意識という観点から見て噴飯ものです。中野考次氏は『ブリューゲル
への旅』の著者ノート(後書き)で次のように書いています。

・・・前、略・・・書くとうことはぼくにとって、自分で考えだした一つのシ
チュエーションを書きながら生きることを意味します。この“ブリューゲル”
の場合は、1966年に予感したわからないあるものをたしかめるのが問題でした
(<注>、ここには野中氏がウイーンの美術史美術館館でブリューゲルの絵に
初めて出会ったとき(『雪中の狩人』/「The Hunters in the Snow」、1565 Oi
l on panel  117 x 162 cm  Kunsthistorisches Museum Wien 、 Vienna 、
http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/bruegel/hunters.jpg)、戦中・戦後
の自己の体験、つまり「戦争という悲惨な現実」と「自然の一部でもある人間
の生の実相」に対して、なぜか、今まで自分が理想として憧れ続けてきた抽象
観念の世界は歯が立たないことを自覚させられたという思いが影を落としてい
る)。一種の文明的な危機感があったことは初めに言いましたが、やはり書く
原動力となるのは、そういう「このままではやっていけない」という危機意識
なのだと思う。少なくともぼくの場合はそうです。・・・後、略・・・

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