メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:[2006-05-17、「愛国心」の説教よりも先ず「国民愛」を宣ったらどうだ、小泉首相?]へのコメント&レス  2006/05/21


[2006-05-17、「愛国心」の説教よりも先ず「国民愛」を宣ったらどうだ、
小泉首相?]へのコメント&レス
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060517
2006.5.21

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# kaisetsu 

『国家が、教育の問題において、イデオロギーや「抽象的愛」を唱えること
は、ポスト・ポスト・モダン社会に移行しつつある日本社会において、ナンセ
ンスなことです。国家は、まず、国際的な標準テストで、日本の児童が、どの
位置にあるか、というマクロで現実的な課題に取り組むべきです。一定以上の
優等部分の個別の教育問題は家庭に還元するべきでしょう。集団で教育をする
場で、ハイエナのように給料を食む公的教師は、その存在によって、生徒を抑
圧し、父兄と国家の収入を略奪しつくします。』

# toxandoria 

『kaisetsuさま、コメントありがとうございます。

そのとおりですね。先生が職業として“愛国心”を教えるようになれば、どん
な光景になるかは火を見るより明らかです。既に“国旗・国歌問題”に関連し
て「戦前回帰の光景」が各地で観察されています。日本人は、当たり前の想像
力すら捨ててしまったようです。これは「人間そのもの」を捨てることに他な
らないと思います。

恐らく、小泉首相のように人間の本性を踏みにじる政治が続けば、これから
益々、親殺し・子殺しの類のおぞましい「下等な動物の共食い」(映画『ギャ
ング・オブ・ニューヨーク』で描かれた世界)のような犯罪(エンドレスの殺
し合い)が多発することになると思います。小泉ギャングスター・一派も、そ
の後継者たちも“この現実”を“マナコを見開いて”認識すべきです。

やはり小泉・石原・安倍らの“ヤクザさん”たちに政治のトップ・リーダーを
任せるのは間違いです。それは、彼ら自身が「人間性」についての致命的な欠
陥を持つ“人間とは名ばかりの異種の動物”たちだからです。』

renshi 

『toxandriaさま

私は、うつ病の老母の介護を足掛け8年間をやってきて、介護保険を利用し
て、なんとか、老母の世話をやってもらっていますので、負担割合の増加は、
身に応えます。

 私は、福祉に関して、手厚い制度を確立するか、現代姨捨山を復活するか、
のどちらかだと、周囲の人に言ってきました。しかし、負担増加は、実質、現
代姨捨山路線ですね。私が考えていたのは、違うものですが。

 とまれ、教育に関しても、なんて言うのか、反動的な「空気」が支配してい
て、これが、実に厄介だと思っています。私もそうなりがちですが、支配的な
空気の気圧されて、無言のままになってしまうことです。無言を強いる権力が
あるのです。

 また、マスコミは、今や、完全に大衆操作の機関ですね。視覚の問題があり
ましたが、テレビは、いちばんの曲者です。見ることは信じることです。見る
だけで、洗脳されるのです。人間の脳が、おそらく、視覚に同一化するように
反応するのではないかと思われます。不連続的差異論から言うと、正に、メデ
ィア界が、視覚に同化されて、共振・共感して、批判機能が麻痺するのだと思
います。

 例えば、小泉首相を例に出しましょう。私は、彼の話し方を聴いて、すぐ、
パフォーマンスと直観できます。なぜ、こんな簡単なことを見抜けない国民が
多くいるのでしょうか。それは、視覚・聴覚に知性が同化しているからでしょ
う。では、どうして、私は、そうならないのかといいますと、視覚・聴覚に同
化していないからです。これは、知的認識の問題だと思います。

 この知は、超越論的知だと思います。また、丁寧に言いますと、私の共感性
と知性との相互作用から、小泉氏の発言は、ゴマカシであると気がつきます。
この共感性と知性との連関が批評のポイントではないかと思います。これは、
対極性なのかもしれません。騙される国民は、対極性がなくて、連続・同一性
の自我しかないのではないかと思われます。

 対極的認識をつけるには、真の教育が必要です。私は、ポスト教育として、
導学を考えたりします。個において、感じ、考えなくては、真実の感覚・知性
になりません。これを導く導者が必要だと思っています。』

# toxandoria 

『“とむ丸”さま、TBありがとうございます。

やはり「2005.9.11小泉クーデタ」を国民が甘やかしたツケが回ってきたようで
す。

おっしゃるとおり、日本は小泉・安倍などパラサイト政治家(人間型寄生
虫?)に乗っ取られつつあります。「共謀罪」も国民が甘チャンだからという
見方がありますが(下記URL★)、むべなる哉の感があります。
★刑減免より犯罪組織が怖い、凶暴罪/「刑事」が反対する理由、http://www.t
okyo-np.co.jp/00/tokuho/20060518/mng_____tokuho__000.shtml

目下、toxandoriaも高齢の親が“施設入居中”ですが、近頃は、周辺で悲惨な
事例を見聞するようになり腹が立っています。

EUでは、拡大EU憲法の頓挫への反省から「プランD」(デモクラシー、ダイアロ
ーグ、ディベートのD)と呼ぶ“欧州委員会と各国市民レベルとの熱心な対話プ
ロジェクト”が2005年から始まってます。

彼らは、より市民に開かれたEUを目指し始めており、他にも新自由主義の弊害
を克服するための取り組みが真剣に模索されています。

暴政日本の悲惨を見るにつけ、政治家と過半の国民が余りにも低劣で情けない
限りです。』

# renshi(補足)

 『toxandriaさま

私が、テレビに映り語る小泉首相を、観察するとき、当然、視覚と聴覚を働か
せます。視覚的には、にこやかな顔をしています。そして、マイクのあるデス
クに両手をついて、小泉氏が話します。先には、小泉氏の話し方からわかると
言いましたが、正確に言いますと、話すポーズと話し方の両者の関係の観察か
ら、胡散臭さを直観していると思います。

 視覚と聴覚は、メディア界に属しているでしょう。しかし、同一性自我=近
代的自我《日本人が近代的自我を真にもっているのかは、問題ではあります
が)は、この視覚・聴覚に対して、当然、連続・同一化します。これは、批判
力の麻痺です。

 差異の欠落、これが、狂気暴政を生んでいると、哲学的には考えられます。
日本人の自我の問題ですが、正確に言いますならば、近代的自我というより
は、主客未分化的自我ではないかと思われます。ですから、同一性自我とこれ
とが結びついて、実に集団主義・全体主義・ファシズムになりやすいのだと思
われます。』

# toxandoria 

『renshiさま、懇切なコメントありがとうございます。

お母様の介護でのご苦労をお察しします。現在、toxandoriaも施設に入所中の
老母がおります。ここ数年は気が遠くなるような凄まじい入所のための競争倍
率に悩まされてきました。そして、やっと入所できたと思った途端に、今度は
部屋代の徴収だ、値上げだとの騒ぎに巻き込まれて目玉を白黒させています。

そして、昨年10月の介護保険の見直しで施設側が部屋代を自由相場で徴収でき
ることになった訳ですが、結局は部屋代の高額負担に耐えられず、今まで入所
していたご老人が数多く退所することになったようです。正確なデータは発表
されていないため分かりませんが、1月頃にローカルデータが出ていたので、
これから推計すると全国規模で少なくとも数万人規模の退所者が発生している
はずです。

この方々は負担に耐えられる、より恵まれたご老人たちと入れ替わったのです
が、退所させられたご本人たちや、そのご家庭の方々の悲嘆に暮れる姿が目に
見えるようです。これは、まさに冷酷な“自由主義経済と格差社会のもたらす
非情な現実”です。幸いにも、toxandoriaの老母の場合は、たまたま良心的な
施設であり、しかも未だ諸条件をクリアしているため多少の負担増で済んでい
ますが、この先どうなるかを考えると不安です。

つまり、老人介護のシゴトはほぼ完全に自由化されてしまった訳です。政府・
厚労省がやることは、介護度に応じた負担の分担割合を決めるだけで、後は施
設側の経営努力に任せることとして、自由に部屋代名目の料金を負担能力があ
る利用者から好き放題に徴収してよいことになっています。このため、月額で
30〜40万円位の負担能力があれば、いつでもどうぞという高給リゾートホ
テル並みのレストラン付き老人介護関連施設がドンドン建設されています。

これは老人介護に限ることではありませんが、一般に私たちは自分の身に降り
かからぬ限り、このように悲惨で矛盾と非合理に満ちた目に遭っている人々の
現実を理解することが困難なのだと思います。しかし、いやしくも政治家を志
す人々には、この程度のことを理解できる想像力(イマジネールの力)を身に
つけていただきたいものです。

小泉・安倍などの“余りにも恵まれすぎた環境でお育ちになった、いわゆる乳
母日傘の世襲政治家”たちには、このような想像力が決定的に欠落しているよ
うです。従って、“見栄えがいいから、おセレブな感じだから、他の人より性
格が良さそうだから”などという、何の実体的な根拠もないメディアのイメー
ジ戦略に騙されて、彼らを熱烈に支持する国民は“甘チャン”だということに
なります。

小泉首相の胡散臭さは知る人ぞ知るということだと思いますが、「靖国神社参
拝を平和のためだ」という説明にはトコトン呆れております。靖国神社が非寛
容でエゴの塊のような軍神を奉ったものであることは明らかなのに、よくもこ
のようなウソを抜けぬけと言えるものだと思います。

また、「愛国心の押し付けで子どもの内心に干渉するつもりはないが、先生方
には仕事の一環として愛国心教育をやっていただきます」という説明にも呆れ
ています。結局は力づく(先生に対する人事権と財政力)で間接的に子どもた
ちの内心へ干渉する、ということに他なりません。これでは、まるで子どもた
ちがトコロテンのように見えてきます。また、小泉首相には介護保険法に関す
る顰蹙もののスキャンダルの噂が燻っています。このことについては、下記のU
RL(★)をご覧下さい。
★[2005-11-11、小泉Zombieは本当にクリーンか?]
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051111

いずれにせよ、このようなペテン師タイプの政治家にコロリと多くの国民が騙
されるのは、やはり「米国仕込みの広告会社」指南による狡猾なメディア戦略
の勝利なのだと思います。根拠はよく分かりませんが、米国流のプラグマティ
ックな観察によると、人間の意志(意識)の約80%は「視覚&聴覚情報が作り
出すもの」なのだそうです。残り20%の役に立っているのが「嗅覚・触覚・味
覚」ということになるようです。私見では、このような人間についての理解は
底が浅すぎるとも思うのですが、大方の人間がこのような原理に容易く左右さ
れていることも現実だと思います。

従って、もし国民を小ばかにし続けるこれらの狡猾な戦略へ本気でカウンター
パンチを加えるつもりなら、これらのペテン師タイプの政治家や御用メディア
を批判するサイドでも、よりプラグマティックな手法を本気で研究する必要が
あるようです。無論、“ミイラ取りの罠”に嵌る危険性については十分に考慮
すべきでしょうが。また、いささか希望が持てるのは、このような権力側の戦
略で騙され易いのは恐らく大人の国民の3割程度ではないかと思われることで
す。この点について、renshiさまがおっしゃる導学(大人の再教育)の問題を
関わらせる工夫が必要なのかも知れませんね。』

# とむ丸です 

『toxandoriaさんのお母様のことはいつかお聞きしたような気がしますが、ご
心配ですね。私はまだ30代で介護を経験しました。1人で寝たきりの人を介護
していたときは、どんどん追いつめられていきます。それでも、何とか仕事を
続けて、どうにかこうにかバランスを取っておりましたが、あれは、「愛」だ
とか「心」だとか「優しさ」だとかを強制される分だけ、介護する身にとって
残酷です。

ですから、介護保健制度ができたときは、とにかく一歩前進だと思いました
が、それも次第にハードルが高くなってきているようですね。「まごころ」な
んて持っていない人が、恥ずかしげもなく、一番「こころ」とかを大声で主張
しているんですよね。』

# kaisetsu 

『福祉の問題について、私の私的なコメントを此処に書かせて頂きます。私自
身は、若輩の頃、所謂、公的な立場で、この問題について、数年間、計画の立
案に関して従事したことがあります。一日に4時間の睡眠が取れれば幸せという
状況で、100以上のファクターの整合性や「福祉とは何か?」という基本的なテ
ーマと絶えずブツカリナガラの、作業でした。多くの業界団体の長とも激しく
口論しました。そうした私の私的な経験の中で、私は、「福祉」とは、「直接
的な給付」であるべきだ、と考えるようになりました。

国家が、租税を、家族に「直接的に給付」するシステムがベストであり、ここ
に、変なケインズ理論とか、公務員を介在させようとするから、矛盾と歪が生
ずると考えるようになりました。中間的な寄生者に、給料や役務費として中間
搾取される金銭を含めて、全て、まず、例えば「介護を必要とする家族」に直
接的に助成するべきであると考えるようになりました。少数で良いので、所
謂、官僚は、この配分の合理的な算出根拠を明確に定め、平等原則、財源手当
てについて、十分な妥当性を理知的に創造することが仕事で在る、と考えるよ
うになりました。

国家に、「こころ」を判らせようと考えることは邪道であり、勿論、国家は
「こころ」に関係するべきでは無いと考えています。これは、現在の日本国憲
法と前提だと思っています。権力の亡者が屯する政治的世界に、「こころ」を
要求することは邪道と考えています。この政治と言う『必要悪』と官僚・一般
職公務員という第二の「必要悪」が結託していることで、福祉の財源が、本来
の給付対象である「家族」に届かないことに現在の日本の福祉制度の問題が存
在していると考えています。』

# toxandoria 

『kaisetsuさま、コメントありがとうございます。

いささか論点がズレますが、マスメディアの無責任について連想しました。
国家が「こころ」に関係(介入)すべきでないというのは、福祉についても愛
国心についても、あるいは宗教についても同じことだと思います。福祉が求め
られるリアルな現場、愛が交わされるリアルな現場、宗教が求められるリアル
な現場で共通するのは“論理”ではなく、それは“一種の無防備な精神環境”
のようなものです。

このようにフラジャイルな(非情に弱々しい)現場に“論理”(一種の権力の
あり方)が少しでも闖入すれば、忽ちにして、それは“福祉”でも“愛”でも
“宗教”でもないものとなります。現代の民主主義社会は、すべての国民がこ
の“一種の無防備な精神環境”を平等に持つ権利を認めているはずです。

だから、妖しげな複数のカルトやアングラ勢力(心のあり方がエキセントリッ
クに偏執した人々の集団)との癒着を疑われるまで身を落とした連立与党政権
が、自らのルール違反(日本国憲法違反)を棚上げにする一方で、一般国民の
精神環境に対して「露骨な介入宣言」をするような政策を打ち出すことは許さ
れるべきでないと思います。

現代の民主主義社会は、近代史だけでも数百年にわたる血みどろの戦争(大量
殺戮)の歴史の中から漸く学び取った「フラジャイルな真理の眼」(過剰な
視・聴覚に頼らずリアリズムを認識できる総合的な感受性)の上に成り立って
います。

元来マスメディアに期待されているのは、この「真理の眼」に基づき政治・経
済・社会のあり方を検証する仕事のはずでしたが、彼ら自身がこのことについ
て無自覚・無責任となっています。それどころか、彼らの多くはこの「偏執し
た政治権力」と癒着したため、彼ら自身の「眼」が曇って問題提起能力が失な
われています。間違いなく、このことが今の日本の混乱を助長し、愚民を量産
することに繋がっていると思います。』

# kaisetsu 

『toxandoria様

 全く、その通りだと思います。特に、次の結論については、まさに日本の危
機の根源です。

>元来マスメディアに期待されているのは、この「真理の眼」に基づき政治・経
済・社会
>のあり方を検証する仕事のはずでしたが、彼ら自身がこのことについて無自
覚・無責任
>となっています。それどころか、彼らの多くはこの「偏執した政治権力」
>と癒着したため、彼ら自身の「眼」が曇って問題提起能力が失なわれていま
す。
>間違いなく、このことが今の日本の混乱を助長し、愚民を量産することに繋が
っている
>と思います。』 (2006/05/19 06:34)

また、この危機を救う手がかりが、新しいメデイアの世界に在り、特にブログ
という形式にあることも、今日の共謀罪にたいする批判勢力の趨勢を見ても明
らかだと思います。
また、理知が、単なる「近代合理性」ではないことも、新しいメデイアの世界
によって再確認されつつあることも希望です。

新しいメデイアの伸長が顕著な、欧米、韓国などにおいては、より健全な権力
への批判精神が勢いを盛り返しています。
イデアの世界を目指す、新しいメデイアの、より急速な発展と拡張が日本にお
いて急がれます。』

# toxandoria 

『早瀬さま、TBありがとうございます。

教育現場について詳しい知識はありませんが、愛国心・凶暴罪・・・と次々に
繰り出される異様な政治の流れに危機感を覚えています。

なにやら、日本だけが突出して魔女狩りのような社会へ向かっているような気
がします。

どうぞよろしくお願いします。』

# さき 

『toxandoriaさま、いつも勝手にTBを送らせていただいていて、TBのお返しも
頂いていますのに、ご丁寧なコメントを頂いて恐縮しております。ありがとう
ございます。

学校はもうずっと前から酷い場所になっています。ブログを作ってから、まだ
良心的な先生があちこちに残っておられて今の流れに歯止めをかけるために闘
ってくださっていることを知りましたが、子育てをしながら私がお会いした先
生たちは、ほとんどが小泉首相の縮小版でした。

学校は限られた空間で、はじめから教師と生徒の間には絶対的な力の差があり
ますから、権力者の横暴がまかりとおるのは容易です。それをなんとか変えた
いと思っていたのに、今度は「国」まで同じことになりそうなので、やむなく
ブログを作りました。教育基本法が改悪されたら、半永久的に(少なくとも私
が生きている間は)、学校がよくなることはないでしょう。なんとかして改悪
阻止したいです。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。』

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