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タイトル:[「反CPEデモ」に見る、フランス民主主義の“ど根性”]の補足記事&コメント  2006/03/24


[「反CPEデモ」に見る、フランス民主主義の“ど根性”]の補足記事&コメント
2006.3.24

[補足記事]

《補足1》「フランス・デモ騒動の現況」(2006.3.23付・共同通信、パリ発より/要点)

●方針転換のそぶりも見せないドビルパン首相の強硬な姿勢にルモンド紙などのメディアも驚き、あきれ始めている。ルモンド紙によると、首相は関係大臣の慎重論に耳を傾けず国民議会(下院)では採決なしに法案通過を可能にする憲法法規を行使した。イラク戦争への反対演説で見せたドビルパン首相の弁舌の鋭さは、今、国民に意識の上では頑迷さに変わりつつある。

●フランスの政治家は、若者たちの抗議行動を侮ってはならないことを経験から熟知しているはずだ。ドビルパン首相とライバル関係にあるサルコジ内相のグループを中心に、与党側からも首相と距離を置く発言が目立ち始めている。また、メディアは首相の後継人事に女性閣僚のアリヨマリ国防相(シラクに近い人物)、ボルロー雇用・社会結束・住宅相(労働団体と信頼関係がある)らの名前に憶測を巡らしている。

●それでも現首相を擁護する姿勢のシラク大統領には、ドビルパン氏を自分の後任大統領候補と考えていることの他に理由があるらしい。リベラシオン紙の分析では、昨年5月の国民投票でEU憲法の批准に失敗したあと、シラク大統領とドビルパン首相は「雇用状況の改善」に自らの命運を賭けてしまったらしい(であるなら、なぜ頑迷に対話を拒むのか?)。 今、現首相が退陣するとシラク大統領の晩節の評価が決定的なダメージを受けることを恐れているのか?

●いずれにせよ、学生組織と労働組合が共同で行ったデモ(三回)の参加者は延べで100万人を超えている。この3月28日には、全国で更に大規模なデモの展開が予定されている。

《補足2》「フランス・デモ騒動の現況」(2006.3.23付・共同通信、パリ発・続報より/要点)

●首相とライバルであるサルコジ内相が、3/23発売の週刊誌パリマッチとのインタビューで「雇用後に6ヶ月間の試用期間を設けること」を提案した。内相は、大統領選挙を意識してドビルパン首相と共倒れになることを恐れており、今のうちに柔軟性を見せて首相との違いを強調することを狙っている模様。

●首相は“政府が準備している雇用策の主旨が正しく理解されていない”と主張しているが、サルコジ内相は“我われが十分な対話を持たなかったのだから(学生らが騒ぐのは)当然だ”と暗にドビルパン首相を批判した。

《補足3》「フランス・デモ騒動の現況」(2006.3.24付・朝日新聞、パリ特派員発・記事より/要点)

●23日、ドビルパン首相は労働組合へ緊急協議の手紙を送り妥協点を探る動きを見せ始めた。ドビルパン首相は、先入観なしに話し合うという譲歩の姿勢を示した。近々にドロビアン国民教育相も高校生・大学生の団体へ同様主旨の手紙を送る予定。しかし、勢いに乗る学生たちは、その日のデモで圧力をかける予定。

●労組への手紙の中では“協議の日取りは限定せず、日取りも特に決めず労組の都合に合わせると、低姿勢を見せ始めた。 しかし、労働組合代表の一人によると、28日には大規模な支援スト(とデモ)が予定されているので、政府と労働組合の協議の日程はその後になる可能性が高い。

《補足4》「米女優シャロン・ストーンもCPEに反対」との情報

●新作映画のプロモーションのため訪仏中の女優シャロン・ストーンが“ナゼ雇用されるのかナゼ解雇されるのかを、人は知る権利がある”と述べて反CPEの意志を表明した。

●詳しくは下記のfenestraeさんのブログ(★1)とNOUVELOBS.COM (★2)の記事を参照乞う。

★1、http://d.hatena.ne.jp/fenestrae/20060320
★2、http://permanent.nouvelobs.com/social/20060320.OBS1102.html

[コメント]

谷口硝子 『>「政権が腐り易いものであること」を熟知しているのです。

日本国民は権力が腐りやすいことを知っていながら、長いものには巻かれろとばかりに、不安を抱えながらも、悪政に迎合していく。それが近い将来自分のクビを締めることになるにもかかわらず…。

また、政治家たちは自らの利権のために、動くのが政治だと勘違いしている輩ばかりで、国家や自治体の将来に対する理想も施策もへったくれもありません。が、その政治構造を支えているのが、わたしたち有権者でもあります。

>今の日本で大切なことは、フランスの民主主義のあり方を参考としつつ、リアリズムに徹した、行動力のある“批判勢力”を育てることです。バランスの取れた健全な資本主義と民主主義を実現し、世界の平和に貢献するため我われ日本国民がやるべきことは無尽蔵にあるのです。

「行動力のある批判勢力を育てる」とは、なんという美しい響きをもつディスクールでしょうか。へたれニッポン社会で批判精神を持ち続け、なおかつ、行動力を兼ね備えるためには、高い志と体力&精神力が求められます。われわれが無尽蔵にやるべき課題について、他人任せにするのではなく、ひとりでも多くの人たちが、その一歩を踏み出すことに、ささやかな期待を寄せるものです。』

# toxandoria 『谷口硝子さま、コメントありがとうございます。

フランスについて事情を探り、記事に纏めるときに何時も思うことがあります。彼の地の人々は日本人と根本的に異なる認識能力を持つのではないか、と・・・・。そこには権利意識だ、自由についての理解だ、という通り一遍の事柄で説明できない何かがあるようです。

最近の「アメリカの民主主義」は“マニュアル民主主義”あるいは“プレハブ民主主義”という感じですが、フランスの民主主義は未だにナイーブさというか、アメリカとは違う意味での激しさ、厳しさ、一回性の感覚(あるいは価値観)などを秘めているように思われます。そして、これはフランス独特の愛国心のエネルギー源でもあるようです。

やはり、日本は、長かった封建時代の“負の遺産”を未だに引きずっている(江戸以前の文化の全てが負とは思っていませんが・・・)ような気がします。そこには、政治が悪であることについての諦観のような感覚があるのかも知れません。どんな政治悪でも「靖国神社」などで“お祓い”をすれば禊になると思っているのでしょうか?』

# スパイラルドラゴン 『こんにちは。
現在進行しているフランスでの騒動を、経済的な基盤が確立されているフランス国内の市民達が、どのような目で見ているかという視点を見誤ると、今回の騒動の本質を見誤ると思いますよ。』

# toxandoria 『スパイラルドラゴンさま、コメントありがとうございます。

たしかに、そうですね。日本とは異なる意味で階層化した社会である(特にド・ビルパンなど、ドの付く人々の力は侮れないようです)ので、例えば在仏ブロガー、fenestraeさまの下記の記事(部分抜粋、http://d.hatena.ne.jp/fenestrae/20051119より転載)(【〜〜〜】)のような現実があるようです。

【暴動に参加したものでフランス国籍でないものを、正規滞在者まで、関連法律をほとんど無視に近い拡大解釈で国外追放と決めたが(外務大臣は反対。世論調査は支持)、国外追放になったものはどこに行くのか。効率よいテロリスト製造法。皆が「赤毛のダニー」みたいに追放先でぐれずにフランスを愛しつづけるとは限らない。】

早速、ゼネストが回避されそうになったことも、そのような事情が絡むかもしれません。

しかし、少なくとも現在の日本で見られるような“批判勢力の総ヘタレ・ショタレ化”よりは見た目に分かり易い分だけ、そこには彼我の一般的国民の民度(自覚)の違いが現れているように思われます。』
# 谷口硝子 『先のようなコメントを記したのは、埼玉県議会の「総ヘタレ・ショタレ」現象が目の前に迫っていたからです。以下、そのいきさつに関するブログです。
http://blog.goo.ne.jp/sai-fnet/』

# toxandoria 『谷口硝子さま、コメントありがとうございます。

イヤ〜驚きました。この手のスキャンダル話は昔からよく噂として聞くことはありますが、ここまで露骨にスケールの大きな騒ぎとなっているのは珍しいですね。幾人かの知人が住んでおり、かつてtoxandaria自身も住んだ場所なので、あまり言いたくありませんが“埼玉県民の民度(=民主主義意識)が低い”と言われても仕方がないような事件ですね。

よく考えてみれば、最も酷くこの手の“政治のポルノクラシー化”(娼婦政治/Pornocracy/10世紀半のローマ教皇庁で起きた堕落政治/この時代教皇達は売春婦などの女性によって強い感化を受けた)が進んでいるのは今の日本政府じゃなかったでしょうか。その証拠に、くだんの“感動した!名宰相”をはじめ自民党幹部の名を想起すると、これに該当すると思しき人物がゴロゴロ居並んでいます。

漸く、今頃になって騒がれ始めた『格差論』も、そもそも“新自由主義思想”の中に潜んでいたことです。その根本は、最近になり広く知られるようになった“トリクルダウン”(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E7%90%86%E8%AB%96、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060122)という怪しげな理論(呪文、おマジナイ?)にあります。

本来、“リベラリズム”は「先ず、政治が自由競争をするための平等な前提条件と敗者復活のための条件を十分整備した上で競争させる」という意味であったはずです。これを“トリクルダウン”という都合のよい修飾語を使って、現代民主主義社会を封建時代へ後戻りさせてしまったのです。この意味で、新自由主義思想を信奉する学者や政治家は根本的には封建主義者だと思います。

このように考えると、倫理観は時代感覚を伴うものですから、現代の政治家や御用学者の多くの倫理観が崩壊するのは当然かも知れません。今回のワールド・クラシック・ベースボールでのアメリカ野球界のお粗末さと身勝手さも、こんなアメリカ人に蔓延している倫理観の崩壊が露顕したのではないかと思っています。

“トリクルダウン”といえば、芥川龍之介の『芋粥』(http://www.prana-art.co.jp/magajin/imogayu/6.htm)の中に“取り食み”(とりばみ)という言葉が出てきます。恐らくこれは、平安時代中期頃から江戸時代の初めあたりまで行われた“日本版・トリクルダウンの奇習”(当時の封建的感覚(倫理観)では奇習ではなく地位の高い人々の善行(一種のノーブリス・オブリージェ感覚?)だったのかも知れませんが・・・)があったようです。

“取り食み”とは、大きな饗宴の後などに残り物の料理等の食べ物を庭に撒き散らして乞食ら身分の低い人々に食べさせることであったようです。ちょっと調べてみると、これには“鳥喰(み)、鳥羽見、鳥込”など様々な表記があって、それに関する人名・地名が全国に残っているようです。ユニークなものでは、近江の湖東地方に「鳥食み神事」(http://www.biwa.ne.jp/~kasajima/ouminomaturihonbun2.htm)があります。

このように見てくると、埼玉県議会や日本政府の“ポルノクラシー化”と“トリクルダウン”(新自由主義思想)信仰による「格差拡大路線」は、日本が封建時代へ後戻りしつつあることの証拠なのかも知れません。このため、政治権力者や御用学者たちの倫理観も逆行しており、近代民主主義社会の基準から見れば堕落する一方です。

だから、このような点に気がつかず安易に見過ごしてしまうという意味でも、鋭敏な感覚が残っているフランスの民主主義社会と比較すると、残念ながら「日本人の民度」は低下する一方で「総ヘタレ・ショタレ化」がどんどん進んでいるのではないでしょうか?』

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