メルマガ:toxandoriaの日記
タイトル:[2006.2.2、小泉首相の開き直り「格差論」/外道の喧嘩場と化した国会]へのコメント、ほか  2006/02/04


[2006.2.2、小泉首相の開き直り「格差論」/外道の喧嘩場と化した国会]
(toxandoriaの日記/ブログ北国版、http://ch.kitaguni.tv/u/8761/%cb%bd%
c0%af/0000318350.html)へのコメント
2006.2.4

蛾遊庵徒然草 

 始めまして。「外道の喧嘩」この言葉、無学にして初めてしりました。大変
きにいりました。 

 今の国会の有様、一言で言いえて妙だと感じました。 

 私なども、単細胞のためか、何故かこの「外道の喧嘩」の物言いにすっかり
嵌ってしまい、馬鹿な1票を行使し、今になって己の不覚さに歯噛みしている
次第です。 

 思えば小泉マジックのトリックはこの「外道の喧嘩」スタイルにこそあった
のだと、貴方様のご指摘で気付かされました。 

 今までの、国会答弁は良くも悪くも慇懃無礼、本音隠した建前論のやり取り
で国民をうんざりさせてきたのではなかったでしょうか。
 
 それに比べて、何かというと本音で開き直ったかの物言いの似非ライオン宰
相が新鮮かつ、一種の爽快感、カタストロフィーを与えてくれるからではない
でしょうか。 

 こうして私は小泉劇場の観客にとりこなれてしまったようです。 

 しかし、今は目が覚めました。 

 政治の場に、そんなものを求めるのはまさに「外道そのもの」ではないでし
ょうか。 

 真摯な政治の姿とは、泥臭く、ややこしく、何次方程式の解を求めるような
ものはないでしょうか。


toxandoria

蛾遊庵徒然草さま、コメントありがとうございます。

たしかに小泉氏が登場したばかりのころは、その「外道の喧嘩」スタイルが新
鮮に映ったかもしれません。しかし、直感的に何か異質な部分を感じた人も多
かったようです。

toxandoriaの場合は、当初、小泉氏というよりも「新自由主義思想」に疑念を
抱いておりました。やがて、竹中平蔵が脚光を浴びるようになったので、「小
泉政権」の間違いを確信するようになったのです。

おっしゃるとおり、政治の場は奇麗ごとばかりではないでしょうが、少なくと
も「主権在民」と最高権力者に対する「授権規範」を唄う民主憲法を持つ国で
す。従って、「外道の喧嘩」がこれら民主主義の大原則を陵辱することを見逃
す訳にはゆきません。

当初から、主要なメディアが何故か弱腰で健全な批判力を失っていたことも気
になっていました。

今後とも、どうぞよろしくお願いします。


[2005.11.15、「小泉劇場」が犯した七つの大罪/「ポスト小泉体制」を批判す
る心構え]
(toxandoriaの日記/ブログ北国版、http://ch.kitaguni.tv/u/8761/%cb%bd%
c0%af/0000289911.html)へのコメント
2006.2.4


蛾遊庵徒然草 

 またまたコメントさせていただきます。 

 上記、「新自由主義」についての解説、無学の私には、簡にして要、大変参
考になりました。 

 また、小泉内閣の総括、これもまた同感いたしました。 

 しかし、小泉内閣のこの5年間の所業はともかくとして、ケインズ主義に基
づく福祉国家一辺倒にも問題はあるとおもいます。 
 
 人間社会の流れは常に得体の知れない流動体であり、それにピッタリの処方
箋やものさしは有り得ないと考えます。 

 私どもにできることはそのとらえどころ無さを承知した上で真しに真正面か
ら向かい合い、ああだこうだ試行錯誤して、短い人生の存在同士、お互いが少
しでも楽しくすごしていけるような仕組みづくりをこころがけていくほかない
のではないでしょうか。 

 今の私たちはアダムスミスやケインズ、ハイエクといろいろ勉強するのはい
いのですが、あまりにもそちらばかりに気をとたれて、今、直面している 
現実の考察、観察をおろそかにしすぎてはいないでしょうか。
 
 ひるがえってわが国の江戸時代の優れた経世家は、皆、自分の足で歩き民の
暮らしを見つめその中から方策を見つけて施策、実践し成果をあげ、今に神と
あがめられるようになったのではないでしょうか。 

 今、我々は、故人のそのような姿勢にこそ学ぶべきではないでしょうか


toxandoria

蛾遊庵徒然草さま、懇切なコメントありがとうございます。

人類が資本主義経済で生きて行かねばならない以上は、その資本主義経済シス
テムを適切に制御するという視点を外すことは絶対できないと思います。とこ
ろが、「新自由主義思想」は意図的にこのような視点を外した(あるいは、そ
もそも抱えた擬似思想である)疑いがあります。

これは例えばカール・ポランニーの「社会の中に埋め込まれた経済」という考
え方などと比べてみると理解できるようです(参照、
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060129)。

そして、それは国家ガバナンスの一つのタイプであるユーロ・コーポラティズ
ム(EU型コーポラティズム、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050602)な
どへ影響を与えています。

つまり、現実には「新自由主義思想」の克服にチャレンジする国々が多いので
す。人類の未来は「新自由主義思想」のような硬直的な擬似思想(カルト的だ
とさえ思われます)に支配される訳にはゆかないと思っております。

おっしゃるとおり、現実生活に根ざした江戸期の「経世済民」の考え方は重要
であり、この思想を実践している立派な経営者の方々が今でも数多く存在して
いるはずです。

日本が再び日の目を見るためには、地に足がついた信念を取り戻すことが必要
だと思っています。

ブラウザの閉じるボタンで閉じてください。