メルマガ:歴史上人物意外史
タイトル:歴史上人物意外史 Vol.7  2005/11/09


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          歴史上人物意外史          Vol.7

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  ■木々の葉の色が衣替えを急ぎ、雑草も負けじと草紅葉になって
  きました。赤、黄、緑のコントラストはまさに錦秋という言葉
  そのものです。 
  
  街並みもすっかり秋一色になりつつありますね。そろそろクリス
  マス商戦に向けての飾りつけも出てきそうです。

  朝夕の寒さも冬の訪れ間近を感じさせます。

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 ■明智光秀冤罪説≪その4≫

  本能寺の変に関与した勢力や人物が複数存在したとするのが、作家
  である八切止夫説です。小説にするにはドラマ仕立てにした方が
  面白く、読み手を惹きつけるテクニックでもあるわけですが、八切
  氏は自説を小説という形で発表して文壇デビューを飾ったわけです。

  斉藤一族の斉藤内蔵助というメジャーな人物が突然飛び出してきたり
  カトリックが関与していたなど、面食らう方もあろうかと思います。

  私の友人の説は単純明快で、真犯人というか仕掛けた黒幕はたった
  一人に過ぎません。結論は八切氏と同じでした。

  その前に明智光秀が無罪となると、一番疑わしいと思われる人物は
  誰だと考えますか?

  豊臣秀吉がまず嫌疑がかかりそうではありませんか。
  中国討伐に遠征していた秀吉が毛利一族と和睦を結んで、有名な中国
  大返しを決行して光秀を討ち取り、天下取りに王手をかけますね。

  多分、秀吉はあちこちに人脈を持っていて事前に情報を掴んでいたも
  のと思われます。それでなければ事件後急遽引き返すことは、物理的
  にもかなり困難なものがあります。

  SF作家の筒井康隆は「東海道戦争」の中で、仕方なく新幹線を登場
  させているよとは友人の弁でした。

    友人によれば、秀吉はかねてから謀反の動きありとの情報をいち早く
  掴んでいて、戦場に向かうと見せかけて要所要所に兵を隠していたの
  ではないか、一朝事あらば直ちに行動できる態勢を敷いていたのだと
  言っていました。

  ともあれ、秀吉(当時は羽柴姓)は偶然ではないにしても漁夫の利を
  得たことだけは間違いないでしょう。
  主君の弔い合戦が天下取りの絶好のチャンスになったわけですからね。

  となると、真犯人はまさかという場所でアリバイ作りをしていたという
  ことになります。

  織田信長がもっとも警戒していた人物、徳川家康なのです。
  彼は5月(旧暦)頃から信長の接待を受けて京都にいましたが、信長に
  挨拶もせずに大阪の堺で物見遊山に耽っていたといわれています。

  八切氏によれば、信長は家康を呼び寄せて殺害する計画でいたといい、
  それを察知した家康は、先手を打って大阪・堺に逃げていたらしいの
  です。

  もちろん、信長暗殺の黒幕であり、首謀者であった家康は、斉藤一族と
  信長夫人帰蝶や、カトリックの司教などに根回しをしていたものと思わ
    れます。

  そして家康は本能寺に刺客を放って信長暗殺のシナリオを演出したわけ
  ですが、彼の陰謀は秀吉によって阻止されることになります。

  家康が「鳴かずんば鳴くまで待とうホトトギス」と信長、秀吉、家康の
  性格を比較されますし、「徳川家康」を書いた山岡壮八によって待ちの
  哲学などとして、ビジネスマンにもてはやされましたが、真相は家康の
  意に反し,心ならずも待たざるを得なかったというのが偽らざる事実と
  いってもいいのではないでしょうか。
  この点については友人のみならず、八切氏も指摘していました。

  秀吉にしてやられ、鳶に油揚げさらわれた格好の家康は、豊臣政権の
  崩壊の機を待つしかなかったのでしょう。

  さらに八切説によれば、信長は軍艦を造り、当時ポルトガル領マカオ
  から堺に通じていた航路を使ってマカオを襲撃し、自らがテロの標的に
  なってしまった例の本能寺を爆破した新型火薬を入手する計画を実行に
  移す段階にあったと言っています。

  まさに信長は「信長の野望」ゲームのように現実に世界制覇を目指して
  いたのかもしれません。

  天下統一を成し遂げた後は、天皇を退位させて自分が国王になり、さら
  に世界征服を目論んでいたとしても、信長ならばさもありなんと思うの
  は私一人ではないのではないでしょうか。

  豊臣秀吉の朝鮮半島侵攻は、あるいは信長の遺志を継いで自分が実現
  しようと考えたのかもしれません。

  ところで、肝心の明智光秀の行動が全く出て来ていませんね。
  それは次回のお楽しみということにします。

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 ●野暮用が多くてつい発行が遅れてしまいました。

  本能寺の変を書く当たっては、淡々と筆を進めるつもりでいたのですが、
  書いているうちに興が乗ってきて、いろいろ挿入してみたくなり、なか
  なかこの項を終了できなくなってしまいました。

  メルマガを読んでいただいている方の中には、いい加減にしろよとお叱り
  を受けるかとも思いますが、もうしばらくお付き合いください。

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  ◆メルマガ名:「歴史上人物意外史」
  ◇発行者:纐纈智恵郎 kouketsu@yahoo.co.jp
  

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