2011年7月29日
第28号(通巻第274号)






【photo by Yao Yuan】

7/29(金)アートフェア東京2011 (〜7/31) 東京国際フォーラム

7/30(土)泉太郎 「ヤブ医者/髭の中」(〜9/17) スプラウト・キュレーション

7/31(日)「世界報道写真展 2011」(〜8/7) 東京都写真美術館

8/1(月)伊熊泰子 「いつもの東京」 (〜8/6) 森岡書店

8/2(火) 今週のThe Artcomplex Center of Tokyo(〜8/7) The Artcomplex Center of Tokyo

8/3(水)トゥン・ウィン・アウン + ワー・ヌ「幾つかの(白い)作品」(〜8/28) Art-U room

8/4(木) 「Japanese Beauty -もっとかわいく、女らしく!-展」(〜10/10) アミューズミュージアム

7/22(金)“大人女子”向けスマホ「AQUOS PHONE THE HYBRID 007SH J」発売

7/23(土)小室哲哉、後藤真希ら、ニコファーレに豪華アーティストが集結!

7/24(日)アナログ放送、歴史に幕 地デジ移行

7/25(月)仙台空港 国内定期便再開 8路線、東北復興に弾み

7/26(火) 特別企画「東北の底力、心と光。 『衣』、三宅一生。」開催

7/27(水)将来は月や火星に行ってみたい - JAXAの新たな3人の宇宙飛行士が会見

7/28(木)ドコモ、ワイヤレス充電対応「AQUOS PHONE f SH-13C」予約開始

【読者の皆さんへ】

メールマガジンの11周年記念を迎え、我々は今後の発展方向について検討を重ねてきました。現在、twitter型、Facebook型、微博(weibo)型の交流方法の発揮する力が最も威力があるということは、数々の事実から証明されています。そこで、今後のメールマガジンの編集方針として、以下の三つのステップを設定しました。

1.日本の各種最新流行情報をできるだけ早く集め、上記の各プラットフォームで発信する。

2.上記のプラットフォームで発信した後、反応が大きかった情報について詳しく取材し、「週刊東京流行通訊」に掲載する。

3.上記の情報に関連する人物や事物について、さらに深い追跡取材を行い、我々との協力関係を希望する中国、香港、台湾の新聞、雑誌、サイト、テレビなどのあらゆる形のメディアに対して報道することを提案する。

本メールマガジンでは、これまでtwitterFacebookを利用してきましたが、これ以外にも、中国の四大ポータルサイトと呼ばれる4つの微博に登録しました。現在のところ同じ情報を流していますが、今後は徐々に4つの微博のそれぞれの特徴に応じて、異なる情報を発信していきたいと思っています。

新浪微博 (7/29現在のフォロワー8505人)
騰訊微博 (7/29現在のフォロワー65038人)
網易微博 (7/29現在のフォロワー21人)
捜狐微博 (7/29現在のフォロワー6人)

和風を楽しむ二つのサイト

年間を通して和を楽しみ、交流を深めるための場を提供する株式会社Japan Style(ジャパンスタイル)では、5月下旬に和風の雰囲気いっぱいのサイト「Japan Stylist」を開設した。このサイトでは、ものづくりや伝統芸能を継承する人々を紹介している。また、7月にはもう一つのサイト、「kimondou.jp」(キモンドウ)が開設された。KIMONDOUとは着物を極める人々の道としての「着物道」という意味である。イタリア語の「MOND」(世界)という言葉を用いることによって、着物の道を世界に広げ、みんなで極めていこうという気持ちが含まれている。

不況や震災などによって、多くの企業が工場を国外に移転しているが、長年蓄積された日本の工芸や伝統技術には、簡単に機械作業に置き換えられないものも多い。現在の和服は一般のファッションと同じように、日本文化の変化や外国文化の流入、環境の変化などに伴って次第に変化してきたものである。現代の和服は、職人たちがその土地の環境に合うように、知恵と技術で作り出した工芸品なのだ。

伝統的な職人の減少、和服の価格の不透明さ、強硬な売り込みによるトラブル、そして和服は着るのも保存するのも面倒であることなどから、古着を買ったり、新しい着方を自分で考案したりする若者も増えている。だが、伝統的な和服を買う人は、多くが高収入層であり、気軽にいつでも和服を楽しめるという環境は今でも整っているとは言えない。

伝統技術を持つ職人が減少するという問題がますます深刻になる現在、Japan Styleが開設したサイト「Japan Stylist」(ジャパンスタイリスト)では、日本の伝統文化を継承し発展させていく人々や、世界の舞台で活躍する人々を次々に紹介している。このサイトを通じて、伝統技術を持つ人々に技術や技能を展示する場所を提供すると同時に、次の世代との交流を促進しているのである。

また、和服に興味を持ち、これから着てみたいと思っている人や、和服をこよなく愛する達人たちのために開設されたサイト「KIMONDOU」では、和服のコーディネートの楽しみを体験することができ、オンラインで和服を買えるだけでなく、和服についての知識やイベント、ワークショップなどの情報を知ることもできる。このサイトでは、和服の着方を動画で勉強することもできるし、和服と「美」「食」「楽」など、着物ライフを楽しむためのコンテンツも次々に登場する予定だ。「KIMONDOU」の最大の特徴は、雑誌を読むような感覚で、老若男女誰でも簡単に、自分に合った和服のコーディネートを見つけることができ、写真を見て購入することができるという点であろう。(ff執筆)

写真提供:株式会社Japan Style広報部

Japan Stylist http://www.japan-stylist.jp/ kimoudou.jp http://www.kimondou.jp/


印刷博物館へ行こう

文部科学省によれば、現在日本全国には大小合わせて5000近くの博物館があるそうだ。それらの中には、東京国立博物館、日本科学未来館など、知識を普及するためのものもあるし、ラーメン博物館、日本玩具博物館など、趣味を楽しむためのものもある。今回ご紹介するのは、この二つのタイプの中間と言える印刷博物館で、所在地は東京都文京区である。印刷博物館は2000年に凸版印刷が設立した。主に印刷文化に関わる資料や物品を収集しており、ここに来れば印刷産業に関する詳しい知識も得られるし、印刷についての様々な体験イベントに参加することもできる。

一階はライブラリー、ミュージアムショップ、ミニギャラリーがあり、地下一階の展示室に下りると、長い展示壁に「ラスコーの洞窟壁画」(B.C.1万5千年ごろ)から、われわれが現在使っているCD、磁気ICカードまで、約100種類の「印刷物」が掛けられている。ここでは歴史の流れを感じることができ、まるでドラえもんのタイムマシンに乗って、遥か昔にさかのぼったような気分になり、さらには将来どんな思いがけない印刷品が登場するのだろうかと思いを馳せることになる。この博物館には、徳川家康が駿河に隠居した時に作った銅活字も収蔵され、重要文化財に指定されている。

展示室の出口付近には、ガラス張りの「印刷の家」があり、ここでは「つくる」というテーマで活版印刷の創作活動や、各種ワークショップが行われている。訪れた人は、字を拾って並べて印刷するという楽しみを体験することができ、自分だけの印刷物を作ることも可能だ。作業自体も楽しいが、できあがったものは普段の生活で使えるものなので、非常に実用的でもある。博物館ではシーズンごとに異なるテーマのイベントを行っており、母の日やバレンタインデーの時には、ここで世界に一つだけのプレゼントを作ることもできる。

お知らせ】日本のロングセラー商品展 8月20日(土)〜11月6日(日)
生活や経済と深く関わる商品のパッケージデザインは、「生活に最も近いデザイン」と言われ、その時代の人の想像力と創造力を反映している。この展覧会では、発売年度の順に30年以上続くロングセラー商品を約300点紹介する。

印刷博物館の開館時間は毎日10:00から18:00までで、休館日は月曜日(月曜が祝日の場合は火曜日)である。入場券は大人300円、学生200円、中高生100円、小学生以下は無料である。(Michelle執筆)

Photo by Yao Yuan

印刷博物館 http://www.printing-museum.org/ (日、英)


香港映画が横浜に上陸

あたりは真っ暗、座席は木製、明滅する光線、フィルムが回る音……、70〜80年代の映画館について、こんな思い出をたくさん持っている方も多いだろう。当時の人々はスクリーンを通して、日常生活とは異なる世界を見ながら、映画界で活躍する人々を覚えていったのだ。ブルース・リーの「ドラゴンへの道」は、香港映画史上初めてのヨーロッパロケが行われた映画だった。ジャッキー・チェンの「プロジェクトA」シリーズは、カンフー映画に無限の楽しさをもたらした。ジェット・リーの初主演作「少林寺」は、世界にカンフーブームを巻き起こした。チョウ・ユンファの「男たちの挽歌」は、マフィアの世界を背景に男同士の友情を描いて話題になった。

数十年の日々はあっという間に過ぎたが、当時の古典的作品の価値は時間の流れによって色あせることはなかった。改めて古い映画を見て、古い友達に会ったような懐かしさを覚える時、積み重ねられた歳月を深く感じさせられる。2011年8月1日から2012年5月にかけて、毎晩7時50分から、横浜・みなとみらいのブリリア ショートショート シアターで香港映画祭りが行われる。イベントは36週間続き、ジャッキー・チェン、ブルース・リー、ジェット・リー、チョウ・ユンファが出演する36本の精選された香港映画の名作が、週替わりで1本ずつ上映され、観客は半年間の映画の祭典を満喫することができる。スタートを飾るのは、動く木製の人形“木人”と戦うという奇抜なアイデアで、観客に衝撃を与えた初期ジャッキー映画随一の傑作『少林寺木人拳』という渋いセレクト。ジャッキー・チェンの作品は激しいカンフーアクションが見所だが、血が流れるシーンは少なく子供から大人まで誰もが楽しめるエンタテイメント。大画面でぜひこの迫力を味わってほしい。後に続くのもファンにはたまらない数珠のラインナップを揃えている。
 
チケットは上映日の一週間前から発売され、大人1000円、子供と60歳以上は800円である。イベント期間には、さらに香港映画祭り限定版の点心とカクテル、シャンパン、ジャスミンティーなどの飲み物が楽しめ、目を楽しませると同時に口も楽しませることができる。「死亡遊戯」「奇蹟(ミラクル)」「蛇鶴八拳」……みなとみらいで開催される香港映画祭りというすばらしい機会に、香港映画の傑作を通じて、日本の観客に異国の文化と生活をもっと理解してもらえるだろう。映画文化の相互交流で、香港映画産業の発展もさらに推進することができるに違いない。だが映画市場の育成は一朝一夕にはできない。これからさらに、長い道を歩んでいかなければならないだろう。(葉子執筆)

写真提供:SSFF & ASIA

Brillia SHORTSHORTS THEATER  http://www.brillia-sst.jp/ (日、英)


風男塾と夏休み握手会

中野にあるとされる架空の高校「中野風男子学園」には、謎のような部活がある。その名前は「風男塾」で、部員は6名である。彼らは「世界中に希望の風を吹かせる」ことを目的とし、「腐ってナンボ」「ワン風オール、オール風ワン(仲間を思いやること)」をスローガンとしている。子供の頃に聞いたアニメソングが人の一生に影響を与えると考え、風男塾のメンバーは自分たちもアニメの主題歌を歌うことによって、世界中の子供たちに夢と希望を与えたいと考えている。

7月24日、福岡パルコにある「天神キャラパーク」で、風男塾の夏休み握手会が開催された。このキャラパークは、大人気のキャラクター専門店「スヌーピータウンショップ」「リラックマストア」「トミカショップ」「キデイランド」から構成され、今年3月にオープンして以来、老若男女問わず広く人気を集めている。たいへん暑い日だったが、握手会には百名以上のファンが日本各地から集まった。

風男塾は2007年9月に「腐女らNight LIVE Vol.6〜腐女が如く〜」で初めて登場し、一年後に初めてのCD「男坂」を発売した。去年はアジアでCDデビューし、この夏は香港と台湾でコンサートツアーを行っている。9月21日には新しいシングルを発売する予定だが、タイトルは未定である。彼らは今後、自分たちの名前同様、アジアや世界に「旋風」を巻き起こしたいと考えている。

さてここで、6人のイケメンたちにスポットライトを当ててみよう。赤園虎次郎はとてもしっかりしていて誠実である。ニックネームは「赤歌舞伎男児」。瀬斗光黄は超常現象や神秘的な話が好きで、ニックネームは「超常の貴公子」。武器屋桃太郎は暴力が大嫌いで将来は古本屋を開くのが夢である。ニックネームは「桃源郷の彗星」。青明寺浦正は趣味が筋トレで、プロレスをやっており、ニックネームは「萌える腐魂」。流原蓮次はナルシストで、あだ名は「天下腐双のダンディズム」。緑川狂平は趣味が回転寿司巡りで、「銀次」というカメレオンを飼っている。ニックネームは「孤高のハイブリット」である。

握手会の後、メンバーたちはそれぞれお気に入りのぬいぐるみを抱いて、ファンたちと記念撮影をした。そして「また来るから待っててね」と名残惜しそうに別れを告げ、「天神キャラパーク」の夏休みスペシャル握手会を終えたのだった。(緋梨執筆)

写真提供:キデイランド広報部

「風男塾」のブログ http://ameblo.jp/fudan-jyuku/  
  キデイランド/天神キャラパーク「風男塾」夏休み握手会  http://www.kiddyland.co.jp/etc/fuku20110726/

距離をとるのは安全のため?

車を運転する時には、突発的な事故が起きないように前後に距離をとらなければならないことは誰でもよく知っていますが、実は人と人との間にも安全な距離をとる必要があることをご存知でしたか?私は以前、店員や係員がお客さんとの間でうまく距離をとるための方法を教える本を読んだことがあります。立つ位置やお辞儀の角度、さらにはお客さんと話す時の視線などまで決まりがあるのです。
 
ある日、東京のレストランで、二人のサラリーマン男性が出会う場面に遭遇しました。先に来ていた人は席に坐っていて、後から来た人はちょうど彼の前に坐りました。彼らの間にはうまい具合に、高からず低からずといった高さの仕切りがあって、彼らが顔を合わせないで済むようになっており、ちょっと伸び上がると相手が見えるという感じでした。二人は眼を合わせると、普通に挨拶をしました。挨拶した後は、当然一言二言話すことになりますが、間に仕切りがあるので、話そうとすると伸び上がらないと相手の反応が見られません。彼らはその状態を変えることなく、できる範囲でコミュニケーションを図っていましたが、とても大変そうに見えました。
 
台湾で同じような状況になったら、台湾人は話しやすくするために、すぐに相手の隣の席に移るでしょう。でもよく考えてみると、これが非常に一面的な考えであることに気が付きました。昼休みの貴重な時間なのですから、みんな一人で静かに食事をしたいに違いありません。不運なことに、知り合いや同僚に出会ってしまったら、のんびりすることができなくて、食事もおいしくなくなるかもしれません。
 
日本で長く仕事をしている台湾人の友人がこのように言いました。「昼休みに行った店に社長がいたら、日本人の同僚たちはすぐに出て別の店に行くよ。」「休暇の時は、みんな約束して会ったり食事をしたりしないし、携帯も切っているよ。」私はなぜだかわかりませんでした。彼によれば、「昼休みと退社後の時間はプライベートなものだから、同僚と無理に付き合いたいという人はいない」のだそうです。その話を聞いて、思い出したことがあります。日本(特に東京)では、カフェでもファストフード店でも、レストランでも、一列に並んだ一人用の席があります。みんな同じ方向を向いて一列に並んで坐り、それぞれが本を読んだり、携帯でネットサーフィンをしたり、イヤホンで音楽を聴いたりしながら、無表情で目の前の食べ物を咀嚼し、純粋な一人の世界に入り込んでいます。
 
人と人の間には少し距離がなければ、息が詰まってしまいます。私は、この理論は親子でも、恋人でも、夫婦でも、同僚でも、師弟でも、友達でも当てはまると思います。でもこの距離はあまり多くとらないようにした方がいいですね。そうでないと、助けが必要になった時、周りに誰もいないということになりかねませんから。(哈日杏子執筆)

Photo by 哈日杏子

近づかれると不快な距離 http://allabout.co.jp/gm/gc/301578/
 哈日杏子のブログ http://harikyoko.wordpress.com/ (中、日)


あの頃、僕たちは若かった

真っ白な背景に、花が散るように散りばめられたかつてのスターたち、その漫画のような大きな頭と、極端に小さい身体。ちょっと見るとおかしな画面構成だが、細部まで手を抜かずに丁寧に描かれている。手に入れたとたん、待ちきれずに歩きながらめくったこともしばしばだった。それのおかげで、輝きと喜びに満ちた時を過ごすことができた。……だが今、表紙の「最終号」という三つの大きな金色の文字が、私をなんとも言えない悲しみに包んでいる。「ぴあ」、私が青春時代を託し、多くのものを与えてくれた象徴が、ついに消えてしまうのだ……。

初めて出会ったのは、「風と共に去りぬ」のヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブルのキスシーンを描いた表紙だった。個性的な構図と絶妙な背景を前にして、異国に来たばかりの青年はその斬新さに驚喜した。それ以来、学校から職場へ、社会から家庭へと、めまぐるしい毎日を送る中で、折々に「ぴあ」が生活に旋律を与えてくれた。なかなか眠れない秋の夜には、降りしきる雨の中をコンビニまで走り、たくさんの雑誌が並ぶ中から「ぴあ」の見慣れた画風の表紙を見つけただけで、古い友人に出会ったような温かさを感じたものだ。

39年があっという間に過ぎた。日本が高度成長経済を背景として消費型社会に転換した頃、「ぴあ」の誕生は間違いなく、映画、演劇、読書などが青春期の自我形成のために重視された時代における必然的産物だった。だが、大衆が次第に視線も時間もネットに向け、果てしなく検索を続ける時代が訪れ、かつては娯楽情報誌の開拓者であった「ぴあ」も、「39年の感謝を込めて」、自ら「最終号」の幕を引かざるをえなくなった。

39年。一冊の娯楽情報誌の歴史。細かい1300冊分の表紙を集めた「最終号」に私は、「世界で同じ雑誌の表紙の挿絵を描き続けた最長記録」として、「ギネス世界記録」に認定された画家、及川正通さんの力に感じ入り、ページの隅に読者からの短い投稿を載せるというよく考えられた構成が、50万人の読者を夢中にさせたのだと理解した。

この分厚く、やや重みのある「最終号」を手にし、初めて出会った創刊号の復刻版をめくりながら、少しずつ、少しずつ、日本に来て初めてのデートのことが目の前に浮かんできた。手には丸めた「ぴあ」を持ち、私と彼女は、「ぴあ」に導かれて渋谷のBUNKAMURAの映画館に入っていった。その時、背後の空は夕焼けに染まっていた。……その頃の私たちも、その頃の「ぴあ」も、何と若かったことか。(姚遠執筆)

(C)2011 Pia Corporation.

「ぴあ」最終号特別サイト http://39.pia.co.jp/


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