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タイトル:馬の博物館カルチャートーク>2003年7月のログです  2005/01/29


7月5日に、馬の博物館へ行ってきました。前回も6月の第一土曜日に 
行ってきたのですが、毎月の第一土曜日はカルチャートークショーが行 
われるという事なので、時間がつけばこれからも行こうかなと思ってま 
す。今回のテーマは「競馬と日本の文豪」という事でしたが、僕が知らな 
かった事がいっぱい話題に出たので報告します。みなさんも"ヘエー"と 
思う気がするけど・・。一応驚き度合いを100ヘエ満点の数値にします。 

☆ディックフランシス(競馬推理小説家)は元騎手だった:50ヘエ 
この人は、名前しか知らないんですけど。騎手だったんですね。 

☆菊池寛(小説家)は自分の馬主用冠名を持っていた:60ヘエ 
菊池寛が馬主になってたのは知ってましたが、冠名まであるんですね。 
冠名は"トキノ"で、自分で書いた「時の氏神」から取ったそうです。 

☆トキノミノルの馬主さんは、大映映画の社長だった:80ヘエ 
映画会社の社長だった為に、トキノミノルをモデルにした映画まで撮っ 
ていて、1955年に「幻の馬」という作品を創ったそうです。 

☆トキノミノルは、菊池寛の"トキノ"の冠名を引き継いだ:85ヘエ 
大映映画の社長と菊池寛は交流があり、菊池寛は名目上、元大映映画の 
社長だったそうです。菊池寛は、自分がどうしてもダービーを取りたい 
というのを常日頃周りに言っていたのを知っていて、馬主は自分の馬の 
冠名の一部に"トキノ"を使っていてその内の一頭がトキノミノルです。 

☆トキノミノルとセントライトは同じ調教師が管理してた:70ヘエ 
田中和一郎さんという調教師です。 

☆昔は調教師を開業しながら、騎手も兼業出来た:95ヘエ 
これはビックリしました! 知ってました!? 俺だけ知らなかった!? 

☆昔は日本の競馬は、春と秋しか行われなかった:80ヘエ 
一番短い時で春2回、秋2回の4回しか行われませんでした。その間 
みんな何してるんでしょう? 

☆トキノミノルの馬主さんは、ダービーでトキノミノルの騎手に頼み事 
をしました。それは、「直線に入ったら南無阿弥陀仏を3回唱えてくれ」 
というものだった:90ヘエ 
レース前から脚部不安があり、みんな祈る気持ちだったらしいです。 

☆トキノミノルは、10戦10勝のうち7回がレコード勝ちである:40ヘエ 
これは・・チラっと聞いた事があるんですけど言われるまで忘れてました。 


☆クロカミという馬は、松山厩舎以前にも存在していた:60ヘエ 
吉屋信子さんという文豪の方が持ってたらしいです。 

☆吉川英治(作家)の持ち馬ケゴンは、皐月賞を勝った:65ヘエ 
NHK大河ドラマの「宮本武蔵」の原作者は、皐月賞馬のオーナーでした 

☆当時、横浜競馬がある日は外資系の会社は休日になった:90ヘエ 
競馬がある日は、競馬興行に深くかかわってる外資系の会社では、仕事を 
行わず、競馬興行を中心に自分の会社の予定を組んでいたそうです。そし 
て競馬が行われる日には、競馬が行われない旨が新聞の一覧に公示されて 
いたそうです。こいつらは・・スゲーなああ。 

☆当時、横浜競馬がある日は医者が休業した:90ヘエ 
おい!おい!困ったやつらだ。 

☆三国志で知られる吉川英治(作家),横山光輝(漫画家),ユーエイ(ゲームソ 
フト会社)は、すべて馬主である。:75ヘエ 
この3人は、三国志を知らしめる事において世代別でNO1の方々らしく、 
おじいさんは吉川の小説。お父さんは横山の漫画。子供はゲームソフトで、 
三国志を一番最初に知るそうです。言われてみればそうだな。 

☆姿三四郎で知られる富田常雄は、馬主となった作家で唯一のオーナーブリ 
ーダーである:80ヘエ 
牧場まで作ってしまった作家がいたんですね。名前はスガタ牧場だそうです 

★結論として、作家や文豪というのが競馬に惹かれるのは、毎日締め切りに 
追われ缶詰状態になる日常で、競馬場の爽快感・開放感が味わえる事が原因 
であるという事を講演者の方が言ってましたが・・そうなのかな?全然外れ 
た意見じゃないけど、それも何だか取って付けたような理由じゃないかな? 
と思います。結局の所、馬券で当たる事、外れる事による麻薬性に陥った我 
々と変わらないと思いますけど

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