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┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓┏━┓ ┃日┃┃本┃┃史┃┃奇┃┃説┃┃珍┃┃説┃┃歴┃┃史┃┃の┃┃真┃┃相┃ ┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛┗━┛ No.9 *=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=* こんにちは〜! 倫太郎です。 なんか最近の雨って、降るときはいつも 土砂降りって感じで、こわいですよねぇ (;^_^A アセアセ・・・ では、お届けします。 ============================= 「結構マジメなサラリーマンとしてがんばっています。」 でも 限られた自分の時間、限られた給料、おまけにボーナスカット。 支払いのローンも増え、子供にもお金がかかるようになって 解決策を本気で考えるようになっていました。 週末なら時間はあるし やる気もあったんです。 雑誌やネットで真剣にサイドビジネスを探しました。 ⇒ http://glk.tsukaeru.jp/ppp/hid/new.htm ------------------------------------- ============================= *=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=* 第九話 ☆なぜ、巨大御陵が築造されたのか 日本書紀の「仁徳天皇紀」を見ると、世界最大といわれる仁徳御陵を築くに あたって、仁徳天皇自らが、現場に出て指揮をとったとされています。 墓というものは、その人の死後に遺族が築くのを建て前としていますが 仁徳天皇は、その慣例を破り、自ら50万人の労務者を指図して、自分の 墳墓をつくらせたのでした。 仁徳天皇に関する有名な伝説に次のような話があります。 天皇が高き屋にのぼって、民のかまどに煙の立ち上らないのを見て 民の貧しい生活を哀れみ、それから3年の間は租税を免除された。 そうして3年目に再び高き屋にのぼって眺めてみると、民のかまどが にぎわい、煙がたくさん立ち上っていたので、胸をなでおろして安心された というのです。 仁徳 という名前も、この伝説をもとに天皇に贈られた とのことです。 しかし、この伝説は、御陵築造のこととあまりにも矛盾している と 主張する学者がいます。 仁徳天皇が、それほど仁徳の高い天皇であったと仮定すれば、自分の墳墓を 築くために50万人もの労務者を酷使するわけがない。 だから、仁徳天皇は実際は過酷な専制君主だったに相違ないというのです。 しかし私は、この学者の主張と少々反対の意見をもっています。 それは、3年の間租税を免除するほどの仁徳の高い天応であったればこそ そのころ仕事にあぶれていた人々を救済する為に、これだけの大規模な 築造工事を起こされたのではないか とも推測できるからです。 もちろん、仁徳天皇が生前に、これだけの御陵を築造されたということは やはり天皇の権威を日本の津々浦々にまで、誇示し顕現しようと企図された からでしょう。 50万人もの労務者が、天皇のご意向に従い、わずか2〜3年の間に難工事を 完成したのは、ひたすら天皇を崇敬し、欽慕していたからこそ 可能だったと 思われるのです。 *=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=* ============================= やる気はあるのに思ったような仕事はなかなか見つからないし 特に資格もない。子育てしながらではムリなものばかり。 在宅ワークも思ったように稼げなかったり スタートするのに まとまったお金が必要なものばかり。 子育てしながらできる 仕事をずっと探していたんです ⇒ http://glk.tsukaeru.jp/kisgr/hid/index.htm ------------------------------------- ============================= *=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=* 【タイトル】 日本史奇説珍説、歴史の真相 【発行間隔】 週刊 【発行者】 倫太郎 【HP】 http://arassann.hp.infoseek.co.jp/rekishi/rekishi.htm 【E -Mail】 tooru102@hotmail.com *=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=* |