メルマガ:日本史奇説珍説、歴史の真相
タイトル:日本史奇説珍説、歴史の真相  =創刊号=  2004/08/04


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┃日┃┃本┃┃史┃┃奇┃┃説┃┃珍┃┃説┃┃歴┃┃史┃┃の┃┃真┃┃相┃
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              =創刊号=
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はじめまして。発行者の倫太郎と申します。

歴史研究の目的は、謎を解くためだけではありません。
しかし、歴史上の人物や事件には、不可解なこと、不思議なことがあるのも
見逃せない事実です。

そこに数多くの仮説・臆説が生まれるわけですが、中には暗示性にとみ
はなはだ愉快で、楽しいものもあります。

そんな奇説・珍説をご紹介していきます。

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第一話

☆金印はなぜ、志賀島に埋蔵されたか

  ◇農民が発見した金印

1784年、江戸時代 徳川十代将軍家治の治世に当たるが、その
2月23日、筑前国那珂郡志賀島村(現在の福岡市東区)に住む
甚兵衛という農民が、奴国王の金印を発見した。

その日、甚兵衛は兄 喜兵衛に相談し、喜兵衛が奉公したことのある
店屋の主人に見せたら、「貴重な品物に相違ない」というので
福岡の米屋才蔵のもとに持参した。

才蔵は、この金印を亀井南冥という儒者に鑑定を依頼した。
南冥は、さすがに儒者だけあって、「これは倭の奴国王が後漢の
光武帝から頂戴した黄金の印章に違いない」と鑑定した。

その金印は、一辺が2.3センチの正方形で、厚さは約0.8センチ
重さが108グラムある。蛇を象ったつまみが、ついていて 金印に
刻まれた文字は、「漢委奴国王」とあった。

大昔に、倭国の奴国王が後漢の光武帝から下腸された印綬が
農民甚兵衛の発見した金印らしいというので、たいへんな騒ぎに
なったのも無理なかった。

 ◇本物か、偽物かの論議

さて、米屋才蔵は、亀井南冥の鑑定によって、農民甚兵衛の発見した
金印が、たいへん貴重な物であると知ると、是非 譲り受けたいと
言い出した。甚兵衛は、もちろん 拒絶した。

しかし、そのうちに、金印発見の評判が各地に広まったために
庄屋の長谷川武蔵も、これを放っておいたら、自分にどんな迷惑が
かかるかもしれないと、甚兵衛の家に飛んでいき、郡代役所に
提出せよと詰め寄った。

甚兵衛は、しぶしぶ金印を郡代役所に差し出した。
それを聞き知った例の儒者亀井南冥が、役所にやってきて
「それは拙者が鑑定したものだが、百両で買い受けたい」と
申し出た。

この熱心な南冥の申し出に、郡代津田源次郎も、ほとほと困り果て 
ついに金印を福岡藩主の黒田家に上納してしまった。

すると黒田家では、執政の役にあった浦上数馬の計らいで、甚兵衛に
白銀50枚を与えたという。

この金印に関する研究は、早くも江戸時代から始まっている。
明治時代には、この金印が偽物ではないかという説も唱えられている。

それらによると、まず甚兵衛が発見したのは、本物の金印だが
こっそり売却して金に代え、別に偽物をつくって、郡奉行の役所に
提出した。
したがって、現存する金印は偽物らしいと、いうのである。

┓┓┓┓ 次号に続く ┏┏┏┏

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【タイトル】  日本史奇説珍説、歴史の真相

【発行間隔】  不定期
【発行者】   倫太郎
【HP】      http://arassann.hp.infoseek.co.jp/rekishi/rekishi.htm
【E -Mail】   tooru102@hotmail.com

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