2月号 VOL57   

お待たせ致しました。
今月号のリーフノベルです。

リーフノベルとは、全て1600字の中に収まるように作られた
短編読み切り小説です。
幽鬼、深層心理、アイロニーの世界にあなたを誘います。
それでは、どうぞ今月のリーフノベルをお楽しみください。

     ○●トップページ●○
     http://www1.odn.ne.jp/~aap60600/yoshirou/leafnove.html
     には、他の作品も掲載しております。

     ●○投稿募集●○
   またサイトでは、作品の投稿もお待ちしております。
   まずは御気軽にお問い合わせ下さい。
   みなさんも1600字で作品をお書きになってみてください。
   今までにない手法の作品です。
   優秀作品はサイトにて、ご紹介致します。
   aap60600@hkg.odn.ne.jp

     ○●作者紹介●○
    名前:高安義郎(たかやす よしろう)
    日本文芸家協会会員
    日本ペンクラブ会員
    日本現代詩人会会員
    日本詩人クラブ会員
    千葉県詩人クラブ顧問
    詩誌「玄」、詩誌「White Letter」主宰
    リーフノベルを「千葉日報新聞」(隔週の日曜版)に10年間連載

   


 
     
                 記憶と浮気 
  
                                       高安義郎


 

      


 三年ほど前のことだった。私は固いベッドの上で目が覚めた。目の前がぼう

っとかすみ、深い霧の中にいるようだった。次第に部屋の灯りが見え始め、自

分の手足が見えてきた。赤子の目の見え方は、きっとこんな具合かも知れない。

そんなことを思ったものだった。

「気がつきましたか。奥さんが迎えに来られましたよ」私は鉄格子の中にいた

のだ。

「ここはどこですか」格子から出され、渡された服を着ながら聞いた。

「覚えてないですか。夕ぺお酒飲んで喧嘩しませんでしたか。血だらけになっ

て公園の石垣の下に倒れてたんですよ」

そう言われても分からなかった。服のサイズは合っていた。

「この服はどなたが?」と聞くと、

「私が今持って来たんです。大丈夫?」

五十少し前と思われる見知らぬ女性が言った。

 その女性は私の妻だという。いつ結婚したのか記憶がなかった。警察で調書に

サインを求められた時、私は名前さえ忘れていることに気付いた。彼女の顔は急

に青ざめ、部屋の隅で警察官等と何やら小声で話し合い、やがて振り向きながら、

「お父さん。たいしたことないと思うけど、明日病院に行きましょう。ちょうど

創立記念日で私は休みですから」

彼女は智美という名前で、小学校の教師をしている人らしかった。聞けぱ私も予

備校の講師らしい。三十分程車に乗ると、最近建てたと思われるこざっぱりした

家に着いた。手を引かれるようにして部屋に入り、ソファに座ってはみたものの

落ち着かなかった。出された熱いコーヒーを遠慮がちに飲んだ。智美は平静を装

いながらも、しきりにあれこれ話しかけてきた。誠意を持って答えようとはした

のだが何も答えられはしなかった。しぱらくして智美は八十歳位の老婆を連れて

入って来た。

「健太郎」老婆は震える声で名前を呼んだ。後ろに誰かいるのかと思い見回した

が誰もいない。健太郎とは私の名前らしかった。

「本当にわかんないのかい。冗談じゃないんだね」老婆は涙を浮かぺながら私の

両手を取り、何やらお題目らしきものを震え声で唱えた。不気味に感じた私は、

「おぱあちゃんですか。すみませんちょっと分からないもので」

手を振りほどくようにして立ち上がった。大学生と高校生らしい二人の男の子が

入って来ると、二人は懐疑的な眼差しで私を見下ろし

「お父さん、僕だけど」上の子が遠慮がちに言つた。

「すみません少し疲れているもので」そう言った後何も言葉が思い浮かぱず、

「どちらの学校ですか」と丁寧に聞いた。

「お父さん。本当かよ。わかんないの?お父さんと同じ明治大学…」

そう言って少し間を置いてから「です」とつけ加えた。下の子は目に涙を溜めた

まま黙っていた。

 その夜、夫婦の寝室で寝るのには抵抗があり、応接室のソファに寝かせてもら

うことにした。翌日病院に行き、数日後には検査の結果を聞いたのだが、脳には

どこにも異常はなさそうだった。家の人たちは皆親切で、というより腫物にでも

触るように私に接した。私も遠慮がちだったが、ぎこちないながらも少しずつ打

ち解けるよう努力した。智美の父親はすぐ近くで車の整備工場を営んでいた。私

はそこで働かせてもらうことになった。

 そんな暮らしがまる一年ほど続き、工場の仕事にも慣れ、家族の人たちの心根

がすっかり飲み込めた頃、私は口実を設け智美を近くの公園に連れ出した。今更

粋狂なことだ、と人はいうかも知れないが、私は意を決し智美にプロポーズをし

たのだった。智美は私の意外な申し出に驚いた様子だったが、やがて笑みを作り

「あなたが帰って来るまで、私、もう一人のあなたと浮気してようかしら」

そう言ったあとで涙を浮かぺた。

 三年たった今も私の記憶は戻っていない。妻は私と浮気をしていることになる

のだろうか。奇妙な思いの中に浸り、何やらこそぱゆい日々を送るこの頃である。