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タイトル:風からの便り。No.9  2003/08/15


2003/07/21    -水月-  since2003〜

  スタートライン     風からの便り。 No.9

 僕は野球部にいながら、陸上の大会に出ていた。
種目は100メートル走だ。
学校では誰にも負けなかった。

 スタートラインにたつ。
スターターの合図とともに位置につく。
はるか先のゴールは見えない。
空気は澄み渡り、真空状態に限りなく近い。
透明に近いブルーが空を描く。
風が埃をコマ送りのように巻き上げる。
辺りは切り取った写真のように、微動だにしない。
防音設備の効いた部屋にいるように、不自然なくらい静かだ。
つばを飲み込めないほど緊張している。
数秒が長く感じられる。
不快な長さではない。
張り詰めた緊張感が空気の流れを止める。
僕はただ一点、スタートラインの白線を見つめる。
スタートして、気がつくとゴールしている。
数秒が短く感じられる。
100メートル走とは、そんなスポーツだ。

 僕は、陸上部員を押しのけて、選手として、大会に出場した。
もちろん、面白く思わないものもいた。
不満もたくさん聞いた。
僕は、小さい頃から、やんちゃでわんぱくな子供だった。
運動会でも、体育でも、陸上部にも負けることはなかった。
体育と運動会が大好きで、とってもわかりやすい子供だったと思う。
本なんて、ほとんど読んだりしなかった。
遠い未来に、こんなふうに文章を書くことになるとは思ってもいなかった。
小学校、中学校時代野球ばかりしていた。
みんながどう思っているかわからないが、
野球というスポーツは、よく走るスポーツだ。
というより、スポーツの基本は走ることだと思う。
本当か嘘かはわからないが、僕はそう思っている。
滝のような汗を流しながら、走り回っていた記憶がある。
スタートラインに立てたのは、実力があったからだ。
それだけだ。

 時は流れ、大人になった。
現実の厳しさも痛いほど味わった。
負けるたびに、惨めな想いもたくさんした。
長いものに巻かれること、流されて生きることの良さも知っている。
自分の無知さ加減も良くわかった。
実力がないことも思い知らされた。
スタートラインにたつことの無謀さも知っている。
さんざんな内容で負けることも目に見えている。
スタートラインにたつことはとても億劫だ。
罵声と声援を潜り抜けて、それでもたち続ける。
参加することに意義があるのではない。
参加しないと意味がない。
スタートラインにたつことのできるのは限られたものだけだ。

 負けたとき、僕は負けた理由を探した。
たくさんの理由を列挙した。
答えは簡単だった。
実力がなければ負ける。
スタートラインに立ったことのあるものならばわかる。
不満を言う必要も妬む必要もうらやむ必要もない。
勝つことにも負けることにも理由がある。
それはスタートラインにいるものにしかわからない。

 僕は何かを始めるとき、いつもスタートラインの白線を思い出す。
空気は澄み渡り、真空状態に限りなく近い。
透明に近いブルーが空を描く。
風が埃をコマ送りのように巻き上げる。
辺りは切り取った写真のように、微動だにしない。
防音設備の効いた部屋にいるように、不自然なくらい静かだ。
つばを飲み込めないほど緊張している。
数秒が長く感じられる。
不快な長さではない。
張り詰めた緊張感が空気の流れを止める。

ただ一点、スタートラインの白線を見つめる。
そして、その先にあるものを思い浮かべる。

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