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タイトル:風からの便り。No.6  2003/08/05


2003/08/04    -水月-  since2003〜

   池田小事件   風からの便り。-No.6-

 僕がこの事件を知ったのはだいぶ後になってからだ。事件が起こった頃は、忙しくてニュースなんて見ていなかったし、浮世離れしていた時期にあたる。しかし、事件から二年近くたっても、この事件のニュースは時々目にする。はっきりとした事件のことは知らない分、これから書くことに事実誤認もあるかもしれない。悪しからず。

 さて、小学生が無差別に殺害されたということはとても悲しい出来事だ。それによって、全国の学校の管理体制が強化されたことは当然のことだろう。学校や地域社会が無力な子供たちを守ることは当然の義務だ。学校に出入りする人を厳しく取り締まることは、子供たちを守るためには、当然のことだ。

 ただ、寂しい。

 古代より、世界的に外敵から身を守るために堅固な壁を築いてきた。分厚くて、高い壁を築いた。壁を突破されれば、また、高い壁を築いてきた。その繰り返しだ。 しかし、一度として侵略を許さなかった壁はない。必ず、壁は破られる。
 戦国時代、侵略を許さなかった武田信玄は大きな城を構えることをしなかった。館を本拠地にしていた。侵略するにはたやすい、この館は結局侵略されることはなかった。どんなに大きな城や分厚くて高い壁を築いたところで、何の意味も持たないのだ。館を含めた自分の領地、地域を含めた民、武将、そこに生きる人々が自国を守るという何かが、外敵から、館を守っていたと思える。戦国の下克上の時代に、地域社会を含んだ守りを固めていた。だから、壁を作る必要はなかった。
 時代は変わって、文明は進歩した。便利な世の中になった。それでも、セキュリティを高めることは何の解決策にもなっていない。地域と学校との結びつきの間に、物理的な大きな壁が立ちはだかったように思ってしまう。
 もちろん、わが子を思えばこそ、安全を守ることは当然の義務だ。父兄が学校、国に対して、セキュリティの甘さを指摘するのは無理もない。地域と学校が子供を育ててきた。また、育てるべきだと思う。その学校と地域が壁を作っていくようで。。。地域から、子供たちを守るために、学校の壁が高くなっていくようで。。。

 ただ寂しい。

 遺族は皆、極刑にしても気持ちがおさまらない。最低限でも、極刑にしてほしい。と述べているようだ。両親の気持ちを考えれば、当然だと思う。もし、僕が同じ立場なら、同じことを思うだろう。普通の人間の気持ちだろう。普通であれば、そう思うだろう。さて、悲しくもその気持ちは各国の自爆テロを容認している。自分の大切な人が無残にも殺され、加えて、民族の先祖代々住んできた土地さえ奪われた。侵略した当の本人は、社会的に認められ、英雄扱いされている。自分たちは何もかも奪われて、悪者扱いされ、孤立している。向けどころのない怒りは、社会へと向けられる。最後の主張が自爆テロというのは、悲しい。それが現実だ。彼らを作ったのは、社会かもしれない。彼らの怒りは、消えることはないかもしれない。この世のどこかに負の遺産が蓄積し、爆発する。彼らの気持ちを汲み取ることが出来れば、しかたのない現実かもしれない。怒りは負の遺産は蓄積する。この世に怒りがある限り、戦争はなくならない。何より許すことが大切だと、遺族に向かっていえるだろうか。否。戦争はなくなるだろうか。否。それが現実だ。

 ただ、寂しい。

 この事件の中で、もう一つわからないことがある。事件を起こした当の本人である。どんな人物なのかは、わからないが、どこかしら、社会に、自分の人生に、運命に痛めつけられた気がしてならない。彼の生い立ちや過去はわからないので、はっきりしたことは言えないが、彼からは社会に対して、何を言っても、自分のことはわかってもらえないし、言うだけ無駄だという、どこかしらあきらめているような気持ちがあるような気がしてならない。彼の気持ちは、彼にしかわからない。しかし、彼の心の中には、怪物が住んでいる。彼自身をも食べつくすような怪物。何かのきっかけで、彼の中の怪物が目を覚ましたのかもしれない。彼の中や人々の心の中に巣食う怪物を作ったのはいったいなんだろうか。僕たちが住んでいるこの社会かもしれない。彼の極刑を願う遺族の気持ちは当然だろう。こうして、心に怪物が巣食うかもしれない。今回の事件は社会の生んだ産物かもしれない。
 自分と他者との間には、心の壁がある。相手を疑うことによって、壁は大きくなる。小さな壁に始まって、壁は集団を巻き込んで、とてつもなく大きくなる。実態となって、厳しくなったセキュリティの壁になったように思えてならない。知らない相手に対して、怪物でも見るかのような目が今回の壁になったように思えてならない。
 僕が知っている学校、僕が小さい頃、通っていた学校には、門と呼べる代物はなかった。壁もなかった。誰だって、入ろうと思えば入ることが出来た。でも、誰も入らなかった。グランドと隣の畑の境目もなく、地域社会との垣根もなかった。学校の近くの背丈よりも大きく育った小麦畑でかくれんぼをして、たびたび農家の人に叱られた。今ではいい思い出だ。夕焼けが優しく包み込む中で、日が暮れるまで、遊んでいた。僕の知っている学校とはそんなところだ。今はそんなことも言ってはいられない。

 ただ、寂しい。



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