メルマガ:組紐工芸 工房 多津蔵通信
タイトル:夢幻出版社『多津蔵物語』 ”第四章 其の壱”  2007/05/05


この場所に、新しい書き込みをするのは、随分と、久しい!
忘れていたのではない。
書き込めなかったのだ。

理由は、其の余裕が無かったからだ。

では、今は、余裕が有るのかと、問われると、困る。
何故!書き込んでいるのか?

答えは、簡潔明瞭では無い!
勢いと答えれば、無責任に成るが、正しいのかも知れない。


表題を書くに当たって、前のものを捜すと、驚いた。
バラバラの書き込みなのだ。
今までの続きなどは、何処にも、存在をしない。

仕方が無く、辻褄合わせの表題を、付ける。
それが、”第四章 其の壱”なのだ。
だから、意味など、何も無い。
在るのは、形だけの、形式だけなのだ。

そんな恥ずかしい書き込みだが、気持だけは、前を向いている。


今日の話題は、【 主宰の休日! 】

 主宰は、工房で、足掛け五年の歳月を、暮らしている。
 でも、一歩も離れず、棲み続けているのかと云えば、違う。
 年に、六回は、一週間の単位で、工房を離れる。
 それ以外にも、日帰りで、月に何度かは、留守にする。
 更に、連休ともなれば、お休みモードで、工房を閉じる。

 この様に書き込むと、何とも優雅な暮らしに、感じる事だろう。

 でも、こうした姿だから、工房には、いつも、新しい風が、吹き渡るのだ。
 主宰が運ぶ風は、いつも、工房を蘇らせるのだ。
 其の息吹を貰いながら、スタッフ達も、育まれてきた。
 四年の歳月を、こうして歩んで来たのだ。

 そうした歩みが、この連休から、新しい在り様に、変わってきた。

 一番の変わり様は、工房に閉じ籠るのではなく、飛び出している事だ。
 其の姿は、逞しくなった主宰の力を、感じさせる。
 スタッフに縛り付けられる姿から、脱皮をしたのだ。
 自由と言葉を用いるのが、正確とは思えないが、矢張り、自由なのだ。
 何からの自由かと言えば、スタッフからの自由なのだ。
 言い方を変えれば、誰にも拘束をされない、姿に成ったのだ。

 工房の五年目は、自立したスタッフしか、工房には暮らしていない。
 その結果、主宰は、何ものにも拘束されない、自由を得たのだ。

 何処に出掛けるのも、何の心配も無く、気持の赴くままに、出掛けられるのだ。
 工房に籠りたければ、気の済むまで、籠っていられるのだ。
 この気持の赴く儘が、新しい主宰の姿なのだ。

 連休を、久し振りに、工房を離れて、主宰は暮らした。
 どんな?土産話を持って、戻ってくるのか、楽しみである。

 そんな幸せな工房の歩みが、五年目の歩みなのだ。



                     夢幻出版社 編集長 田鶴彦之蔵人


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