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タイトル:夢幻出版社『多津蔵物語』  ”第二章 其の二”  2005/09/17


【日記を読んで】

”主宰の哀しみ”が、『薩摩の夢』に、書き込まれた。
”創成期の哀しみ”として、語られている。
一寸!違うのでは!と、感じる。
主宰の哀しみは、今の気持ちなのだ。
昔を振り返ったかの如く表現だが、重ねているのでは、無いのだろうか?


【寂しさとは・・・】

主宰の一人とは、天涯孤独を、意味致しません。
侘び寂の境地でも、無いのです。
”取り残された”かの様な気持ちなのです。
一人で始めると!決意をして、来たのですが、甘くは無かったのです。
何処から?手を付けたら良いのか?と、途方に暮れる毎日だったのです。
”此処で?暮らし続けるの?”
不安と、焦燥が、混在した日々だったのです。


【月を見るとは・・・】

夜は、取り分け!寂しいものです。
其の寂しさを、癒してくれたものが、大きな月だったのです。
其の気持ちは、”この夜に見る月は、同じ月”なのです。
離れた場所でも、同じ時間に、同じ月を見る、感動なのです。
寂しさは、その様な形で、癒されるものなのです。


【哀しみとは・・・】

主宰の哀しみの根本は、”島流しの気持ち”なのです。
南国土佐に、四年間住んでいましたが、薩摩は、更に!南なのです。
日本の本土の果てなのです。
島で暮らした事の無い主宰には、奄美や琉球と変わらないのです。
然も、だだっ広い!だけの、廃墟のような木造の校舎跡なのでした。
夜は、真っ暗な土地です。
お洒落な暮らしとは、程遠い!惨めな生活だったのです。
この哀しみは、本質的には、変わっていないのです。


【其れでも、幸せと云う・・・】

主宰も、少しずつ変わってきたのです。
お洒落の意味が、格好好く暮らす事が、大切なものが、分かってきたのです。
主宰の気持ちが、少しだけ、工房に溶け込んだのです。
其の事も、哀しみの姿なのです。

                    夢幻出版社 編集長 田鶴彦之蔵人

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