メルマガ:組紐工芸 工房 多津蔵通信
タイトル:夢幻出版社『多津蔵物語 "とり残された徒然”』  2004/08/05


「薩摩の夢」に、工房「多津蔵」の優先順位が書き込まれた。驚いたのが、”徒然の夢”が、最後?の事である。其の理由が、工房の有り様そのものが、徒然の夢であると。成程!と思ってはみたものの、何かしっくりとは来ない。主宰の身の丈が一番は分かる。仕事や暮らしも大切だ。でも、其の次ぐらいでは無いのだろうか?とも思える。何故?次が、スタッフで、其の次が、地域との関わりなのか?最後に、申し訳ない程度に?”徒然の夢”が登場をする。ピラミッドのような構成体なら、下に在るものとして理解は出来る。一番高いところに主宰が輝く姿は、理想的だ。でも、優先順位となると、少しばかり異議が生まれる。何故なのだろう?考えられる事は、多津蔵の独立性を強調したかった事です。此の独立性を主張すればする程、徒然の夢は、後に押しやられます。此処で問題となるのは、多津蔵の独立性です。形式的にも、実体的にも、法律的にも、多津蔵は独立組織です。だから、其の事を敢えて主張をし無くとも、自明なのです。でも、「薩摩の夢」は違いました。明らかなうえにも、更に、明らかな主張を致しました。しかも、わざわざ、徒然よりも先である事を明言致しました。拘りは大切ですが、拘り過ぎる事は、大切なものを失う事と成ります。工房「多津蔵」は、明らかに”徒然の夢”で生まれたのです。多津蔵は、徒然が作ったのです。其の徒然が最後では、矢張り、可笑しいのではと思います。わたくしどもなら、主宰の身の丈の次が相応しいと思います。徒然のロマンが無ければ、仕事も暮らしも、意味の無いものと成ってしまうのです。「薩摩の夢」は、徒然のロマンが、”手仕事・手作りの暮し・スタッフの主体性・地域共存体”を内包したものだと説明をします。だから、其の実現無くして、徒然の夢は存在をしないと言い切ります。此れも正論ですが、多少無理があります。現実を主張し過ぎる事は、其の現実に拘束をされてしまうのです。詰まり、理念が曲げられてしまう危険が生じます。無理だから、難しいから、手が足りないから、等など有り得ます。この時の優先順位を現場主義とすると、恐い事に成ります。現実は、易きに流されるのです。”仕方がないね”、”無理だもね”、”やれっこないよね”理由は付きます。結果を見透かした関わりが、大きな顔をするのです。果たして、”徒然の夢”は、結果を重んじているのでしょうか?
         この点の考察が足らない主張だと感じた夢幻出版社

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