メルマガ:組紐工芸 工房 多津蔵通信
タイトル:「薩摩の夢」 ”多津蔵物語 其の六”  2003/11/19


”異なり ”を、”和 ”に、求めました。
”和の定義 ”も、当たり前の生活と、組紐工芸に致しました。
この事は、此れ以外は、認められないと言ってるのでは在りません。
工房「多津蔵」が、生きていく方法を、語っているだけなのです。
では、何故?其のような規定を設けたのか?
其れは、工房の基本的概念と、設計図が無いと、誰も関われないからです。
其の内容を、”和 ”に、求めたのも、工芸が生きていく必然からなのです。
手仕事は、民芸を引っ張り出す迄も無く、日本全国に在りました。
何もかもが、地域の生活の中で、生まれていたと云える程でした。
商品経済が、地域の文化を、生活そのものを、崩壊させました。
多津蔵が考えている姿は、此の失われた生活を取り戻す事なのです。
生活が変われば、商品経済も変わります。
宛がわれた品物に依拠するのでは無く、自らが提案をし、実現するのです。
地域が、地域の特性を生かし、其の味わいを形に出来たならと考えます。
難しい事を、わざわざするのでは無いのです。
昔から伝わっている生活を、当たり前に、実行するだけなのです。
処が、此の”当たり前 ”が、なかなか出来ないのが現実なのです。
多くの人が、地域が失ったものは、悲しい姿となって実感できます。
工房多津蔵の建物も、地域の疲弊の産物なのです。
此の現実に、外から箱ものを導入しても地域が失ったものは戻らないのです。
昔の原風景を、人の内(なか)に取り戻さないと、何も解決は出来ないのです。
守らねば為らないものは、人の心の中に残っている地域共存の気持ちです。
多津蔵が目指す姿が、少しは御理解出来ましたでしょうか。
                    工房「多津蔵」デザインルーム

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