メルマガ:南米旅行記
タイトル:南米旅行記  2004/09/13


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南米旅行記No.43(2004年9月13日 Mon.)


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Index
1.今週のコラム
2. 株
3.インカ皇帝継承戦争 
4.メキシコ旅行記XV
5.南米旅行記XLIV
6.あとがき
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今週のコラム

サンデープロジェクトを見ていると郵便3事業を4つに分けて
分社化すると竹中大臣がのたまわっていましたが、そもそも、
郵便局がなぜ、貯金事業と保険事業をやっているのでしょうか?

これまで民間企業には規制をかけ、銀行は保険業を、保険会社
は銀行業をできないようにしていたわけです。しかし、政府自体
はその規制を無視して利益というか、損失を出してきたわけです。

はたして、膨大な不良債権を持っている預金事業や保険事業を
分社化にしろ今までと同じ組織に残していいものなのでしょう
か? しかも運用している人間は、日本で一番難しいテストを
パスしたといえども、株式や債券運用に素人である官僚です。

郵便事業はともかく、預金事業と保険事業については、民間会社
にするよりも、今ある民間会社に開放して従業員も引き取っても
らえば、もっと効率がいいと思うのはわたしだけでしょうか。

次はプロ野球についてですが、なぜ、パ・リーグの球団は新聞会
社や放送局を巻き込んで、セ・リーグのジャイアンツが成功させた
手法を模倣しなかったのでしょうか。

1963年まで毎日新聞が毎日オリオンズ、大毎オリオンズと球団
経営に係わっていたわけだし、やりようによっては読売ジャイアン
ツ以上の人気球団を作れただけでなく、毎日新聞も業界3位に甘ん
じることがなかったかもしれません。実際に新聞の内容を比べて
見ると毎日の方が読売よりも充実していると思えるので、可能性は
大きかったと思います。

現在、宣伝の手法は地上波と新聞しかなかった昔とは違い、イン
ターネット、衛星放送、ケーブルテレビ、携帯電話とバラエティ
ーに飛んでいますので、ライドアーやヤフーというニューコンテ
ンツなどを自由に使いこなせる新興企業にパ・リーグの運命を掛
けてみるのも面白いと思うのですが、みなさんはどう思われます
か?

もし、近鉄やロッテのような企業が球団経営に携わり続けると
パ・リーグどころか、セ・リーグの経営もおかしくなるのでは
ないでしょうか。

巨人の視聴率も10%以下をさ迷い、破綻の傾向を示している
ので、はやく既存の球団のオーナーに現実を認識してもらいた
いものです。

                    エドワルド

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先週は機械受注の発表があまり良くなかったと思ったら、GDP
発表も当初の+2.8%から+1.7%と下方修正して二連荘
で日本株は続落。

いいGDPが出ると言っていた日本の評論家さんにはしっかりし
てもらいたいですね。

                 エドワルド

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インカ皇帝継承戦争 

休刊です。

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メキシコ旅行記XV

メキシコシティのアウトブス デ ノルテ(北行きの長距離バ
スターミナル)からグァナファトと行きのバスに乗った。グァ
ナファトまでは約5時間半ほどだ。グァナファトの名前の由来
はインディオの言葉で「カエルの住む場所」という意味らしい。
銀が発見されるまでは人も住まない場所だったのだろう。

標高2010メートルにあるグァナファト州の州都であるこの町
は、1988年にユネスコによって世界遺産に指定されている。
16世紀の半ばから銀によりメキシコで重要な地位(18世紀には、
グァナファトにある鉱山だけで世界の3分の1の銀の産出量を誇
った)を占めてきただけあり、山の斜面に古い重圧な建物(コロ
ニアル調)が立ち並ぶメキシコ一美しい町である。ストリートは、
石畳で、全体的に狭く、もっとも有名な通りが「口付けの小道」
だろう。不幸な恋人同士が双方の家族によって引き離されたが、
路地が狭いので向かい合っている窓からキスだけはできたという
言い伝えから、この名前が付いたらしい。まあ、変哲もない路地
といえなくもないが。歴史を振り返ると1810年神父イダルゴ
率いる2万の独立派軍が路地を埋め尽くし、王党派と闘ったのだ
から、不幸な恋人たちも驚いたことだろう。

この町には地下道があり、町の中心に入って行くには必ず通ら
なければならない。町がグァナファト川に沿って造られたので
洪水に苦しめられ、川を付け替えた跡が地下道として使われる
ようになったそうだ。夜はオレンジの電灯を付けるので綺麗だ。

町の中心には、銀の富によって造られた多くのバロック様式の
教会(カテドラル〔2本の塔を持つ教会でラ バシリカと呼ば
れている〕、サンフランシスコ、ラ コンパニア、サンデイエゴ、
ラ バレンシアノ、サン ロケ)、彫刻で飾られたテァトロ フ
ァーレス(ファーレス劇場)、ディエゴ リベラ(壁画の巨匠)
の生家、独立のモニュメント、グァナファト大学など観光の目玉
が集中している。

特にテァアトロ ファーレスは、メキシコ中が賑わう国際セルバン
テス祭(フィエスタ デセルバンテーノと呼ばれ1972年から
始まったラテンアメリカ最大といわれる芸術と文化の祭典)の中
心であり、世界中のアーティストがコンサート、演劇、バレー、
モダンダンスなどを披露する。

グァナファト大学の建物は、彫刻が施され、まるでお菓子のよう
だ。向って左側にある大階段は、ローマのスペイン階段を連想さ
せる。

町の中心をはずれ登っていくと独立戦争のおり、王党派が最後まで
立て篭もったアルホンディガ デ グラナディトと呼ばれるグァ
ナファトで最大の建物(最初、穀物の貯蔵倉庫として造られたが、
独立戦争当時は要塞と使用され、現在は美術館になっている)が
あり、独立派はここでスペインや王党派の兵士を大量虐殺したと
いうことである。この事件は王党派にとってよほどショックだっ
たのか、イダルゴを含む独立派のリーダー4人をチワワ州(メキシ
コの北に位置する)で捕まえた時、わざわざグァナファトまで首
を運んで来て、アルホンディガの四角に10年間も飾ったといわれ
ている。内部は壁画描かれている。

そこをもう少し登ると現地でパンティオンと呼ばれているミイラ
博物館がある。名前どおり、ミイラがガラスケースの中に無造作
に置かれており、ある男のミイラには一物がついており、ある女
のミイラのアソコは陥没していた。どのミイラも小振りなので、
乾燥して縮んでしまったのだろうか。入り口には白いミイラをか
たどった飴(ミイラ飴)を売っていたが、なんとなく美味しくな
さそうなので買わなかった。


ケーブルカーに乗らずに、急勾配の石段を登って辿り着いた反対
側の丘の頂上には、若い鉱山夫ピピラの像がある。1810年、
ピピラは、アルホンデイガ デ グラナディトに立て篭もった王
党派の銃撃を遮断するために、ヒモで吊った石を背中にしょって入
り口に辿り着き、火を付けて、独立派を勝利に導いた英雄である。
石像は巨大だが「そんなものか」という感じで感動しないが、こ
こから見渡せる、カラフルなグァナファトの町は素晴らしい。
まるで町全体が軍艦か城塞のように見える。

この町の美しさの原動力になった鉱山(バレンシア鉱山)は現在で
も採掘されているらしいが、行かなかった。鉱山はどこも一緒で、空
洞の真っ暗闇だろう。

疲れて戻ったホテルの部屋は、ドミトリー式で、ベッドを数台並べ
ただけの殺風景なものだ。一泊1ドルと格安だけど、なんとも侘し
い。その部屋には他の客がいなかったので、貴重品を取られる危険
はなかったが、寂しかった。

つづく・・・

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南米旅行記XLIV


 大きな目と大きな頭を持つ骸骨が襲ってくる、逃げようとするのだ
が足が動かない。その化け物が背後から覆い被さってきた。叫び声
をあげたところで目が覚めた。

「エドワルドさん、魘されていましたよ」
「そうか」
あれは、エィズの死神じゃなかったのだろうか。しかし、マヤ(ユカ
タン半島)の神に似ていたと考えながら、二人の日本人の顔を見ると、
鼻の下に黒い筋が二本入っている。ま抜けていて田吾作のようだ。田
吾作など会ったことも見たこともないのだが、もし存在すればそんな
感じだろう。
「ははははは〜。エドワルドさん、何ですか、その鼻の下の黒い筋は。
与作みたいですよ」
「ははははは〜。そっちも、田吾作だな」
 全員が大笑いである。部屋中に充満したランプの煤が呼吸することに
よって鼻に吸い込まれ、鼻の下に筋を作らせたのであろう。本当に、二
人は間抜けに見えた。自分の顔を見えないが、私もそうだったろう。
「もう、腹の具合はいいのですか」
「もう、大丈夫だ。抗生物質はよく効くよ」
「じゃ、遺跡にいけますね」
「ああ」
 マチュピチュに密入国するために午前5時に起きた。日本人三人は
麓から遺跡まで走っているバスの運賃をケチるため、遺跡を発見した
ハイラム ビンガムのように山にへばりついた。クスコより標高が
低いものの、海抜2000m以上あるので、山を登るのは応える。

死にそうな顔をしながら岩に坐っていると、インディオの集団が
荷物を持って降りていく。昔からの習慣どおり籠に通した紐を額に掛
けて荷物を運んでいる者もいたが、場違いに最新式のバックパック
を背負った者も数人いた。
「おい、あれを見な。旅行者から奪ったバックパックを持ってや
がるよ」
「そうですね。あんな綺麗なバックパックを彼らが買えるはずが
ないですよね」
「あの中に、花田の前で襲われた日本人のバックパックもあるかも
しれないね」

「フゥフゥ」いいながら遺跡の入り口に着くと誰もいなかった。
入場料を払わない10ドルの節約は、貧乏宿2日分から3日分である。
できるだけ長く海外にいたい貧乏旅行者にとってありがたいことなのだ。
1911年の冬にハイラム ビンガムによって発見された遺跡が目
の前にある。遺跡内部は真ん中の広場を聖職者の居住区、コンドル
の神殿、牢獄、生贄の台、聖職者の水汲み場、技術者の居住区が囲み、
その外側に王族の居住区、庶民の居住区、神官関係の区域、貴族の居
住区が配置されている。一見、四国などにあるような棚田を巨大にし
たようなものだったが、小高いところから見る遺跡の全体像は、空中
都市といわれているのにふさわしく、まるで宇宙ステーションのよう
に見えた。

その背景を飾っている中国の桂林にあるような山が天に向かってそ
びえている。その山に登ろうとする登り口に行くと係員が「3時だか
ら、登ることはできないよ」
「3時をまわったばかりじゃないですか」
「だめだ」
「俺たちは日本人なんだよ。この国を日本がどれだけ援助している
か知っているだろ」
「規則は曲げられません」
こんな会話をしている自分が情けなくなり、俺は、ツアーで来た
日本人旅行者と変わらないじゃないかと自己嫌悪に陥った。
「あそこで、頭を下げてお願い作戦でいけば入れてくれただろうか」
「そうですね。人間は泣き落とし作戦に弱いですしね。単純なラテ
ーノは直ぐ引っ掛かりますから」と会話している貧乏旅行者はどこま
でも強かなのである。

山を下りるのもバスを使わなかったが、下りは楽だった。この遺跡の
麓の街アグアス カリエンテ(熱いお湯)には、名前が示すように温
泉がある。温泉といってもプールのような感じになっていて、みんな
水着を着て入っている。

温泉脇にあるレストランから、一緒に来た日本人が温泉に入ってい
るのを見ながら、「くそ〜。俺も入りたいよ。なんで、俺の腕には醜い
出来物があるんだ。熱くて、湿気の多いところでもTシャツを脱ぐこ
とはできないし、地獄にいるようだ」と呟き、昨夜の死神が頭の中で
大きくなってきた。

つづく・・・・・


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あとがき
先週、これからは頑張って配信するぞっと宣言したにもかかわらず
いきなり1日遅れてしまい、どうもすみませんでした。

謝ってばかりなのですが、今回の旅行記は、力を入れて書きました
ので、楽しんでいただけると思います。ご勘弁を・・・・

                   エドワルド

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