メルマガ:堤のノンフィクション物語
タイトル:私がPTSDになった訳-第5章先生‐  2003/05/10


第5章 先生
 
小学五年生になる。
 クラス替えが行われて新しい先生が決まる。
 クラスに行き、決まった席に座る。
 周りでは「最悪〜」とか「どうしよ〜」の声が聞こえる。
 (恐いのかな?でも知らない先生だし会ってみないとわかんないよね・・・)
 先生が教室に入ってくる。男の先生でまだ30歳前後の感じだった。
 私は廊下側の一番端の一番前に座っていたため、出席をとるときは私からになっていた
らしい。
 「出席をとる」
 (なんか不機嫌そうな声・・・)
 「○○ ○○(私の名前)」
 「はい」
 「声が小さい」
 「はい!」
 「全然ダメだ」
 「はい!!!」
 「よし、次」
 別にそんなに言うほど小さかったわけではなかったと思うのだが、次の人から気をつけ
て大きな声で返事をしていったが、数人は私のようにやり直しをさせられていた。
 声は人によって出る人と出ない人がいるから、その人にとって一番大きな返事をすれば
良いのでは?と思った。その前に本当に直された人は、声が大きくなっているのかが分か
らない。
 私の言い直しを見て、声を意識的に大きく言っているのはわかる。言いなおしをさせら
れて一番の声を出してもやり直しなら、それ以上どうすればいいのか。言い直しをさせら
れた人の中で声の大きさが変わった、のはわずかだったように記憶している。
 出席をとり終えて配布プリントを分け終ったとき、私は先生に呼ばれ廊下に出た。
 先生は突然、
 「さっきはごめな」
 と言って私を抱き寄せた。
 (あやまるなら他にもいるだろう)
 と思いながら初めての男の人の体温を感じて戸惑っていた。うれしかったのか嫌だった
のか私にはよく分からなかった。
 そうして小学校生活はスタートしていった。
 それからも先生の怒りは続いた。徐々にではなく、すぐに恐い先生と言われる意味がわ
かった。
 テスト返却のときは1番の人から取っていくが、何も言わずに取ると、
 「お前ら泥棒か!?」
 と言って怒り出して、テスト返却が30分以上かかる事もあった。そういうときはクラス
全員で集まって話し合い、考えた答えを言いいつ先生の様子をうかがい、怒り出すとまた
違う対策を考える。その繰り返しだった。
 そのほかにも、テストの点数が悪いとごみ箱に捨てられている。発見したときの私達が
どれだけ傷ついたか知ってるのだろうか。私はショックでその瞬間から話ができなくなり
帰りに一人で泣きながら帰った。悔しさと怒りと切なさで胸がいっぱいだった。
 忘れ物を黙って言わずにいたり、居眠りをしてしまうと、ものすごく怒り出す。後ろに
連れていって突き飛ばしたり大声で怒鳴ったり。男も女も関係なく容赦なく突き飛ばす。
 (そこまで本気で怒るほどの事か?他のクラスでは結構寝てる生徒もいるって聞いたこ
とあるんだけど・・・。家庭のストレスを私達にぶつけるなんて相手を間違ってるんじゃ
ないの?)
 とよく思った。考えも曲がってしまう。
 授業中、後ろや廊下へクラスメイトが連れていかれ、突き飛ばされたらしい。『ドン』
という音がするたび、前を向いているけどどうしても意識がそっちへ行ってしまって、い
つ自分がああなるのか分からない、胃に穴があきそうになるほどの恐怖と戦っていた。
 なんでまだ小学生の伸び盛りの子供たちが、一人の先生のせいで、人の顔色ばかりうか
がったり、毎時間怒られて突き飛ばされる恐怖と戦っていなくてはならないのだろう。
 他のクラスの子はちらほら先生のところに遊びに来たりしていたのだが、担当のクラス
の生徒は数人しか近づかなかった。
 私も何かをして廊下で突き飛ばされた事もあった。みんなにそうなのかそれほど怒られ
た後、また謝られ抱きつかれた。
 悪かったと思ってなのか何なのかよく分からない。とりあえず私にすがるのは勘弁して
ほしかった。やるなら他の人にしてほしかった。苛立ちでもはや考えてる事もあまり記憶
にない。こういうことは文にしていけば思い出すのに、こればかりは事の起こりの前後の
記憶があいまいなのだ。
 私達は怒られるような事はしたけど、これほど毎時間のように怒られて生活したのは初
めてだった。
  その先生は恐くて、顔を見るのも恐いので集合写真など先生が写っている写真は全て
顔にシールが張ってある。
 いまだに恐いので、先生の顔は忘れてしまったのに、私に起こった出来事は記憶から消
えてくれない。それほどショックだったのだ。
 
 この体験のせいだと思うのだが、人が男女を問わず恐くなり、人とは極力話さないよう
になっていた。
 

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