メルマガ:堤のノンフィクション物語
タイトル:私がPTSDになった訳-第2章 痴漢-  2003/04/25


『私がPTSDになった訳』第2章 痴漢


小学校1年時にいじめてきた男の子は、一年の終わり頃「今までごめんね」という言葉と共
になくなった。
 幼稚園のときから母は離婚した父に代わり私達姉弟との生活のため仕事で週5日くらいは
家におらず、一日母と会わない日もよくあった。
 しかし母の祖父母が同居していたため、さほど寂しくもなかった。小学校へあがって
も、私が夜遅くまで起きているようになるまではそんな生活だった。
  
 私は学年も上がり、弟も小学校へ入ったため、毎日弟の教室に迎えに行って帰るように
なる。
 家に帰ると、他の家庭でもあるように弟との喧嘩が絶え間なく続いていた。
 しかしまだ小学生。加減を知らないため、平気で顔やいろんなとこに怪我をさせたし、
させられた。
 車内から降りるときに足で蹴られて、目から出血(流れるような血ではないが)や、コンセントを投げられて額にささり大出血、おもちゃで叩かれた拍子に小指の生爪が少しは
がれたりもした。私も弟を脚立からくすぐって落としてしまい、下にあった大きなボルト
の上に落ちて、額から大出血したりもした。
 そんなこんなで小学3年春も終わる頃、私の通学路は山道で、後ろを振り返っても前を見
ても山。山。山。山しか見えなかったようなところだった。そのため視界もすぐにさえぎ
られた。
 ある日の土曜日の帰り。給食当番のエプロンと上履きの入った袋を下げて帰っていた。
 少し学校に残っていたせいか、帰り道では同じ帰りの小学生には会わなかった。
 うねった山道に入り、坂を登った。2度目の急カーブを曲がったとき、山道の茂みに軽ト
ラックが止まっていた。
 おじいさんが出てきて私に話しかける。6…70歳くらいだろうか・・・。
 「後ろから誰か来る?」
 「後ろには誰もいなかったよ」
 よく分からない不安感を覚えつつも嘘はつけず、本当の事を言っている。
 すると左手をつかまれ私が持っていた給食当番のエプロンの入った袋と上履きの入った
袋をおじいさんに持っていかれる。
 「・・・?」
 おじいさんは私の左手首をつかみ、グイグイトラックのほうへ連れていかれた。
 軽トラックは茂みに上手くはまっていて、前のほうに行けば通りすがる人からは、まっ
たくの死角になっていた。そこに連れていかれたのだ。
 草の上に私の荷物は置かれ、おじいさんは私の手を離しズボンを脱ぎ始めた。
 (なにをするのかな?)
 『逃げる』ということは頭には無かった。ただこの人は何をするのだろう・・・。とい
う興味のようなものしか頭にはなかったように思う。
 おじいさんは私の左手をひっぱり、自分のペニスを私の左手に掴ませた。
 私は嫌なので離そうとする。
 しかし、私の手はおじいさんの手でガッシリ離れないようにされていた。
 じきにおじいさんのペニスから白い液体がポトポトとフキの葉の上に落ちる。
 この時の私には、それが何なのかまったくわからなかった。
 開放してもらうと、一気に走って、山道を抜けて家まで帰って、石鹸で手をゴシゴシ洗
った。
 家にいた祖父母にその事を話しながら手を洗う。
 祖父母は怒り、学校へ電話する。
 次の日学校へ行くと、職員室に呼び出され、昨日の痴漢の話を説明させられた。
 「そのおじーちゃんが握らせてきて・・・・。」
 「どこを?」
 先生が聞く。
 「だから・・・。そこを・・・。」
 「どこ?」
 しつように「どこ?」と聞いてきた。痴漢に遭ったのならそんなの分かっているはずな
のに・・・。
 私には、言わせたいんだな、としか思えなかった。
 「・・・おち○ちん・・・」
 私は恥ずかしながら小さな声で言う。
 職員室はいつも騒がしいのに、このときばかりは職員みんなが耳をすませて私の話を聞
いているのではないかと思うほど静かに思えた。
 先生は女だったように思うが、これはある意味『性的虐待』だと思う。
 
 

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